2020年5月24日日曜日、本日は北設楽郡設楽町神田と東栄町月の間に残る廃道を歩いてきました。現在、現地を通る国道473号の前身となる道になりますかね。
さて、車道区間が終了し、道路改良工事の標石を越えて、さらに奥へと進んでいきます。
現在の場所は青丸印になります。
※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
普通の山道(徒歩道)になってしまいました。戦前の地形図には「荷車ヲ通セサル部」の道路表記がされていたので、当然と言えます。
と思いきや、路肩に石積み擁壁が現れました。ということは、この道は単に斜面を削り込んで造っただけの山道ではなく、狭いながらも(幅2mくらい)それなりに資金と資材と労働力を掛けて整備された「道路」であった可能性が高くなりました。この先の展開にちょっと期待が持てそうです。
間もなくして切通しが現れました。地形図では、県道424号はここから切通しの左側上方にある花丸峠に向かって一直線に登っていきます(切通し付近に道案内らしきものは全くありません。)。よって、この先が廃道となるわけです。
ちなみに、確認できたブログなどでは、やはりここから左側の斜面を直登して、花丸峠を目指すことが主な目的になっていて、この切通しの先にある廃道については誰も言及していませんでした。
さて、切通しを抜けたところで、困ったことに道跡がわからなくなってしまいました。正面へ向かうのか、右側にある沢筋に沿って下っていくのか…。
しばらくこの辺りを右往左往しつつ確認してみたところ、右側の沢筋に沿って下っていくのが正解でした。
別の小さな沢筋に突き当たったら、今度は右へと針路を取ります。
ここからは、やや広くなった沢筋の左岸をしばらく下っていくことになります。沢筋の横を通るため道は荒れて苔むしていますが、道筋はわかります。
さて、沢沿いで湿っぽくなってきたこの辺りからヤマビルが現れ始めました。ふと長靴やジーパンを見ると1、2匹知らぬ間に貼り付いている感じ(その後、国道へ出るまで断続的に現れる。)。
花丸峠周辺の山にヤマビルが生息していることはわかっていたので、あらかじめ濃い塩水を作って、小さなスプレーボトルに入れて持参していました。貼り付いているのを見つけるたびに塩水を吹き付けましたが、これがなかなか効果があり、ヤマビルはのたうち回っていました(さすがにポロッと剥がれ落ちることはなかったです。)。
ここから沢筋を徐々に離れていきます。
沢筋を離れて山腹へ出てくると段々と地形が険しくなってきました。
石渠を発見。山側に流れのある沢は無く意外でした。
急傾斜地の中を石積み擁壁に支えられた道が続いています。
難所が現れました。本来は石積み擁壁でかさ上げして道を通してあったのだと思いますが、すでに道は無くなり急傾斜の岩盤が露出。その上に大量の落ち葉が積もっています。
「これはいきなりダメかな…。」と思いましたが、試しに片足で落ち葉を踏みしめてみたところ、落ち葉の下は枝か根が絡み合っているような感触で、荷重をかけても崩れたり滑ったりしません。
斜面の下側に木々のない最初の1mだけ慎重に通過すれば、あとは万一滑っても大丈夫そうだと判断して、落ち葉の上に踏み込みます。結果的には想像以上に足場がしっかりしていたので、無事に反対側へと通過することができました。
難所を渡った先から見返した写真です。こちらの写真の方が現場の状況を捉えてますね。
難所を越えたら左へカーブ。その先もまだまだ断崖絶壁に道が造られています。
岩を切り崩した切通しです。右側の岩には、真下を通る国道の法面の落石防護ネットのアンカーが打ち込まれています。
切通しから通って来た道を振り返ります。ここは道に崩れも乱れもなく整った状態をよく保っています。
これだけの高さの断崖絶壁を通る廃道を歩くのは、私としては鳥取県・兵庫県境の戸倉峠以来ですね。戸倉峠の明治期車道の廃道に比べるとスケールは小規模ですが、この場所に来るまで、まさかこんな立派な廃道が愛知県内にまだ残っているとは全く思っていませんでした。岡崎市明見町に残る廃道「旧宮崎街道明見坂」も、急斜面に石垣を駆使して通した古道ですが、また違う雰囲気があります。
この時点で予想外の光景にけっこう興奮していて、誰もいない山の中で一人笑いを堪えておりました(笑)。
岩の切通しを通り抜けていきます。
この道は一体いつ頃今残っているような道に改修されて、いつまで使われていたのでしょうか。今は市の図書館が休館中なので、こういった調べ物ができないのが残念です。
ここを歩いていて思ったのは、「この断崖絶壁区間の道路遺構だけでも保存対策してもらえるといいなぁ。」ということ。一地域の交通のために使われていた古道(里道)の難所に、これだけ立派な石造構造物を伴う遺構が残っているなんて素晴らしいと思います。
崩落地を横切っていきます。石の隙間に足が挟まることもあるので、足場を確認しながら通過します。
道幅が極端に狭い場所に出ました。正面の石垣がきれいに積まれているので、元からこの幅だったのでしょうか?
おそらく、ここも路盤が消失してしまったのでしょう。ここまでの道の造られ方からして、石積み擁壁を設置して道幅を確保していたはずです。もしくは桟橋を架けていたのかもしれません。
反対側から眺めた写真です。ここだけ狭いのはやはり不自然ですね。誰もが危険を冒さずに通ることができなければ「道路」ではありませんから。
路肩に落石防護ネットの上端が現れました。
こういう目の粗いタイプは初めて見ますね。
長い石積み擁壁の道を進みます。こういう場所は安心できます。
落石防護ネットを吊るワイヤーが廃道に立ちふさがります。下をくぐったり跨いで通過しますが、何気に体力取られるんですよね…。
眼下には国道473号。まだまだ国道との高低差は大きく開いています。
滑らかにカーブする石積み擁壁。設楽森林鉄道の廃線跡を思い起こさせます。
右側に削り残された岩がちょこんとありました。どうして残したのでしょうかね。
ようやく土の斜面が現れて傾斜が緩くなってきたと思ったら、
すぐに急傾斜面へ。
また道幅が狭くなっている場所を通過しますが、ここは普通に歩いていけます。
大きな沢に突き当たり、上流側へと歩き進めていくと石積み橋台がありました。今回歩いた区間では、唯一の石積み橋台です。
対岸にも石積み擁壁が続いています。ところどころで積み方が違っているのは、おそらく積まれた時代の違いによるものかもしれません。
沢の右岸側にある石積み橋台。沢の中に突出している割には、土石流などで破壊されることもなく綺麗に台形の形状が残っています。
この廃道中で最も高い石積み擁壁。暗渠も設けられています。路上から降りては近づけそうもなかったので、沢の中を真下まで降りてきて眺めました。
さて、対岸の道へと進んでいきます。
先ほどの暗渠がある石積み擁壁の上に来ました。
覗き込んでみると、暗渠の中は目詰まりなく貫通していました。
木々の中を通り抜ける廃道は、本当に倒木が多いです。
周りが開けてきました。これは嫌な予感…。
国道473号の法面の上に出てきてしまいました…。しかし、これだけの幅があるなら通り抜けできるかもしれません。
そう願って進んでいきましたが、残念ながら路盤は削り込まれて幅が狭くなっていました。さすがにこれを通過するのは無理です…。仕方がないので、ここで引き返すことにします。
赤線が車道区間の終点から歩いてきた推定ルート、赤丸印が現在の場所になります。
※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
延々と戻るのも大変なので橋台まで戻り、
ここから沢伝いに国道473号へと降りていきます。
国道へと出ました。この防護ネットの上端部を廃道が通っているわけですね。
国道を東栄町月方面へと歩き、次の沢でふたたび山の中へ入り込んでみます。
石積み擁壁がありました。先ほどの法面へと戻っていきます。
幹がボンレスハムみたいになってる。
法面に近づいてきました。
法面の反対側に出ました。よく見ると壁面にロープが渡してあります。しかし、どう見ても腐っていそうです。仮にワイヤーロープが掛けてあっても渡りませんけどね(笑)。
ふたたび国道へ戻り、山側を眺めながら進みますが、道跡らしき平場は見出だせません。
最後に見つけた痕跡です。何となく道跡が残っています。
おそらくはここで沢を渡った廃道は現国道ルートから外れ、山の斜面へと登っていたのだと思いますが、そのアプローチ部分は削り取られて消失してしまったのでしょう。
今回歩いた区間の最終的な推定ルート図になります。赤線のさらに先のピンク線が道跡が消失した区間、赤丸印横の緑線は国道へと下りた際のエスケープルートです。
※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
これで一応踏破できたので、ここから車までは国道で戻っていくことにします。狭い道ながら、けっこう車やバイクが通行するので気を遣いました。
引き返した地点から40分かかって車へと戻ってきました。車を出発してから5時間経っていました。疲れた…。
今回歩いた地区は、花丸峠を中心にしていくつかの廃道が存在しているようなので、これからもまだまだ歩き回ることになりそうです。
しかし、今回は本当に大当たりでした。まだまだ「無名の逸材」(廃道に使う言葉としては変ですが(笑)。)が眠っているんですねぇ。今の時期は木々に若葉が生い茂っているので眺望がほとんど効きませんが、冬になれば落葉して見通しが良くなりますから、どのような立地を通っているのかより実感できそうです。ということで、冬にもう一度訪れてみようと思います。