2024年7月28日日曜日、愛知県新城市作手田原付近の旧挙母街道を歩いてきました。
さて、現代の挙母街道である国道301号と旧挙母街道が分岐する地点へとやって来ました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
さっそく旧挙母街道だった路地へと進んでいきます。
道幅はご覧のとおり狭く、私の車だと車幅一杯になります。
左側へと分岐していく道のようなものがあったので、少し探ってみることにします。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
少し踏み込んでいくと道跡であることがはっきりしてきました。
笹原が現れました。
その後、程なくして道跡はわからなくなってしまいました。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
旧挙母街道まで引き返してきたところ、分岐点に石仏が立っているのを見つけました。摩滅がひどく、合掌した立像なのがわかる程度です。古い時代から祀られていたことは間違いないでしょう。
ふたたび旧挙母街道を歩き始めると、たくさんの動物の足跡が道に付いているのを見つけました。イノシシのものでしょうか。
旧挙母街道は峠に向かって一直線に登っていきます。
間もなく峠に到着しました。何の変哲もない景色です。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
峠の周辺を探してみると、やや離れた場所に石組みの祠がありました。
こちらは小さな石柱。表面が読み取れないので、馬頭観音碑のようなものなのか、標石の類なのか、識別できませんでした。
それでは峠を下ってきます。こちら側の道も一直線です。
視界が開けてきて、田原地区の広々とした田んぼを眺めることができます。
峠道を下り、国道301号へとふたたび合流しました。ここで右折して、もうしばらく旧挙母街道の痕跡を探して歩いてみることにします。
場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
国道301号の歩道を歩いていくと、「作手三弘法」とある石碑を見つけました。石碑が立っている路地へと入っていってみます。
お寺の門前へと出てきました。山門が石柱になっているのは初めて見ますね。
そして、山門の左側には大きな馬頭観音像が立っていました。
場所はこちら。
この付近の国道301号は、車に乗るようになってから数えきれないほど通行していますが、この場所にこんな大きな馬頭観音像があることには、今まで全く気が付きませんでした。
「明治廿七年秋季」の文言や奉納者の寄附額や氏名が読み取れます。明治27年は西暦1894年なので、130年前に建立された像だとわかります。
この地域の人々が立てたものか、街道を利用する運送業者などが立てたものなのか、そこまでは読み取れませんでしたが、街道を利用する人馬の交通安全祈願のために立てられた事は間違いないでしょう。
馬頭観音像の前を通る路地は、現在の国道301号が通る以前の古い道筋なのかもしれません(荷車が通るには少々狭い気がするので、疑問符は付きますが。)。
馬頭観音像のさらに左側には小さな祠。古そうな石仏たちも並んでいます。
さらに国道301号の歩道を進んでいくと、右側へと分岐している道が。国道301号から滑らかに細道へと分岐しているので、旧挙母街道かもしれません。
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※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
里山の裾に沿って細い舗装道が続いています。
間もなく国道301号へと合流。この区間には、石仏などの街道を思わせる遺構は見当たりませんでした。
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※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
この先は、地形図を見ても国道に沿うような細道が見当たらないので、ここで引き返すことにしました。まあ、「暑い!」というのも理由ですが(笑)。
旧挙母街道の峠を越えて、車へと戻ってきました。
今回探索したルートの全体図と、比較の旧版地形図です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

5万分の1地形図「御油」:明治23年(1890年)測図・大正7年(1918年)修正測図・昭和2年(1927年)鉄道補入・昭和4年(1929年)発行。
徒歩主体の時代には、少しでも距離を短くしたいために山の端を低い峠でショートカットしていたのでしょうが、荷車の利用が盛んになってくると、低い峠とは言え、一直線で一気に上り下りする坂道は難所となったことでしょう。
そのために現在の国道301号が通る、遠回りでも山を迂回するルートへと変更されて、このルートが現在の国道に踏襲されたのだと考えられますね。
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旧挙母街道 | 日記
Posted at
2025/02/09 08:23:35