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小林あにのブログ一覧

2022年04月24日 イイね!

旧国道19号「鳥居隧道」廃道(塩尻市側)を歩く

2022年3月5日土曜日、長野県塩尻市奈良井に残る旧国道19号「鳥居隧道」の廃道を歩いてきました。

旧中央本線鳥居隧道・旧国道19号鳥居隧道の最寄りとなる駐車帯へとやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

最初に旧中央本線の鳥居隧道へと寄り道します。2月12日土曜日にこの付近へ来た際、氷筍を見るためにここ鳥居隧道へも寄り道しましたが、先客がいたために早々に退散。今回は落ち着いて氷筍が見られると思ったからです。


何か氷筍の数が減っていますね…。残っているものも瘦せてしまった感じ…。


確かに気温は暖かくなってきてはいましたが、ほんのわずかな気温差でここまで細く小さくなるとは思いませんでした。


まあ、仕方ないですね。久しぶりにトンネルの奥へと進んでいくことにします。




最初の大型退避壕まで来ました。坑口からここまで、おそらく500mくらいは入り込んでいると思います。


居ました居ました。たくさんの小型のコウモリが退避壕の天井にぶら下がって冬眠しています。煉瓦の升目に沿って足を掛けているので、きれいに並んで見えます。


まだまだ外は冷え込みますが、ここまで入ってくるとあまり冷気は感じません。野生の動物はよくわかっています。

さて、このトンネル自体はこの先の崩落地点まですでに踏査済み。今回は氷筍と冬眠するコウモリが見られれば良かったのでこれで引き返します。




旧国道へと戻ってきました。ここは旧国道と長野県道258号の分岐点。これから残雪が残る旧国道19号を歩いていきます。


雪の上に轍と思われる窪みと足跡が続いています。これを頼りに進んでいくことにします。




「警笛鳴らせ」と「最高速度40km/h」の標識。この先にも道路標識が点在しています。


足跡が道路左側に立つ建物へと寄っていき、そこで途絶えてしまいました。建物は「奈良井ダム栃窪放流警報局」と表示されています。冬の間もここまでは人の出入りがあったわけです。


ここからは足跡の無い雪面を歩いていくしかありません(動物の足跡はありますが…。)。


「最高速度40km/h」と「追越しのための右側部分はみ出し通行禁止」の標識。


路上の雪が減ってきました。この辺りの地形と雪の降り方の関係で、積もりにくい場所なのでしょう。


「つづら折りあり」の標識。


この廃道区間で鳥居隧道以外に唯一のトンネルである栃窪隧道が見えてきました。


あらためて栃窪隧道です。延長は69m。銘板によると昭和30年(1955年)6月の竣工です。




トンネル内も特に目立った特徴のないコンクリート造りのトンネルです。


トンネル後半、路面の全面が凍結しています。何気に足を乗せてみたら全くグリップしません…。わずかに凍っていない場所や砂利の上を通って何とか通過しました。


栃窪隧道の反対側坑門と銘板です。




「幅員減少」の標識と「終わり」の補助標識+「警笛鳴らせ」の標識。


「警笛鳴らせ」の標識が転がっています。


栃窪隧道を挟む直線区間の山側は、土留めのために背の高い石積みの擁壁が延々と設けられています。


「最高速度40km/h」の標識+「高・中速車」の補助標識と「追越しのための右側部分はみ出し通行禁止」の標識。


昔は路面に「40高中」とペイントされているのをよく見かけましたが、現在は高速車・中速車・低速車の区分が無くなったため、このような補助標識やペイントは見かけることはほとんどなくなりました。

栃窪橋です。先ほど「幅員減少」の標識があったのはこの橋のためです。




ここに沢があるわけではなく、崩落地となっている凹地を渡るための橋のようです。


橋の銘板によると昭和30年(1955年)10月竣工とあります。栃窪隧道よりもあとに竣工したわけですね。


栃窪隧道側を振り返っての眺め。


栃窪橋を渡り、切り通しを通り抜けていきます。廃道後に生えた路肩の木々が並木のようです。


電柱が現れました。電線は谷側から来ているようです。


この辺りは路肩が崩落しています。


そっぽを向いている「駐車禁止」の標識。


崩落した路肩の真上にガードロープの支柱と基礎部分が宙づりになっています。




ようやく鳥居隧道の坑口が見えてきましたが、路上の残雪がまた増えてきました。


「その他の危険」を表す標識と「トンネル内路肩段差あり」の補助標識。


塩尻市に合併する以前の旧「楢川村」の市町村標識。


「この付近は落石の恐れがありますので降雨の際は駐車しないでください」と書かれた注意喚起の標識。そんなに崩落しやすい場所なんですね…。


トンネルへの接近に手間取るかと思ったら、トンネルからの湧水が路上の雪を溶かしてくれているようです。


「左方屈折あり」の標識。ポールだけ残っているものにも何か注意喚起の標識が付いていたのでしょう。何せトンネルを出るとすぐに左直角カーブですからね。


ようやく旧国道19号の鳥居隧道に到着です。開通は昭和30年(1955年)。延長は1111m。この時代の道路用トンネルとしてはトップクラスの延長だったようです。




現在地はこちら。


トンネルの銘板。金属板だった栃窪隧道と違いおそらく石板。竣工年月や揮毫者も彫られているのかもしれませんが、そこまでは読み取れませんでした。


坑門はおそらくコンクリートブロック積みでしょう。石積みのように見せるためかもしれません。




ブロックの継ぎ目から流れ出した湧水がすだれのように凍り付いています。


トンネル内の湧水はこの小さな穴から流れ出しているようです。わざと開けておいたものかはわかりませんが。


それでは車に戻ることにします。


旧鳥居隧道も見納めです。新たに記録したいような出来事がない限り、多分もう来ることはないでしょう。


県道と旧国道が分岐する地点のゲートです。立ち止まらずにトンネル前から歩いてこれば、この雪道でもほんの15分です。


車へと戻ってきました。改めて周囲を眺めると鳥居峠周辺の木曽谷はまだまだ冬景色。国道19号は除雪と融雪剤の散布が徹底しているので、私のような冬道に不慣れな者でも来ることができます。


今冬はこれで2回木曽谷へと来ましたが、雪は違う景色を見せてくれるので、これからもいろんな場所へ行ってみたいですね(危なくない範囲で。)。
Posted at 2022/04/24 17:55:23 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2022年03月21日 イイね!

東栄町月~設楽町神田の里道跡を歩く

2022年1月23日日曜日、愛知県北設楽郡東栄町月と設楽町神田を結んでいた里道跡を歩いてきました。この道跡、2020年5月24日に初めて探索し、2020年11月17日にも訪れています(あともう1回訪れているような気がしますが(笑)。)。

実のところ、この日の本題は、この里道跡を通って旧海老街道の花丸峠へと赴き、そこから設楽町神田側へと続く旧海老街道の峠道を探索すること。

なので、今回の内容は言ってみればおまけの話です。この道跡自体はすでに2020年5月24日探索時にブログを書いていますので、今回は添付写真への書き込み版といった感じです。

さて、時刻は12時50分。里道跡へと進入する最寄りの場所へとやって来ました。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

車の向きとは真反対の方向を眺めています。国道473号沿いの崖の上を里道跡が通っています。そこまで行くために、今から沢を登っていきます。






最初に遭遇するのは沢の左岸側の斜面にある巨大な石積みの擁壁。上部には通水のための暗渠が設けられています。この擁壁の上を里道跡が通っています。




そのまま沢を登り詰めていくと、里道跡が渡っていた橋の跡に突き当たります。




右岸側の石積み橋台。沢の中へと突出して築かれていますが、土石流などに遭遇することがなかったのか、ほぼ完全な形できれいに台形を保っています。




花丸峠とは逆方向になりますが、せっかくなので沢の左岸側に残る里道跡へと踏み込んでいきます。




国道から沢を登ってくる途中で見上げた巨大な石積み擁壁の上です。設置場所はちょうど枝沢を塞ぐ形となっており、まるで砂防ダムのようになっています。そのために沢の流れを通す暗渠が設けられたのでしょう。




先ほど国道から見上げていた、崖上の里道跡の地点まで来ました。ここで里道跡は下を通る国道のために大きく削り取られているので、この先へと進むのは困難です(腐った手すりロープが岩壁に残っていますが…。)。


それでは橋跡へと戻ります。


橋跡を通過し、花丸峠を目指して沢の右岸側へと踏み込んでいきます。


最初の難所。と言っても70~80cmくらいは道幅が残っているので、落ち着いて歩いていけば何の問題もありません。




ここは、おそらく谷側に石積みの擁壁が築かれていたものが崩落してしまって路盤が流出し、岩盤部分だけが残ったのでしょう。




道跡が狭くなってしまった場所も、かつてはこのような石積みの擁壁があったのだと思われます。


この里道跡ではあまりない土の斜面の部分を通過していきます。


ふたたび岩盤が露出する険しい場所を進んでいきます。


きれいな弧を描く石積みの擁壁。




岩が剥き出しになった急斜面を通過していくことがよくわかります。


道跡を横断するようにワイヤーが掛かっています。これは、真下を通る国道の落石防護網を吊り下げるためのワイヤーです。


現道に並行するように残る廃道となった旧道は、このような道路用構築物の足場にはもってこいなので、このような光景はよく目にします。

山の上部から岩石群が流れ込んでいる沢を渡っていきます。


2か所目の難所に来ました。ここも路盤が無くなっていますが、先ほどの場所よりもさらに歩ける場所が狭まっています。




岩壁にあるわずかな平場へと登り、そこを伝って反対側へと歩いていきます。段差を登るのが厄介ですが、幅は50cmくらいあるので慎重に行けばOKです。


岩場を横断する途中で足元を見下ろします。




写真に写っている細い木を越えれば一安心です。


難所を振り返っての眺め。矢印のように越えてきました。


ここの里道跡の路盤が残っていない箇所の中で、この場所については、かつてどのように道を通していたのかいまいち想像できません。写真中央部に石垣がありますが、路肩を保持するための擁壁であれば道と並行に築かれているはずです。なので桟橋を架けていたのではないかと考えています。


現場をくまなく確認できればヒントが見つかるかもしれませんが、とてもそのようなことができる場所ではないですからねぇ…。

薮と瓦礫に覆われた場所を通過。真夏に来たことはありませんが(そもそも暑い時期に来るとこの道跡はたくさんのヤマビルに喰いつかれるので(笑)。)、これだけ枝が絡まった薮だと通過するのが難儀そうです。




道跡の上の斜面に石積みがあります。


丸形の形状からして炭焼き窯の土台の跡でしょう。


岩盤を切り開いて造られた場所を歩いていきます。この辺りも路肩の擁壁が崩れてしまったら通過できなくなってしまうでしょう。




岩盤を開削した切り通しを通り抜けます。




私がこの里道跡で最も気に入っている場所に到着です。絶壁を通る道跡にも、路肩の石積み擁壁にも乱れはありません。


2020年5月24日探索時の写真。この里道跡は、私が歩いた愛知県内の廃道・古道の中では一番ですよ。


この場所でしばらく留まって、気が済むまで写真を撮影(ほんの2~3分ほどですが(笑))。

里道跡を先へと進んでいきます。


と言いつつ、振り返っての眺め。


岩盤の突端を回り込んでいきます。




ここで3か所目の難所。路盤が流出して、岩盤剥き出しの沢の上に落ち葉が被さっています。隠れていますが、実際には足場がけっこうしっかりしているので、それさえわかれば難なく通過できます。


難所の途中から沢の下方を眺めています。足場がわかれば、写真を撮るくらいの余裕は持てるわけです。


難所を振り返っての眺め。初めてこの場所に来た時はこの写真と同じように眺めていました。写真だとわかりにくいですが、「引き返すしかないなぁ。」とあきらめかけていました。


まだまだ絶壁沿いの険しい道が続きます。




石渠。沢でもない場所に設けられていて、理由がわかりません。山側からの湧水があったのでしょうか。


中を覗いてみると、山側は埋もれてしまっています。


ここまでは国道473号が通る御殿川沿いの渓谷の中腹を進んできましたが、渓谷から離れて枝沢の谷へと進んでいきます。




沢沿いの道は湿気が高いためか、岩も木々も苔で覆われてしまっています。


無名の峠が見えてきました。


この切り通しの先からは県道424号になります。徒歩道のままですが(笑)。


切り通しを抜けると道は右へと曲がっていきます。


県道にはとても見えない県道を歩いていきます。


切り通しから歩くこと3分ほど。自動車道としての県道の終点に着きました。ここの路肩に標石が立てられています。


標石には、「34年施行 道路改良工事 起点」と彫られています。昭和34年(1959年)にここを起点にして道路改良工事(自動車道への改良工事)が行われたわけです。


その後60年余、県道424号の花丸峠を越える道路改良工事は中断したままです。

さて、無名の峠の切り通しまで戻ってきました。ここからは、切り通しの左側の斜面を一気に登り、本題のスタート地点となる花丸峠を目指します(県道ルートでもある。)。


こちらは今回歩いた里道跡のルート図です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
Posted at 2022/03/21 13:26:43 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2022年03月14日 イイね!

伊勢神峠と大多賀峠の間を周回してきました

2022年1月15日土曜日、愛知県豊田市連谷町の伊勢神峠と豊田市大多賀町の大多賀峠の間を徒歩で周回してきました。

今回このルートを辿ったのは、伊勢神峠から大多賀峠までの東海自然歩道が古道を利用したもののようなので、一度歩いてみたかったからです。大多賀峠から伊勢神峠へと戻ってくる時に通ったルートはその時の思い付きです(笑)。

歩いたルートはこちら。歩行距離は約8.4km、歩行時間は約4時間半でした。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

時刻は12時頃。伊世賀美隧道(旧伊勢神トンネル)前へとやって来ました。この場所の標高は約700m。路上は積雪で真っ白です。


駐車場所から旧中馬街道(旧飯田街道)の伊勢神峠まで登ってきました。この峠の標高は780mです。


峠の切り通しのすぐ上に建っている伊勢神宮の遥拝所。


峠からの眺めは良いですが、伊勢まで見えるんでしょうかね?霞んでいなければ三河湾や伊勢湾は見えそうですが…。


※地形図に伊勢神峠から伊勢神宮まで直線を引いて辿ってみたら、伊勢神峠の近くにいきなり同じくらいの高さの山があったので、伊勢市方面を直接目で見るのは難しいかもしれません。

それでは、大多賀峠に向かって東海自然歩道を歩いていきます。


歩き始めていきなり道端に地デジのアンテナが立っていました。伊世賀美隧道の稲武側坑口の近くに民家があるので、その家のためのものでしょうか。


古道の雰囲気を残した雪道を黙々と歩いていきます。






この道は、大多賀峠の南側にそびえる寧比曽(ねびそ)岳(1,120m)へ伊勢神峠から向かう登山ルートにもなっているので、天気の良かったこの日は何人かの登山者とすれ違いました。

途中にある休憩所。雪が積もっているので、ベンチには座れませんでしたが。


休憩所の先で地形的に道を迷わせる雰囲気の場所に出ましたが、雪道に踏み跡がたくさん付いているので、迷うことなく通過していきます。


さらに2~3分程進んだ所に、まるで公衆トイレのような建物が建っていました。その建物に向かって踏み跡も付いています。「トイレなら行っておこうかな。」と左方向へと歩いていきます。


ところが、建物をぐるりと見回しても入口が開いていない…。公衆トイレではなく、どうやらポンプ場か下水施設のようです。


この付近には2001年に閉鎖された「いこいの村愛知」という保養施設の建物群が現存しており、この建屋もおそらく同施設に付属するものだと思われます。

気を取り直して先へと進みます。

東海自然歩道の路上にテープが張られ、左の道へ迂回するように誘導されています。直進すると「いこいの村愛知」の敷地内へと入っていくからでしょう。


施設の外周を進んでいきます。


分岐点が現れました。右折が正解。直進は湿地帯への見学路になります。


廃墟となった公衆トイレの前を通り抜けて園内を進んでいくと、目の前に階段が現れました。急な階段を登るのが面倒だったので(笑)、右側に並走する道路へと一旦出ます。


東海自然歩道が道路と同じ場所へ出てきた所で再び戻ります。


大多賀峠まであと少しです。


また山道らしくなってきました。


ここは案内板どおりに左側を進んでいきます。


若干のアップダウンを繰り返して大多賀峠へと到着しました。標高は地形図読みで808m。伊勢神峠から1時間強かかりました(実は、ここに載せていない行き止まりの小径へ寄り道していたので。)。




これで今回の目的はクリアしたので、このまま来た道を引き返しても良かったのですが、今回は「このまま引き返してもつまらないし、帰りは県道484号を歩いていくか。」ということで、大多賀峠を下っていくことにします。

峠から分かれる古道へと入り込みます。


以前に歩いたことがある道なので、迷うことはありません。


途中、古道の旧道(徒歩道)でショートカットしながら麓へと下っていきます。






以前にもチェックした明治36年(1903年)建立の馬頭観音碑。


大多賀峠の古道の終点に出てきました。


そのまま道路を横切り、川沿いに下っていきます。




県道484号へと出てきました。




大多賀の集落を外れて、谷が狭まってきた辺り。頭上の斜面に徒歩道があるように見えます。


道と思われる所まで登ってきました。


小径が続いているので、辿っていくことにします。


道なのか斜面なのかわからない場所もありますが、動物の足跡がある場所を頼りに慎重に渡っていきます。


路上(と言うのも心もとないですが。)に杭が刺さっています。一応、道ではあるようです。


この辺りの道は踏み均されたように浅く窪んでいます。


この後、一軒家の前に出てきました。


一軒家の前から道は沢筋を登り始めます。




そして行き止まりになってしまいました…。周囲の斜面を見渡しても道らしきものは見当たりません。


さすがにこれ以上「あるような無いような小径」を辿っていくにはくたびれてしまったので、県道484号へと下りてきました。


この県道も何度か車で通っていますが、今まで気が付かなかったミニ廃道がありました。




国道153号との交差点まであと300~400mという所で、左側の斜面に道を思わせる平場を見つけてしまいました(笑)。疲れていたので次の機会にでもすればいいんですが、見つけてしまった以上、行って確認するしかないですよね(笑)。


取りあえず、道跡であることは間違いなさそうです。進んでみることにします。


ちょっと厄介な崩落場所でしたが、足場はあったので何とか通過。


歩き始めた時は廃作業道かと思っていましたが、雰囲気が古い時代の道らしくなってきました。




雪をかぶっているのではっきりしませんが、路肩に石垣があるように見えます。


沢に直交する場所、正面にボロボロの石積み橋台が現れました。




沢に下りて、自分が歩いてきた側の橋台を確認。石積み擁壁と石積み橋台がありました。




これは、県道484号の旧道ということもあり得そうな道跡です。

さらに進むと眼下に旧郡界橋が見えました。架橋は大正6年(1917年)。国道153号の前身である旧飯田街道の橋です。


戦前の地形図を確認すると、今いる場所から大多賀集落へ向かう道は、旧郡界橋のたもとから分岐していくように記されています。しかし、今いる道跡が旧郡界橋が架橋される以前の道ならば、旧郡界橋と違う高さを通っていても何の不思議もないわけなんですよね。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

まあ、こんなピンポイントでの昔々の道路改修の記録・記事なんて、調べても何も出てこないでしょう(旧郡界橋の工事記録でも残されていれば、大多賀集落への道の付替工事とかわかるかもしれないですけどね。そこまで調べる気力はありません…。)。

ようやく国道153号へと出てきました。時刻はもう16時です。


伊勢神トンネル東側の廃道。


国道153号 伊勢神トンネル。


ここから薄暗い旧道を伊世賀美隧道まで登っていきます。


建設中の国道153号新郡界橋。


伊勢神トンネルから歩くこと20分。伊世賀美隧道の稲武側坑門です。あと350mくらい歩けば車に到着です。


伊世賀美隧道の足助側坑門。


16時35分、車まで無事に戻ってまいりました。


スタートした時は4時間半も歩くつもりは全然ありませんでしたが(笑)、大多賀峠で峠を下っていった時点でダメでしたね。さらに言うならば、県道484号沿いの山の中腹にあった訳の分からない小径を辿ったのもいけませんでした。

でも、せっかく歩き回るのであれば、いろいろ気になった場所には突っ込んでいきたいですからねぇ。

それから、旧郡界橋の上の廃道を雪の無くなった時点でもう一度歩き直さないと。現地踏査ではこれ以上何もわかることはないでしょうが、撮れるものは撮ってきちんと記録だけはしておきませんとね。
Posted at 2022/03/14 21:13:15 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2022年03月13日 イイね!

古道「根道・信玄道」を歩く(2)

2022年1月9日日曜日、愛知県新城市作手菅沼から豊田市羽布町の山中に残る古道「根道・信玄道」を歩いてきました。

ちなみに、表題の「根道」・「信玄道」は歩いてきた古道に付いていた固有の名称ではなく、「根道」は尾根を通る道を表す一般的な言葉、「信玄道」は戦国時代に甲斐国の武田軍が三河国を侵攻した際に、現在の豊田市下山地区の城砦攻略時に軍を進攻させるルートとして利用されたという伝承によるものです。

前回は何かの像のような枯れ木の前まで来ました。


これを見た時は、「木彫りの仏像でも立ってるのか?」と思いましたが、近くまで来て眺めてみたらなんということもない枯れ木。アングルの妙というやつですかね。

「わざわざ土を盛らんでもいいのに。」というようななだらかな場所ですが、なぜか盛土道にしてあります。通行人が迷子にならないようにするためとか?どうですかね。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

盛土道を通過するとちょっとした丘越えになります。道跡に枯れ木が被さり、積雪もあるので、積雪を踏み抜いたり枯れ木に足を引っ掛けて転倒しないよう、少し慎重に歩いていきます。




小さな丘を越えると道跡は下り基調になっていきます。


尾根の上から左斜面へと道跡が移っていきます。そのまま尾根を真っ直ぐ進んでいくと傾斜がきつくなるのでしょう。




足元が笹で覆われた斜面をどんどん下っていきます。


ここでアクシデント発生(というほどでもないですが。)。右膝あたりにガツンと何か引っ掛けた感触があり見てみたところ、なんとジーパンがザックリ切れて大穴が開いていました。


安物とは言え、買ってまだ1~2週間しか経っていないジーパンが…。幸い、膝にけがは無し。何が当たったのか確認したところ、笹薮の中に枝が硬く鋭利になった枯れ木が隠れていました。過去にはゴム長靴が同じように裂けたことがあり、枯れ木・枯れ枝侮りがたしということを再認識しました。

気分を落ち着けて歩行再開です。まだまだ低い笹薮が続いていきます。




久しぶりに道跡が屈曲している場所が現れました。


この場所に石積みがありました。雰囲気からして石仏を安置していた場所だと思われますが、何も祀られていません。


場所はこちら。


また一直線にひたすら下っていきます。


ここでまた尾根から外れていきます。


行く先には倒木が折り重なっています。面倒くさいですね…。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

斜面にはっきりと残るU字型の道跡。さらに急坂になってきました。






そして唐突に終わりました…。道路に削られてしまったようです。


さすがにこの高さ・傾斜では道路へと下りることができないので、下りやすい場所を探します。


右側へと進んだところ道跡が復活。無事に道路へと下りることができました。




場所はこちら。


少しだけ道路を歩き、今度は左側へと逸れていきます。


笹薮に覆われた道跡を下っていきます。


鳥居が現れました。


今回の目的地、根池に到着です。


水面は凍っているようです。


湖畔に立てられている根池にまつわる伝説の説明板。




池の堤防の上を進んでいきます。


再び道路に合流しました。この先、豊田市羽布町の集落に向かい道跡は続いているはずですが、今回はここで引き返すことにします。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

新城市作手菅沼の分岐点から豊田市羽布町の根池までのルート図です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

さらに、林道との分岐点から根池までのルート図。街道の高低差をできる限り抑えるため、巧みに尾根を縦走していることがわかります。「根道」と呼ばれる所以です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

さて、帰りはどうやって車まで帰ろうかと考えましたが、やはり徒歩ならば元来た道を帰っていくのが距離・時間とも有利のなので、また「根道・信玄道」を歩いて戻りました。

逆方向は根池から尾根に出るまで延々と上り坂になるので、気温が低い中、汗をぬぐいつつの歩行となりました(笑)。

根池の引き返し地点から約1時間10分。道標のある分岐点へと戻ってきました。


そこから約5分、ようやく車に到着です。時刻は15時42分。こんな時間なのに県外ナンバーの車が数台連なって横を通り抜けていきました。わざわざ通るような道でもないんですけどね。
Posted at 2022/03/13 16:40:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2022年03月10日 イイね!

古道「根道・信玄道」を歩く(1)

2022年1月9日日曜日、愛知県新城市作手菅沼から豊田市羽布町の山中に残る古道「根道・信玄道」を歩いてきました。

ちなみに、表題の「根道」・「信玄道」は歩いてきた古道に付いていた固有の名称ではなく、「根道」は尾根を通る道を表す一般的な言葉、「信玄道」は戦国時代に甲斐国の武田軍が三河国を侵攻した際に、現在の豊田市下山地区の城砦攻略時に軍を進攻させるルートとして利用されたという伝承によるものです。

歩いてきた古道が掲載されている戦前の地形図です。古道と思われる道に赤線でしるしを付けました。

※5万分の1地形図「足助」:明治24年(1891年)測図・昭和3年(1928年)要部修正測図・昭和6年(1931年)発行。

この古道、林道へと改修・転用された区間以外は廃道になっていると考えられます。そのため、当然というか現在の地形図には記載されてない部分がほとんどです。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

あいまいな精度の戦前の地形図を参考にして、古道の分岐点をいかにして見つけ出すかが探索成功の鍵となります。

それでは探索を始めます。ここは、新城市作手菅沼の愛知県道337号。道幅のある路肩に車を寄せて駐車しておきます。


12時50分、出発です。最近は午後にスタートするケースが多くなっています。ずぼらになってきているのかもしれません(笑)。


県道337号と古道ルートを通る林道との分岐点に来ました。


ここの分岐点には石造の道標が立っています。立てられたのは江戸時代後期のようです。


道標には、「左 おかざきみち」・「右 あすけみち」と彫られています。


参考に、分岐点と足助(現在の豊田市足助。)との位置図です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらは分岐点と岡崎(現在の岡崎市。)との位置関係図です。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

分岐点から足助へは現在も県道337号、国道473号・420号を経由して自動車で行くことができますが、岡崎へは道標どおりに林道へ入っていっても、まず一般車両では通行することが困難です。

それもあってか、この場所から城下町・岡崎へと向かう道があったことにいまいちイメージが湧きません。それでもここに道標が立っているということは、少なくとも江戸時代には三河の山間地と平野部の主要な街を結ぶ大切な街道として、地元の人馬だけではない広域の往来があったということでしょう。

それでは林道へと進入していきます。積雪が残っていますが、歩くのに支障をきたすほどの量ではありません。




道中、地形図にあるとおり、いくつもの道が分岐していきます。



※地理院地図(電子国土Web)に加筆。




※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ちょっとした峠へと向かって坂を登っていきます。林道としてあまり使われることがないのか、路面がひどく荒れています。


無名の峠にある分岐点です。右方向へと進んでいきます。



※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

雪を薄っすらと被った車の轍と動物の足跡が続いています。


戦前の地形図と現在の地形図を比較して、林道から古道が分岐していると予想した地点へと到着しました。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

林道沿いの斜面の一段上に平場があります。平場の上によじ登ることにします。


これは道跡である可能性が高そうです。奥へと進んでみることにします。




小さな谷地形の奥へと向かって道跡が続いていっています。


深い切り通しが現れました。この道跡が「根道・信玄道」で間違いなさそうです。


現在地はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

なかなか深くて長い切り通しです。




切り通しの上に石柱が立っていました。「大禮記念林」、「大正五年三月建立」、「愛知縣南設楽郡作手村菅守學區」と彫られています。


どうやら大正天皇の即位を記念して植樹された林であることを記すための記念碑のようです。実は同様のものを、旧伊那街道知生坂を歩いた際に県道10号境橋のたもとでも見ました。

この古道に向けて記念碑を立ててあるということは、大正5年(1916年)頃はまだまだ普通に往来があったと推測できます。

林道からの分岐点は削られて分断されていましたが、山中に入ってからの道跡は今のところ良好に残っているように感じます。


幹が奇妙に二股になった杉(でいいのかな?)。なぜこの状態になったのか?


古道らしいU字の窪みが続いています。


細くなった尾根を通過していきます。


浅い切り通しを通過。


盛土道が現れました。この古道は各所に盛土道が残っていると「忘れられた街道」という本には記されています。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

道跡が斜面を横切るように通っています。崩れてしまったのか道幅が狭くなっており、笹にも覆われているので注意して進みます。


なだらかな尾根の上を進んでいきます。


背の低い盛土道です。わずかな高低差も打ち消すように盛り土がされています。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

下り坂のU字道を降りていきます。


細くなった尾根の上を盛土道で通り抜けていきます。




場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

小さなピークを避けるように道跡は進んでいきます。


小さな頂と頂の間をつなぐ尾根にさらに盛り土をして、橋のように道をつなげていきます。


場所はこちら。

※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

小さなピークを左側へと迂回して進んでいきます。


ここも前方のこんもりとした小さな頂を避けて、左側へと下っていきます。




幅の広いなだらかな尾根の上へと降りてきました。


古道の脇に何かの像を思わせるような枯れ木が立っています。


※その2へ続きます。
Posted at 2022/03/10 22:51:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記

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