2018年3月3日土曜日、福島県双葉郡楢葉町に残る常磐線旧金山隧道へと行ってきました。
訪問するのはほぼ1年ぶり。その時は竜田駅側坑門の見物とトンネル内へちょっと踏み込んだだけで引き上げており、ようやく再訪した次第です。
トンネルの概要ですが、竣工は日本鉄道請負業史明治編によると明治31年(1898年)6月。昭和38年(1963年)に隣接する位置に現行の金山トンネルが開通したことで廃止となりました。
トンネル延長は、坑門に残るプレートによると1,654.76mです。
さて、今回も前回訪問時と同じく国道6号の駐車帯に車を停めて、直下にある小川を辿り、最短距離で竜田駅側の坑門前へとやって来ました。
場所はこちら。
※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
昨年訪問時は常磐線再開工事に関連してか、きれいに伐採・除草されていましたが、さすがに1年経つと雑草が目立つようになりました。それでも、過去を思えば文句なしの状態を維持しています。
周辺が整備されたことに伴い、もしかして門扉等で閉鎖されたりしていないかと心配でしたが、そのような措置は何もされておらず安心しました。
あらためて旧金山隧道竜田駅側坑門。
坑門に掲げられる日本鉄道社紋も健在です。
坑口横に貼られているプレート。トンネル延長が1,654.76mであることがかろうじて読み取れます。
それではトンネル内へと入っていきます。今回は、急遽土曜日休みとなった弟も同行してくれました。
坑口付近の天井はコンクリートが吹き付けられているようですが、じきに煉瓦に戻ります。
前回はここで引き返しています。坑口からすぐの辺りです。
ここから奥は私たちにとって未踏の区間となります。
右に緩くカーブしているのがわかります。
電線用か通信線用か、碍子が連なって残っています。
天井部の煉瓦も今のところはきれいに見ることができます。
そうしている内に、段々とこびりついている煤が濃くなってきました。路盤も煤で灰色に染まっています。このトンネルの特徴の一つである短い枕木が列をなしています。
壁面にも見たことが無いほどに分厚く煤がこびりついています。
作業用コンセントと退避坑用の電球。
旧金山隧道の名物(笑)、黄土色の泥が現れました。
側壁寄りから湧き出している湧水を頂点にして泥が積もっています。
1か所目の大型退避坑です。
トンネル内をヘッドライトの灯だけで見るとこんな感じ。
同じ場所でフラッシュを焚くとこんな感じです。
また黄土色の泥です。目立つ色なのですぐ目を引きます(笑)。
灰色の世界が続きます。
2か所目の大型退避坑です。
過去に自転車で進入した方たちが付けた轍のようです。
行けども行けども煤だらけの景色。
また黄土色の泥が現れました。ドロドロぬたぬたになってます。
3か所目の大型退避坑です。
排水溝に何か見えるのでしょうか?はるか前方に富岡駅側坑口の光が見えています。
ここの退避坑は隙間が空いて地山が覗けます。
SLが走行する時、トンネル内はものすごい煙で充満していたんでしょうね。天井が尋常ではない黒さになってます。
レールとレールの間にも溝があったことがうかがえます。
煤が剥がれて煉瓦の地色が鮮やかに見えています。剥がれた所の断面が白いので、コンクリート吹き付けされているのかもしれません。
景色を見ているだけでどんよりした気分になってきます(笑)。
4か所目の大型退避坑です。
側壁に造り付けられた何か。これもコンセントなどの設備だと思います。
もう煉瓦トンネルではなく、煤で出来上ったトンネルになってます。
天井から薄く剥がれ落ちた煉瓦。
東日本大震災にも遭っている本トンネルですが、ここまで天井や側壁が大きく崩落している箇所は見当たりません。地盤が強固な場所なのでしょうか。
5か所目の大型退避坑です。
漏水で路盤が洗われて、枕木が露出しています。
煉瓦の側壁が割れて地山が覗いています。煉瓦の巻厚はせいぜい二重といった感じ。
富岡駅側坑口からの光も随分と大きくなってきたところで水没区間が現れました。
排水溝に黄土色の泥がモヤモヤと固まって漂っています。この泥、一体何者なんでしょうか?(笑)。
路盤を埋め尽くすように黄土色の泥の山が溢れ出ています。これが原因で水が溜まっているようです。
長靴が埋まりそうになるくらいの泥の深さです。
私は何とか突破。普段履きの靴で来ている弟は、泥の深さにこれ以上は進むことを断念しました。
ここの真横に6か所目の大型退避坑があります。
突破してヤレヤレと思っていたら、弟から「ライトの電池が切れそう!」と大きな声で言われ、もう一度引き返して、自分が持っている予備用のLED懐中電灯を渡しました。
さっきよりも明るい光。これで少しは安心でしょう。
ここから先は一人で進むことになります。
泥の山は突破しましたが、まだまだ泥田状態が続きます。
7か所目の大型退避坑です。
急に路盤が乾いてきました。「ここから先は大丈夫なのかな?」とちょっと気分も上向いて、歩くスピードを速めます。
天井のまだら模様が何とも…。
さあ、坑口まで間もなくといったところでまた泥田状態になってきました…。かつての水没区間です。まあ、そんなに甘くはないですよね…。
いよいよニッチもサッチもいかなくなってきました。長靴が泥にずっぽりと嵌まり、一歩進もうとするだけでも相当に時間がかかります…。
立ち往生の危険を感じつつも何とか最後の関門をクリアしました。
旧金山隧道の富岡駅側坑門です。
扁額です。
間が悪いことに逆光で、引きの写真はうまく撮れず諦めました。
坑口付近の状況です。盛り土を使えば簡単に奥へと行けそうな気にさせますが、すべて泥のトラップと思ったほうが間違いないです…。
さて、坑門からこの写真の右側にある退避坑前まで戻ってきた時のこと。
ここで弟から連絡が入り、「先に引き上げる。兄はそちらの坑門から国道へ上がったほうが速いのでは?」とあり、「そうするわ。」と返事をしていたところ、乗っていた土の山がいきなり泥化して長靴が沈み込み始め、ちょっとしたパニックに。
「ここで転んで手をついたらもっとヤバい!」と必死にバランスを取っていたら、何とか硬い部分に片足が着き、危険を回避することができました。「もう、坑口へ踵を返して戻るよりも、足跡が残っているトンネル内へ進んだ方がマシだ。」と思い、再びトンネル奥の泥田へ。
辛くも脱出成功。ひどい目に遭いました…。
長靴を洗う気分で水没区間を通過。
戻ってきたら弟はすでに立ち去ったあと。携帯も圏外に。仕方がないのであとを追い、ひたすらテクテクと歩き詰めます。
無事に竜田駅側坑口に帰ってこれました。
最後に記念撮影気分で。
車に戻ったらトンネルからの帰還の安堵感でどっと疲れが…。この後は、運転しては1、2時間寝るを繰り返しての帰宅となりました。
このトンネルが家から旧鳥居隧道へ行くのと同じくらいの距離だったら、何度も通って、もっとこまめに観察したりできるんですが、さすがに福島県ですからねぇ。これで一応往復で通り抜けできましたし、ひとまずは満足いたしました。次に訪れるのは何年後かな。
※フォトアルバム「常磐線旧金山隧道(1)~(3)」もご覧ください。