2021年1月30日土曜日、岡崎市東部山間地の千万町(ぜまんぢょう)町と岡崎市街地を結んでいた古道「千万町街道」を歩いてきました。私が住む安城市にも今冬初の積雪があり(2~3cmほど)、「雪景色の山道でも歩きに行くかな。」と思い立った次第です。
千万町街道は今までにも何度か訪れては少しずつ歩いていて、トータルでは岡崎市の岡崎墓園から額田ゴルフ場付近の区間を歩いたことになりますが、最後に歩いたのは2016年10月なので、4年ちょっと振りということになりますね。
今回は車を国道473号と額田ゴルフ場の南端を通る道路との交差点付近に駐車して、岡崎市街地方面へと歩きました。
千万町街道が通っている周辺の地形図です。右端の赤矢印が駐車場所です。古道のご多分に漏れず、千万町街道も現在の地形図には記載されていません。
※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
青い線の範囲内を通過しているのは間違いありませんが、今まで地形図にルートを書き込んでみたことがなかったので、あくまで「推定」ルートにはなりますが、写真と記憶を元に書き込んで適宜貼り付けていきます。
ところで、駐車した交差点には道標が立っています。
彫り込まれている内容は、正面が「右 夏山 樫山 本宿」、「前 大高味 須渕 岡崎」、「左 木下 宮崎 作手」、一番下に「道」、右側面は「昭和二年八月建立」、左側面は「八十八紀念 鈴木由治郎」とあります。
鈴木 由治郎さんが、米寿の記念に建てた道標といったところでしょうか。
道標にある地名のうち、夏山、樫山、本宿(もとじゅく)、大高味(おおたかみ)、須渕(須淵)、木下(きくだし)、宮崎の各地は、現在は岡崎市内の町となっています。作手は新城市作手になります。
戦前の地形図に道標の内容を記すと以下のルートになると思われます。緑色が「右 夏山 樫山 本宿」のルート、青色が「前 大高味 須渕 岡崎」ルート、黄色が「左 木下 宮崎 作手」のルートです。
※5万分の1地形図「御油」:明治23年(1890年)測図・大正7年(1918年)修正測図・昭和2年(1927年)鉄道補入・昭和4年(1929年)発行
これらのルートのうち、自動車で通り抜けできるのは「大高味-須渕-岡崎」ルートのみで、道標~夏山の山越え区間や木下の東にある寸五郎坂は徒歩でないと通過できません。
最後に赤線が千万町街道と推定されるルートです。黄色ルートの木下までの区間とその先の千万町へ続く道も千万町街道になります。
それでは国道473号を渡って、千万町街道へと入っていきます。
さっそくですが、歩き始めてすぐの緩い坂道の右手の林の中に祠があります。
祠の中に祀られているのはお地蔵様でしょうか。光背には「文化三年八月吉日」と刻まれています。文化3年は1806年になります。
歩き始めた道を、もう少し進むと右手に虎柵が現れます。虎柵が途切れたところで右側の斜面へと入り込みます。
10~20mほど進むと道跡にぶつかります。これを左側へと進んでいきます。
写真ではわかりにくいですが、土手道が右へとカーブしていっています。
倒木がたくさん横たわっています。一本一本、跨いだりくぐったりして通り抜けます。
右手に湿地が現れると古道は右へと曲がり、土手道で横断していきます。
土手道を抜けると堀割り道で坂を登っていきます。
小さな尾根を越えると、今までよりもはっきりとした道になります。
右手から道が合流してきました。このまま道なりに直進します。
谷地の終端の尾根に向けて坂を登っていきます。
尾根に出ました。ここは右側へと進んでいきます。左側にも道がありますが、高圧線鉄塔の下辺りで途絶えてしまいます。
現在地は星印になります。
※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
少し進んだ先の左側の木々の中に三角点を見つけました。
標石には「三等三角点」と彫られています。後で調べたら、三等三角点「間ノ田」という名称のようです。標高は408.97m。
三角点を過ぎて、緩い坂を登ります。
道が右にカーブしたすぐ先で千万町街道は左折します。当然ですが、何の案内もありません。写真左側の木が一応目印になるでしょう。
左折してから見渡すとこんな感じです。
ここからはしばらく下り坂になります。
坂を下りきったところに土手道があります。
最初に来た頃はまだ台形を成していたような気がしますが、古道走行をするオフロードバイク(直接出会ったことはないですが。)によって頂点がどんどん削られてしまい、今はいびつな形になっています。
雪が積もっていると踏み跡が見えないので、道が窪んでいないとわかりにくいですね。
2つ目の土手道です。こちらは本来の形が残っています。この道は「街道」と呼ばれてはいますが、元々が山間地の生活道路のようなものなので、幅は細いものです。
道跡が明確な場所は気楽に歩いていけますね。
分岐点が現れました。直進に下っていく道は岡崎市切越町へ向かう古道です。千万町街道は右へとカーブしていきます。
現在地は星印になります。
※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
切越町へと下る古道の方が道幅が広いので、「千万町街道は尾根を通る。」ということを頭に入れておかないと、ミスコースする恐れがあります。
切越町への古道から千万町街道を見上げています。切越町側からは二股に分かれて千万町街道へ合流するようになっています。
先へと進みます。
小さな切り通しで尾根の左側から右側へと道が切り替わります。
この辺りもバイクが路面を深く掘り込んでしまい、非常に歩きにくくなっています。
多分タイヤで掘り込んで、雨水でさらに削れるの繰り返しなのでしょう。
また小さな切り通しを抜けて、道が尾根の左側へと替わります。
十字交差点を直進していきます。
千万町街道は尾根伝いの道のため、尾根の鞍部になる各所で他の古道が交差または分岐しています。見分けが付きにくい場所もあり道迷いしやすいので注意が必要です。
杉林の中を一本道が続きます。
2つ目の祠まで来ました。ここの祠は道沿いにあるので目印になります。
現在地は星印になります。
※地理院地図(電子国土Web)に加筆。
こちらもお地蔵様でしょうかね。
祠からやや下った所で道が二手に分かれます。
真っ直ぐに下っていく道はこのまま沢沿いを進み、途中から一気に急坂で尾根まで登っていくルート。左手に分岐して登っていく道は中腹を細道で通り抜けるルートで、ルート中に極端な高低差はありません。
どちらの道もこの先の尾根にある峠で合流するので、どちらも千万町街道と言えると思います。まあ、楽をしたいなら当然左手の道になりますが(笑)。
行きは直進ルートで進むことにします。
沢沿いに出てきました。
沢沿いゆえに道が削られてしまい、沢の中を歩かないといけない箇所が2か所あります。
また急坂で下り始めます。並行する沢も段差を重ねて流れ下ります。
先の方に平場が見えてきました。
この巨岩は見覚えがありますね。この沢筋を歩いていると、あちらこちらに巨岩が転がっています。
道の右側に平場が広がっています。沢同士が合流しているので、土砂の堆積地になっているのでしょう。
小さな沢を渡っていきます。枯れ細った丸太を2~3本架けてありましたが、渡らずに横に避けて進みます。
沢から離れていきます。いよいよ峠へと登り始めるようです。
だんだん険しくなってきました。
堀割り道で一気に登っていきます。地面には小石がゴロゴロしているので、非常に歩きにくいです。
「上に何か見えるなぁ。あんなものあったかな?」と思いつつ、ひたすら登ります。
「何だこりゃ!?」。道が塞がれています…。どうやら峠があった場所に林道ができてしまったようです…。
※「その2」へつづきます。