2021年5月4日火曜日、福井県勝山市にある平泉寺白山神社へ行ってきました。
その前日の5月3日月曜日。自宅から東海環状道-東海北陸道白鳥IC-福井県大野市-北陸道福井IC-北陸道今庄IC-旧北陸本線跡(福井県道207号)-北陸道敦賀IC-名神高速-名古屋高速-知立バイパス-自宅というコースでドライブしております。
九頭竜ダム。平野部は愛知県も福井県も晴天でしたが、白鳥ICから大野市までの山深い区間は雨と強風という悪コンデションでした…。
旧北陸本線大桐駅跡。
旧北陸本線山中隧道。
470kmほど走行して帰宅したわけですが、「そういえば、勝山市の平泉寺白山神社へ寄れば良かったな。明日行くか。」ということで、翌日に再び福井県内へと出かけたわけです。まあ連休中だからできることですけどね(笑)。
5月4日は九頭竜ダム周辺も晴天。
「神社はたいして混んでいないだろう。」と家を出たのが10時過ぎとのんびりしていたので、平泉寺白山神社へ到着したのは14時過ぎ。しかし、予想に反して駐車場がけっこう混雑していて順番待ちで待たされる羽目になりました。
あらためて、平泉寺白山神社です。ここは一の鳥居になります。
名称が「平泉寺白山神社」とあるように元々は神仏習合の寺社でしたが、明治初期の神仏分離令によりお寺は破却し、神社として残ったそうです。
鳥居をくぐると高い杉木立に挟まれた緩く長い坂道の参道が奥まで続いています。
二の鳥居です。この鳥居は権現造りといい、上に屋根が付いているのが特徴で神仏習合時代の独特のものだそうです。
この神社で最も有名なのは境内一面の苔だそうです。訪れたのがちょっと早かったようで、見頃は梅雨から夏だそうです。
拝殿。
本殿。越前藩主松平氏により1795年(寛政7年)に造営されたそうです。
彩色はされていませんが、立派な彫刻が施されています。
つづいて奥にある三宮へ向かうため、さらに参道を登っていきます。
三宮です。
積雪から社殿を守るためか、覆堂に囲われています。
三宮の裏手から白山山頂へと向かう参拝の道である「白山禅定道」が始まっています。
本殿境内まで戻ってきました。
次に白山平泉寺旧境内南谷坊院跡発掘調査地へ行ってみます。
平泉寺白山神社は現在も広い境内を持っていますが、最盛期の戦国時代の境内は現在よりも10倍の広さを誇っていたそうです。白山信仰を背景とした強大な宗教勢力だったわけですが、1574年に越前一向一揆に襲撃され全山が焼失。その後、復興され現代にいたるそうです。
その焼失した坊院(その数、三千六百坊といわれていたそうです。)の一部が発掘・復元されているわけです。
復元された坊院の門と塀。
発掘・整備された当時の石畳。
石畳の右側の窪地は堀の跡だそうです。
発掘・復元された場所以外は草むらに覆われた段々地が残っているだけですが、焼失前はこの谷を埋め尽くすように坊院が建っていたわけですね。
二の鳥居をくぐり車へと戻ります。
参道の途中にある旧玄成院庭園。現存する庭園では北陸地方で一番古いものだそうです。石を多用した枯山水の庭園ですが、苔に覆われてしまい、ちょっと見栄えがしないかなという感じです。
あとはおまけのドライブ。勝山市からそのまま自宅方向へ向かわず、国道157号を石川県方面へと少し走ってみました。ただ、このまま走っていっても金沢市方面へ行くだけなので、白山市白峰まで来たところでUターン。
ふたたび福井県へと戻る途中、国道脇に残雪を見つけました。夜になればまだまだ冷え込むんですかね。
後ろを振り返って遠方には、白山の頭がちょこっとだけ見えていました。
石川・福井県境にある国道157号谷トンネル(延長:1462m)。石川県側の坑口です。
福井県側へ出たところでちょっと停車。
峠へと徐々に登り詰める石川県側と違い、福井県側は大野盆地へ向けて一気に深い谷となっています。その分、眺めは良好です。
最後の寄り道は大野市のJR越美北線勝原駅。1960年(昭和35年)の開業で、1972年(昭和47年)に九頭竜湖駅まで延伸されるまではここが終端駅でした。
列車本数、すごく少ないです…。常に廃止の話が俎上に上がりますが、豪雪地帯で交通路が未整備であることを理由になんとか生きながらえています。
ただ、沿線には着々と中部縦貫自動車道が建設されているので、大野市と東海北陸道白鳥IC間の整備が完了すればいよいよ風前の灯火でしょうね…。
駅名板と名所案内。名所案内があるのが旧国鉄路線らしい。この駅から行く人がいるのかはわかりませんけど。
終端駅だった頃は転車台があったそうですが、今は跡形もありません。
ゴールデンウィーク最後のドライブはこんな感じでした。
Posted at 2021/05/15 21:36:41 | |
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