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小林あにのブログ一覧

2021年02月28日 イイね!

奧矢作湖へとドライブしてきました

2021年2月28日日曜日、弟からの誘いで母と一緒に奧矢作湖へとドライブしてきました。

最初に立ち寄ったのは、旧名鉄三河線三河広瀬駅。



2004年(平成16年)の廃線当時の駅舎がそのまま残り、現在は地元の方により週末だけ喫茶店として営業しています。

場所はこちら。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ホーム上では先客の方々が熱心に写真撮影をしていたので、ほどほどで出発しました。



ここからは矢作川沿いを通る県道11号を北上。豊田市小渡町から県道356号へ入り、矢作第一ダムの堰堤は立ち寄ることなく通過。ダム湖である奧矢作湖畔を走っていきます。

そのうち、湖岸に田畑の跡が露出している場所を見つけたので、付近の駐車スペースに駐車して、湖岸へと降りてみます。



場所はこちら。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

石積みで囲われた段々畑の跡がきれいに残されていました。











次にやって来たのは押川大滝。



場所はこちら。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらが押川大滝。名前に「大滝」と付いていますが、落差は8mほどだそうです。ただ、滝の規模に対して、広い滝つぼを持っています。





ここまでは弟が運転してきましたが、ここで運転交替。私がハンドルを握ります。車はAT車なので、取りあえず左膝の痛みには影響ありません。

次に来たのは国界橋。国道257号の旧道に架かる橋です。



場所はこちら。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

橋の下を流れる矢作川が三河国と美濃国の境であるため、この橋名が付いています。



対岸には「岐阜県」と「上矢作町」の標識が立っています。上矢作町は合併により現在は恵那市上矢作町となっています。



国界橋の完成は昭和11年(1936年)。この橋の特徴は「上路方杖コンクリートラーメン構造」であること。



現代では高速道路を走っているとよく見かける構造・形状の橋ですが、当時はまだ珍しいものだったようで、土木学会発行「日本の近代土木遺産 2800選」に記載されています。

国界橋を渡った先の家の軒下に石仏と思しきものを発見。



覗き込んでみると馬頭観世音碑でした。この道は中馬街道の宿場町であった豊田市稲武と城下町であった恵那市岩村をつなぐ街道でしたから、このようなものが置かれていても不思議ではありません。



馬頭観世音碑は、右列に「明治廿一年」(明治21年=1888年)、左列に「夏目重〇」とありました。

これで車へと戻ります。



ここからは岐阜・愛知県道20号を走っていきます。所々、道幅が非常に狭くなっていますが、交通量は少なく、今回は軽四なので気楽に走っていきます。

そして次に寄り道したのは押山ダム。

場所はこちら。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

まずは吊り橋を渡っていきます。重量制限は0.5トン。



橋に取り付けられていた銘板。



橋の名称は「押山発電所えん堤通路橋」。橋長36.7m、幅員1.6m、設計荷重500kgとあります。製作年月日は昭和38年(1963年)8月25日で、製造者は名古屋造船株式会社とあります。

押山ダムの堰堤です。





こちらは取水路。



ダムからの取水路は、50mほどで水路トンネルとなります。



この先、ダムで取水された水は3kmの水路トンネルを通り(途中に明かり区間がある感じもしますが。)、その後は落差100mの急斜面を水圧鉄管で駆け下り押山発電所へと供給されます。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらは取水口。石積みで造られていますが、一部はコンクリート造りのようです。





古い時代のダムらしい(押山発電所の営業運転開始が1922年7月とのこと。)、背の低い堰堤です。





こちらは魚道です。曲がりくねっているし、段差も多く急流なので、魚が登ってくるのは大変そうですね。



堰堤の傍らにあった古レール。建設時に使われていたものでしょうか。



最後に立ち寄ったのは、道の駅「アグリステーションなぐら」。

場所はこちら。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここでお昼ごはん。五平もちを食べたのは久しぶりでした。



この後は、国道257号、国道420号、県道35号、県道337号、国道473号、県道363号、国道301号、県道477号と通り、岡崎市街地へと出て帰宅しました。
Posted at 2021/03/01 00:20:08 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2021年02月27日 イイね!

膝が痛くて整形外科へ行ってきました

実は2月25日木曜日の朝から膝に強い痛みが出てきて、木曜日・金曜日と痛さに悶えつつ片足を引き摺りながら仕事をしておりました(痛みで夜も睡眠不足…。)。

本日土曜日、仕事が休みということで、ようやく安城市内の整形外科で膝痛について受診してきました。レントゲンを撮ってもらったところ、関節部の骨に異常は見られないので、膝の靭帯を痛めたのが原因だろうとのこと。

膝の様子を見た先生に「これだけ水が溜まっているのは、相当以前から症状があったはずだよ。」と言われました。

心当たりがあるとすれば、4、5年前に職場の階段を駆け上った時に起きた「膝カックン」くらいですかね。あの時は膝が外れたのかと思いましたが、なぜか痛みはありませんでした…。なので今まで特に気にしていませんでした。

ということで、今回は膝の側面から穿刺して、溜まっていた水を40cc抜かれました。20ccサイズの注射器を使い、2回吸い出されましたが、2回目の時は搾り取るように膝を押されたので、思わず悲鳴が出そうになりました…(泣)。

先生、「こんな水が溜まってるんだよ。」と注射器に入った黄色く濁った体液を見せてくれました。自分の体液ですけど「うえ〜…。」という感じ。

水を抜いたことでひとまず膝の張りもなくなり、まあまあ動かせるようになりました(まだ痛みがあるので足運びはギクシャクしていますが。)。あとは湿布を貼ってサポーターで固めて様子見して、2週間後に再診となりました。

先生からは、「くれぐれもしゃがまないようにね。しゃがむと膝が開いてまた水が溜まってくるから。あと、水を抜いて炎症がおさまったらそのまま治る人もいるけど、普通こういう症状は長丁場になるからね。」と念を押されました。

膝の症状が安定するまで、負担のかかる廃道歩きは当分お休みですね…(私のささやかな憩いの活動が…。)。ラリー参戦は何とかなりそうだけど、車の乗り降りがちょっと心配かな。
Posted at 2021/02/27 14:00:18 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記 | 日記
2021年02月23日 イイね!

新城市「島原橋」から「峰の峠」までの古道を歩く

2021年2月20日土曜日、愛知県新城市中島(湯島)にある愛知県道435号島原橋から東方向へと山を登り、「峰の峠」を越えて、新城市中島(山中)や新城市海老とを結んでいた古道を歩いてきました。

戦前の地形図はこちら。里道(聯路)として表記されています。


※5万分の1地形図「本郷」:明治41年(1908年)測図・昭和5年(1930年)鉄道補入・昭和7年(1932年)発行

この地図ではわかりませんが、あまりのつづら折りの多さに「四十四曲がり」と呼ばれていたそうです。ルート的には県道435号の前身道と言えます。

さて、やって来たのは島原橋のたもと。



現在地は星印の地点になります。当然ながら、現在の地形図には峠越えの道は記載されていません。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こちらは島原橋。昭和14年(1939年)3月の架橋です。



このコンクリート橋が架かる以前は、吊橋が架かっていたそうです。

県道435号はここから右へとカーブして新城市中島(山中)へと向かい山を登っていきますが、道幅が狭く、1.9mの幅員制限の標識が立っています。



ここが峠へ向かう古道の入口になります。植込みの手前にある細い路地を登り、入り込んでいきます。



入っていくとすぐに獣害防止用の柵が設置されています。扉は鎖を絡めて留めてあるだけなので、ほどいて中へと入っていきます。



柵を取り抜けると古道らしい浅いU字型の道があります。



始めのうちは斜面を直登していきますが、やがて左へと曲がり、斜面を横断する方向へと進路が変わります。



1か所目の折り返しが現れました。ここから、うんざりするほどのつづら折りが始まります(笑)。



登っていく先の斜面を見上げています。ジグザグに上の方まで道が付いているのが見えます(写真ではわかりにくいですが。)。



ちょっとした直線があったりしますが、基本、ひたすら折り返しです。









石畳が残っていました。



まだまだ折り返しが連続します。







石積みがあります。土留めのためでしょうか。



石積みの先、右側の木の根元に何かあります。



石仏です。しかし、上半身がありません。



辺りを見回したら、石仏から左方向、やや離れた地面に転がっていました。



側面に字が彫られています。「奉造立地蔵」と読み取れますから、この石仏はお地蔵様ですね。



見つけた上半身を下半身の上に据え置きます。ぴったりとはまったので、落ちてからそんなに経ってはいないのかもしれません。



「あとは頭が見つかるといいな。」と周りを探し回ってみましたが、全然見当たりません。さらに下の斜面まで降りて探してみましたが、見つけることはできませんでした。頭は丸いので、はるか下まで転がっていってしまったのかもしれません。

残念ですが、時間もあるので先へと進むことにします。







ちょっとした緩斜面へ出てきました。



この先から斜面の傾斜はさらにきつくなります。それを避けるかのように道は左へとカーブしていきます。





視界が開けてきました。ここからは山腹を尾根に並行するように通り、緩やかに登っていくようです。



水が浸み出している場所がぬた場になっているので、泥にはまらないよう跨いで通り抜けます。夜になるとイノシシとか来るんですかね。



日が差し込んでいます。けっこう高度を稼いだので眺めはいいのですが、写真で撮るには木々の枝が邪魔になります。



薮が現れました。通り抜けられるだけのスペースは開いているので、しゃがんでくぐり抜けます。



薮を歩くのは10mほどで済みました。



石積み擁壁です。積み方が粗いので、割と古い時代のものかもしれません。



上の方はずっと険しい岩山になっています。越えることができないわけです。



薮を刈り込んだ場所のようで、地面から細い木の切株がたくさん突き出しています。うっかり躓かないように注意します。



倒木がカットされています。おそらく峠側からこの付近までは人が入ってくるので、支障がないようにしたのでしょう。



正面が明るくなってきました。ここで道は右へとカーブし、いよいよ峠へと向かうようです。



若木をかき分けながら坂を登っていきます。



坂道が終わり、道が水平になると、



「峰の峠」に到着しました。「峰の峠」なんて地形そのままの名前なので、特に地名などに基づく名前が付けられてなく、普段呼びならわしていたものがそのまま定着したものなのでしょう。



峠の標高は地形図読みで標高410m。島原橋が標高165mなので、標高差245mを登ってきたことになります。

歩いてきた推定ルートはこんな感じです。



峠は細尾根になっているので、土を盛って土手道にしてあります。



土手道の手前から右側へと下っていく道が新城市中島(山中)への道で、土手道を抜けて先へと進んでいく道が新城市海老へと向かう道です。

土手道を反対側から眺めています。登ってきた側の斜面(右側)は急斜面ですが、中島(山中)側(左側)は緩やかな斜面になっています。



さて、登り始めた時刻が14時で、今の時刻は15時25分。ここまで歩いてきた距離は地形図読みで1.2~1.3kmほどと短いですが、だいぶ日も陰ってきたので速やかに撤収することにします。

道中の一番眺めがいい場所でも、カメラで撮ると木の枝がモサモサと写りこんな感じ。高い所を通っていることはわかってもらえると思います。



急斜面のつづら折りを足早に下っていきます。







峠から30分で車まで戻ってきました。



この古道は「忘れられた街道(下)」という本で知りました。知ったのはけっこう以前のことになりますが、短距離で急斜面を登るルートで歩くのが大変そうだったので、昨年4月頃から県内の古道歩きに精を出すようになってからも後回しにしていました(笑)。

ようやく、最近は各所を歩き慣れてきて抵抗感も薄まってきましたし、比較的自宅から距離も近いので今回アタックしてみました。

歩いてみると、うんざりするほどのつづら折りのおかげで、想像していたよりも坂道は厳しくありませんでした。別所街道望月峠の方がきつかったくらいですね…。

愛知県内の古道のネタ本は「愛知の歴史街道」と「忘れられた街道(上)・(下)」ですが、どちらも著者は同じ方。これに戦前の地形図を合わせれば、県内だけでもまだまだ探索する場所には困りません。

あとはやる気と行く気を維持するだけですが、ちょっとくたびれてきたかな(笑)。
Posted at 2021/02/23 17:39:13 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2021年02月22日 イイね!

国道473号四辻峠~岡崎市夏山町の古道を探索

2021年2月13日土曜日、国道473号四辻峠と岡崎市夏山町を結ぶ古道の探索をしてきました。

今回探索したのは、この戦前の地形図中の緑線のルートの一部になります。


※5万分の1地形図「御油」:明治23年(1890年)測図・大正7年(1918年)修正測図・昭和2年(1927年)鉄道補入・昭和4年(1929年)発行

国道473号四辻峠にやって来ました。先日、「千万町街道」を歩いた時に駐車した場所とまったく同じ場所になります。



「四辻峠」と呼んでいますが、実際には地図にも現地にも「四辻峠」の表示はなく、愛知県内の街道や峠を踏査した本に紹介されているのみです。

場所は地形図中の星印になります。ここから古道を探索しつつ、南方向にある夏山町の集落を目指していきます。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

戦前の地形図を見てみると、当時の道は現在の国道ルートではなく、駐車場所から国道を横断して、向かいにある林道の方向へ行っていたようなので、その通りに進んでいきます。



5分ほど歩くと広場がありますが、右側に続く道を進んでいきます。



先ほどの広場までは車が出入りしている感じがありますが、その先は廃道然となってきます。



水田跡のようです。



廃道らしくなってきましたが、古道よりは幅が広く、林道の廃道といった風情の道跡が続きます。







道が分岐しています。右側の道は高圧線鉄塔の巡視路になっているようです。



依然、馬車道・荷車道サイズの廃道が続いています。



この辺りになると、直下に国道が接近してきています。



やがて、廃道は国道に削られてしまいました。



折り返して、一旦、国道へと出ていきます。



現在地は、青線の下端になります。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

そのまま100~200mほど国道を歩き、次はこの交差点で写真中央の電柱が立っている場所へと入り込んでいきます。



ここに続きとなる古道が残っています。今まで歩いてきた廃道よりも狭い道跡です。



50mほどで他の道跡と交差し、古道の行方はわからなくなりました。ひとまずは正面を下っていく道跡を追ってみます。



この付近はいろいろな幅の道跡が残っていて、どの道跡が正しいのか皆目見当がつきません。林業用に造られた作業道なのでしょう。



植林地の中に違う種類の巨木(これはそれほどでもありませんが。)が残っていると、ここが古道で正解なのかなとも思えてもきます。



歩いてきた道跡も、また違う道跡と合流してしまいました。どうも「はずれ」のようです。



先へと進む方向へ歩いていったら、国道から分岐していた細い舗装路へと出てきました。





現在地は、青線の下端になります。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

さて、どうしたものか。しばらく周囲を眺めてみますが、古道の続きと思われる道跡を見い出すことができません。ここは迂回することにして、そのまま舗装路を下っていくことにします。

20分ほど歩いて、愛知県道333号へと出てきました。



現在地は、青線の下端になります。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

少し歩くと夏山町の集落が見えてきました。この県道333号、ドライブで数えきれないほど走っている道なので、まあ今さらではありますが(笑)。



集落を通り過ぎた所にある分岐点まで歩いてきました。方向としては北を向いています。左側の道が今回探索しようとしている古道になります。



現在地は、青線の下端になります。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

折り返して、夏山町の集落へと戻っていきます。

集落の中を流れる川にぶつかる地点です。本来はここに橋が架かっていたのでしょうが、今は道跡が残っているだけでした。



ここで左へと曲がり、川沿いを進んでいきます。





ふたたび舗装路へと出てきました。



ここでトラ猫と遭遇(笑)。やたらと人懐こく、わざわざ鳴きながら寄ってきて、しばらくまとわりついておりました。



さて、猫と遊ぶのはほどほどにして、舗装路を直進していきます。



やがて谷へと入り込んでいきます。「600m先通行止」とあるので、その辺りから古道が始まることを期待して坂を登っていきます。



周囲を観察しつつ、コンクリート舗装された急坂を登り続けます。



やがて、林道から右へと折り返して分岐していく道跡を見つけました。写真は振り返ってから撮っています。



現在地は、赤線の上端になります。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

作業道の廃道にも見えなくはないですが、ひとまず突っ込んでいきます。





古道らしくなってきました。坂、キツイですけどね(笑)。



先ほど別れた林道が戻ってきて、飲み込まれてしまいました…。



ほどなく切り通しが現れました。



切り通しを通り抜けて坂を下るも、自分が想定していた方向とは違う方向へと林道が向かっていたので、林道から外れることにします。





外れた場所は浅い堀割りになっていて、その先に道跡もあったのですが…。



すぐに間伐された幹や枝に埋め尽くされた植林地になって、道跡がわからなくなってしまいました…。



もう仕方がないので、ひたすら植林地や雑木林をトラバース。



最初の方で国道から分岐していた細い舗装路へと何とか転がり出ました。



ここからは舗装路を登っていきます。当然、周囲を観察しながらです。

左側の斜面に切り崩された古道を発見。よじ登ります。



行きに坂を下っていった道跡ではなく、こちらが本命の古道だったようです。







そして、また舗装路に削り取られてしまいました。



この後は国道へ合流。しかし、狭い国道を歩いて帰るのも危ないので(そこそこ車は通る。時にはダンプも。)、廃道に入り直して車まで戻っていきました。

今回歩いた行程はこちら。歩いた距離は6~7kmといったところでした。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

前半部では古道に相当すると思われる道跡を辿ることができましたが、後半、国道から分岐した後から夏山町の集落までを結ぶ古道が全くわかりませんでした。

正直言うと、新旧地形図を保存したタブレットを持たずに手ぶらで訪れていたので、当てずっぽうな探索になってしまいました(本当はこの日はドライブするだけのつもりだったので。)。

帰宅してから復習。古道の推定ルートは緑色の破線だったので、それがわかっていれば、帰り道の赤線ルートを歩いている時にもっとしつこく探したかもしれません(笑)。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

実際、推定ルートの谷筋を見上げてはいましたが、どうにも道跡が見いだせなかったので、リスクを取れませんでした(要らぬ登り降りをして、余計な疲労をしたくないということね。)。

ちょっとモヤモヤ感は残りましたが、ここはこれにてひとまず結了ですね。
Posted at 2021/02/23 06:33:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2021年02月12日 イイね!

伊那街道 与良木峠道を歩く

2021年2月11日木曜日、愛知県新城市連合と北設楽郡設楽町清崎の境にある伊那街道与良木(よらき)峠の峠道を歩いてきました。

伊那街道は、東海道から小坂井(豊川市)で分岐し、豊川(豊川市)-新城(新城市)ー海老(新城市)-与良木峠-田口(設楽町)-津具(設楽町)-折元峠-根羽(長野県下伊那郡根羽村)とつないでいく街道で、三州と信州との交易を担う街道の一つでした。

やって来たのは与良木峠の真下を通る与良木(與良木)隧道。もう何度も訪れたり、通り抜けたりしているトンネルですね(笑)。



与良木隧道は、伊那街道与良木峠の峠道が車道改修(馬車道・荷車道)された際に建設されました。地形図中の赤線が伊那街道の車道改修後のルートです。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

開通年は資料により明治26年(1893年)とされたり、明治27年(1894年)とされたりしていますが、愛知県下では最も古い近代的道路トンネルです。

設楽町側の坑門。トンネル上部の崩落によりいびつな形で修復されています。



内部は坑口付近のみ石積みで巻き立てられていますが、内部はコンクリート巻き立てになっています。コンクリート部分はかつては素掘りだったと思われます。





新城市側の坑門。



こちらはトンネルの真上にある与良木峠です。



ここには馬頭観音碑があります。



ここまでは、今までに何度も見てきたことのある場所です。今回の本当の目的地はこのトンネルから東方にある伊那街道のもう一つの峠。そこを目指して歩いていきます。

トンネルの真上の与良木峠から新城市側を向き、左方向に残る峠道跡を辿っていきます。



途中、尾根へと向かって斜めに交差する道があります。そちらの道の方がよりはっきりとした道ですが、気にせず直進します。



きれいに道が残っている場所もありますが、



所詮は人が全然通らない古道なので、倒木がそのまま残された場所もあります。



私が歩いてきた峠道跡の真下に並行していた道が合流してきました。ここで峠道跡は右へと曲がっていきます。



そして、この場所に石碑が一つ立っていました。



正面には「耕夫禅門」と彫られています。耕夫は田畑を耕す人。禅門は俗人のまま剃髪して仏門に入った男子のことだそうです。



右側面には「文政七申年七月」とありました。西暦では1824年です。左側面にも7~8文字彫られていましたが、読み取ることはできませんでした。おそらくはこの石碑にまつわる人物の名前だろうと思われます。

山中の古道でたびたび見かけるこのような石碑。簡潔な文言しか彫られていない場合、墓碑であるのか供養塔であるのか、まったく見分けがつきません。ただ、写真を撮る時は一声かけるようにはしています。

※後日、図書館で旧鳳来町誌を読んだ際に与良木峠の項目を見たところ、この石碑が載っていて、左側面には「遠州榛原郡」とあり、旅人を弔ったものであろうとありました。

さて、峠へ向かい先へと進みます。



与良木トンネル付近から続く細い谷ですが、ずっと田んぼの跡が続いています。かつては周辺の集落の人々がここまでやって来て耕作していたのでしょう。



鹿の角が落ちていました。生え変わりで落ちたものかな。



谷が行き止まりとなり、峠道跡は右へと折り返していきます。



上り坂になり、いよいよもう一つの峠へ向かうようです。



この坂には石畳が敷かれているようです。



日の光が差し込んできました。もうじき峠のようです。



もう一つの峠に到着しました。峠の名はわかりませんが、こちらも与良木峠と呼ぶのが妥当な気がします。



ここの峠には多くの石仏が祀られていました。ちょっと驚くくらいの数があります(笑)。



この石碑には「奉納百八十八箇所」と彫られています。



「百八十八箇所」とは、西国三十三箇所、坂東三十三箇所、秩父三十四箇所の各観音霊場に四国八十八箇所を合わせたものだそうです。これらの霊場を巡礼し満願された記念に立てたものでしょうか。

これは役行者でしょうね。



こちらは三十三観音。三十三観音以外の石仏もあります。



三十三観音のさらに右側にある石仏群。



峠のすぐ下に石段がありました。本来はこの石段から出入りしていたのでしょう。



石段の真向いにある馬頭観音。光背に大正八年(1919年)三月とあり、けっこう新しい馬頭観音です。



最初の方で、伊那街道与良木峠の峠道は明治26年か明治27年に車道改修されたと書きましたが、この馬頭観音はそれよりも新しい年代の物であり、この峠道をトンネル開通後もしばらくの間は利用していた人や馬がいたという証でしょう。

もう少し坂道を下ると石仏に倒木が倒れ掛かっていました。かろうじて直撃は避けられたようです。



峠を越えて新城市側に入ると急坂になり、つづら折りも現れます。





3か所折り返すと長い直線の下り坂になります。



坂の途中に軽四の廃車体がありました。まだ割ときれいです。よく路肩へ押し込めたものだと思います(笑)。



直線の下り坂の終点には民家がありました。峠道跡は民家の庭先で右へ折り返して、さらに下っていきます。



この先は舗装路になっていたのと、まだまだ急坂が続いていたようなので、これ以上跡を辿るのは止めました。

現在地は星印の地点になります。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

峠下まで戻ってきました。今度は、ここから右方向へと分岐していく道を辿ってみます。



100~200mほどで尾根へ出ました。何か見覚えのある景色です。



小さな高圧線鉄塔の下へと出ました。1年前に見上げた鉄塔です。



伊那街道とは全く関係ない道ですが、もうしばらく高圧線沿いを歩いていきます。



山を越えて、ふたたび林の中へ。本来は左手へと下っていく道が正解ですが、真っ直ぐ進んでみます。



道のように歩きやすい尾根が続いています。



尾根が終わり、下り斜面になりました。このまま分岐していった道へ戻れると算段していたので、そのまま下っていきます。



ところが、予想以上に下へと下っていく斜面…。正面には見上げるように別の尾根があります。どうやら気付かぬ間に左へと分岐した尾根があったようで、そちらの尾根を辿るのが正解でした…。

ここが人里離れた深山幽谷なら尾根へと引き返すのが正しい行動ですが、このまま降りていっても車道版伊那街道のどこかへと出ていけるはずなので、そのまま進んでいってしまいました。

ようやく谷底まで降りてきました。正面の斜面に上方向へと登っていく道が見えます。これを使って駐車場所へと戻ることにします。



谷底から降りてきた斜面を見上げます。この急傾斜なので降りるのに相当難儀しました。



で、坂道を登っていったら、呆けなく与良木隧道前の駐車場所へと出てきてしまいました(笑)。



石仏群のある峠から駐車場所まで歩いてきたルートが青線になります。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

どうやら、登ってきた坂道は設楽町側の伊那街道の峠道跡だったようです。それでは最後に設楽町側の峠道跡を辿るため、もう一度坂道へと入り込みます。





先ほど斜面を降りてきた場所にある、道の折り返し。



路盤がU字型に窪んでいますが、元からそのような道形だったのが、雨水などで洗掘されたのかよくわかりません。



軽トラが通れるくらいの道幅があります。



隣の沢が合流してきたため、峠道跡は左へとカーブしていきます。



カーブした先は堀割り道になっていました。倒木が邪魔なので土手になっている所を歩いて進みます。



真っ直ぐ道跡が続いています。



小さな沢にぶつかりました。けっこう抉れています。



幅の狭い場所で飛び越して対岸へと渡ります。

振り返って峠側の道跡を撮ります。積み方は粗いですが橋台でしょう。



道跡が荒れてきましたが、そのまま進んでいきます。





砂利道へと出ました。



写真中央に立つ電柱の右側が峠道跡への入口になります。



そして、すぐに伊那街道の車道へと出てきました。



現在位置は星印の地点になります。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ここからは、伊那街道車道(現在は設楽町道。)を登って帰ります。

最後のおまけ、車道のミニ廃道です。今までこの場所に廃道があることに全然気が付いていませんでした。



沢水を通水するための石渠が設けられています。



車へと戻ってきました。



最後に歩いた区間は緑線になります。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

廃道以外にも道路から外れた所を歩いていますが、道のとおりに歩くと距離が長くなるので、斜面をショートカットしただけです(笑)。

あらためて今回歩いて確認した伊那街道与良木峠道です。今回の区間だけだと片道1kmあまりという短い距離です。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

伊那街道与良木峠をインターネットで検索すると、トンネルの真上の峠や石仏群のある峠をピンポイントで訪れている方はあるようですが、峠道跡を辿っている記事は見つけられませんでした(古道探索時によく参考にする本「愛知の歴史街道」の著者様は歩いているようです。)。

これでまた一つ、昔の街道の峠道が確認できました。

しかし、そろそろ鉄道煉瓦トンネルや構造物を見に行きたいですねぇ…。愛知県内に行動範囲を絞ると対象物件が線路下の水路暗渠くらいしかないのがどうにも困りものです。
Posted at 2021/02/13 01:28:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記

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「旧熊野街道 船木橋・神瀬橋・ねじりまんぽの道路橋 http://cvw.jp/b/1796277/45557442/
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