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小林あにのブログ一覧

2021年05月30日 イイね!

旧別所街道開削以前の太和金峠の峠道を探索する

2021年5月30日日曜日、北設楽郡東栄町と豊根村の境にある太和金峠へと行ってきました。

現在の太和金峠は、国道151号が新太和金トンネル(延長685m)で通過しています。このトンネルは2017年(平成29年)に開通し、太和金峠を越える道としては四代目になります。



新太和金トンネル開通以前は、1958年(昭和33年)に開通した太和金トンネル(延長395m)が峠越えのルートを担っていました。このトンネルは、開通年代が古いためにトンネル内部の規格が小さく、乗用車同士でもすれ違い困難でボトルネックとなっていました。

それに加えて、2011年(平成23年)にはトンネル内部で土砂崩落が発生。老朽化も懸念されて、新太和金トンネルへと切り替えられました。現在はフェンスで封鎖され、通行止めとなっています。

太和金トンネル東栄町側坑口。



東栄町側から見たトンネル内部。



豊根村側の坑門。



トンネル諸元を記した銘板。



豊根村側坑門から見たトンネル内部。



太和金トンネルへ立ち寄ったのは5月29日土曜日でしたが(単なるドライブでの寄り道。)、翌日の5月30日日曜日、ふたたび太和金トンネルの前へとやって来ました。



2017年5月に太和金峠から東栄町側に残る太和金トンネル開通以前の旧国道(旧別所街道でもある。)を歩いたことがありますが、今回はその旧別所街道の峠道が開削された1897年(明治30年)よりも以前の峠道を探索するために訪れました。

さっそく長靴に履き替えて、旧旧旧道(新太和金トンネルから見て。)に当たる峠道へと出発します。まずは、国道のガードをくぐり、谷底を流れる沢へと向かいます。



歩くこと数分で沢に着きました。ここから沢沿いに峠へと登っていって道跡を探索していきます。



砂防ダムを乗り越えていきます。



砂防ダムがあることで沢が埋まり、道跡が消えてしまっていないか心配でしたが、幸いにも明瞭に残っていました。







沢に架けられた丸太橋の先に道跡が続いているので、丸太を渡り進んでいきます。





2か所目の丸太橋(と言っても沢に転がしてあるだけの状態。)を過ぎると、道跡は右へと折り返して斜面へと登っていきます。



ほどなく今度は左折します。



徐々に荒れてきましたが、まだ道跡は残っていて追うことができます。



ふたたび沢を渡ります。





この先から間伐材と薮の絡み合いが酷くなり、道跡を辿るのが困難になります。





これ以上歩き進めることは大変なので、頭上に接近していた旧国道の峠道へと登り出ました。



場所は地図中の十字マークの地点になります。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

旧国道から道跡があった付近を覗き込んでみましたが、それらしいものは見当たらず、この辺りで旧国道に吸収されてしまったようです。

この地点で沢を峠直下まで詰めていたので、3~4分ほどで太和金峠に到着しました。





場所は地図中の十字マークの地点になります。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

峠にある石仏。光背には文化十二年(1815年)とあります。



今回も峠の切通しの上に登り、周辺を見渡してみましたが、やはりこの石仏以外のものは見当たりませんでした。

峠から下るとすぐに林道へと合流します。左側の道が旧国道になります。





旧国道(旧別所街道)は山肌に沿って左へと大きくヘアピンカーブで曲がっていきますが、旧別所街道以前の峠道はここを真っ直ぐに下っていきます。



場所は地図中の十字マークの地点になります。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

U字型の道跡は間伐材で埋め尽くされています。



50mほどの所で道跡は右へと折り返していきますが(写真は峠を振り返って撮影。)、ここからは直進方向へと分岐しているもう1本の道跡を追ってみます。





ちょっとした堀割りを抜けます。



堀割りを通り抜けると尾根道へと変わります。幅は狭いです。





真下には新太和金トンネルを通り抜けた国道151号が見えています。



尾根にある小さなピークを右側へと避けて進むと、道跡は下り始めます。





また堀割りが現れました。



尾根の先端部をつづら折りの道で下っていきます。



峠下で分かれたもう1本の道と合流しました。帰りはこの道を辿って峠へと登ることにします。



峠の下にある路地へと合流しました。左側へと進めばすぐに国道151号です。正面の塀の向こう側はかつてはガソリンスタンドでしたが、今は空き地になっています。



場所は地図中の十字マークの地点になります。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

峠道の出入口には祠があり、神様と石仏が祀られています。



右側へと分岐して登っていく道が太和金峠への峠道です。正面の木の裏側に祠があります。



国道へと出てきました。正面の橋は津川橋。渡った先は国道151号と設楽町津具へと向かう愛知県道428号の交差点です。



木々に覆われていてわかりにくいですが、津川橋の下流側には旧橋の石積み橋台が残っています。





車へと戻るため、太和金峠への峠道をふたたび登っていきます。



行きに通った尾根道よりは道幅があり、坂も緩めに造られています。



ただ、こちらの道も間伐材がたくさん転がされていて、道跡を辿るために木を乗り越えたり潜ったり迂回しながら少しづつ登っていきます。









旧国道まで戻ってきました。



場所は地図中の十字マークの地点になります。登ってきたルートは青線になります。



「愛知の歴史街道」に記されていますが、行きに通った尾根道が旧道、帰りに登ってきた道が新道のようです。確かに、尾根道は最後のつづら折りが急で、荷馬の通行には向いていないので、荷馬の通行が盛んになった頃に道を付け替えたのでしょう。

ここからは旧国道を国道合流地点まで歩き、そこから車へと戻ることにします。

太和金峠。



旧国道(旧別所街道)。











国道との合流地点まで来ました。



場所は地図中の十字マークの地点になります。津川橋からここまで歩いてきたルートは青線になります。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

ようやく車へと戻ってきました。約3時間、約4.5kmの行程でした。障害物が多かったので、距離の割には時間が掛かりました。



これで太和金峠を徒歩道で越える一番古い時代の峠道のルートを踏破できました。奥三河の主要道路である明治県道「別所街道」が太和金峠を経由するようになったのは、1894年(明治27年)から1897年(明治30年)にかけて本郷(現東栄町本郷)から上黒川(現豊根村上黒川)まで車道(馬車道・荷車道)が開削されたことによる指定替えですが、それ以前の道は何と呼ばれていたのか、どんな格付けの道だったのかはわかりません。



ルート的には、現在の東栄町振草から新城市海老へと向かう海老街道(振草道・ふりくさ道)の延長線上にあるので、別所街道に指定される以前から交易の道として利用はされていたのは間違いないでしょうね。
Posted at 2021/05/30 23:36:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | 別所街道・国道151号 | 日記
2021年05月23日 イイね!

立馬埼灯台・気象塔兼展望塔・右禅坊観測所・伊良湖岬灯台・日出の石門

2021年5月22日土曜日、渥美半島先端部にある立馬埼灯台、旧陸軍第一技術研究所伊良湖試験場跡地に残る気象塔兼展望塔、同試験場の関連施設である右禅坊観測所、伊良湖岬灯台、日出(ひい)の石門と巡ってきました。

上記の訪問場所のうち、ドライブの出発時に目的地としていたのは立馬埼灯台と気象塔兼展望塔の2つのみで、あとはその場での追加です(笑)。

最初にやって来たのはJERA渥美火力発電所敷地の北端部。



場所は赤星印の地点になります。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

正面の海の向こうには、篠島、日間賀島、知多半島が見えています。



ここからは徒歩で最初の目的地である立馬埼灯台へ向かうことにします。太平洋側にある伊良湖岬は観光地として有名ですが、三河湾側にある立馬崎はこれといって知られていないマイナーな場所。ちょっと興味があったので来た次第です。



代り映えのしない単調な景色が続きます。



立馬埼灯台に到着しました。世間一般で言うところの「灯台」というと円筒形のイメージですが、この灯台は長方形ですね。



場所は青枠になります。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

海上保安庁の航路標識紹介によると、初点灯は昭和34年(1959年)2月16日、高さは10.46m、灯器はLED灯器とあります。

せっかく来たので近寄ってみたいのですが、周囲は低木や雑草に覆われています。伐採しないのでしょうか。



まあ、この程度の薮は大した障害ではないので、足元に注意しながら分け入ります。

灯台に取り付きました。単に小さなビルにしか見えません。



反対側へと回るとドアが付いていて、ひさしには「立馬埼灯台」と記されていますが、ボロボロのままで直す予定はなさそうです。



外観を一周して見終えたので、立馬埼灯台はこれくらいにします。



灯台からさらに先の海岸を眺めると何かの施設が見えますが、特に興味はないので(あそこまで歩きたくない。)引き返すことにします。



沖合を貨物船が通過していきます。このコースだと三河港へと向かう船でしょう。



車まで、また単調な道を歩いていきます。この景色は愛知県ではあまり見ることのない「最果て」の感じが少しはあるので、これはこれでいい景色です。



次のやって来たのは、旧陸軍第一技術研究所伊良湖試験場跡地に残る気象塔兼展望塔と無線電信所です。



伊良湖試験場は、口径の大きい火器類(大砲など)の性能調査や使用する際の射撃データを収集するための施設で、1901年(明治34年)に設置されました。この地に設置された理由は、火器類の性能が向上し、新たに射程10kmの射線を有する試験場が必要となったからだそうです。

戦前の地形図には「伊良湖射場」と記載があり、おそらく赤枠で囲った広大な範囲が試験場に相当すると思います。




※5万分の1地形図「伊良湖岬」:明治23年(1890年)測図・大正7年(1918年)修正測図・大正9年(1920年)発行

場所はオレンジ色の星印になります。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

路地を歩いていきます。ビニールハウスや畑地の真ん中に忽然と立っている古いコンクリートビル。違和感しかありません。



気象塔兼展望塔です。説明板によると昭和5年(1930年)の建設で、大砲の弾道や風速・風向きを観測していたそうです。







威容(異様とも言える。)を誇っていますね。説明板によると現在は個人の所有となっているそうですが、どういう目的で払い下げを受けたんでしょうかね。







こちらは無線電信所。緑の蔦に覆われつつあります。内部は物置として使われています(使われていたという方が正しそうですが。)。



反対側からの全体の眺め。



気象塔兼展望塔の中を出入口から覗いてみました。階段には手すりが無かったようです。



観測器具の上げ下げと要員配置ができれば良かっただけでしょうから、最低限の設備しかなかったのかもしれません。

気象塔兼展望塔と無線電信所は以上です。



さて、休憩がてら車の中で旧陸軍第一技術研究所伊良湖試験場のことを検索してみたら、煉瓦造の観測所が現存しているとのブログ記事があり、さっそく行ってみることにします。

やって来たのは田原市小塩津町にある「渥美の森」。ここにある丘にその施設が残っているとのこと。さっそく歩いて向かいます。







小ピークにある神社を迂回し、裏側へと回ってみたところ、ブログ記事のとおり煉瓦造の建物遺構がありました。



場所は赤星印になります。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

名称は、「右禅坊観測所」というそうで、設置されたのは大正8年(1919年)だそうです。



遺構としては、壁面が残るのみで、屋根はご覧のとおり残っていません。射撃観測用の器具を設置していたとのことですが、地面にも煉瓦が散らばっていて、何かを設置していたような痕跡は全然わかりませんでした。













建物からやや離れた地面に設置されていた旧陸軍の境界杭。コンクリート製で、かろうじて「陸」の字が読み取れます。



窓枠上部の異形煉瓦。



出入口上部のアーチ。丁寧に施工されています。



自分の好物である煉瓦造建造物となると、小さな廃墟といえどもぐるぐる何周も回って写真を撮ってしまいます(笑)。キリがないので、これくらいにして引き上げることにします。



せっかくここまで来たので、渥美半島の定番スポット、伊良湖岬灯台へとやって来ました。この灯台は1929年(昭和4年)に設置されました。





普通、灯台は少しでも高台に設置して、遠方まで光が届くようにするものですが、伊良湖岬灯台がなぜ海岸に設置されているのかという理由も、伊良湖試験場のことを検索している中で載っていました。

当初は灯台を岬の山の上に設置しようとしたそうですが、陸軍側から射線上にあたり危険とのクレームがあり、現在の位置に設置されたそうです。

現在、山の上には伊勢湾海上交通センターが設置され、伊良湖水道を通過する船舶に対しての情報提供と航行管制を行っているそうです。



岬から三重県側の眺め。神島が良く見えます。



最後に訪れたのは日出の石門。地図はこちら。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

渥美半島の表浜の眺め。



伊良湖岬側の眺め。



海食洞が見えます。さすがにあそこへは近づけないでしょう。



海岸まで降りてきました。これが「日出の石門」です。こちらは「岸の石門」と呼ばれています。



きれいに海側と貫通しています。





沖合にも海食洞が貫通している岩が見えています。あれが「日出の石門」のもう一つ「沖の石門」でしょう。



海岸から階段を登り、岬の上の駐車場へと戻ってきました。最近は廃道歩きをサボっているので、けっこうきつかったです(笑)。



渥美半島は県内とは言え自宅からは遠方で、かつ、蒲郡市内・豊橋市内とけっこう道中で混雑することもあって、あんまり訪れることがなく、そういう中でも伊良湖岬ぐらいしか行くことがなかったので、今回は今さらながらに新しい場所を知ることができてなかなか良かったです。

※5月23日日曜日も伊良湖岬近くの日出の石門へ母と姉を連れてドライブしてきました。





Posted at 2021/05/23 23:10:55 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2021年05月20日 イイね!

甚目寺と名鉄築港線東名古屋港駅

2021年5月15日土曜日、愛知県あま市にある古刹「甚目寺」と名古屋市港区にある名鉄築港線の終端駅「東名古屋港駅」とその周辺へ行ってきました。

そもそもの目的は、5月1日に開通した名二環(名古屋第二環状自動車道)の飛島ジャンクション~名古屋西ジャンクション間を走りに行くことでした。

新規開通区間を走るといっても短い距離ですし、途中にパーキングエリアがあるわけでもないので、あっけなく通過。走行しながら「それじゃ名二環から近い甚目寺へ行ってみるかな。行ったことないし。」ということで、まずは甚目寺へ向かうことに決めました。

甚目寺の南大門(仁王門)です。この門の右側に駐車場があるのですが、非常に入りにくくてタイミングを逃し、駐車場に入るだけで周辺を2周しました(笑)。



しかも、門にぴったりとくっつくように道路が通っていて、交通量もそこそこ多いため、この写真も周りに気を付けながら撮りました。

境内です。左側が三重塔、正面奥が本堂です。



振り返って撮った南大門(仁王門)です。南大門(仁王門)は、 1196年(建久7年)に再建されたものだそうで、愛知県内最古の楼門建築物です。



本堂。聖観音が祀られており、そのために甚目寺というよりも「甚目寺観音」の呼び方で親しまれているそうです。写真に写っているとおり、鳩がいっぱいいて、かき分けながら進んでいきました(笑)。



三重塔。1627年(寛永4年)の再建です。



どのアングルから撮ろうとしても、電線が入ったり樹木が被ったりなどして、どうにもきれいに写真に収めることができませんでした…。



ひととおり見物できたので帰ることにします。

ふたたび名二環に乗り、飛島ジャンクション方面へと走っていきます。伊勢湾岸道へと合流して名港トリトンを走行中に、「まだ帰るには早いし、東海ICで下りて東名古屋港駅へ行ってみるか。」と思い立ち、急きょ行き先を変更します。

名鉄築港線の終端駅「東名古屋港駅」へとやって来ました。



名鉄築港線は、名鉄河和線大江駅から分岐して、1駅目の東名古屋港駅で終点となる短距離路線です。

そして、最大の特徴は日中に電車が全然運転されていないこと。駅の時刻表で確認すると9時台から15時台まで1本も電車がありません。



周辺が臨海工業地帯のため、通勤客に特化したダイヤを組んでいるのがその理由です。

終端駅ですが電車は1駅間を行ったり来たりするだけなので、単式ホーム1面1線の単純な構成です。



駅名板。



東名古屋港駅は終端駅と言いましたが、あくまでも旅客線としてであって、実際にはその先へと線路は続いています。



ただ、定期列車はないので、駅に隣接する踏切は一旦停止不要になっています。



さて、東名古屋港駅から大江駅方面へと向かって少し歩いていきます。



駅の少し先に分岐点があります。直線方向が築港線、左へと分岐していくのが名古屋臨海鉄道東築線との接続駅である名電築港駅へ向かう線路です。





築港線と名電築港駅への分岐線に挟まれたこの広場。廃車となる名鉄電車が解体される場所です。



廃車となる電車は築港線で東名古屋港駅まで運ばれてきて、ここでスイッチバックして分岐線に入り、クレーンで線路から引き上げられ、この広場で解体されるわけです。

さらに歩いていくと名古屋臨海鉄道東築線の踏切に当たります。



この踏切の左側に現在では珍しい線路同士が直交して平面交差する「ダイヤモンドクロッシング」があります。



名鉄築港線が左右方向、名古屋臨海鉄道東築線が前後方向に交差しています。名古屋臨海鉄道東築線は定期列車がないため、事実上支障がない状態となっています。



写真奥側が名電築港駅です。旅客駅ではないのでホームはありません。



東築線-名電築港駅-東名古屋港駅の路線が残されている理由は、このルートで名鉄電車の新車が搬入されるからです。JR東海道本線笠寺駅から名古屋臨海鉄道に入り、名電築港駅でようやく名鉄線に運び込まれるという手順になります。

まあ、名鉄電車の一生はここで始まって、ここで終わるわけですね。

それでは、東名古屋港駅方面へと戻っていきます。

広場の出入口のゲート。廃車となった電車のあの世への門といったところでしょうか。



東名古屋港駅はそのまま素通り。



道路を渡って、駅の先へと続く線路を辿っていきます。





車を駐車した名鉄協商のコインパーキングまで戻ってきました。まだ先へと線路は続いています。



この駐車場の脇は、列車の行き違いができるように線路が複線になっています。昔は東名古屋港へと貨物列車が行き来していたのでしょうが、もう列車の行き違いがあるような事はありません。





辿ることができる最終地点へ着きました。「関係者以外立入禁止」の表示の先は東名古屋港の岸壁になります。



東名古屋港駅から先の線路は、輸出する鉄道車両の搬出用に使われているそうですが、使われる機会はめったにないようです。

今回巡った東名古屋港駅周辺の鉄道施設も一度は訪れてみたいとずっと思っていた場所でしたが、わざわざ行くというほどでもないなと、なかなか行く機会がありませんでしたが、ようやく見ることができました。

ドライブがてら、思い付きでうろうろしましたが、なかなか良い暇つぶしになりました。
Posted at 2021/05/20 21:20:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・鉄道・廃線跡 | 日記
2021年05月15日 イイね!

福井県勝山市「平泉寺白山神社」へ行ってきました

2021年5月4日火曜日、福井県勝山市にある平泉寺白山神社へ行ってきました。

その前日の5月3日月曜日。自宅から東海環状道-東海北陸道白鳥IC-福井県大野市-北陸道福井IC-北陸道今庄IC-旧北陸本線跡(福井県道207号)-北陸道敦賀IC-名神高速-名古屋高速-知立バイパス-自宅というコースでドライブしております。

九頭竜ダム。平野部は愛知県も福井県も晴天でしたが、白鳥ICから大野市までの山深い区間は雨と強風という悪コンデションでした…。





旧北陸本線大桐駅跡。



旧北陸本線山中隧道。



470kmほど走行して帰宅したわけですが、「そういえば、勝山市の平泉寺白山神社へ寄れば良かったな。明日行くか。」ということで、翌日に再び福井県内へと出かけたわけです。まあ連休中だからできることですけどね(笑)。

5月4日は九頭竜ダム周辺も晴天。





「神社はたいして混んでいないだろう。」と家を出たのが10時過ぎとのんびりしていたので、平泉寺白山神社へ到着したのは14時過ぎ。しかし、予想に反して駐車場がけっこう混雑していて順番待ちで待たされる羽目になりました。



あらためて、平泉寺白山神社です。ここは一の鳥居になります。



名称が「平泉寺白山神社」とあるように元々は神仏習合の寺社でしたが、明治初期の神仏分離令によりお寺は破却し、神社として残ったそうです。

鳥居をくぐると高い杉木立に挟まれた緩く長い坂道の参道が奥まで続いています。



二の鳥居です。この鳥居は権現造りといい、上に屋根が付いているのが特徴で神仏習合時代の独特のものだそうです。



この神社で最も有名なのは境内一面の苔だそうです。訪れたのがちょっと早かったようで、見頃は梅雨から夏だそうです。









拝殿。



本殿。越前藩主松平氏により1795年(寛政7年)に造営されたそうです。



彩色はされていませんが、立派な彫刻が施されています。



つづいて奥にある三宮へ向かうため、さらに参道を登っていきます。



三宮です。



積雪から社殿を守るためか、覆堂に囲われています。



三宮の裏手から白山山頂へと向かう参拝の道である「白山禅定道」が始まっています。



本殿境内まで戻ってきました。



次に白山平泉寺旧境内南谷坊院跡発掘調査地へ行ってみます。

平泉寺白山神社は現在も広い境内を持っていますが、最盛期の戦国時代の境内は現在よりも10倍の広さを誇っていたそうです。白山信仰を背景とした強大な宗教勢力だったわけですが、1574年に越前一向一揆に襲撃され全山が焼失。その後、復興され現代にいたるそうです。

その焼失した坊院(その数、三千六百坊といわれていたそうです。)の一部が発掘・復元されているわけです。

復元された坊院の門と塀。





発掘・整備された当時の石畳。



石畳の右側の窪地は堀の跡だそうです。



発掘・復元された場所以外は草むらに覆われた段々地が残っているだけですが、焼失前はこの谷を埋め尽くすように坊院が建っていたわけですね。



二の鳥居をくぐり車へと戻ります。



参道の途中にある旧玄成院庭園。現存する庭園では北陸地方で一番古いものだそうです。石を多用した枯山水の庭園ですが、苔に覆われてしまい、ちょっと見栄えがしないかなという感じです。



あとはおまけのドライブ。勝山市からそのまま自宅方向へ向かわず、国道157号を石川県方面へと少し走ってみました。ただ、このまま走っていっても金沢市方面へ行くだけなので、白山市白峰まで来たところでUターン。

ふたたび福井県へと戻る途中、国道脇に残雪を見つけました。夜になればまだまだ冷え込むんですかね。



後ろを振り返って遠方には、白山の頭がちょこっとだけ見えていました。



石川・福井県境にある国道157号谷トンネル(延長:1462m)。石川県側の坑口です。



福井県側へ出たところでちょっと停車。





峠へと徐々に登り詰める石川県側と違い、福井県側は大野盆地へ向けて一気に深い谷となっています。その分、眺めは良好です。



最後の寄り道は大野市のJR越美北線勝原駅。1960年(昭和35年)の開業で、1972年(昭和47年)に九頭竜湖駅まで延伸されるまではここが終端駅でした。





列車本数、すごく少ないです…。常に廃止の話が俎上に上がりますが、豪雪地帯で交通路が未整備であることを理由になんとか生きながらえています。



ただ、沿線には着々と中部横断自動車道が建設されているので、大野市と東海北陸道白鳥IC間の整備が完了すればいよいよ風前の灯火でしょうね…。

駅名板と名所案内。名所案内があるのが旧国鉄路線らしい。この駅から行く人がいるのかはわかりませんけど。





終端駅だった頃は転車台があったそうですが、今は跡形もありません。





ゴールデンウィーク最後のドライブはこんな感じでした。
Posted at 2021/05/15 21:36:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2021年05月05日 イイね!

碓氷峠鉄道文化むら・旧信越本線廃線跡・旧碓氷峠

2021年5月2日土曜日、弟の誘いで母と一緒に群馬県安中市にある「碓氷峠鉄道文化むら」へ行ってきました。

このようなご時世ですが、ゴールデンウィークということで、家族連れや鉄道ファンの方々が大勢遊びに来ていました。





整備場横にある屋外のピットで煉瓦敷きを発見。まあ、誰も注目しないでしょうね(笑)。



「碓氷峠鉄道文化むら」がある場所は、元々、横川機関区が置かれていた場所で、開設は1892年(明治25年)。このような古い遺物もあったりします。

EF63形電気機関車。旧信越本線横川~軽井沢間の急勾配区間専用の機関車です。



EF62形電気機関車。信越本線を中心として運用された本線用機関車。



整備場内には3両の機関車が留置されています。



EF63の運転台。



EF63の双頭型両用連結器。機関車や貨車で使用される自動連結器と電車で使用されている密着連結器の両方に対応したもの。



ジャンパ線。鉄道車両の電気回路や制御回路を連結するための線です。



補助機関車として碓氷峠を通過する各種車両に対応できるよう、こちらも多くの種類のジャンパ線が設置されています。

多分、お遊びで設置されたダミーのドア(笑)。



ED42型電気機関車。横川~軽井沢間の補助機関車として1934年(昭和9年)から投入されて、新線開業となった1963年(昭和38年)まで使用されました。







ED42の床下にある歯車(写真ピンボケです…。)。



この歯車を線路中央にあるラックレールに噛み合わせることで、急勾配での上り下りを可能にしていました。



DD53形ディーゼル機関車。



D51形蒸気機関車。煙突からドームが伸びている「ナメクジ」形ですね。



EF60形500番台電気機関車とキハ20系気動車。



EF65形500番台電気機関車。



EF58形電気機関車。私が小学生の頃はまだ東海道本線を走ってましたが、本数はすっかり少なくなっていましたね。なのでEF58やEH10が見られるとラッキーと思っていました(笑)。



EF30形電気機関車。下関~門司間にある関門トンネル専用の交直流対応の電気機関車。関門トンネルは海底トンネルのため、塩害防止のためのステンレス車体となっています。



母が飽きてきたので、見物はこれくらいにして移動することにします。



現在は「めがね橋」と呼ばれている旧信越本線「碓氷第三拱橋」へ来ました。



残存している煉瓦造アーチ橋の中でもひときわ巨大ですね。







橋の上へと登っていきます。傍らには山ヒルと熊に注意するよう看板が付けられています。ヤマビルはどうにかなりますけど、熊はねぇ…。



橋の上に来ました。



いやぁ、腰が引けますね。



上流側を眺めると1963年(昭和38年)開通の新線の橋梁が見えます。廃線ウォークのツアーに参加すると歩くことができるようです。



この時期は新緑が鮮やかです。



橋梁の横川側側面に書かれている「碓氷第三拱橋」の文字。資産管理用に記入されたものでしょう。ほかには「16.41米」、「15.85米」と記入されており、これはアーチ径間のことでしょうか。



「めがね橋」の見物はこれくらいにして、私と母はここから旧熊ノ平駅まで歩いていくことにします。弟は車に戻り、旧熊ノ平駅前の駐車場へ先回りして、そちらから歩くようです。

碓氷第六隧道。



翼壁は緩やかにカーブを描いています。



延長546mのトンネルへ突入です。内部は照明が設置されているので、何の心配もいりません。



このトンネルの特徴は何と言っても横坑が設けられていること。





横坑の部分は山の中を通っているのではなく、トンネルアーチは外に露出しています。



横坑から見下ろすと、すぐ下を国道18号が通っています。



碓氷第四拱橋。



碓氷第五拱橋。



碓氷第八隧道から第九隧道の眺め。



碓氷第十一カルバート。アーチ部分に焼過煉瓦、その他を赤煉瓦で構成。アーチ下部分は焼過煉瓦と赤煉瓦を交互に積み込みしてあります。



お気に入りなので、わざわざ沢に降りて撮りました(合流した弟に撮られる(笑)。)。



碓氷第十隧道。



碓氷第十隧道の旧熊ノ平駅側の坑口。



第十隧道に隣接する引込線用のトンネル。熊ノ平駅の構内は狭いため、長い列車はこのトンネルに列車後方を突っ込んで待避しました。



左側2本が新線のトンネルで、左側が上り線用の第3ずい道、中央が下り線用の碓氷第3ずい道。右側が旧線の碓氷第十隧道です。



旧熊ノ平駅の構内。新線開通まで横川~軽井沢間は単線だったため、この駅で列車の行き違いが行われていました。



熊ノ平変電所。



旧熊ノ平駅から望む軽井沢側のトンネル。左が引込線用トンネル。真ん中が下り線用の碓氷第4ずい道。右側が上り線用の第4ずい道。



遊歩道はここで終了。旧熊ノ平駅の下にある駐車場へと移動して車に乗り込みます。

次は、国道18号を軽井沢方面へとしばらく登った先にある碓氷第十三橋梁。5連の煉瓦造アーチ橋です。ここは未整備なので、立ち寄る人はほとんどいません。







駐車したレックスの背後には碓氷第十六隧道。



続いては、国道18号を碓氷峠まで登り、峠の傍らに立つ「碓氷峠修路碑」を撮影。戦前に碓氷峠の車道改修が完成したことを記念して建てられた石碑です。



この後は、中山道が通る旧碓氷峠へと向かいました。

旧碓氷峠の近くにある見晴台。



旧碓氷峠。軽井沢からここまでは車で来ることができます。



県境に建つ「上信国境」の碑。奥の店舗駐車場にはブロックで線が引かれていますが、そのまま長野県と群馬県の県境になります。



県境にある熊野皇大神社と熊野神社。



参道にも県境を表した石が埋め込まれています。



狛犬。室町時代のものだそうです。古い時代の狛犬は現在の定型的な狛犬とは違い、独特な造形のものが多いので、なかなか面白味があります。





山門と境内。軽井沢から足を伸ばしてくる人が多いのか、そこそこ賑わっていました。





神社からの眺め。



午後からは雨交じりの天気になり、母は寒さで震え上がっていましたが、ゴールデンウィークのような機会でないと母を遠方まで連れて行くことは難しいですからね。それなりに楽しんでもらえたかなと思います。
Posted at 2021/05/05 14:53:19 | コメント(1) | トラックバック(0) | 信越本線 鉄道・廃線跡 | 日記

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何シテル?   10/21 19:30
小林あにと申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、たまに廃線・廃道を歩いてみたり、ごくたまにミニサイズのラリーに出場してみたり、やる気がな...
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