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小林あにのブログ一覧

2021年09月26日 イイね!

松本城見物と新坂巻トンネル旧道区間の廃道歩き

2021年9月19日日曜日、姉の誘いで母・私の3人で長野県松本市の松本城へ出かけてきました。姉が松本城へ行く気になったきっかけは、「ブラタモリ」で松本城を取り上げていたからだそうです(笑)。

5時20分頃に自宅を出発。当日は晴天の予報でしたが、東海環状道から中央道へ入っても、雨が降りそうな暗い色の雲が立ち込めています。



中津川IC付近からようやく晴れ間が見え始め、恵那山トンネル手前の神坂PAではすっかり快晴に。恵那山もよく見えています。



8時50分、松本城に到着です。天守の後ろには北アルプスの山々がきれいに見えています。



城内へと入場します。



真っ青な晴天に黒い天守がきれいに映えています。





天守へは、各グループや家族単位で警備員さんの指示を受けて、一組づつ間隔を置いての入場でした。

とは言っても、城内を移動するのにそんなに急かされたわけでもなく、割とマイペースに見物することができました。





見どころの一つである月見櫓は工事中で櫓内への立ち入りは禁止。外観も白い幕で覆われてしまっていました。



天守の外へと出てきました。



松本市のマスコットキャラ「アルプちゃん」と松本城天守。



松本城の内堀に沿って天守を眺めながら、車へと戻ります。







北アルプスを眺めると、手前の山脈の隙間から槍ヶ岳がひょっこりと頭をのぞかせていました。



さて、松本城見物が終わり、どこか寄り道をするかという話になりましたが、特に行きたい場所もないとのことで、ひとまず国道158号で高山方面へと向かうことにします。

山に入る前に昼御飯を食べようということになり、たまたま赤信号で停止した交差点の脇にあったレストランへ。

メニューを見るとボリュームのあるものばかり。あんまりお腹が減っていなかったので、メニューの写真を見て「これならいいだろう。」と思って注文したオムライスがこれもなかなかの大盛り(笑)。



小皿1杯分だけ姉に手伝ってもらい、何とか完食いたしました。

新島々駅付近から国道158号は梓川沿いの渓谷へと入っていきます。本当は奈川渡ダムから境峠を越えて木祖村へと出て、そこから国道19号で中津川へ出ていこうかと考えていたら、境峠が通行止めとの表示。

もう一つ県境を越えることができるルートである野麦峠も同じく通行止め。仕方がないので、高山市まで向かうことにします。

「それならば。」とここで1か所、廃道へ立ち寄ることにします。

立ち寄ったのは坂巻温泉。



バス停の先にある新坂巻トンネルの旧道区間が廃道化しているので、母と姉には休憩していてもらい、ひとっ走り様子を見に行くことにします。

バス停のある国道の橋から見下ろすと、古いコンクリート橋が架かっています。旧国道の橋で、下坂巻橋という名称のようですが銘板が残っておらず、はっきりしません。



橋の上にはたくさんのゴムパイプが転がっています。



旧橋から国道の橋を眺めます。



廃道区間へと入り込みます。





50mあまり歩いたところで路肩が崩壊しています。山側を通れば問題は無いので、先へと進んでいきます。





崩落箇所の先から草むらが濃くなってきますが、薄く残っている踏み跡を頼りにザクザクと踏み均しながら歩いていきます。



2つ目の橋が現れました。



こちらは銘板が残っていて「かみさかまきばし」(上坂巻橋)とあります。



「昭和参拾貮年参月竣工」とあります。昭和32年(1957年)ということで、比較的新しい橋です。それ以前はどのような形状の橋が架かっていたのでしょうかね。



橋のすぐ上流側、荒々しい岩肌が姿を見せています。



反対側の橋のたもとには落石してきたのであろう巨岩が横たわっています。この岩が橋の上に落石していたら、上坂巻橋は半壊して渡れなくなっていたでしょう。



また深い草むらになります。ここも路肩がえぐれたように崩落しているので、足元に注意を払いながら進みます。



両側の路肩に標識が残っていました。右側の速度標識は木にもたれかけてあります。



そして廃道はこのすぐ先で完全に崩落していたため、引き返しました。



あらためて標識の写真を撮っておきます。





上坂巻橋へ戻ってきました。



こちら側の親柱の銘版には「犀川」とあります。



「どうして『梓川』ではないんだ?」と思い、帰宅してから調べたら、「『梓川』とは『犀川』上流域を示す別称。河川法上は上高地を水源にする流路は『犀川』と定められている。」ということでした。今まで、松本平で奈良井川と合流するまでが「梓川」で、その先が「犀川」だと思っていたので、勉強になりました。

坂巻温泉まで戻ってきました。



この後は、安房峠道路を通らずに旧国道の安房峠を越えようと思いましたが、こちらも通行止め。代わりに平湯温泉から旧国道を登り、平湯峠へと来ました。





この先は乗鞍スカイライン。現在はマイカー規制のため、自家用車での通行はできなくなってしまっていますが、自転車での通行は可能なため、何台もの自転車が行き交っていました。



この後は、高山市内からせせらぎ街道を通り、郡上八幡へ。ここから東海北陸道に乗り、家路へと就きました。
Posted at 2021/09/26 20:16:38 | コメント(1) | トラックバック(0) | ドライブ・道路・廃道 | 日記
2021年09月20日 イイね!

旧豊橋鉄道田口線跡を車で巡りました

2021年9月4日土曜日、急きょ土曜日休みとなった弟とともに、旧豊橋鉄道田口線跡を車で巡ってきました。

最初に訪れたのはJR飯田線の本長篠駅。かつて田口線が分岐していた駅です。



ここは有人駅なので駅構内へは入らず、近くの踏切からかつての田口線用ホームを眺めただけで、ふたたび移動します。

本長篠駅から伸びる線路跡を転用した道路を走っていきます。ここにトンネルが一つあり立ち寄ります。

内金隧道。延長は68.58mです。



しばらく進むと線路跡を転用した道路は途切れるので、県道32号へと出て、先へと進みます。

次にやって来たのは大草隧道。延長は95.40m。パジェロミニは車高が高いので、トンネル前まで直接車を乗り付けます。



真っ暗なトンネル内を歩いていきます。







本長篠側の坑門です。



三河大草駅跡に到着です。トンネル間近にあります。



ホームの向こう側には廃線巡りののぼりが立っています。



観光客が訪れるのを期待してか、きちんと草刈りもされてきれいになっています。ホームの向こうには、先程歩いてきた大草隧道が見えています。



ホームは、トンネル側はスロープになっていますが、反対側は階段になっています。乗降客は階段側から出入りし、階段の先から続く細い山道を歩いてこの駅へと往来していました。



一度歩くとわかりますが、とても駅へと続く道とは思えません(笑)。まあ、近くの集落からの利用客がわかっていれば十分ということなのでしょう。

車へと戻ってきました。



次の遺構へと向かう前に寄り道します。旧伊那街道に架かる橋へとやって来ました。



一見すると何の変哲もない橋ですが、側面から眺めると何と石アーチ橋。



名称は木連橋(または木蓮橋。)。橋に関する明確な記録が残っていないようで、名称自体があいまいです。ただ、愛知県下では珍しい明治時代の石アーチ橋であることは間違いありません。





ふたたび線路跡を辿り、やって来たのは双瀬隧道。延長は60.28m。ここは何度も来ているので、ささっと写真を撮って移動。





次は、県道32号と県道389号の交差点近くに車を停めて、すぐ横を通る線路跡へと登ります。

こちらは海老隧道。延長は32.93m。



トンネルとは反対方向へ線路跡を歩いていきます。



滝上駅跡です。田口線跡には、三河大草駅跡と滝上駅跡にホームが現存しています。



何かの記事で便所の建物も残っていると読みましたが、さすがにそのようなものは見当たりませんでした。



ホームの長さは、三河大草駅よりも短く見えます。2両編成でもはみ出すのではないかという短さです。





帰りはホームへの通路跡を歩いて戻ります。



ついでなので、もう一度海老隧道へ。



トンネルの先は県道の拡幅工事に伴って線路跡は削り取られてしまっています。



最後に訪れたのは道の駅したら。ここに展示されている田口線の電車「モ14」を見物しました。







旧豊橋鉄道田口線跡を探索目的で初めて訪れたのが2008年8月。それから何度か小刻みに訪れては探索して、大体の場所は訪問・踏破しました。

と言いつつ、実は滝上駅と海老隧道は今回が初めての訪問。目の前の県道32号と389号は何回走ったかわからない程通過していますが、いつも横目で眺めるだけでした。

これでまた田口線跡の未踏区間・場所を塗りつぶすことができました。あとは、玖老勢駅跡の周辺と海老駅跡から滝上駅跡の区間ですかね。
Posted at 2021/09/20 20:17:41 | コメント(1) | トラックバック(0) | 旧豊橋鉄道田口線跡 | 日記
2021年09月18日 イイね!

東海道本線 豊橋~愛知御津間の煉瓦アーチなどを巡る

2021年8月29日日曜日、JR東海道本線 豊橋~愛知御津間の煉瓦アーチや豊川橋梁、豊川河畔に残る旧橋梁の煉瓦橋台を見に行ってきました。

この日は早起きをして、最初に訪れたのは愛知御津駅の東側。この濃密な草むらの中に小さく無名の煉瓦アーチがあるのですが、ご覧のありさまなので、繰り返し草むらへと突入するもあと少しという所で接近できずあきらめました。



次の場所へと向かうため、愛知御津駅の東側を流れる音羽川を渡り、線路沿いを東へと歩いていきます。

朝日に照らされながら貨物列車が追い越していきます。



次にやって来たのは九作橋梁(上り線側)。「鉄道線路各種建造物明細録第一編」によると竣工は明治21年(1888年)5月で、1連6尺の煉瓦アーチ橋です。



九作橋梁もアーチ環に竪積み部分が挿入されています。



大回りをして下り線側へと回ってきました。



以前に来た時もそうでしたが、アーチ内を流れている用水路の水量が多いので、長靴でアーチ内へ入ることは無理。外観を眺めるのみです。



次は豊橋市内の豊川に架かる豊川橋梁へと移動します。

飯田線 船町駅の前に車を停めて、豊川まで歩いてきました。



河川敷に下りて、橋梁を眺めます。左側が東海道本線、中央が飯田線、右側が名鉄名古屋本線の豊川橋梁になります。



飯田線と名鉄名古屋本線の橋梁は、所有がJR東海と名鉄に分かれていますが、運用上は飯田線・名鉄名古屋本線が共用しており、複線として使用しています。

飯田線豊川橋梁の橋脚。豊川橋梁群の中で唯一の石積み・煉瓦積みの橋脚です。



元々は東海道本線の下り線用橋梁として明治41年(1908年)に開通したものですが、東海道本線が昭和49年(1974年)に現在の複線用橋梁へ架け替えられた際に、飯田線・名鉄名古屋本線の下り線用橋梁になりました。

対岸の飯田線下地駅側の川岸です。2つの煉瓦橋台が見えていますが、左側が旧東海道本線上り線用橋台で、右側が旧飯田線(と名鉄名古屋本線)下り線用の橋台です。



飯田線豊川橋梁を名古屋方面へ向かう名鉄2200系が渡っていきます。



飯田線豊川橋梁の橋脚のアップ。橋脚は、煉瓦積みのウェルに乗っているようです。



ウェルは井筒とも呼ばれ、橋脚を設置するための基礎部分と言ったらいいでしょうか。外周を煉瓦で積み上げて、内部はコンクリートが充填されていると思われます。

こちらの写真は、東海道本線 旧浜名第一橋梁の円形ウェルです。



名鉄名古屋本線豊川橋梁。当時の愛知電気鉄道が豊橋駅まで延長された昭和2年(1927年)に架橋されました。こちらはすでに普及が進んでいたコンクリート造りによる橋脚となっています。



飯田線豊川橋梁の橋脚。豊川は東三河第一の大河なので、増水時などに流れに負けないよう煉瓦を石積みでガードする堅牢な造りとなっています。



そろそろ車へと戻ることにします。



飯田線 船町駅へと戻ってきました。船町駅にはかつて豊川水運との結節点として貨物駅が設置されていたそうです。その名残りで、駅前には踏切と貨物駅跡へと分岐していくレールが残されています。





次は、豊川の対岸にある飯田線 下地駅へと移動します。



駅からやや離れた公園の路肩に車を停めて、下地駅へと歩いていきます。



下地駅の真下まで来ました。用があるのは、手前側の小さなガード。



封鎖された小さなガードを覗き込むと、奥に煉瓦アーチが見えます。横須賀橋梁です。「鉄道線路各種建造物明細録第一編」によると、1連6尺の煉瓦アーチで、竣功は明治20年(1887年)12月です。



せっかくなので、下地駅へ行ってみます。





豊橋方面を眺めます。



横須賀橋梁の反対側へと回ってきました。こちらも柵により封鎖されています。



こちら側から中を覗いてみると、3つの煉瓦アーチが接合していることに気が付きました。手前が飯田線(旧豊川鉄道)の煉瓦アーチ、中央が東海道本線開業時の煉瓦アーチ、奥側が複線化時の煉瓦アーチでしょう。



豊川橋梁の下地駅側の橋台へやって来ました。



この階段は昔の下地駅の出入口でしょう。



昭和49年(1974年)に東海道本線の豊川橋梁が架け替えられたことに伴い、飯田線豊川橋梁が旧東海道本線の位置へとずれて、現在の下地駅の出入口と駅舎ができたので、それまでは利用されていたと思われます。

旧飯田線豊川橋梁の橋台。元々は、飯田線の前身である豊川鉄道が明治30年(1897年)に架橋しましたが、前述の東海道本線の豊川橋梁架け替えにより廃止されました。



旧東海道本線上り線用豊川橋梁の橋台。この橋台は豊川橋梁が明治21年(1888年)6月に竣工した当時のものです。



ただ、疑問なのが、橋台の上段と下段で使用されている煉瓦のサイズが違うこと。下段は明治20年~22年に開業した区間で見られる大型の煉瓦ですが、上段は複線化時に使用されたやや小ぶりなタイプ。わざわざ違うサイズを使用する意味は無いと思われ、大型の橋桁への架け替えか堤防のかさ上げに対応するために上段を増築したのかなと勝手に推測しています。

あと、旧東海道本線の橋台を正面から見ると、コンクリートでかさ上げした部分の上端は水平ですが、下段の煉瓦部分の横線の目地は水平よりもやや右側へと傾いています。これは昭和19年(1944年)の東南海地震の影響によるものらしいです。



旧東海道本線下り線用(現飯田線)豊川橋梁の橋台。



いろいろと想像も膨らみ、なかなか満喫できた煉瓦橋台見物でした。





下地駅から車へと戻る前に、もう一度横須賀橋梁を覗き見。中央部の東海道本線開通時の煉瓦アーチは、両端の煉瓦アーチよりも大きな煉瓦を使っているようです。



最後に立ち寄ったのは、飯田線と名鉄名古屋本線が分岐・合流する平井信号場。



JRと私鉄が相互乗り入れをすることはよくあることですが、線路施設そのものを共用しているのは他所にもあるのですかね?何にしても珍しい場所です。

2021年09月11日 イイね!

東海道本線 相見~西岡崎間の煉瓦アーチを巡る

2021年8月22日日曜日、JR東海道本線 相見~西岡崎間の煉瓦アーチを巡ってきました。

今回は、自宅から比較的近い場所にある目標物を巡るので、路地でも容易に入り込め、駐車場所を気にする必要がない自転車で出かけることにしました。

自宅を出発したのは14時20分過ぎ。自宅から安城市歴史博物館付近を通過し、愛知県道48号へ合流。岡崎市内方面へと向かいます。

最初にやって来たのは、東海道本線河原橋梁。住宅地の中にあり、水路も通っている低いガードです。この辺りでは一般的な石積み橋台に鉄桁の橋梁です。



近くを流れる鹿乗川の道路橋が工事中のため、少し離れた橋へと迂回して、工事中の橋まで戻ってきました。



私が岡崎市内の職場へ通勤していた2年間、電車の車窓から眺めていた橋の工事現場ですが、未だに道路橋は工事中のまま。見た限り完成しているように見えますが、どういう理由で供用開始しないのでしょうかね。

東海道本線に沿ってさらに東へと進みます。

荒井川橋梁。ここも石積み橋台で、桁はコンクリート製。



もう少しだけ東へと進むと次の橋梁が現れます。

愛宕橋梁(上り線側)。「鉄道線路各種建造物明細録第一編」には「愛宕川橋梁」とあります。



1連8尺の煉瓦アーチと記載されていますが、ご覧のとおりコンクリートで覆工されてしまい、煉瓦アーチだった名残りはどこにもありません…。



取り付けられていた銘板によると昭和39年(1964年)に施工されたようです。



水路自体が暗渠化されてしまい、アーチ部分も塗り込められてしまっているため、もはや確認のしようもありませんが、暗渠化される以前は中を覗き込めば煉瓦アーチが見えていたのかもしれません。

一応、反対側(下り線側)へも回ってみますが、こちらもコンクリートで覆工されてました。



次は宮前橋梁(下り線側)。「鉄道線路各種建造物明細録第一編」によると1連6尺の煉瓦アーチですが、ぱっと見、ここもコンクリート造りになってしまっています。





しかし、ここは先ほどの愛宕橋梁と違い、中を覗き込んでみると煉瓦アーチが現存しているのが確認できます。



望遠で撮影して確認すると、手前側(下り線側)が複線化線増で追加された部分で、奥側(上り線側)が開業時の煉瓦アーチと判断できます。



反対側(上り線側)へと回ってきました。



ここに設置されている銘板も昭和39年(1964年)の年号が鋳込まれています。しゅん功欄の年数が削り取られているのは、昭和「40」年が正しいところ、誤って「39」で作ったためでしょう。



中を覗くと、こちらはコンクリート造のボックスカルバートになっています。一番奥で左側へと屈折して煉瓦アーチと接続されています。



この付近の煉瓦アーチがコンクリート覆工されているのは、昭和40年(1965年)に架け換えられた東海道本線矢作川橋梁の付帯工事によるものと思われます。現在の矢作川橋梁は、旧線の上流側へ架け換えられており、橋梁前後の築堤も上流側が増築され、線路も橋梁の前後でカーブして敷設されています。

県道48号の渡橋で矢作川を渡り、次の煉瓦アーチへとやって来ました。

池田橋梁(下り線側)です。「鉄道線路各種建造物明細録第一編」によると1連3尺の煉瓦アーチとあります。築堤は草ぼうぼうで、一見しただけではどこにあるかわかりません。



築堤へ近づいていくと草に埋もれた煉瓦アーチが見えてきます。初めてここへ来た時は、草の生え方がもっとひどく、本当に全然わかりませんでした。



ここは暗渠のようですが、ご覧のとおり入口に土が盛られて金網で塞がれており、すでに暗渠としての機能はしていません。



ここは矢作川橋梁の架け換え工事の影響はなかったようで、往時の煉瓦アーチのままになっています。



上り線側は旧岡多線建設の際の立体交差線の建設に伴い、コンクリート造で延長されているはずです(会社私有地に接しているため、確認できず。)。

JR岡崎駅を通過し、この先からは進路が南へと変わります。

次の煉瓦アーチへとやって来ました。山田下橋梁(下り線側)です。



ここのアーチ環は白ペンキで塗られています。以前は煉瓦の地肌のままでしたが、落書きがひどかったため、知らぬ間に白ペンキで塗られてしまいました。



ここは人道兼水路暗渠となっています。内高が低いので、身長174cmの私は少し屈まないと歩けません。



開業時の煉瓦アーチと線増時の煉瓦アーチの接合部分です。左側(上り線側)が開業時で、右側(下り線側)が線増時のものです。



右側は煉瓦と煉瓦の目地に塗られているモルタル(かセメント)が盛大にはみ出していて、とても丁寧な施工とは言えません。

上り線側に出てきました。





撮影している間にも、犬の散歩をする人や自転車で通行する人が通り抜けていて、現在も生活道路として機能しているようです。



上り線側のアーチ環には、「山田下(拱)」の名称と、点検年月がペイントされています。



山田下橋梁には2つ特徴があり、一つ目は煉瓦の小口面にアルファベットの刻印が押されているものがあること。



「B」「D」「I」の3種類が確認できます。「D」は蒲郡市内の硯川橋梁や宮川橋梁で、「D」「I」は浜松市内の旧半場川橋梁でも見られます。



2つ目の特徴は、アーチ環に補強のためと思われる煉瓦の竪積みが挿入されていること。これは東海道本線 愛知御津~三河三谷間の一部の煉瓦アーチにも見られました。







山田下橋梁は小さな煉瓦アーチですが、見どころのある場所と言えますね。



山田下橋梁のすぐ脇にある水路に落ちていた煉瓦の塊。アーチ環やアーチ内で特に欠落した場所は無いので、関連があるものかわかりませんが、もしかしたらアーチ同士の接合時に剥ぎ取った一部かもしれません。



今回の予定はこれにて終了。あとは県道78号へ出て、安城市まで一直線に帰るだけですが、帰りの道中で2か所寄り道しました。

土呂八幡宮。狛犬もマスクをつけてます(笑)。



国の重要文化財に指定されている本殿。



福岡町道路元標。





この後、西の空が段々と黒くなり始め、すぐにでも夕立が降りそうな空模様となったので、のんびり帰るつもりだったのが、自宅までの約8kmをハイアベレージで漕ぎ続ける羽目になりました(笑)。

さて、今回の走行距離を地形図で測定してみたら23.1kmとなりました。これだけ走ったのはいつ以来かなぁ。休み休みなので(最後の8kmはけっこう必死でしたが(笑)。)、思うほど疲労感はありませんでした。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。


※地理院地図(電子国土Web)に加筆。

こういうことをするなら、クロスバイクくらい買ってもいいかとも思いますが、めったにはしませんから、当面はママチャリで十分ですかね。
2021年09月05日 イイね!

新潟県糸魚川市 親不知海岸へ行ってきました

2021年8月14日土曜日、お盆休みの弟から「せっかくだから遠出がしたい。親不知へ行こう。」と話があり、行ってきました。

この週はずっと長雨で、遠出の道中も出発時から雨。しかも、普段なら東海北陸道で富山県へと出るルートを取るところですが、その東海北陸道が雨で山間部が通行止めのため、米原ジャンクションから北陸道を走行するという大回りルートとなりました。

自宅を早朝3時半に出発。大雨の北陸道をひた走ります。



朝8時、石川県へと入って間もなくの所にある尼御前サービスエリアで朝食。



富山県へと入り、9時半に東海北陸道が接続する小矢部砺波ジャンクションを通過。東海北陸道は通行止めのままです。



9時50分、富山インターチェンジを通過。



10時20分、インターチェンジの案内標識にようやく親不知インターチェンジの名前が出てきました。



ただ、いつも親不知海岸を訪れる時は、一つ手前の朝日インターチェンジで下りて、国道8号で海岸線を眺めながら向かうパターン。今回も朝日インターチェンジで下りて、国道8号で向かいました。

最初にやって来たのは市振駅。旧JR北陸本線である「あいの風とやま鉄道」と「えちごトキめき鉄道」の境界駅です。







立ち寄った理由は、この煉瓦造りの危険品庫を見るため。まあ、2年前に来ている場所なので、軽く見て回るだけで、すぐに親不知海岸へと移動します。



親不知海岸への入口となる、国道8号天険トンネルの糸魚川側にある駐車場へとやって来ました。



この駐車場から遊歩道を歩いて、旧北陸本線親不知隧道と親不知海岸へと行くことができます。



遊歩道といってもちょっとした山道ですが、整備はされているので、行き来するのに特に問題はありません。



遊歩道がある小さな谷を流れる沢が、大雨のためにまるで滝のようになっています。



旧北陸本線親不知隧道です。少なくとも5回は訪れていますね(笑)。



親不知隧道を歩くのは後にして、先に親不知海岸へと下ります。





この狭い一角だけ、海岸へと降りることができます。





国道8号の旧道が崖の中腹に開通するまで、旧北陸道を往来する人々はこの海岸線を潮の満ち引きの隙間を縫って命がけで通過していたわけですが、現在は海岸の浸食が進んでしまい、この海岸を旅人が往来していた名残りを見ることはできません。

親不知隧道まで戻ってきました。今から667mのトンネルをくぐっていきます。



廃トンネルですが、2016年に糸魚川市により遊歩道として整備されて、誰でも気軽に古い煉瓦トンネルを散策できるようになりました。入り口には懐中電灯も用意されています(私たちは自分で懐中電灯を用意しています(笑)。)。



何度も来ているので、もう特に説明するような事はありません。











海岸に近いことと、この日は雨天のためかトンネル内部の後半は靄がひどく(と言っても歩いている分には全然気にならない程度。)、カメラのフラッシュを焚くと真っ白になってしまい、ほとほと参りました…。



反対側へと出てきました。



富山側の坑門になります。トンネル内部から靄があふれ出ています。





対岸へと渡った先には若水隧道があるはずですが、木々がうっそうと生い茂り、痕跡を何も見ることができません。



ここから遊歩道は斜面を登り、廃線跡よりも上部を通っている旧国道へと向かっていきます。



親不知隧道とはこれでお別れです。



旧国道へと出てきました。この道は明治16年(1883年)に開通しました。現在はこの道も遊歩道となっています。



親不知隧道の対岸付近まで歩いたところで引き返し、駐車場へと戻っていきます。



はるか先に北陸道親不知インターチェンジ付近の高架橋が見えています。親不知にインターチェンジを造る予定がなかったら、ここもトンネルで通過していたのでしょうね。



この道が開通した際に記念に刻まれた「如砥如矢(とのごとくやのごとし)」の文字。「(この道路は)砥石のように平らで、矢のように真っ直ぐである。」との意味だそうです。





道路から海側を覗き込むと急傾斜の崖。道路建設がいかに難工事であったか伺えます。



現在の国道8号は、一部がトンネルになっていますが、親不知・子不知の多くの区間は未だに崖の斜面にロックシェッドを築いて通過しており、難所であることに変わりはありません。



親不知海岸での散策を終えて、この後は糸魚川市街地へと移動して昼食。

次に訪れたのは、糸魚川市内にあるフォッサマグナミュージアム。



糸魚川市付近に存在するフォッサマグナ(中央地溝帯)や名物のヒスイ、さらに関連して化石や石・鉱物などを紹介・展示する施設です。

ここはなかなか興味深くて面白かったです。地学や化石に興味がない人でも十分に楽しめると思います。









博物館見学後は、国道148号で大町市を経由して長野道安曇野インターチェンジへと出るルートを取ります。このルートも親不知からの帰り道としてよく走ります。

最後に訪れたのは、長野県北安曇郡小谷村にある姫川橋。昭和14年(1939年)に竣工したコンクリート造橋梁です。







姫川橋から旧国道の橋と現国道のスノーシェッドを眺めます。



橋を渡った先にあるロックシェッド。急峻な姫川沿いの渓谷を通る国道148号は(これは旧道のものですが。)ロックシェッド・スノーシェッドだらけです。



時刻はもう17時。寄り道はここまでにします。



この後は、国道148号をふたたび走行しますが、眠気に襲われて道の駅白馬で1時間ほど仮眠。すっかり暗くなった国道・県道を記憶とナビを頼りに走り継ぎ、長野道安曇野インターチェンジから高速道路へ。梓川サービスエリアで晩御飯を食べて、ここでもしばし休憩。



この先では、長野道・中央道が塩尻北インターチェンジから伊北インターチェンジまで雨による通行止めとなり、国道19号・153号で迂回することに。

特に塩尻市から上伊那郡辰野町へと抜ける国道153号善知鳥峠付近では、国道の路肩のあちらこちらから土砂交じりの水が大量に路上へと流れ込んでいて、たびたびフロントガラスまで水をかぶるような中での走行となりました。

伊北インターチェンジからようやく中央道へと乗りましたが、またも大雨の影響で飯田山本インターチェンジから中津川インターチェンジ間が通行止め。

飯田山本インターチェンジからはふたたび国道153号へと下り、真夜中の山道を同じく迂回する車に挟まれながら自宅へと向かうことになりました。

Posted at 2021/09/05 22:22:36 | コメント(1) | トラックバック(0) | 北陸本線 鉄道・廃線跡 | 日記

プロフィール

「旧熊野街道 船木橋・神瀬橋・ねじりまんぽの道路橋 http://cvw.jp/b/1796277/45557442/
何シテル?   10/21 19:30
小林あにと申します。よろしくお願いします。 休日はドライブしたり、たまに廃線・廃道を歩いてみたり、ごくたまにミニサイズのラリーに出場してみたり、やる気がな...
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