3月11日
朝、夜勤から帰ってきて
ごはんを食べ
いつの間にかこたつで寝てしまいました。
14時46分ごろ
地震で起きました
すぐにおさまるだろうとやりすごそうとしていました。
揺れがとまりません
急いで雨戸をあけ窓をあけました。
「千葉周辺でとんでもないことになってる!」
このとき広範囲で地震が起きていることを知りませんでした
地鳴りとともに二度目の揺れ
外はどこかのうちで「あぶない」と叫び声
その場から動けない・・・・
父は仕事で電車で水戸へ行ってたな
実家には母と祖父しかいない・・・ことが浮かび
揺れてる中、ケータイから電話・・・・つながらない
揺れがおさまったあと実家へクルマで向かい
道のりはいつも通り十数分で着きましたが長く感じました。
母と祖父は無事、父は母のケータイにメールがきていて無事を確認しました。
カンカン・・・カン
消防車が町内を回っている音が。。。。
そのあとすぐ実家から地元の消防団に所属しているので音の聞こえてくる方向へ
走って追いかけていき消防車に乗りました。
(ケータイがつながらない為、消防本部から連絡がつながらない状態、、
とにかく廻ろうと部長と2名で消防車を出したそうです。無線は本部の人が救急等の
いろいろやりとりしている感じでした。)
瓦がくずれていたり、塀が倒れている家がかなりの件数あり
くずれてきた瓦に直撃をうけたクルマもありました。
実家も物置の瓦がもともと弱っていた部分がさらに崩れてしまい
裏庭の入口をでてすぐ液状化とみられる現象が
川へ行きました白波をたてた小さな波をみました
地から水が噴き出してきたように濡れてるところもありました
遠くの工場地帯では煙(煙突からではない)があがっていました
近くの分署へ行き、何をしたらよいのか聞きました。
「船が気になり川にきている人がいるので離れて下さいと町内の人に避難指示は出ていませんが
安全なところにいてくださいと伝えて下さい、あと怪我した人がいないか確認してください」と
広報活動の指示があり
「避難指示でていませんがいつでも避難できるよう準備してください」と
町内のいろいろな人に伝えました。
ひとり暮らしの家が気になりましたが、隣近所で声をかけあい無事を確認しあっていました。
その後もうちの地区では避難の指示は出ませんでしたが高台の方へクルマで
夜中まで避難された方が多くいました。
消防服に着替えに実家に戻るころ、、
奥さんより連絡がつき実家(奥さんの)に泊まると・・・・
父は帰宅困難・・・・
入院している祖母は大丈夫か・・・・
夜になり
消防庫前は発電機を動かし灯光器をつけていましたが
町内中は暗闇に
本部より自宅待機になり実家に戻り居間で布団を敷き寝ました。
灯り・・・電気の大切さを知りました
その後、
父は(月)になんとか帰宅
祖母も無事を確認でき
奥さんと再会
ここ1週間
親戚の安否確認(※追記 無事と確認完了しています)
父の帰宅方法をiモードやインターネットで調べ電話やメールで連絡をとりあい
会社の復旧などしていました。
会社も自分が普段仕事してる場所の天井が落ち気味になり
作業用のつっぱり棒と木材で補強
その近くはなるべく近づかないようにしています。
仕事の一部工程を別の会社2社にに委託しているのですが
・北関東エリア
・岩手県北上
むこうからもこっちも輸送できないそうです
余震がこわいです
まだまだいろいろ面でやらなくてはいけない事がたくさんあります。
今まで~今の自分の状況です。
あまり報道されていませんが
千葉県でも津波の甚大な被害があり、
高校時代の後輩宅も家族無事でしたが波がきて被災しております。
茨城県の鹿島・神栖地帯も同様の被害がすごいそうです。
そこから少し離れた地区でも家が傾き住めない状態になっている家がたくさんあります。
未曾有の災害により被災された地域の皆様
謹んでお見舞い申し上げます。
お辛い日々を送られていると思います。
皆様の安全、一日も早い復旧を心よりお祈り申し上げます。
スケざえもん
Posted at 2011/03/19 01:55:20 | |
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