九州 太刀洗から満州に渡り、
終戦と同時にシベリアへ抑留され
生きて再び日本に帰って来た父親が
一昨年末に他界。
当時の様子を母親にも多くを語らず、
ただ、その足取りを辿ってみたいとの想いが
日増しに強くなり、73年前の6月6日その日を前に、
念願かなって、昨日次女に付き合って貰って
舞鶴引揚記念館を訪れる事が出来ました。
京都から「特急まいづる」で
1時間40分ほどで、終点東舞鶴駅に到着。
駅のロビーには
7時過ぎに我が家を出発し、着いたのが丁度12:01
近くのショッピングセンターで取り敢えず
記念館までは、駅前からバスで
約15分で到着。
館内に入ると、ロビーでは
床に、シベリアでの収容所が示された地図が
父親が残していた書類を頼りに収容所を探しましたが...
かなり規模の小さな所だったようで、
副館長さんがわざわざ館保存のファイルで調べて頂きましたが、
残念ながら場所を特定するには至りませんでした。
展示コーナー入口
一部の写真を除いて
殆どが撮影許可されてました。
当時の生活が再現してありました
親父もあんな風に暮らしてたのかな
施設の模型
当時の貴重な資料が残されてます
「岸壁の母」のモデルになった「端野いせ」さん
当時の港のジオラマ
昭和33年に最後の引揚船が帰って来るまで
346隻もの船が多くの方を乗せて港に入って来たそうです。
その一部の模型が
その中に、親父が乗っていた「遠州丸」を見つけました。
そしていよいよ、記念館から歩いて20分ほどの所にある
平成6年に復元された「引揚桟橋」へ
親父は、どんな想いで降り立ったんだろう...
再び記念館に戻って、展望台へ
舞鶴湾が一望出来ます。
右下に写っている羅針盤は、
出港地であるナホトカ港を指示しているそうです。
娘がスマホで、パノラマを撮ってくれました。
本当に多くの方々が、遠い祖国の地を
再び踏める事を夢見ながら、願い叶わず亡くなったと聞いています。
過酷な抑留生活の中で、何度も命を落としそうになりながら
無事に帰って来て、91の天寿を全うさせて頂きました。
舞鶴に上陸した際には、地元の皆様方に大変良くして頂き、
今更ではありますが、父親に成り代わって感謝申し上げます。
父親がどんな想いで船から降りたのか、
どんな想いで広島へ戻ったのか、今となっては知る術もありませんが、
想いを馳せながら、とても有意義な旅になりました。
当時の話を直接聞く事が出来たのは、
恐らく自分の世代が最後になるのでは、と思います。
だからこそ、次の世代に語り継いでゆく責任を痛感します。
Posted at 2019/06/03 12:15:23 | |
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