木付を杵築と文字を変えたのは、杵築の殿様(当時 松平氏)だが、
それは、将軍に忖度してのこと。
6代将軍 家宣が、書簡に出雲の杵築と間違えてか、この文字で書いて遣したのが、そもそも。
その杵築、5月5,6日(おそらく5月第一週末)はお城祭りで土曜日はいろんなイベントでにぎわったらしい。
しかし6日、GW最終日は冷たい雨が降り出した。
坂の城下町を散策中に本降りとなり、「傘を売っているお店を」と訪ねたら傘を貸してくださった。
(最終、関連施設へ返却した)
パックマンのように(古い、とても古い)、城下町を登って降りて。
湯布院の時間を考えると、移動の車中でお昼を頂くことになる。
まずは、偶然見つけた、本場フランスそのままのバゲットを売るパン屋さんで、パンを仕入れる
(むすめは菓子パンも欲しかったようだが、私の元では許されない)
屋台では、からあげ、たこやき、開店焼きを仕入れる。
最後に湯布院のステンドグラス館に予定を30分遅らせて頂くよう電話をする。
そして、高速移動。
90分を予定したステンドグラス作り、時間オーバーで、少し慌て気味のお父さん。
挨拶もそそくさと、次また高速移動。
大分到着が30分早くて、最後に春日神社を見学して、レンタカーを返して終わり。
帰りのソニックは指定が前後席だっただめ、自由席に移動して横並びで駅弁を頂き、
帰途に着いた。
これで4日の旅終わり。中二日、まるまる使える日があると、とても長旅をしたように感じるものだ。
写真は。杵築のブランジュリー。
表にプジオが止まっていて、その時点で、フランスを想定すべきだった。
開店早々に入ったので、パンは選び放題だった。実際、あとからあとから人がやってきていた。
意外と人気のあるお店なんだなあという印象。
この小さな町に教会が二つもあるんだし(そこが豊後なのかもしれない。教会の数は肥前に引けをとらないような気がする)
フランスで、もうひとつ。
杵築の武家屋敷や旧家の中で、最も古いのが医院の佐野家。
20年以上ぶりに訪れて、展示は大きく変わっていたが、
かつての当主と中江兆民の関係を尋ねたら、
兆民からフランス語を習っており、その当主は近くの藩校でフランス語を教授したという。
以後、子孫も語学堪能で、5ヶ国語を話す人もいたという。
そして杵築から、法政大学創設者が出たのも、この藩校からだという。
Posted at 2018/05/08 23:24:36 | |
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ドメスティック遍路 | 日記