2019年12月23日
僕が孟母なら、
この地から離れて、娘の学習における最適地に移住すべきだろう。
東京都世田谷区、東京都千代田区、北海道別海町。
(これは制服問題における選択肢)
もっと切実なのは、学力格差。
娘が不憫でならない。
(自分自身に対してもとても不憫だ。あのときの選択は間違っていないのだが、
こういう結果に落ち込むとは、あまりにも不憫だ※1)
※1)早々に脚注を儲けるが、
①看護大学卒業時、僕はとても落ち込んでいた。都会で暮らすだけの自身を失っていた。なので、城下町、門前町、海のある、田舎を選ぶことになった。
②大阪の病院は女性看護師だけで需要を満たすことができるので、大病院はわざわざ男性看護師を雇わないという労働市場の事情もあった。
小学受験をした娘に、その理由と問われ、「お父さんは、高学年のころには違和感を覚えた。おかしい。できることできないこと、埋められない差がある。会話が成り立たない。中学で確定的、高校大学とせっかく話の会う世界に入ったと思っても、そこでも格差。社会人になるときは、もう絶望だ。学んだことが全く意味を持たない「世間」に吐き出されてしまう。絶望以外ほかになかった」
まったく同じことが娘に起きている。
海外旅行、登山、美術芸術鑑賞、歴史文化への造詣。
いつ意味を持つことになるのか。わからない。
しかし、確実に、この日本でも、そうしたことを行っている人たちはいるはずだ。
高知には、「TDLやUSJ」をよからぬものと考えている女性がいた。
正月休みに海外旅行に行く人は4.2%というが、中には物見遊山ではなく、学術目的の人がいるはずだ。
ああ、出会いたい。出会わせたい。
どこにいけば出会えるのか。
直近は、中学制服問題である。もちろん、その先の高校だって。
(高校は奥の手を使うこともできると信じている)
さてどうしようか。
国の憲法では基本的人権も人格権も思想信条の自由も表現の自由も記載されているのに、
教師たる人間は、全く理解していないから、日本全国のうち、正しく理解しているのはたったの3つの中学だという悲しい現実。
生徒も親も馬鹿ばかり。
もちろん、制服業者はたまったものではないだろうが、合憲の行為を推し進め、違憲状態を社会から排除するのは、国民として当然の義務だろう。
それは議論にすらならないなんて、あまりにひどい日本社会。日本国民のレベル。
頭を抱える。
まずは、中学の門を叩くことから、始めよう。
娘よ、挫けるな。
学習は、まだ始まったばかりだ。
こう掻くには理由があって、昼休憩に
ちちんぷいぷいで、「近鉄なら駅前で愚痴を聞く」というのがあって、
「奈良の高校の・・・政治不信は・・・投票率の・・・」
となって
「愚痴を聞くのがしんどい」(実際、精神疾患を疑わせる患者や粘着気質の患者は大変嫌われています。僕はそうではありませんので、対応は僕が引き受けます)
「政治など理解できないことは聞けない」
はい、きっぱり(このような表現は滅多と用いませんが)
無理ですね。
この地でどうして、生涯の伴侶を得られましょう。娘のボーイフレンドを見つけられましょう。
30代の女性のほうが世間をよく知り、生活力もあり・・・なんて考えていましたが
大変に裏切られてしまいました。
幸い一子を得ましたが、こんなことなら20台を選んでおけばよかったと思わなくもないのです。
こんなことなら、都会で働けばよかった。こんなことなら高校で人生を放棄せず・・・。
少し思わなくもないですね。後悔はしてもいいのですが、慙愧の念にとらわれるのは時間の無駄なので、先を見ますけれど、
さてどうしたものか。
はてさて。
僕は、孟母になれますでしょうか?
東京都に移住すべきでしょうか?
残念にも、公務員の定年が65歳に引き上げられるとことになりましたね。
労働力の確保を若年者ではなくして、高齢者に求める政策ですね。
それほどに、若者には期待がないのですね。
そりゃそうです。現場でも、若者の能力は悲しいくらい・・・。
早期退職は自主退職で退職金が目減りします。
日本の賃金体系では、未だに年功序列。
転職を繰り返すほどに生涯賃金が減っていきます。
ここで転職するだけでも、数百万円の損失です。
その価値のある転職、転居ができるでしょうか。
まったく日本という国の憲法はよくできているのに、
実社会では、誰も理解せず、いい加減な法律のために!
苦労するのです!
知っているものこそが!
知らないものは、無知でなんとも思わない!
無性に腹が立つ!
Posted at 2019/12/24 01:18:37 | |
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2019年12月23日
そんな車に作っておいて大丈夫なの?
っていう車が、当たり前のように生産中止になっていると思う。
マークX。
あんな狭苦しいセダン。誰が買います?
マークⅡの時代、Cクラスや3シリーズと対抗する形で開発されたはずです。
それがどうでしょう。
あんな車。なくなって当たり前です。
ミニバンやSUVに押された?
セダン好きは、もうドイツ車その他の輸入車に流れているでしょう。
FRセダン、見る影無し。
さようなら。
マークXも結局は、トヨタ自身で潰した車です。
車乗りの、セダン好きの心を掴む車を作れなかったのが理由です。
車の嗜好が変わったわけではありません。
現にカローラを見なさい。
そういうことです。
さようなら、トヨタ。
Posted at 2019/12/23 23:02:01 | |
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