縁切地蔵
このお地蔵さんの石を削って、その粉を別れたい相手に飲ますと、アラ不思議。願いがかなうと言う。霊験あらたかなお地蔵様だ。
お陰で、お地蔵さん本体は長い年月で身を削り、かようなお姿になってしまった。
粕屋町に残されている民話や伝説
現在の粕屋町「長者原」の地名は、「長者屋敷」にその由来があると言い伝えられています。その伝説は、長者の娘「於古能姫」(おこうのうひめ)と、福岡市早良区野芥の「縁切(えんきり)地蔵」にまつわるものです。
今から約1,200年前の奈良時代の終わり頃(770~780)大城出羽守国定(おおしろでわのかみくにさだ)という長者がおりました。 この国定と奥方のおせつとの間には、三国一と言われた評判の娘がおりました。
ある時、早良区の豪族、郷士土生伯耆守(ごうしはぶほうきのかみ)がこの付近に鷹狩りに来たとき、この娘のうわさを耳にしました。これが、縁となって自分の息子、土生修理太夫昭兼(しゅうりだゆうあきかね)の嫁にと無理を通してもらいうけました。 豪族、大城家では、一人娘の嫁入りといことで、七車分の嫁入り道具を乗せ、多数の人数を伴って、嫁ぎ先である野芥を目指しました。一行がちょうど逢坂まで来たときです。 土生の家老が数人の共とやってきて、「今、土生家では、昭兼殿が急病で危篤となっている。結婚式どころではないから、相すまないが引き返してくれ」と頼みました。花嫁姿の於古能姫は、「杯はせずとも夫婦にはかわりありません。どうぞ、危篤の夫に会わせてください。」と願い出ますが、聞き入れてもらえません。 いろいろと話をしているうちに、家老が自分の娘を土生家に嫁がせ、土生家を自分のものにしようとの悪巧みがあることがわかりました。於古能姫は、もはやこれまでと、ふところの刀を抜いて自分の命を絶ってしまいました。これを目の前で見ていた父の国定も三途の川をともに渡ろうと自決してしまいました。出羽守国定と於古能姫はその地(野芥)にほうむられ、縁切り地蔵として祀られています。
住所: 福岡市早良区野芥
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