2013年08月31日
トヨタ・レクサスに必要なもの
私は父に似たのかトヨタ派です。
車好きになったきっかけは友人からGT5を勧められたことです。そのころは車に全く興味が無く、知っている車は親が乗っていたマークⅡだけ。知っていると言っても16#セリカと見分けがつかないレベルでした。他にもスカイラインの名前だけは知っていました。
GT5をやり込んでいくうちに車が好きになりました。レースよりも淡々と走ることのほうが好きになってしまい、オンラインレースには行かずにずっとプラクティスで走っています。走りすぎて腕を痛めてしまったこともあります。
最初はR32のスカイラインやS13シルビアがお気に入りでした。ある時からトヨタの後輪駆動スポーツカーが好きになりトヨタ派になりました。
すいません、前置きが長くなりました。
中古車を探す時もトヨタで絞り込んで探していたほどのトヨタ派ですが、最近のトヨタ・レクサスはあまり好きになれません。
うまく言い表せないのですが、どの車を見ても何かに縛られてしまっているように見えます。縛られていない車もあるのですが、どの車も昔のトヨタ車に比べると見劣りしてしまいます。
例えば私のAT212型カリーナですが、後継のアリオンと比べるとカリーナのほうが良くできているように感じます。
何時くらいからかはわかりません。強いて言うならカローラがカローラアクシオになった時くらいからトヨタの車は変わっていったと思います。
トヨタの車づくりは主査制度が根幹にあります。これは車の開発に置いて全ての責任と社長に直訴できるような大きな権限を持つ役職です。今ではチーフエンジニアと呼んでいるようです。
主査は上層部から「次は〇〇を担当しろ」と言われて車を作ることが多いです。それとは逆に主査構想と呼ばれる企画書を提出して上層部の許可が下りるとその車を作る、この2パターンがトヨタの車づくりです。例えばJZA80スープラは都築功技師の主査構想から始まりました。
トヨタで名車と呼ばれる車には必ず名主査と呼ばれた人がいます。例えば初代クラウン・初代センチュリーの中村健也、初代カローラの長谷川龍雄、初代MR2の吉田明夫、2代目MR2の有馬和俊、JZA80型スープラの都築功。これらの車はどれも心躍る魅力的な車です。そしてどの車も開発主査が「作りたい」「乗りたい」と強く願って生まれた車です。
こういうスポーツカー以外でも開発主査が「乗りたい」と思う車が多かったと思います。例えば初代セルシオはそういう車だと思います。
今のトヨタ車が何かに縛られているような車が多いのは作りたい車像が見えないまま車を作っているからだと思います。
これはレクサスにも言えることで、自分たちの進む方向を見失っているように見えます。私が思うに、初代LSを作った時はそれが見えていたと思います。でもいつからか他社の車をベンチマークとし、それの後追いをするようになった。その結果がスピンドルグリルと、慣れない作業による品質低下ではないでしょうか。
その証拠に、チーフエンジニアの矢口氏が「自分が感じたレースカーを運転する衝撃を市販車で実現したら楽しい車になるんじゃないか」と考え、それを実現したIS Fはレクサスだけでなく全ての国産車の中でも抜きんでた車だと思います。
普通はライバルをM3やC63AMGに設定して車を作ることになったでしょう。でも矢口氏はM3やC63AMGという既存の市販車は眼中になかった。ただ自分が運転したJTCCチェイサーのようにサーキットを走り回れる市販車を作りたかった。生まれた車は少し異質な存在になりましたが、矢口氏の求めていた車像がそのまま反映されている車です。
既存のものをベンチマークにしてしまうと、それ以上にはたどり着けません。前にも書きましたが初代プリウスの燃費目標は実は3倍でした。エンジニアたちは考えられる限りの技術を盛り込みましたが2倍が限界。それを報告するとあっさりとOKが出た。
燃費3倍を言った上司の意図は目標を高く設定することでやる気を引き出すことになったと思います。最初から2倍に設定していたら2倍どころか1.5倍も怪しかったのではないでしょうか。
また最近のトヨタはエクステリアの見た目を非常に気にしています。それは構わないのですが、見た目の統一などを急ぐあまり、逆に没個性化してしまっているのではと思います。攻殻機動隊というアニメからの受け売りですが、個性を求めるあまり没個性に陥ってしまうんです。
私はトヨタ車ほど個性豊かな車を作るメーカーは無いと思っていました。マークⅡやクラウンのように落ち着きのあるセダンがあるかと思えば、MR2やスープラのように刺激的なスポーツカーもある。全部同じ顔のBMWより個性的だと思います。
見た目が統一されることによるメリットはあると思いますが、それによって没個性化してしまったり従来持っていた良さが無くなってしまったら意味がない。
レクサスは既存の高級車にはなかった落ち着いた雰囲気が良さだったと思います。批判もあったでしょうがこれ見よがしでない見た目は時間をかけて受け入れられていたのではないでしょうか。でもスピンドルグリルという欧州車の後追いで積み上げた物をリセットしてしまった。
ルックスというものは余程破たんしたものでない限り個々人の慣性によるところが大きいものです。スピンドルグリルが好きという人もいると思いますが、レクサスが積み上げてきたものをリセットしてまでやるべきだったことだとは思えません。
もちろん車としての基本をレベルアップさせることは必要です。でもそれに見た目は関係ないです。「羊の皮を被った狼」「能ある鷹は爪を隠す」「持ってい無いようで実は持っている」これらがレクサスやトヨタが目指すべき・目指していた道ではないでしょうか。
「華美を戒め、質実剛健たるべし」という言葉があります。豊田佐吉の言葉です。この言葉をトヨタはもう一度思い出すべきです。
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Posted at
2013/08/31 11:30:16
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