2013年11月27日
昔からある傾向なんだけど、いわゆるオタクと言われる人たちの間で「一般に受け入れられること」が素晴らしいことだと思っている人が多い。
ちょっとテレビや雑誌で取り上げられただけで騒ぎ出す。「一般に受け入れられた! すごいでしょ!」
気持ちはわかるよ。私もそうだったから。でももうちとよく考えてみるべき。
そもそもアニメなどの「オタク文化」というものはサブカルチャー(ここでは本来のサブカルチャーの意味は無視します。そうしないとややこしいので。)なわけですよ。サブカルチャーはサブカルチャーであって、メインカルチャーの場所に割って入ることはできないんです。ただ、人によって比重が違うだけ。
よく「サブカルチャーを軽視するな」と言われますが、これはその通りです。でも「一般に受け入れられる」と「サブカルチャーを軽視しない」は同義ではありません。
メインカルチャーの代表としてテレビのバラエティ番組やワイドショーなどがあります。最近ネットでこれらを「つまらない」とか「くだらない」という意見が多いです。では本当につまらなくなったのかというと少し違います。これらは最適化されただけです。その時間にその内容を見る人に合わせて最適化されていくうちに、尖っている部分が無くなってしまった。これは仕方のないことです。
メインカルチャーというもの、すなわち万人受けするコンテンツというものは最適化されていく傾向があります。そもそも趣味趣向は人によって変わるので万人受けするには平凡なコンテンツになってしまいます。メインカルチャーを提供するのは自動的に大企業となり数字が重視される成果主義が適用され、平凡なコンテンツが残りやすくなります。
逆にサブカルチャーは趣味趣向が強い、尖った部分が多い、平凡ではないがある方向に突出したコンテンツが多いです。特定の趣味趣向を持った人たちには大きな人気を獲得できますが、それ以外の人たちには箸にも棒にも引っかかりません。
しかし、サブカルチャーに最適化が起こらないとも限りません。複数のジャンルに属する大勢のオタクから圧倒的な支持を受けるコンテンツなどはポップカルチャーに近いサブカルチャーと言えるでしょう。最近のアニメはそういうものが増えてきたような気がします。サブカルチャーでありながら尖った部分が小さい、または少ないコンテンツです。引っかかるけど外れやすい傾向があり、一時的にファンを獲得的できてもすぐに忘れられてしまいがちです。
またメインカルチャーの中にも尖った部分が大きいコンテンツが生まれることもあります。メインカルチャーの場合でもそういうコンテンツは一過性のものが多い傾向があります。
メインカルチャーでもサブカルチャーでも本流は変わりません。ただサブカルチャーは小さなコンテンツに少人数が集まると言う形でしょうか。
重要なのは尖った部分の多さや大きさ、趣味趣向の強さというのは相対的なものだと言うことです。
最初に書いたように「一般に受け入れられること」は「平凡なコンテンツを目指す」ということになります。それは本当に幸せなことなのでしょうか。私はそうは思いません。
確かに同じ趣味の話で盛り上がったりするのは好きですが、あまり規模が大きくなりすぎるのもどうかと思います。人が増えればトラブルも増えますし、暗黙の了解というものが崩れてしまい面倒なことになってしまう可能性もあります。
最高のオタク、最高のギークは研究者です。研究者は平凡な人ですか? 全ての研究は一般に受け入れられていますか? 一般に受け入れられることを目的として研究している人が大勢いると思いますか?
Posted at 2013/11/27 12:53:36 | |
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