文章で読む75年の歩みを読みました。
75年分ですから相当な量です。
トヨタの黄金期は80年代から00年代初期までだと思っています。少なくとも豊田英二氏が活躍されていた頃は黄金期と呼べるでしょう。
黄金期を潰したのはあの有名な奥田です。「車は5年持てばいい」という言葉は有名だと思います。
トヨタの伝統は安全が第一、品質が第二、量が第三です。奥田はこれを無視して組織を無理に拡大。人の成長スピードを超えた拡大により世界中で品質問題が発生し大量のクレームが発生しました。奥田がこれをマスコミへの圧力でもみ消しました。
奥田はトヨタを「品質と手堅いトヨタ」から「資本の論理による効率化と大規模化による好業績」に変え、その代償として「信用」を失いました。
豊田章男氏が社長に就任する時でも最後まで反対し続けました。マスコミは「今こそトヨタを世界一にした奥田氏が立ち上がり解決に乗り出すときだ」と書いていましたが、裏に誰がいるかは丸わかりですね。
75年の歩みでも「再出発」と書かれています。本当にその通りだと思います。
トヨタのものづくりでは開発主査(チーフエンジニア)が根幹にあります。開発主査が担当する車に対してしっかりと信念をもって作った車はどれもいい車です。逆に作りたい車像がぼやけたまま作ったり、自分の信念を貫けずユーザーの声に迎合してしまった車は見てわかるほどダメな車です。
豊田章男氏は開発主査に「もっといい車を作ろうよ」と言っているそうです。すると開発主査から帰ってくる答えはほぼ「良い車はどういう車ですか?」と決まっているそうです。すると豊田章男氏は「あなたが思ういい車を作ってください」と言うそうです。「良い車はどういう車ですか?」、80・90年代のトヨタの開発主査はこんな返事を絶対にしなかったでしょう。
初代クラウンを作った中村健也氏も「自分が乗りたい車を3回作ってダメなら、その人は車づくりに向いていない」と言っています。
トヨタの再出発はもう始まっていますが、奥田の残した負の遺産はなかなか消えそうにありません。
Posted at 2013/11/11 18:16:20 | |
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