きっかけは8月25日のLINEだった。バリバリくんから「ヤフオクで狙っているジョグがある。」と。
締め切りは8月29日(土)の夜だったが、翌日バリバリくんに確認したところ、「残念ながら落とせなかった。」と。
今のヤフオクでのJOG EVO(SA16J)の相場を確認しようとしたところ、奈良県橋原市から出品されているJOG(黒)を発見。
ブレーキキャリパーとリアクッションのスプリングの色が赤い事から、2006年か2007年モデルであると思われる。
走行距離が3,858キロと極少であった事と、クランクケース周辺が比較的綺麗だった事、更に奈良県橿原市に住んでいる大学友人に手伝ってもらえれば、徳島まで南海フェリーを使って持ち帰ることが出来るのではという考えから、一気に落札したいという気持ちが高まり、45,000円スタートに対し75,000円を入札した。
もちろん、大学の友人には電話で手伝ってもらえることを確認済であった。
締め切りは8月30日(日)の21時半頃だったが、午後には既に76,000円で自分が最高額入札者ではなくなっていた。
「これを逃したら、おそらくこのような走行距離の少ないJOG EVOは出てこないだろう。」と思い、一気に100,000円まで入札した。
結果、77,000円で落札することが出来た。

落札後、ヤフオクの取引ナビで支払い手続きを行うと、出品者から連絡があり、「電話で話したいので、この番号にワン切りして欲しい。」と。
要望通りワン切りすると、翌日にでも電話があるのかと思いきや、すぐに着信があった。
廃車書類を郵送してもらえれば、こちらでナンバーを取得と自賠責保険の加入後、奈良まで引き取りに伺いたいという要望を伝え、
更に受渡に際しては、近くに住む大学時代の友人の手を借りる可能性があるとも伝えた。
自宅まで引き取りに来られたくないのか、「近くのホームセンター等で引き渡ししたい。」という事であったが、提案された3ヶ所の施設は
それほど近くなく、自宅の場所がどこにあるのか推測できなかった。
また、廃車証明を取る為には、ナンバーの返納が必要になるが、ナンバーを外すと自走出来ないので、
「大学の友人宅か、友人の職場まで乗って行ってもらえれば、友人が受け取った際に受け取り確認(送金)を行う。」と伝えたが、
「既にナンバーを外して廃車書類を準備したので、ナンバー無しで自走するのはリスクが大きすぎる。」と、こちらの意図が伝わっていなかった様子。
こちらとしては、ナンバー無しでの走行(違反)をお願いしているのではなく、廃車にする前に自走してきて欲しかったと説明した。
月曜の午前中には市役所で廃車手続きを行ったという事で、水曜に郵便で廃車書類が届いた。
台風などの影響で雨続きであったため、湿気で書類の捺印が滲んでおり、「有効な廃車証明」として使えるか心配であった。
この週末は台風の襲来もあり、まだナンバー取得も出来ていないのでは、引き取りは12日(土)以降を予定していると連絡した。
届いた廃車証明の車体ナンバーで確認したところ、2007年製であり、2スト最終型であることが分かった。
(2008年で販売終了となるが、モデルとしては2007年製が最終型となる)
更に「キャブレターのスロットルに規定以上の鉛成分が混入しており、強度不足により最悪スロットルが戻らない状態に至る可能性がある」という事で、
キャブレター1式交換のリコール対象となっていた。
キャブレターについては、エアエレメントを外してキャブクリーナーのスプレーを1缶噴射して洗浄する予定だったが、
かなりの爆音と白煙が出るため、小松海岸の方へ行って作業予定であったが、これが省けて良かった。
更にキャブ1式(約1万3000円)が新品になるというのも、うれしい誤算であった。
引取り後の和歌山港までのプチツーリングに際し、エアエレメントのスポンジがスカスカになっている可能性がある為、
近所のバイク屋に出向いてエアエレメント(約700円)の注文と、無事に持って帰って来れたらリコールのキャブ交換作業をお願いしたいと伝えた。
「すぐにキャブレターの手配掛けましょうか?」と聞かれたが、今回の経緯を説明し、「無事に持って帰ってこれる保証が無いので、持って帰ってきてからお願いします。」と伝えた。
9月7日(月)に午後から半休を取り、徳島市役所へナンバー取得へ向かった。
申請書類は事前にPDFで準備していたので、廃車証明を一緒に提出するだけの手続きであった。
通常の6角形のナンバープレートと、雲のような形のご当地ナンバーを見せられて、「手数料は同じです。」と言われたが、ここは迷わず通常の6角形を選択した。
ただでさえ、自賠責のステッカーを貼るスペースが無いのに、ご当地ナンバーの方は更に面積が小さいように見えた。
「公道最速化計画Vol.2」としては、全く速そうに見えないご当地ナンバーは、仮に手数料が安くても選択しなかっただろう。
また、1点だけ申請書類の中で記載方法が不明だった「車名」については、JOGでもCV50ZRでもなく「ヤマハ」だった(笑)
市役所を出てすぐに近所のバイク屋に電話して、自賠責加入について確認を行った。
てっきり自賠責の加入にはナンバープレートが必要かと思いきや、車体番号があれば加入できるという事で、ナンバーは不要だった。
加入期間は最長の5年で、保険料は16,990円だった。
注文していたエアエレメントに加え、エンジンオイルを購入しようとしたが、「普通のですか?(100%化学合成の)RSですか?」と質問され、「RSやZOILを薦めてくれたのは、ここのバイク屋なのに、なんでこんなこと聞くんだろう?」と思っていたが、よく考えたら、今は閉店したが近所のZOA(今は閉店)でRSやZOILを購入していたので、ここのバイク屋では購入していなかった(笑)
「もちろんRSで!」と回答したが、バイク屋は「なにがもちろんなんだ?」と不思議に思ったかもしれない。
ナンバープレートと自賠責保険、エアエレメントとエンジンオイル、ヘルメット、更にAmazonで購入したナンバー取り付け用のステンレスボルトが揃ったので、引き取りに行く準備は完了した。
当初の予定では、大学の友人に和歌山港まで車で迎えに来てもらい、奈良まで80キロのドライブ予定であったが、友人にしてみれば往復160キロを短時間で走ることになる為、「和歌山県橋本市の実家で前泊しないか?」と提案があった。
橋本市は和歌山港まで50キロの位置にあり、若干近くなることと、久しぶりに一緒に酒が飲めると一時はOKしたが、今回の移動はコロナの感染予防の為、公共の交通機関の中でも人ごみを避けるための往復フェリーと考えていたのと、知人の両親が居る実家に県外人が宿泊するというのは、万が一感染させてしまった際に命にかかわる可能性があり、この理由を付けて宿泊の案はお断りした。
再度和歌山港から奈良までのルートを確認するも、鉄道は無く、県をまたぐためにバスでの移動も出来ない様子であった。
バス乗り継ぎの旅で県境を歩いて超えるシーンがよくあるが、今回のルート検索で実感した。
最終案としては、難波駅に徳島バスよりも早く着くJRバスで向かい、近鉄かJRで奈良の大和高田駅まで向かう事にした。
12日(土)の天気予報はこの時点であいにくの雨であったが、最悪、奈良か和歌山で一泊する覚悟もしていた。
出発が近づくにつれ、天気予報の降水確率は下がっていき、下り坂の予報だったので、早めの出発とした。
前日に翌朝のタクシーを予約しようとするも、「出勤できるドライバーが居るか確認するんで、後で折り返します。」と。
普段ならこのような事もないのだが、コロナの影響で利用客が減っている為だろう。
10分程度してからドライバー確保済みの連絡があった。
前夜は翌日の早朝出発に備えて、ビールをいつもよりも控える事もなく普通に飲んで寝た(笑)
ついに出発となり、バスは6時3分松茂Bバスターミナル発で、そこまではタクシーで向かったが、ヘルメットを抱えてヘルメットに乗る乗客も珍しいと思われるので、顔なじみの運転手には、今回の背景を説明した。
コロナの感染予防と体力温存のために、松茂BTの隣のローソンでおにぎり2個とお茶を購入した。
バスターミナルに着いたときは誰も居らず、後から1名やってきて同じバスに乗り込んだ。
その後、高速鳴門で女性が1名乗ってきたが、3名のみと心配していた密な状態にはならなかったが、座席位置が、4A(男性)、6A(女性)、8A(私)と、もっと左右に振り分けるとかして欲しかった。
バスは定刻の8時10分よりも15分程度早く難波駅に到着した。
昨年秋の三重県への出張の際、難波駅を利用したが、その時と比べると1/10どころか1/100程度の人で、徳島駅くらいの人口密度であった。
早く奈良に着くのは近鉄だったが、バスからの乗り換えに距離がある事と、間に合わない可能性があったが、バスが早く到着した為、予定していたのよりも更に早い近鉄に乗ることが出来た。
8時55分頃には待ち合わせの大和高田駅に到着した。
友人はVitzに乗っていると聞いていたが、職場の同僚からタダ同然でもらったという、黒いオデッセイで迎えに来てくれた。
原付の持ち主宅までは20分程度の距離であったが、仕事の事や家庭の事を話したあと、「この後部座席モニタは自分で取り付けた。」という話になった。
そういえば、大学時代に友人の乗っていたコロナ(クーペ)にCDチェンジャーを取り付ける際、「誰も取り付けないような場所に取り付けしよう。」と2人で計画し、最終的に金属のステーを使用して、運転席と助手席の間の頭上に取り付けた話を思い出し、2人で大爆笑した。
事前にGoogle Map(ストリートビュー)で確認していた為、目印の居酒屋から住宅街に入り、殆ど迷うことなく目的地に着いたが、車が対向できない細い道路に面した家であり、駐車場に入れようとするも車体の長いオデッセイでは無理そうだったのと、対向車が来てしまった為、友人とはそこで分かれる事になってしまった。持ち主は草野球の試合で不在であり、原付のキーは、「ご高齢の母親に預けておく」という事であったが、家の勝手口(裏口)の屋根のある所に、既にキーが刺された状態で置いてあった。勝手口は解放されており、到着したことを知ると勝手口付近(台所の様子)で様子を伺っていた高齢の女性が出てきて、「一人ですか?何人ですか?」と人数を尋ねてきた。
ジョグには「チオビタ」のようなドリンク剤が1本置かれており、それを人数分渡したかったのであろう。
「冷えてる方と交換しますね。」と、ジョブに置かれていた1本と冷えた2本を交換してもらい、その2本は友人に手渡して持って帰ってもらった。
手ぶらで訪問するのも気が引けるので、徳島名産の大野海苔の詰め合わせ(2本)を持参しており、勝手口から女性に手渡しした。
耳の遠い女性であり、大声で会話するのも近隣に丸聞こえなので、出来るだけ早くその場を去りたかったので、エアクリ交換とエンジンオイルの注入は諦めて、ナンバープレートだけ装着して10分程度で出発した。
ナンバーを外して数日間はエンジンを掛けていなかったのか、途中で何度かエンストしたが、エンジンの不調という感じではなく、しばらく走るとエンストしなくなった。
幹線道路に戻ろうとするも、方向を見誤り、しばらく住宅街をぐるぐるしていたが、ナビで位置を確認し、5分程度で抜け出すことが出来た。
ガソリンメーターはヤフオクの画像の通り2目盛りしかなく、10キロ程度は走れそうだが不安だったので、真っ先にガソリンスタンドを探すも近くには見つからなかった。
国道165号線から和歌山へ向かう国道168号線(後に24号線)へ左折しようとすると、交差点でスタンドが地面に設置し、ガリガリと音がする上に、路面の穴に引っ掛かって転倒するのではという思いがよぎり、それ以降は交差点で車体を倒さないようにした。
そこから更に市街地(駅前)に入ることになり、しばらくガソリンスタンドは見つからなかったが、閉店したコンビニがあり、そこで先にエンジンオイルを注入した。再び車道に戻ろうと左折した際に、再度スタンドが路面に接地していたが、前の持ち主は「スタンドが不調だが走行上は問題ない。」と商品説明に書いていたので、スタンドが原因で転倒するような事は無かったのだと思われる。
出発してから10キロ弱走って、残り2目盛りのままでようやく給油することが出来た。
天候は晴天で、日焼け対策で長袖を着ていたので、日陰に入ると涼しいものの、それ以外は暑く、停車中は汗が滲んでいた。
iPhoneのナビでApple Watchに方向を表示させていたが、和歌山までは国道をまっすぐに走るだけで、特に迷う心配もなかったことから、途中でナビも終了させ、道路標示だけを頼りに和歌山港と目指した。
途中、数台のバイクと並走する事になったが、一車線の一般道では第2種原付でもバイクでも、それほど違いが無かった。
車体はノーマルに戻したと聞いていたので、リミッターも純正に戻り60キロ以上は出ないと思っていたが、郊外で全開走行を続けていると63~64キロ程度は出ていた。
順調に和歌山までの距離が縮まっており、2時間程度で80キロを走破出来ると見込まれたが、残り30キロ時点で2台前にパトカーという編隊になった。
信号待ちで左から抜こうかとも思ったが、歩道のない道では違反になる為、10キロ近くパトカーの2台後ろを走っていた。しかし車と同じスピードであり、出来るだけ速度は出さないようにしたがそれでも55キロ位は出ており、パトカーから見れば後ろの黄色いナンバーは見えないので、「速度違反している50cc原付」と思ったはずである。
ここでかなりのタイムロスになったが、途中でパトカーが何かの施設に入る為、右折レーンに入ったので、そこからは再びアクセル全開で走行が出来た。
和歌山が近づいてくると道幅が広くなり、更に速度レンジが上がり全開走行を続け、当初の予定通り2時間で和歌山港のフェリーターミナルに到着した。
次便のフェリー出発まで2時間以上あり、バイクの乗客は私が1番だったらしく、チケットに①と書いてあった。
出航の30分前に所定の位置に整列してくださいと言われたので、「それまでは車体を置いておけば運転手はブラブラしても良いですか?」と聞いたところ、「バイクも一緒にブラブラしてもらって問題ないですよ。」と。
チケットが買えたので、大学の友人への到着の連絡とお礼、その他の今回のプチツーリングについて事前に話をしていた人へ和歌山港への到着の連絡を行った。
フェリーのチケット販売所は、エアコンも聞いており、食堂も自販機もあるので、どこかでエンストしてフェリーに乗り遅れることが無いように、そこから動くことはしなかった。
ジョグの状態について改めて確認したところ、リアスポを含むカウル全般にガリ傷があり、さらにエアクリーナーボックス周辺にオイルの付着があり、スタンドにもオイルが垂れていた。

このオイルはずっと前から少量滲んでいたと思われるが、スタンドに垂れたのは今回の80キロを連続全開走行が原因であると思われた。
この時11時30分頃であったが、フェリー関係の職員と思われる方が15名程度、昼食に食堂にやってきており、接触を避けるためにも客が居なくなるまで待合所や原付のある屋外を行き来していた。
イタズラ防止のキーシャッターの動作を確認しようとシャッターを閉めたが、リモコンで解除ボタンを教えてもシャッターが開かず焦ったが、横にキーによる開閉用の鍵穴があり、無事に開けることが出来たが、それ以降は動作チェックするのをやめた。
食堂が空いてきたので店内に入り、ノンアルコールビールを注文し、和歌山港までの無事を祝って1人で乾杯した。
フェリーの職員たちは、蕎麦と丼のセットや、カレーを注文していたが、あまりボリュームのあるメニューは控えてノンアルコールビールに合いそうな唐揚げ定食を注文した。
しばらくして出てきた唐揚げ定食は、唐揚げ1個の大きさがローソンのからあげくん並みの大きさで、過去最低にボリュームの無い唐揚げ定食であった。
写真撮ってLINEにアップする気も一気に失せて、茶色く変色したみそ汁のワカメとともに一気に胃袋にかき込んだ。
900円の唐揚げ定食とノンアルコールビールの代金を払って食堂を後にし、フェリーの整列場所に向かった。
同時刻に同じフェリーに乗るであろう原付の女性(50歳くらい)も居て、2台で一緒に向かうような感じになったが、向こうは慣れているような感じだった。
フェリーに乗り込むところには日陰もあると聞いており、屋内の待合所もあったが、残念ながらエアコンは効いていなかった。
フェリーは到着した直後であり、これから下船するようで、職員の方たちが慌ただしく動き回っていた。
フェリーの積載可能台数からすれば、半分以下の台数だったと思われ、数分で下船は完了し、すぐに乗船の案内があった。
車よりも先に安全上の問題から原付が誘導され、フェリーの最前部脇に案内された。
自分で固定するのかと思いきや、台数が少ないからなのか職員が固定作業の全てを行ってくれた。
久しぶりにフェリーの船内に入ったが、雑魚寝スペースでのコロナ感染のリスクを避けるため、500円払ってグリーン席のチケットを購入した。
グリーン席は船体の最前部にあり、20席ほどの座席とソファー席があった。

誰も入ってこなかったので、終始ひとりっきりでソファーで横になっていたが、
船内はWifiが使えると書いてあったのに、グリーン席は電波が弱く出航後は殆どオフラインであった。
乗船時間は約2時間で、眉山が見えてからも、そこからかなり時間が掛かった。
予定通り16時前に徳島港に入港したが、最初に下ろしてくれるのかと思いきや、安全上の問題で原付は最後だった。
下船後、沖洲周り、土手沿いで帰ろうかと思ったが、白鷺大橋で全開走行したかったので、末広方面に左折したら、やっぱりスタンドが接地した。
末広の渋滞を抜け、白鷺大橋で全開走行したが、以前のジョグ程のパワー感はなく、排ガス規制によるAISが影響しているのか、プーリーの問題なのかは不明であった。
自宅アパートには17時過ぎに到着し、一目でわかる損傷の酷いパーツの注文依頼とリコールのキャブレター手配を行ったが、この時点で大きなミスをしていたことが後で発覚する。