30分見続けていても飽きることのない
思い出の私の模型たち
前回に続いて今回も下段から紹介したいと思います
自分の記憶の整理も兼ねてます
キハ35系関西線本線ローカル
高校時代の級友たちの中には
結構大人びた連中が少なくなかった
こちらは全く遊ぶことしか
でっかい頭の中の小さい脳みそにはなかった
彼ら彼女らの頭には
どこからそんな考えが入ってくるのか分からなかったけど
たぶん育ってきた家庭の中の会話だろう
今でもそう思っている
そうでなかったらヤツらは頭が良すぎるよ
(自分がアホだったとは思いたくない)
その中の一人から
お正月に初詣に誘われた
小学校の頃は神社の祭りで太鼓叩いていた私
みんなが行く地元の神社さんに
年始の挨拶にいくのはいいことだ
まだ縁日の屋台出ているのか
いいねー
と賛成したが
お参り先は大神神社さん
えっ?そんなとこ知らんよ、どこ?
聞いてびっくり
そりゃ遠いなー
だいいちその距離では自分の旅費がしんどい
しかし旅費は心配しなくてもいいと申し出てくれた
この強烈な思い出の初詣に乗ったのがキハ35系
一日がかりで
初めて足を伸ばした土地の神様だったが
聞くと日本の神様の原点みたいな所でした
お社の中には神様はいないのか。。。
アホだったので敬語の使い方を知らん
この時の印象はその後の私の人生に
大きく影響してます
そしてそのチャンスを与えてくれた級友には
今も感謝の気持ちを忘れられない
後年何度も参拝することになったが
70をうまく大鳥居の下に停められたことがないです
その上の貨物列車の編成
これは古い運転会用
特に意味はございません
できたら自衛隊の戦車を載せて運転会で走らせたかったが
(その理由は後日に)
当時そんなNゲージ模型は日本にはなかった
東京出張のおり銀座天賞堂に
西ドイツ( 昔そんな名前の国がありました )連邦軍の
戦車模型を購入しに行った
ネット通販のない当時
地方では何も買えないものだった
みやこ東京には何でも有る
2輌購入したけど何度も引越ししたので行方不明
もちろん運転会でも使ったことはありません
キハ20系とキハ10系
子供の頃、田舎へ帰る時にいつもお世話になった
20系の方は模型化が古く
実車と比べておそろしく腰高で
乗客はホームから飛び上がって乗り込まねばならない?ほど
でも日本のNゲージが立ち上がった頃の作品だから
模型メーカーに文句をつけるべきではないだろう
能勢電と智頭急行の「スーパーはくと」
能勢の妙見さんは関西の学校の応援歌などでもでてきて
(その関係原因は今でも私は知りません
宗教と関係しているのか?)
西日本ではかなり知られています
私はいわゆる自然学校でこの方面へ乗車しました
オニヤンマというでっかいトンボを始めて見た記憶が残ります
親友二人がこの沿線に高速道路がやってくる、との宣伝に
乗ったのかどうか、**年前に土地購入して家を新築しました
終電が早く、おちおち梅田に飲んでいられないと言ってました
ごく最近やっと新名神として開通しICができました
しかし親友たちはすでに若くして亡くなっています
開通間もない頃、週末の新名神の宝塚北SA
宝塚歌劇場の印象で
なんかマスコミではすごい持ち上げ方らしかったですが
まともなレストランはありません
新東名の大きなショッピングモール付SAと比べると
わたしには単にトイレ休憩用の感じでした
案内標識は駐車場満車でガードマンさんもたくさんいましたが
8割がたの駐車で、ガードマンのいない奥の方は全然空いていました
つまり建物に一番近くて便利なところ
たぶん何もない(?)のでトイレ済んだら皆すぐ出て行ったのでしょう
私のお気に入りは西紀の下り線レストランです
仕事中はそこでランチになるように調整してます
智頭急行の「スーパーはくと」より上の段の模型は
また後日に紹介したいと思います
Posted at 2018/06/29 19:46:52 | |
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