
もう一度乗ってみたい車
ミレーニア
前車のエンジンがある朝壊れていて、家族がディーラーさん巡りをして購入した車です。
大きい車(ビリケンにとって)は買ってこないで!とお願いしていたのにミレーニアはローレルより更に長くなっていました。私が泣いて怒ったら営業さんに伝わってしまい
乗れることを証明するからと、
大阪から家まで純白の試乗車を持って運転指導をしてくださったのです。
助手席に家族、後部には娘と営業さんを乗せスーパーの駐車場などで練習してみると
思いのほか優しい乗り心地に娘も気に入ってしまい、営業さんも左前の棒?(ボタンを押したら出たり入ったりするもの)が付いていて安心だから
という声に押されうちの車になりました。
色はスノーホワイトパールと シルキーパールマイカのツートーン。流麗な外観は近所の奥様方にも評判でした(クラウンと思われていたようですが・・・)
子育て真っ最中の時の車なので、毎年ディズニーに夜行かけていったり一部船に乗せて青森のねぶたを見に行ったり楽しい思い出はつきません。苦しい受験の時でさえ、お迎えの後部座席でホッとくつろぐ娘の気持ちが感じられました。
10数年たち家族の単身赴任中
一人での運転時、急にハンドルが重くなり
確か、10日くらい前に車検を通したと言っていたので始めは自分の調子が悪いのかと思っていたのですが
もう自分の力では制御できないくらいになってしまい「M」の看板を見つけ無我夢中で飛び込みました(ミレーニア購入店ではありません)
診断の結果、パワステポンプが壊れていました。費用は25万円くらい、部品の有無がわからないので3ケ月はかかり代車は貸せないとのことでした。
ディーラーさんへは行ったことがなくよくわからなかったのですが
慇懃な物言いの中に見え隠れする・・・・・・・・・・誠実でないものを感じました(金額の事ではありません)
結局、ほかの場所も壊れそうだ 何があっても責任が持てないといわれ怖くなり車を預けて歩いて帰りました。
急遽、単身赴任先から戻った家族が
激怒して、そのディーラーさんに乗り込むと上席の方が出てきて
私の時とは全く違う対応、条件でした。その後、家族は普通に運転して帰宅いたしましたが、怒りは私にも飛び火して「人質置いてくるようなメンドクサイことするな(怒)引っ張ってでも持って帰って来んか(怒)(怒)(怒)」と叱られました。
その頃は、一日に4・5回乗っており車がないと生きていけない時期でした。
家族は直すつもりでいましたが、娘を助手席に乗せている時に壊れたらと思うと心配になり買い替えを検討。
私も初めてのディーラーさん巡りで
大小の車を試乗(助手席)してもよくわからず。6軒目、件のMAZDAディーラーさんのデミオを私が気に入ってしまい
ーーー家族には「ディーラーと車は一体のものだから」と大反対されましたが契約の1日だけ我慢すれば もうディーラーさんに会うこともないだろうとないだろうと思い購入。
その時の私は、ディーラーさんで車検や点検を受けることもよく分かっていなかったのです。あきれかえる情けなさ
真っ暗な雨の晩にミレーニアは自宅から引き取られていきました。あっという間でした。運転して帰社する営業さんに心配して声をかけたら「いえいえ~♪全然大丈夫ですよ♪♪♪」やけに嬉しそうでした。
人でも物でも「終い方」ということがあるけれど、こんな最期があるものだろうか。行き届いたことは出来なくても、もっと救われる送り出しができなかったのだろうか。娘も私も涙がとまりませんでした。
随分もの知らずだったと思います。センスがないのか弄りや整備もなかなかできません。でもみんカラのお陰で車の美しさは分かるようになりました。
なんとなく車を運転するのと良さを分かった上で乗るのとでは、天と地ほどの差がありますね。
全ての物事には意味があったと思いたい。
ミレーニアが教えてくれなければ私は、みんカラにも来ずぼんやり車に乗り続けていたと思います。
自分にとってミレーニアは分不相応、過ぎた車でした。
もう、うちのミレーニアはこの世にはいないでしょう
でも
みんカラで少し賢くなった今の自分が運転すれば前とは違う楽しみ方ができるのでは
そう思うのです。

Posted at 2017/01/26 17:58:44 | |
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