お久しぶりのブログアップです。
(ちょっと編集しました 2015.4.11)
桜をまったりみられるようになりました。
昨年はこんなブログをあげていました。
今年の私は、桜をリアルで見ることはできません。
なぜなら外に出られない生活を最低1ヶ月はしているからです。
みん友さんはご存知でしょうが、人生初の妊婦やってました。
実に本人によく似ていると思います。
とーたんになった私の主人、かーたんです。
結婚して3年が過ぎ、体調がすぐれないので人間ドッグへ。
盲腸のあたりが痛くて(すでに18歳の時にとっていますので癒着かと思い)
よりくわしくみてもらおうと、大きめの病院へ。
そこで8週に入っている事がわかりました。
しっかり心拍も確認できるほど育っていました。
(ちなみに普通の女性は5週とかで気がつくそうです)
8月の近畿オフの直前の暑い日でした。
…ちなみに自然妊娠です。
私の実年齢をご存知の方も多いかと思いますが、その年齢から考えられない事が起こりました。確率としては1%らしいです。
しかし40を過ぎてですのでハイリスク過ぎます。
琵琶湖一周や紀伊半島半周と走り回っちゃったし、人間ドッグではレントゲンも浴びた。
お酒だって飲んじゃったし、体調が悪かったからお薬も飲んじゃった。
もう真っ青通り越して真っ白になりました。
夫婦して戸惑いました。
もう子供を授かる事はないとあきらめきった時でしたので。
つわりでは廃人のように寝たきりになっていました。
1ヵ月半はこのまま死んだらどうしようと思うくらいでした。
マクドのポテト、フルーツゼリー、冷やしたお茶漬けで生きてました。
病気ではありませんが、手立てのない状態です。
ひどい人は入院してしまうくらいです。
「妊娠は病気じゃないけど、くすりものめない状態なので
.大事にしないといけない。」
しかし妊娠は病気じゃないの部分だけが
一人歩きして、多くの妊婦さんがこの言葉に泣いたりするのも事実です。
あんまり安易に使わないほうがいいかなと個人的に思いました。
妊娠は顔の数だけ違うそうです。
親子であっても、私は母と違うことがたくさん起こりました。
しかし、まったくトラブルもないまま安定期へ。
車にこんなのつけて走るようになりました。
住んでいる市から
こんなのももらい、かばんにお守りと一緒につけて歩く日々でした。
日に日に大きくなるおなか。
実家の両親とも入院をしたので、阪神高速東大阪線から池田線へ走らせるときの左車線への変更が怖かったです。
(短い距離でがんがん走る車の間をぬって左に入るのはなかなか怖いもんです。)
重いんです。とにかく胃も肺も圧迫されて呼吸が苦しい。
肋骨の辺りが痛くて、せきやくしゃみは悶絶もんでした。
靴下はきたいのにすんなりはけない。
何をするにもふうふう言います。こんなに重苦しいとは思いませんでした。
一人しか入ってないのに、こんなに大きくなるとは想定外でした。
胎動は、主人の「ただいまー」の声によく反応していました。
中の人は居心地がよかったのかずっと逆子。
おかげで帝王切開。しかし最後の診察でまさかの大回転。
でももう予約したのでそのまま手術を受けることにしました。
NSTといいまして、ノンストレステストという赤ちゃんのストレス度合いを見るものだそうですよ。
3月19日雨の降る木曜日の午後3時に1時間遅れで手術室へ。
徒歩で向かいます。
心電図、血圧計、点滴…いっぱい体中につけられて腰椎麻酔でした。
ほどなく「これから赤ちゃんの頭が出ますから」の声が聞こえました。
少ししたら「んぎゃぁーあ」と泣き声が聞こえます。
泣いてるわ、生きてくれてるわ。。。
それだけで私まで涙がぽろぽろ流れました。
15時29分、2548gの女の子が生まれました。
主人に似ているわ。
と思ってたのは私だけのようで、寝顔は私に似てるらしいです。
親ばかですが…当時同時期にいた女の子の赤ちゃんの中で一番かわいかったと自負しております。
術後の経過もよく、退院して現在3時間も開かないうちの授乳に追われる日々です。
思いのほかハードです。
斜め上を行くくらい疲れます、眠れません。
パパ予備軍の皆様、どーぞこの時期のママを支えてあげてくださいね。
うちはう○ちのおむつもかえてくれてまして、すっごい助かってます。
話し相手になってくれてるだけでも、助かるんです。
このたびは、お祝いのライン、メッセージや
殊にハイドラ同好会女子部の皆様からのお心遣いに心より御礼申し上げます。
いつの日か親子でオフ会に参りますので、娘のオフ会デビューには
皆さんと写真などをと考えております。
よかったら抱っこなどしてやってください。
どうぞ私どもの新しい家族をよろしくお願い申し上げます。