
お久しぶりです。マイページを開いたら前回の更新から2年もたっていて我ながら驚きました。ときどき過去のブログにイイね!をつけてくださる方がいて、反応もせずに申し訳ありません。心の中でありがたうとつぶやいていました。
さて、あと少しでアテンザを降りることになりました。ということでご報告まで。
と、終わってしまうのも何なので少し書きます。
クルマを手放すには人それぞれの理由があるとおもいます。内装・外装含めて不具合が出たり、走行に支障を来したり、他に欲しいクルマが出てきたり、あるいは経済的な理由もあるでしょうし、引っ越しなどで使わない・使えない環境になることもあるかもしれません。でも、わたしのアテンザさんは走行距離8万5千キロながら、おかげさまで足回りには何の問題もなく、以前と変わらずスムーズに走っています。2年目くらいに出てきた内装の異音も放っておいたら直ったので、自己修復機能があるようです。ただしステアリング・コラムのびびり音には厚手のゴムシートを挟み、助手席のバイザー裏にはスポンジシートを貼っておきました。それでもロドスタさんやデミオさんのようなビシビシ・バキバキの異音はなく、荒れた路面でロドスタさんのときに大好きだったゴオーッというロードノイズがときたまするだけで、いたって静かな車内にアクセルを踏みこんだときモーッとエンジンのうなり音が響く程度で「マツダ・奇跡の一台」と心密かにおもっていました。
さすがに5年半乗ると、白革シートはうっすら汚れたグレーになってきましたが、もともとグレーがかった白色なので、知らない人にはわかりません。革シートはファブリックに比べてもメンテがとっても楽でした。何しろ帯電しないので、ドアを閉めるときに電撃ショックを受けることもありません。代車のプリウスにはそれで悩まされたことをおもいだします。
5年半で8万5千キロという、いささか過走行気味だったわりには、タイヤは新車時点から同じものをずっと履いていましたし、ブレーキパッドも交換せずにすみました。土地柄のせいで、年間の割合はスノータイヤと半々くらいでしたから、単純に2で割れば、どちらも5万キロ以内におさまっていたともいえます。交換したのはバッテリーくらいですが、年数に応じて予防的にそうしただけで、へたってきたなという印象もありませんでした。
経済的には家族のために手痛いダメージを受けているともいえますが、幸い生活の変化は今のところそれほど大きくないので、自分なりに節約したり、食べるものを減らしたりしてダメージをかわしています。別名ダイエットともいいます。引っ越しもありません。その原資もありませんが。
アテンザさんを新車で買ったときには、正直なところ、ラグジュアリーすぎて自分にはあわない、とおもっていました。もっとこう、スパルタンな、荷物が積めないような、他人が乗れないような、そんなクルマが理想だったので。それで、いつ手放すかな、とばかり考えて過ごしてきたわけですが、それでも5年も乗ると愛着が湧いてきました。いや、愛着はわいてないな。(笑) というより、思い出が詰まってきたと申しましょうか。
あの人を乗せたな、この人を乗せたな、あそこに出掛けて、あんなこともあった、こんなこともあったと、いろいろ思い出されてしょうがない。過去が染みついてきたといえばよいでしょうか。もちろん思い出は大事なのですが、それが自分の中でだんだんと重くなってきたと感じました。なので、目が前を向かなくなるような気がしたというのが、降りる理由としては大きいかなとおもいます。すみません、ちょっとかっこつけすぎですね。
とくに欲しいクルマもありませんし、もっと言えば、あーっ欲しい、乗りたいーっとおもえるような、所有欲をそそるようなクルマがでてきませんでした。ブランドにも、それはそれでよい部分があるのでしょうが、さして興味がなくなりました。ミライが発売されて、十年後には燃料電池車に乗ってる人が増えるのかなとおもえる状況がようやくでてきましたが、原油安が足を引っぱり始めたので、ディーゼルも含めて、普及の足かせになるかもしれません。もちろん、脱石油によって社会が一変する可能性がありますので、その点ではすごく期待しています。けれども、本当の革新であるためには、それが個々人にとってごく自然でありながら新しい体験をさせてくれるデバイスにならなければだめでしょう。それまではやはり絵物語です。
話がそれました。クルマは命あるものなので、いつかはお別れしなければなりません。そのクルマを気に入っているうちに、自分で決断できるのというのは、じつは幸せなことかもしれませんね。
以上、ご報告まで。