
ディープのラストランを生で観るべく、既に800人以上の人が中山競馬場の正門前に並んでいるそうです。
ディープ狂想曲も、明日で終焉を迎えます。
月曜日から始めた
『印象に残った有馬記念ランキング』
ついに
第1位の発表です。
『サクラスターオー』
(第32回 1987年)
です。
当時、オイラは11歳でした。オヤジに競馬に連れて行ってもらうようになって2年くらい経って、少しずつ好きな馬ができはじめた頃です。
ちなみに当時好きだった馬はダイナアクトレス。名前もステキだな~って思っていたのと切れ味鋭い追い込みに
『届くんか?』
ってドキドキしたものです。
実はサクラスターオーの名前は、有馬記念でのアクシデントで知ったのです。
彼は2週目の勝負所の第4コーナーで、穴ぼこに脚をとられ故障を発生、競争を中止したのです。
今でも、黄昏の中山競馬場の第4コーナーでポツンと佇んでいる、サクラスターオーの姿をハッキリと覚えています。
故障は右前けいじん帯断裂、第一、第二指関節脱臼で、通常なら安楽死処分がとられるほどの重症でした。
しかし、その年に皐月賞と菊花賞を制し、名馬の仲間入りをしていた彼を競走馬としては無理でも種牡馬としての道を残そうということで、手術を行い延命措置が取られました。
結果論になりますが、この措置によって彼は辛い辛い闘病生活を送ることになるのです。
当時、オイラは競走馬にとって
『骨折』というものが、どういうことかという事を全く理解していませんでした。だから、
『手術してくっついたら大丈夫だ』
と簡単に考えていました。
競走馬にとって『骨折』というのは、もちろん程度の差がありますが命に関わるとっても大きな怪我です。
馬は500キロもある体を、4本の
『指』で支えています(脚ではありません)。
長い進化の歴史の中で、肉食動物から逃げる為に速く走ることが出来るよう、つま先立ちから3本指で立つようになり、最終的には現在の1本指で立つ形になったのです。
当時は、スポーツ新聞もとっていたため、毎日食い入るようにスターオーの病状を伝える記事を読んでいました。
毎日、毎日、スターオーが助かって欲しいと一心に願っていました。
しかし、彼は怪我から137日後、天に召されました。
手術は成功し、順調に快方に向かってましたが、蹄葉炎という蹄が腐る病気に罹り、安楽死処分がとられたのでした(ちなみに蹄葉炎は物凄く苦痛を伴うらしいです)。
泣きました。
スターオーの最期を伝える記事を読んだ時、涙が止まりませんでした。
オイラはこれをきっかけに、動物を関わる仕事をしようと心に決めたのです。
結果的には安楽死というものを受け入れることが出来ず(もちろん能力も努力も足りなかったが)、獣医にはなれませんでしたが、日本で唯一の家畜の管理全般に関わる事が勉強が出来る大学に進学しました。
その後、紆余曲折を経て現在は団体職員をやっているのですが、競走馬とは関係が無い(農畜産業という大きな括りでは関わっているが)仕事をやっているのですが、それもこれもサクラスターオーの事がなかったら、今、ここにはいなかったと思います。
スターオーが名馬だったかどうかは、わかりません。けど、オイラの人生に最も大きな影響を与えた事は確かです。
来年、暖かくなったら、スターオーに会いに行こうと思います。
ホントはもっと、もっと書きたかったのですが、気持ちが抑えきれなくなるので止めます。
サクラスターオーは、オイラの有馬記念ランキング、第1位の名馬です。
ブログ一覧 |
競馬 | 日記
Posted at
2006/12/23 23:51:10