• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

たぁのすけのブログ一覧

2006年12月23日 イイね!

あの日、彼は最終コーナーで佇んでいた

あの日、彼は最終コーナーで佇んでいたディープのラストランを生で観るべく、既に800人以上の人が中山競馬場の正門前に並んでいるそうです。

ディープ狂想曲も、明日で終焉を迎えます。

月曜日から始めた



『印象に残った有馬記念ランキング』



ついに第1位の発表です。




『サクラスターオー』





(第32回 1987年)



です。


当時、オイラは11歳でした。オヤジに競馬に連れて行ってもらうようになって2年くらい経って、少しずつ好きな馬ができはじめた頃です。



ちなみに当時好きだった馬はダイナアクトレス。名前もステキだな~って思っていたのと切れ味鋭い追い込みに



『届くんか?』



ってドキドキしたものです。



実はサクラスターオーの名前は、有馬記念でのアクシデントで知ったのです。
彼は2週目の勝負所の第4コーナーで、穴ぼこに脚をとられ故障を発生、競争を中止したのです。



今でも、黄昏の中山競馬場の第4コーナーでポツンと佇んでいる、サクラスターオーの姿をハッキリと覚えています。



故障は右前けいじん帯断裂、第一、第二指関節脱臼で、通常なら安楽死処分がとられるほどの重症でした。



しかし、その年に皐月賞と菊花賞を制し、名馬の仲間入りをしていた彼を競走馬としては無理でも種牡馬としての道を残そうということで、手術を行い延命措置が取られました。



結果論になりますが、この措置によって彼は辛い辛い闘病生活を送ることになるのです。



当時、オイラは競走馬にとって『骨折』というものが、どういうことかという事を全く理解していませんでした。だから、



『手術してくっついたら大丈夫だ』



と簡単に考えていました。



競走馬にとって『骨折』というのは、もちろん程度の差がありますが命に関わるとっても大きな怪我です。
馬は500キロもある体を、4本の『指』で支えています(脚ではありません)。



長い進化の歴史の中で、肉食動物から逃げる為に速く走ることが出来るよう、つま先立ちから3本指で立つようになり、最終的には現在の1本指で立つ形になったのです。



当時は、スポーツ新聞もとっていたため、毎日食い入るようにスターオーの病状を伝える記事を読んでいました。



毎日、毎日、スターオーが助かって欲しいと一心に願っていました。



しかし、彼は怪我から137日後、天に召されました。



手術は成功し、順調に快方に向かってましたが、蹄葉炎という蹄が腐る病気に罹り、安楽死処分がとられたのでした(ちなみに蹄葉炎は物凄く苦痛を伴うらしいです)。



泣きました。



スターオーの最期を伝える記事を読んだ時、涙が止まりませんでした。



オイラはこれをきっかけに、動物を関わる仕事をしようと心に決めたのです。
結果的には安楽死というものを受け入れることが出来ず(もちろん能力も努力も足りなかったが)、獣医にはなれませんでしたが、日本で唯一の家畜の管理全般に関わる事が勉強が出来る大学に進学しました。


その後、紆余曲折を経て現在は団体職員をやっているのですが、競走馬とは関係が無い(農畜産業という大きな括りでは関わっているが)仕事をやっているのですが、それもこれもサクラスターオーの事がなかったら、今、ここにはいなかったと思います。


スターオーが名馬だったかどうかは、わかりません。けど、オイラの人生に最も大きな影響を与えた事は確かです。


来年、暖かくなったら、スターオーに会いに行こうと思います。


ホントはもっと、もっと書きたかったのですが、気持ちが抑えきれなくなるので止めます。


サクラスターオーは、オイラの有馬記念ランキング、第1位の名馬です。
Posted at 2006/12/23 23:51:10 | コメント(1) | トラックバック(0) | 競馬 | 日記
2006年12月22日 イイね!

隠された真の実力が解き放たれた瞬間

隠された真の実力が解き放たれた瞬間いよいよラストランまで3日

普段は競馬の『ケ』の字も言わない、お堅いニュース番組がディープのラストランをニュースとして取り上げ、今年注目を浴びた著名人も、『オレはディープと兄弟分』などと、血迷った発言するくらい、ディープのラストランに向け日本中のボルテージが上がってきていることを感じます。


しかし、日本のマスコミは一体いつになったら真実を伝えることが出来るのか?


おっと!話が脱線しました。ついに残り2頭となった


『印象に残った有馬記念ランキング』



第2位の発表です。




『シンボリクリスエス』




(第47回 2002年 第48回 2003年)



です。



シンボリクリスエスは、4歳時(現在の表記では3歳)に天皇賞・秋と有馬記念を制したほか、ダービー2着、ジャパンカップ3着という立派な成績をおさめ、年度代表馬に選ばれていますが、今回取り上げるのは2度目の有馬記念制覇の方です。



1年目の勝利は、天皇賞・秋、ジャパンカップが東京競馬場の改装の為、中山競馬場での開催となった事、斤量も軽かった上に相手関係に恵まれた事もあって、なかなか実力を認められていなかったように思います(5歳緒戦となった宝塚記念でも惨敗してるし)。



しかし、オイラは実はダービーの時からその素質に注目していたので、実力が開花し活躍した事を非常に嬉しく思っていました(宝塚記念の惨敗には納得がいかないが)。



5歳の宝塚記念に惨敗した後、新装なった東京競馬場での天皇賞・秋を見事勝ち、天皇賞・秋連覇を果たし、前年3着に敗退したジャパンカップに挑みます。しかし、道悪だった事も災いし、タップダンスシチーにジャパンカップ史上最高となる9馬身差をつけられるという屈辱の敗北を喫しました。



そして、引退レースとなった有馬記念。ラストランということもあってなのでしょうか?究極の仕上げで臨んできました。



そして、今までのレースで派手な勝ち方をしたことがなかったクリスエスですが、ディープインパクトを凌駕する圧倒的なパフォーマンスを披露したのです。



道中は真ん中より前でレースを進め4コーナでは2番手、直線手前では早くも先頭に立ち、後続を引き離しにかかります。そしてここからが圧巻でした。



鞍上のO・ペリエ騎手はクリスエスの隠されていた真の力を解放するかのように、緩める事無く手綱をしごきます。



直線では後続を一方的に突き放す、ワンサイドゲーム。
他の馬は全てシンボリクリスエスの強さだけを際立たせる、脇役でしかありませんでした。



2着のリンカーンにつけた着差は、ジャパンカップのときと同じ




9馬身!



まさに、王者の底力、プライドをまざまざと見せ付けられたレースでした。



圧倒的な差をつけての勝利は、誰にでも分かりやすく強さをアピールできます。
シンボリクリスエスは、最後に相手よりほんの少し前に出て結果勝てばよくて、無駄な体力は消耗しないというスタイルなのかな?(名馬シンザンのような)と思っていました。



ただ、最後に



『本当に強いのは、誰なのか?』




『本当の力を示せば、誰も敵わない』



という事を見せ付けられたことで、大きく印象が変わりました。



ラストランで魅せた真の能力、その圧倒的なパフォーマンスに強烈に痺れた、という事で感動したオグリ、テイオーを抑えてのランク入りなんです。



GⅠも4勝してますし、戦績的にも十分に名馬足りえるモノを持っているシンボリクリスエスですが、ラストランのパフォーマンスから世代を超えても彼の強さは十分に通用すると思います。



シンボリクリスエスはオイラの有馬記念ランキング、第2位の名馬です。


明日は、いよいよ第1位の発表です。1位の馬はオイラの人生に最も大きな影響を与えた1頭です。大袈裟ではなく、彼が居なかったら、若しくは彼の競走馬人生がもっと別な形なら今のオイラがなかったと思います(進学にも大きく影響を与えましたから)。



オグリキャップより更に前の、オイラが小学生だった頃の話です。実は彼の事を書きたくてこのランキングを始めたんです。



ちょっと、気持ちを整理しないと上手く書けないや。。。
Posted at 2006/12/22 16:21:21 | コメント(1) | トラックバック(0) | 競馬 | 日記
2006年12月21日 イイね!

帝王は皇帝を超えたか?

帝王は皇帝を超えたか?遂にトップ3の発表までこぎつけましたオイラの








『印象に残った有馬記念ランキング』



第3位の発表です。





『トウカイテイオー』




(第38回 1993年)



です。


まず、ブログの標題ですが、アレはJRAの『サラブレッドヒーロー列伝』ちうシリーズのポスターのキャッチをパクっちゃいました。ごめんちょ。


このシリーズのポスター



めっちゃカッコイイ



んですよ。



もうね、見る度に



『ホスイィィィ!!』



って思うんですが、これ『非売品』なんですよね~。



売ってくれよ~JRAさん



さて、話を本題に。。。
ご存知の通り、トウカイテイオーは史上初の無敗の3冠馬であり、GⅠ7勝という金字塔を打ちたてた、皇帝‐シンボリルドルフの初年度産駒であり、無敗の2冠馬です。



この年の有馬記念には、骨折による1年にも及ぶ長期休養明けで出走しました。そう、有馬記念の前走は有馬記念(この時は11着。スタート直後にトモ(馬のお尻から脚にかけての部分をこう呼ぶ)を滑らせた上に、他の馬と接触したことで全くレースにならなかった)だったのです。



1年ぶりの出走ということもあって、4番人気で迎えたレース。1番人気は、クラシック戦線を3強の一角として盛り上げてきた、菊花賞馬ビワハヤヒデ。この他にも、柴田政人騎手(現在は調教師)に悲願のダービー制覇をプレゼントしたウイニングチケットや、2冠牝馬のベガ、ジャパンカップを制したレガシーワールド、テイオーの1つ下でミホノブルボンの3冠やメジロマックイーンの天皇賞3連覇を阻止した、関東の黒い刺客ライスシャワーなど、そうそうたる顔ぶれが名を連ねていたのです。



レースは、1番人気のビワハヤヒデが好位から自ら動いて先行馬を競り落とし、直線を力強く抜け出す勝ちパターンに持ち込もうとした矢先、トウカイテイオーが外から末脚を伸ばして並びかけます。そのままマッチレースとなり半馬身交わしたところがゴールでした。



1年という長期にわたる休養明けでしかも復帰戦がいきなりGⅠという、常識と言う物差しで図れば、勝つことはとても困難な条件でしたが、それをものともせずに撥ね退け自らの力で栄光を掴み、前年の惨敗によって傷ついたプライドを見事に取り戻したのです。



テレビで観戦していたオイラは、マッチレースになった瞬間からテイオーの名前を叫び続けました。勝った時は嬉しくて嬉しくて。。。



オグリキャップの奇跡のラストランの時と同様に、感動のあまり泣きました。



そして、鞍上の田原成貴騎手が人目をはばかる事無く、大粒の涙を流している姿を見て更にもらい泣き。



丁度、3年前のオグリの時と同様、中山競馬場の大観衆が一斉に



『テイオー!テイオー!』



とテイオーコールをするなかでのウイニングランはホントに感動したし、カッコよかったな~。


トウカイテイオーの競走生活は、幾度もの骨折によるケガとの闘いでもありました。しかし、関係者の不屈の闘志となによりもテイオー自身の闘志が、有馬記念の激走になった事は間違いないです。


テイオーからも



あきらめない気持ち



を貰いました。


余談ですが、人生で始めて買った写真集がトウカイテイオーのものです。二風谷の育成時代や鹿児島県で怪我の療養中の写真などが収められており、オイラの大事な宝物です。


そういえば、最近開いてないな~。今日あたり、帰って見なおそうっと。



トウカイテイオーはオイラの有馬記念ランキング、第3位の名馬です。
Posted at 2006/12/21 18:51:45 | コメント(1) | トラックバック(0) | 競馬 | 日記
2006年12月20日 イイね!

そして伝説へ・・・。

そして伝説へ・・・。奇跡的に3日続いています、オイラの独断と偏見による









『印象に残っている有馬記念ランキング』



第4位の発表です。



ドドーン!!



『オグリキャップ』


(第32回 1990年)


です。


いやね、もうなんか、彼に関しては説明不要ですよ、はい。

競馬という『ギャンブル』を『スポーツ』に昇華させたのは、間違いなく彼の功績によるところが大きいと思います。

オグリキャップを取り巻いた、あの熱狂の渦がなければディープインパクトの活躍も今ほど注目されなかったと思いますし、現在の状況の下地を作り上げたのは間違いなくオグリキャップです。

ホント、JRAは彼の功績を称えて銅像の1個や2個建てたってバチは当たらないはず。


オグリキャップが現役で走ってた頃のウインズ(ちなみにオイラは当時小学生)は、オッサン&オバサンしかおらず、若いカップル(もはや死語か?)なんて、見たことなかったもんな~。

若いコっていうより親に連れて来られた子供達なら居たけど (笑


まあ、オイラも最初は親に連れられていってた場所でしたし。。。



『タバコくせ~場所だな~』



くらいにしか思ってなかったし。。。


さらに今だから白状しますが、ウインズのあの建物の中で馬が走っていると本気で信じてましたから!!



『随分狭いトコ走らされて馬ってかわいそうだな~』



って真剣に思ってましたから!!!



まあ、そんな昔話はさておき・・・。


この年のオグリキャップは天皇賞・秋、ジャパンカップと走るたびに着順を落としており、戦前もすでに『燃え尽きた』と評されていました。


そんな中、有終の美を飾るべく起死回生の一手として、鞍上に武豊騎手を迎えます。武豊騎手は以前にオグリに騎乗して安田記念を制しており、オグリを復活させることが出来るのは彼しかいない、と白羽の矢が立ったのです。

レースそのものは好位から直線抜け出して見事、有終の美を飾ります。実際に調子は良くなかったようですが、苦手だった手前の替えるタイミングを直線まで遅らせる等、天才の手腕によってあの奇跡のラストランを生み出されたのです。



武豊騎手は安田記念で騎乗する前にテレビ番組の中で



『オグリは何考えているのか、さっぱりわからない』




と発言していましたが、ちゃんとオグリの特徴を掴み、見事にエスコートしたのですからやはり凄いとしか言いようがありません。


オイラはこのレースを家のテレビで観ていましたが、感動して泣きました。


オグリキャップは、どんなに苦しくても最後まであきらめなければ道は開けるということをオイラに教えてくれた、人生の師(大げさ!)でもあります。
ウイニングランで中山競馬場の10万人を優に越える大観衆が




『オグリ!オグリ!』




とオグリコールをする中、悠然と戻ってくるオグリキャップと武豊騎手の姿が今でもはっきりと瞼に焼き付いています。


それくらい当時小学生だったオイラにとっては印象的なレースだったのです。


オイラに人生の哲学を身をもって教えてくれた事、そして今日の『競馬はスポーツ』という概念の基礎を作ったという点でランク入りです。

他にも、故大川慶二郎氏が



『ライアン!ライアン!!』



とメジロライアンを応援する声が実況と共に流れたとかっていうエピソードもありますが、それはまた別の機会に(←多分ないな)

オグリキャップはオイラの有馬記念ランキング、第4位の名馬です。
Posted at 2006/12/20 17:05:11 | コメント(2) | トラックバック(0) | 競馬 | 日記
2006年12月19日 イイね!

史上初!年間グランドスラムの達成

史上初!年間グランドスラムの達成日曜日のハンドボールの練習で3年ぶりくらいに捻挫をしまして、『びっこ』を引きながら仕事をしている、たぁです。


お早うございます♪



さて、昨日から始まった勝手な企画



『印象に残っている有馬記念ランキング』



第5位の発表です。




バラバラバラバラバラバン!!



『テイエムオペラオー』



(第45回 2000年)



です。


実は第6位のスペシャルウィーク(第44回 1989年)が2着に敗れた時の3着が彼だったりします。


この年の皐月賞馬であり、菊花賞でナリタトップロードに負けた後、ステイヤーズSでもよもやの2着に負け、人気を落としての参戦でした。


結果として善戦したといえば聞こえはいいのですが、この2強に食い下がった競馬をしたことで、翌年の大活躍を予感させるものであったか?と言われれば



『?』



ってのが、オイラの正直な感想。


しかし、翌年のテイエムオペラオーは春の阪神大賞典を皮切りに、出走したレース全てで勝利を収めます。


史上3頭目の天皇賞春秋連覇(ちなみに1頭目はタマモクロス、2頭目はスペシャルウィーク)、重賞の連勝記録などなど。。。


そして暮れの総決算、有馬記念で勝利すると史上初の古馬中長距離GⅠ完全制覇!


そう!前年にスペシャルウィークがなし得なかった、秋の古馬GⅠ王道路線制覇による



2億円!の忘茄子



を掛けて、グランプリのゲートは開いたのであります。



だがしかし!



この年のレースでは、好位から抜け出すという全く危なげのないレース運びをしてきた彼ですが、グランドスラムのかかったこのレースで最大の試練が待ち構えていました。


道中は、中段で競馬を進めるオペラオー。4コーナーでは未だ馬群の中で、四方を囲まれてしまい、外に出すことも出来ずスパートが出来ません。先頭との差はひらくばかり・・・。



中山競馬場の短い直線で果たして届くのか?!



無理だ~!!



観客の歓声が悲鳴に変わり、誰もがオペラオーの敗北とグランドスラムの夢が消えると確信した瞬間、ドラマは始まりました。



直線に向くとオペラオーは距離でロスを生じる大外ではなく、ごちゃついている内の馬群に向けてスパートします。


まるで、オペラオー自身がスペースの開くことを予期していたかのように、馬群を



右に左に



猛然と突き進むオペラオー。



まさに神がかり的としか言いようがない、奇跡の追い込みで前を捉え見事、優勝しました。



それまでの勝ったレースはどれもそつなく好位から抜け出すという面白みのない競馬をしてきた彼ですが(ちなみに同じ中山競馬場で開かれた皐月賞は、後方一気の追い込みを決めている)、この有馬記念だけは違っていました。



その後のインタビューで和田竜二騎手が



『オペラオーが自ら空いたスペースに突っ込んでいった。ただ乗っているだけだった』



と皇帝シンボリルドルフを髣髴させるようなコメント。



まさに



最強馬ここにあり!



という存在感を圧倒的な競馬で示した、素晴らしいレースであったと思います。



感動というファクターはちょっと薄いですが、競馬の醍醐味を大一番で魅せたという点で、このレースはランキング入りです。



ディープのように直線を一方的に突き放すという競馬も『強い馬の強い競馬』だと思いますが、このレースも強い馬が強い競馬をして『魅せた』レースだと思います。




テイエムオペラオーは、オイラの有馬記念ランキング、第5位の名馬です。
Posted at 2006/12/19 10:41:14 | コメント(1) | トラックバック(0) | 競馬 | 日記

プロフィール

「ネットで、競馬の情報収集♪」
何シテル?   03/22 22:43
北海道札幌近郊の田園地帯に生息しています。 08年6月22日に入籍。 直前にオメデタが発覚!! 09年1月10日 無事に娘の鈴音(すずね)を授かりま...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/12 >>

 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   

リンク・クリップ

CUSCO Japan co.,ltd 
カテゴリ:レガシィ
2007/01/05 13:19:24
 
SUBARU TECNICA INTERNATIONAL Official Site 
カテゴリ:レガシィ
2007/01/05 13:12:20
 
SUBARU オフィシャルWEBサイト 
カテゴリ:レガシィ
2007/01/05 13:09:32
 

愛車一覧

ダイハツ タント ダイハツ タント
この度、結婚を機に、レガシィをドナドナして相方のタント1台にしました。 バレないように ...
スバル レガシィツーリングワゴン スバル レガシィツーリングワゴン
我が人生2機目の愛機です。社会人になって程なくして乗り換えました。約4年間、苦楽を共にし ...
スバル レガシィツーリングワゴン スバル レガシィツーリングワゴン
画像は、BPの納車時のものです。我が人生、3機目の愛機です。 納車日:2004/7/14 ...

過去のブログ

2009年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2008年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2007年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2006年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation