
こんばんは。今日は急に気温が上がって少し暑いくらいの気候でした。
昨日の夜ですが今更ながら.伝説のF1レーサー、アイルトン・セナの映画を観ました。
6年前の映画ですが、この時は生誕50周年だったんですね。
セナの訃報があったとき、まだ幼児だったので彼の伝説たる功績についてはよく知らなかったのですが、昨日たまたま見る機会があり知ることができました。
ドキュメンタリー映画でしたので当時の様子がそのまま映し出されておりセナのレーサー人生を知るにあたってわかりやすい映画でした。
かつてのF1は電子制御がなく、ドライバーの手腕の見せどころでもありました。それがレースに大きな展開をもたらし、その様子に観客は一喜一憂し白熱しました。
今のレーシングドライバーももちろん世界のトップたる技術を持っていますが、今のレースは言うなればひたすらに速さを追い求める「コンマ秒との.闘い」で、70、80年代は暴れまわる凶暴なマシンをねじ伏せて、襲い掛かられないギリギリのところで駆るという「マシンとドライバーとの闘い」でもあったのではないでしょうか。世界の精鋭たるパワーとタフネスでF1を盛り上げていたんですね。
また時により様相を変える天候にも対応しなければならず、今よりナーバスなマシンをなだめるのには相当の集中力を必要としたことでしょう。
「セナ足」と呼ばれる秒間のアクセルワークや雨天でのずば抜けた速さも、そうしたマシンとの闘いだったのだと思います。
ウィリアムズ所属時代に一時電子制御が導入されたものの、レースのあり方に葛藤したというのも頷けますね。
純粋なレースを楽しんでいたカート時代と、ビッグビジネスだとして背後にさまざまなしがらみが蠢いているF1、どちらも1位になることに皆が命を懸けて戦っているのに、レースだけでは割り切れない思惑に反発し孤軍奮闘する姿もありました。
時にはチームメイトとも、そんなやり取りがありました。
賢く立ち回るプロスト選手(当時であれば、ずる賢くすら見えたかもしれません)、私には根っからの悪者には見えませんでした。
この二人の対立はF1の人気を更にあおり、それすらビジネスチャンスとなってしまいました。
セナとプロスト、本当はプロ然として交流し、プロストがF1を去った後もやり取りをしていたとか。
本当に純粋で、真摯なレーサーだったのですね。
F1で3度のワールドチャンピオンに輝き、ブラジルの英雄となった彼は1994年のサンマリノグランプリにて、34歳の若さで早世してしまいました。
それでもレースに注いだ情熱やピュアなレースを望む姿はまぎれもなくレース界において伝説になり、そういった意味では永遠の命を手に入れたのかもしれません。
F1の世界はどうしてもお金とは縁を切れない、深い闇と同じだけの輝きのある世界だと思います。
始めはがむしゃらにピュアなレースを追い求めていたセナも、F1のそうした一面も受け入れて、それでもなおF1を愛しました。
セナの遺した「レースの本当の楽しさ」を引き継いでいってほしいですね。
セナのおかげで、これからはF1がより楽しめそうです!
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カーライフ★CAR LIFE | クルマ
Posted at
2016/04/18 19:06:31