
うちの母が、長い入院生活からグループホームへと引っ越しました。
元はといえば原因は7~8年前の交通事故でした。
実家の近所のスーパーに買い物に行く際に、そのスーパー前の横断歩道を横断中に、右折してきた軽トラックに撥ねられたのです。
当時まだ東京に住んでいた僕は、東京から数日間の予定で実家に戻ったばかりで、その時たまたまシャワーを浴びていた僕は、玄関に近所のオバさんが母が事故にあったことを教えに来てくれて、慌てて着る物もそこそこに現場へと駆けつけました。すでに母は救急車に乗せられ応急処置を施されているところでした。もちろんそのまま僕も救急車に同乗し、救急病院へと向かいました。母は右の耳から血を出した状態で意識モウロウとしていたのですが、CT等の精密検査の結果、前頭葉部の脳挫傷と耳の後ろ辺りの頭蓋の陥没骨折・・・。耳からの出血はそのせいでした。
幸い命に別状は無かったものの、2日後に意識を取り戻した母は、面会した父を前にして「どちら様でしょうか?・・・」。僕のことはかろうじて何秒か顔をじっと見つめた挙句「○○○?」と正しい僕の名前を口にしました。父はもちろんショックを受けていました。やはり[母親]という生き物にとって、血のつながった、自分の腹を痛めて産んだ子のほうが、元々他人だった旦那のことより強い存在なのでしょうかねぇ?(苦笑)
その後、後遺症として記憶傷害(いわゆる認知症)が残ってしまい、また感情のコントロールをつかさどる前頭葉に障害の残った母は、ちょっとしたことですぐに怒って看護師さんとはすぐに喧嘩しては、何回か転院をよぎなくされましたが、ここ1~2年は随分と落ち着いてはいたのですが、それでも普通の病院の看護師さんは、やはり認知症の患者の扱いは正直[ど下手]です。あまりにも勉強不足ですね。まあうちの母の態度もそりゃ腹も立つような憎まれ口をたたくのですが、そうなるのは認知症だからなのですが・・・。
で、その勉強不足は棚に上げて、とうとう看護師達が音を上げたらしく、系列のグループホームに移って欲しいと、半年前にケースワーカーさんからお話があり、部屋が空くのを半年待って、いよいよ引っ越すことになりました。
病院の狭い相部屋の病室に比べると、個室で我が家のように使えるグループホームは、比較にならないくらい快適で、職員さんも認知症患者のことをよく勉強されてるし、扱い方もよく訓練されていて、気難しい母とも、今のところ上手くコミュニケーションを取ってくださっています。感謝です。
そんな母が、今日僕が様子を見に行った際、突然、
「いつもいっしょに連れてくる彼女とは、結婚せんとね?」
と僕に訊いてきました。カミサンの事です。結婚してもう5年も経つのに・・・。
僕「結婚しとるよ。もう5年も経つよ・・・」
母「そうね?そんならなんで一緒に暮らさんと?」
僕「一緒に住んどるよ!」
母「あら、結婚式はせんやったと?」
僕「したよ!そこに飾っとる写真は結婚式の時の写真たい!」
僕らの結婚式にはもちろん母は出席できなかったのですが、理解できるようにと、当時結婚式の時の写真と、婚姻届のコピーを渡してはいたのですが・・・すっかり忘れていたようです(笑)
その後、普段はボーっとしてあまり話しをしないのに、今日は突然、結婚論をものすごく的を得た内容で語り始めました。いつもは覇気も無く、食事を摂ったことすら忘れて「あたしゃ晩御飯は食べたかな?」なんて言ってる母に、なんか今日は久しぶりに【親】を感じれてちょっと嬉しかったです。
「そうやね。」って相槌打ちながら母の話を黙って聞きました。
*画像はそのグループホームの母の部屋からみた長崎市街の夕景。なかなかキレイです♪
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2006/06/01 23:57:41