
てぃーす(/・・)Aguruっすぅ
今日はオイラが毎月読んでいる
JK誌(日本で唯一のKart専門雑誌JapanKart)08’12月号に載っていた
記事について書こうかと・・・
この話は通称ロングさんと呼ばれる長井 敏樹氏が書いているコーナーにあったのですが
知らなかったので「へぇ~」となった次第です
ちょっと長いので、少し文章を変え&データを修正して、さらに短くして紹介します。
それでも・・・長くなってしまったんですが(^^ゞ
※写真はウィキより
イタリア艇「マッキC72」
正式名称を
シュナイダートロフィーコンテストと呼ばれる、フランスの富豪ジャック・シュナイダーが
企画発足した水上機によるスピード競技大会は、自動車レースに大きな影響を与えたとの事です。
この水上機によるスピード競技大会は、自動車レースの原型もない1913年に始まり、
第一次大戦を挟んで1931年まで行われていました。
3角形の150海里(約300km.)のコースを飛んだ平均速度をもとに勝負するのですが
国家的規模の予算が必要な大がかりなレースで、ルールの一つに
優勝チーム(国)は次回開催地の決定権をもち、また5年間のうち3回優勝すればシュナイダーカップを
永久に保持できるというユニークなものでした。
予選~決勝のシステムで、「レギュレーション」もきっちり存在していました。
初回と第2回はモナコで開催されるなど、現在のレースの形式とよく似た所が多く有り、
現在のF1の前身のような存在だったと言えそうです。
第1回大会はフランス、第2回はイギリスが優勝し、第一次大戦を挟んで第3回は1919年、
イギリスがトラブルでリタイヤ、イタリアは飛ぶだけで良かったが、予備の標識灯を誤認してコースミスをして失格。
もっとも、見える位置に予備灯を置いていた主催者(イギリス)に問題があったのがケチのつき始め。
第4回~5回大会はイタリアが連続優勝だった為、シュナイダーカップはイタリアの物だったとの意見も・・・
第6回、3勝まで後一歩のイタリアを止めたのが、よりにもよってイギリスの「スーパーマリン」だった。
1923年の第7回にはついにアメリカが参戦、送り込まれたのは「アメリカ海軍チーム」と水上機「カーチス」
これが前年の速度記録を50キロも上回る圧倒的な速さで優勝した。
所がこれに「大人気ないぞ」とヨーロッパの市民は猛反発!(笑)
そこでアメリカは「開発が大変だから、以後隔年開催にしましょう」と提案して、これ以降は隔年開催となる。
イタリアもイギリスも「打倒アメリカ」で必勝を期して臨んだ2年後の第8回
が、結果はアメリカ優勝。
なんか、これと似たような事がF1で有りませんでしたか?
1988年ホンダエンジンがF1で16戦/15勝したときに、「おまえらやり過ぎだ!」とヨーロッパ人が反発しました
65年も前に似たような事があったんですねぇ(笑)
ちなみにヨーロッパ人が「F1パイロット」と呼ぶのは、この時代が起源だという説があります。
↑は筆者の言葉っすぅ~
アメリカが「カーチス」をパワーアップし、必勝態勢で臨んだ第9回。
アメリカの3回目の優勝を阻止するべく当事のイタリア政権首相のムッソリーニは
「いかなる困難にも打ち勝ち、トロフィーを持ち帰れ」と国家プロジェクトとして機体を作成させた
「カーチス」を研究し尽くして開発された「
マッキM39」と完全レース用エンジン「フォルゴーレ」を登場させた。
「マッキM39」は期待に答え見事に優勝。
これ・・・凄いですよね・・・筆者も本文で書いていますが
今の時代なら麻生総理がF1で、「世界チャンピオンを取って来い」って言ってF1マシンを国家プロジェクトで
作っちゃうって事でしょ?かなり、アホっす。
上記の事が今のF1で言うフェラーリファン「ティフォッシ」(熱狂的ファン・サポーターの意味)の元祖
であると言われているそうです。(知りませんでした・・・)
この頃のシュナイダーカップ参戦機は当事の量産戦闘機の3倍に匹敵する最高出力を誇るエンジンを載せ
200km/hも最高速度が速いという超モンスターマシンでした。
さて・・・レースの方は
この後、フランスは撤退、アメリカも世界恐慌の煽りで撤退
でイタリアとイギリスの一騎打ちに・・・第10回、11回とイギリスが「ロールスロイス」製エンジンで連勝
1931年、第12回大会ではついにイタリアの究極のレーサー「マッキC72」を投入!!
が・・・イタリア艇の製作が間に合わず・・・
イギリスの2300馬力の「スーパーマリンS6B」は100万人の観衆の目の前を飛行して優勝(平均速度547km/h)
こうして、シュナイダーカップは永遠にイギリスの物になった・・・
ただ、イタリア国民としては、レースに負けた訳でも無く、1919年の第3回大会の標識事件もあり
納得の行くものでは有りませんでした。
その後、完成された「マッキC72」は5年間破られなかった最高時速709Km/hを樹立
なんとこの記録、フロートを持たない飛行機の時代になってもなかなか破られなかったのである
シュナイダーカップ機の記録を打ち破るには、
ターボプロップエンジン(ガスタービンのジェット推力でプロペラを回す内燃機関)でないと出せないとも言われていた
レシプロエンジンの記録として、いかに凄いのか想像がつくだろう。
※ちなみ、2008年現在、レシプロ機での最高速度記録はF8Fからレーサーに改造された
「Rare Bear」が1989年に樹立した850km/h(528mph)である。
さて・・・ここで現代のF1と例えてみよう
ウイリアムズのナイジェル・マンセル(英)がワールドチャンピオンに何度も成りかけながら
終盤に他のチームに有利と見られる裁定が下され、彼はなかなかチャンピンに成れなかった
チャンピオンになったのはキャリアも終盤の1度だけ
2008年の現在もイギリス人以外は、総てハミルトンのライバル、フェラーリびいきな雰囲気が漂っています
と、いうのもこのシュナイダーカップの終わり方に端を発していると・・・思わない?
↑は記事の筆者の意見でオイラじゃ有りません<(_ _)>
さてさて・・・ことモータースポーツに関しては日本よりヨーロッパの方が歴史が深いのですが
なんか、壮大って言うか、実は人間は成長してない??みたいな(笑)
ちょっと、興味深かったんで紹介しましたぁ~