
今月の D/DEVIL の活動は、お台場の MEGA WEB へ行く。

ちょうどイベントがやっており、デモランは トヨタ・スポーツ 800(ヨタハチ)、トヨタ・2000GT、AE86、

そして 86 が走るという夢あふれるものだった。
動画は
こちら。

自分が考えるスポーツカーの定義というものはいくつかあるのだが、
ひとつに、スポーツカーというものは存在そのものが自動車の夢を体現していなければならない、というものがある。

立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花――
停まっていて美しい、走ってカッコいい、クラッシュして「やっぱりな」というwww
最後は冗談だがw

どんなに自動車に興味がない人に対しても、
一見して普通の乗用車とは違う、スポーツカーだと思わせる存在感。
これが必要だと思っている。
そういうクルマはいくつかあるが、それは圧倒的なアイデンティティとも言えるだろう。

日本の自動車の歴史を振り返ってみると、自動車は工業製品として正常進化してきた。
そこにはデータに裏付けされた確証からトライ&エラーでネガティブな部分を消し、
モデルチェンジを繰り返していく。
そして、"Japan as Number One" の地位を確立した。
正しい進化だ。

確かに日本車は素晴らしい。
故障はしないし、細かい部分まで気が使われているし、それでいて価格も抑えられている。

しかし、MEGA WEB に展示してあった 100 万円から 1000 万円の車を一気に乗って (座って) みて、
個人的に思ったことがあった。
あまりにどれも同じで、個性がないのだ (ここに置いてある自動車だけだという話かもしれないが)。
どれも「移動する部屋」になっていて、自動車を走らせる歓びがなさそうだった。
スポーツ性というのは、スポーティーなパーツをくっつければ OK という単純な話ではない。

こんなのだから、買う側も今は特に値段でしか自動車を見なくなってしまった。
言ってみれば、ワンルームを借りるのか、2DDKを借りるのか、戸建てを建てるのか、そんな感覚に近い。
もちろん、企業としては結果を出しているし、そういう消費者が多いというのも理解はしている。

自動車を所有することは、
自分の力で好きな場所へ移動できる自由の翼を持つこと。
自己表現であると思う。
私は、そこに移動手段として以上の意味を持っているから自動車を所有し続けているし、
あえてスポーツカーに乗り続けている。

自分のセリカも、あと 30 年も経てば、懐かしさとともに走っているのかな。
大量生産・大量消費だけではなく、
半世紀経っても愛される自動車を、たくさん作っていってもらいたいね。
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Posted at 2013/02/13 21:33:51 | |
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