救急救命病棟には本当に、毎日時間を問わず患者が運ばれてくる。
しかし病棟に上がってこられるのは、運ばれる人の内10人に1人位・・・
大半はICUまで・・・若しくは確認作業で終わってしまう。
ある日眠れないのでいつものように喫煙所でタバコを吸っていた。
喉も渇いたので、ナースセンターに寄ってから自販機のある1号棟(外来病棟)に行こうとしたら、
看護婦さんが「今は行かない方が良いと思うんだけど・・・気をしっかり持って行きなさいね!」
って意味不明・・・
私は救急病棟の3階に入院していた。
2号棟に行くには2階にEVでおり、太鼓橋を渡ってまたEVに乗って1階へ降り、1号棟へ向かう。
救急病棟の2階はオペ室がある。1階は急命の処置室。
で2号棟の地下3階(EVの表示はB2Fまで)は霊安室と損傷の激しい場合の形成処置室がある。
私が2号棟の2階でEVを待っていると、救急病棟の方からストレッチャーの音が聞こえてきた。
交通事故で運ばれたが、手の施しようのない方が2号棟地下3階へ向かって・・・
車椅子に座った状態の目線って、ストレッチャーの高さなんですよね・・・
時間も時間なので患者が居るとは思っていなかったようで、シーツも何もかかっていなかった。
かなり酷い事故のようで、男女の区別も年齢も想像できないくらいでした・・・
当然私は手を合わせて、ストレッチャーを先に行かせました。
時間も時間だし、廊下には転々と血の跡もあるし、2号棟の病室側のEVまで周り
1階に下りて、1号棟へ・・・
帰りも同じルートで戻りましたが、救急病棟に戻ったらEVを掃除していて1Fに降りたまま。
病室に戻れない(笑)
なるほど!看護婦が言っていたのはこういう事だったのか・・・
時既に遅し!(笑)
2号棟に戻り、1階へ下りて警備室から外に出して貰い、救急救命の入口そばの喫煙所に車椅子を止め、
先程買ったジュースを飲みながらタバコを吸って時間を潰した。
入口からご家族の泣き声が聞こえる。
自分の時はどうだったんだろう?と考えていると一人のおばさんが話し掛けてきた。
満太郎さん元気になったね!って・・・
誰だろう?と思っていたら、私と同じ日ほぼ同じ時間に息子さんが搬入されたみたいで、
息子さんは命は取り留めたもののまだICUに入るらしい。
私がどうなったのか?ICUでも姿が見えなかったので看護婦さんに聞いたところ
救急病棟に移ったと聞いて安心してくれてたそうだ。
赤の他人だけど、自分の息子と同じ時に運ばれて、ある意味元気になったことを喜んでくれる人がいる。
正直嬉しいし、元気付けられる!
暫くおばさんと話し、警備員さんが「満太郎さん!エレベーター使えますよ!」って呼んでくれた。
時間はもう朝の4時・・・
ナースセンターに戻りましたと声を掛け、自分のベッドに戻りました。
が寝れない・・・ストレッチャーに乗っていた人の顔が浮かんでくる・・・
本当に毎日の様に人が亡くなる・・・
人の死には慣れることは出来ないが、生きている事への感謝の気持が大きくなっていく。
気のせいかも知れないが、病棟に上がって絶叫したとき、
母の顔が天井の隅に浮かんでた。
とても心配そうな顔をしてずっと見ていた・・・
3回目のモルヒネを打ち落ち着き始め、意識が遠退いて行くとき
安心して母の顔が微笑んでいたような感じがした。
なんで顔だけだったんだろう?
不思議に思っていたが、母は事故の外傷は殆ど無かったが、肩から胸・腹部にかけて
シートベルトの後がくっりりついていたと聞いて何となく顔だけしか見えなかった理由が
分かったような気がした。
また、父が「死んだじいちゃん何してたか知ってるか?」って突然聞いてきた。
物心ついたときには仕事してなかったから知るよしもないが、
追突してきた運送会社の役員だったらしい。
事故に遭う日の昼間にじいちゃんの墓参りに入った。
じいちゃんが誰かを呼んだんじゃないか?
もしかしたら御前だったけど、母ちゃんが代わりに逝ったんじゃないかって・・・
事故の事情聴取は病院で行った。
何度も高速隊が来ていたのは知っていたが、婦長さんが許可しなかった。
婦長さんなりに私の精神状況を見て判断していたのだろう。
ある日婦長さんが「高速隊から電話だけど出れる?」と聞いてきた。
婦長さんなりにもう大丈夫と判断したんだろう・・・
高速隊には事故の資料全部見せてくれと伝えた。
調書ではなく、現場写真を全部見せてくれと・・・
通常は見せてはいけないそうだが、特別にと・・・
事情聴取も当然の事ながら喫煙所(笑)
高速隊は約束通り写真を全て持ってきてくれた。
自分が車内に閉じ込められている所。
彼女が路側帯で泣いてる所。
私が搬出されてストレッチャーに乗せられる所。
母が閉じ込められている所・・・
母を救出してる所・・・
搬出される所・・・
本当によく助かったと思う。
不思議と悲しい身は沸いてこなかった。ただ込み上げてくるのは母への感謝の気持・・・
追突された場所から停車したところの場所を移した写真。
本当によく炎上しなかったと思う。
この写真は父も姉も見ていないそうだ。
喫煙所なので、他の患者も来るが、皆察知して近づかない。
高速隊の隊員は不思議なことを聞く。
自殺は考えられないか?って
助手席に乗っていて、事故にあったのに自殺?
まぁ、聞かなきゃいけないみたいですけどね・・・
前にも書いたが、運転席のスペースが残っていたのは説明が付く。
私が助かったのも運が良かったと一言で終わらせられる。
でも車が炎上しなかったことだけがどうしても説明できない・・・
最後に高速隊の人は
「誰か一人死ななければならなかったとしたら、お母さんが自ら犠牲になり、二人を助けた
としか考えられないのですが、調書には書けないので、炎上しなかった理由は不明とします。」
あ!でも私は決して宗教を信仰してるわけじゃない。
困ったときにしか神様には頼み事もしない(笑)
母が死んで、墓地を購入したときに初めて何宗か知った位だ。
でも事実は常識では説明の付かないこともあるんだって・・・
そう思わなきゃ割り切れないし、自分を納得させられないこともある・・・
私が小学校6年生の時に、いとこが交通事故で死んだ。
青信号で交叉点を渡っていたら左折してきた大型トラックに巻き込まれて・・・
そのときの運送会社は・・・・
私たちに追突した運送会社だった・・・