2009年07月13日
私の様に、一見障害者に見えないお父さんってどれくらい居るんだろう?
ふと。そう考えました。
私と同じように子供の運動会で、リレーに参加して転んで子供に大笑いされたり、
恥ずかしがれたり・・・そんな事が出来ずに悩んでるお父さんはどれだけいるだろう?
子供が友達に自慢できる様なお父さん・・・
「僕の・私のお父さんはサーキット走ったら皆のお父さんよりずっと早いんだよ!」
って子供が自慢できればお父さんも救われないか?
で、最初は私の様な人を対象に団体を立ち上げた。
団体を立ち上げ、様々な車関連の催しに出展して団体のアピールをした。
すると車椅子の方からの問い合わせがとても多く、障害の部位で活動を考えてはいけない!
でも自分で何が出来るだろう?
とにかく色々なイベントに顔を出す事しかない!
とにかく車のイベントにはあっちこっち出掛けた。
すると、障害者だけじゃなく、健常者の方も興味を持って色々話を聞いてきてくれる。
障害者が便利に乗れる車は、健常者も便利に乗れる!
特にオートクラッチはAT限定免許で乗れる。
奥さんがAT限定で、我慢してATに乗っている旦那さん・・・
もう我慢してATに乗る必要はない・・・
車椅子の方もMTに乗ることが可能だ。
しかしこういった事実を知る障害者は当時あまりにも少なく、Webで情報を流すことにした。
全メーカーの福祉車両カタログを取り寄せ、PDFにしてWebにアップ・・・
先ず障害者の方がカタログを取り寄せる手間を省いた。
また妖しげな団体に感じられては・・・と色んな人からメッセージをもらってWebで公開した。
そんな感じで活動していたら片山右京さんが連絡をくれた。
右京さんの主催するイベントに参加しないか?って・・・
勿論参加しました!
その後も積極的に活動はしましたが、個人の力では限界はあります。
様々な企業に協力を求めていきましたが、必ず出る言葉があります。
「偽善者と思われたくない・何か問題が起こったら企業イメージに傷が付くので、協力は出来ない。」
私がキムタクだったら(笑)どの企業も協力してくれるだろう・・・
それが現実。
でも私はキムタクじゃないし、キムタクにはなれない!(笑)
有名な方に応援して貰っていることをアピールするしかないと考え行動に移す。
何処かで有名な人に出会ったら話し掛け、メッセージを貰う。
しかし文章だけじゃ見方によったら私が勝手に作ってると思われるかも知れないので、
ビデオメッセージを集めることにした。
何年か過ぎ、自己資金だけでの活動に限界が・・・(笑)
活動も思うように出来ない。
でもそれまで出合った人たちとの繋がりは大切にしてきた。
今年、ラリードライバーの福永修氏と出合うことが出来た。
その方は私と同じように考え、それを実現した人・・・
目的は同じ!福永氏に無いものを私が持っていて、私にないモノを福永氏が持っている。
二人で力を合わせれば、もっと広がりが持てるのではないか?
そしてセーフティードライビングフェスタに加わることになった。
私自身7年間、団体を運営してきた。一時は諦めようとも思った。
でもやっと今年になって行政も耳を傾けてくれるようになった。
これが実現したら全国で初の試みとなる。
そして同時にセーフティードライビングフェスタに関しても海外のドライバーに参加を呼びかけているが、
今年のセーフティードライビングフェスタはボローニャモーターショーと日程が被る・・・
なので交渉は難航しているが、来年に向けて交渉は継続してる。
最初は小さな範囲で考えていた活動は、大きな広がりを持ち始めた。
でも企業からの協力はなかなか得られない。今こんな時代ですからね(笑)
でもこんな時代でも、障害者は日々増えているのは現実。
だから頑張って、断られても交渉は続けていかなければと思ってます。
以上が身体障害者モータースポーツ振興会を立ち上げた理由です。
じゃぁ、目指すところは何?と聞かれると目指すところはあまりにも多岐に渡り、
コレとはっきり言えないのが現状です。
でも現時点ではセーフティードライビングフェスタをより多くの地域で開催すること。
その為には今年なんとしても成功させなければなりません。
かなり厳しい状況ですが、とにかく頑張るしか無いんですよね・・・
Posted at 2009/07/13 14:15:43 | |
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2009年07月13日
私は何故、身体障害者モータースポーツ振興会を設立したのか?
小学生3年生の時、信号無視の車にはねられた。
でもかすり傷程度で済んだ。
小学校4年生の時、木登りしていて落下した。これもかすり傷程度だった。
高校生の頃、単車で時速100km/hでカッ飛んでいたら飛び出してきた車と衝突。
30m吹っ飛ばされた。この時は流石にかすり傷とはいかなかったが骨折はなかった。
この事故で免許取り消しとなった(笑)
大学に進み、普通車の免許を取った。
ラリーを始めた・・・
でもレースで食っていくという自身が無く、普通に就職した。
就職して2年で4代の車を全損させたが大きな怪我はない。
で最後の事故で障害者になった。
ただ普通に生活できるように!それだけを考え日々を過ごしていた。
結婚もした。子供も生まれた。しかし車好きは相変わらずだ(笑)
ある日離婚話する事になった。
まぁ理由はあえて述べないが、親権は私が持ち息子と父と愛犬プロスト・悟空との生活が始まった。
しかしそんな生活が始まってまもなく、父が末期癌で余命半年と・・・
父の介護と育児に追われる日々・・・
平成15年5月、父は息を引き取った・・・やっと母の所に行けた・・・
そして諸々落ち着いたとき、息子が小学生になるので1年間は育児に専念しようと
12年勤めていた会社を辞めた。
色々考える時間が出来た。
何故過去に何度も死にそうになりながらも今生きているのか?
何かをしなければならないのではないか?そのために死ぬことを許されないのではないか?
では何をすべきなのだろう?勝手に考えた・・・
ある日息子がWRCを見てマキネンに逢いたいと言い出した(笑)
マキネンとペターに逢わせることが出来た。
翌年Monte CarloにWRCを観戦に行った時、モナコで衝撃的な場面を目にする。
チュリニ峠の絶好の観戦ポイントに向かうとき、車椅子の老夫婦が山の麓にいた。
どうやって山を登るのか?
大勢の観客が山を登っていくが、何とも無しにあるグループが老夫婦の車椅子を押し始める。
押していた人がある分岐点で老夫婦とは別な道を行くそうで老夫婦と別れたが
同じ方向に行く別のグループが示し合わせたように車椅子を押す。
しかしその道は途中から登山道へ入るため車椅子を押しては登れない。
すると老夫婦を担ぎ出し、上り始めた。別の人が車椅子を運ぶ・・・
老夫婦はベストポジションに辿り着くことが出来た。
運んでいたグループは別の場所に向かう・・・
観戦SSが終わり今度は更に別のグループが担いで降りる・・・
絶対に日本では見ることの出来ない光景だ。
モナコ市内もバリアフリーなんて考えて設計された町ではないが、車椅子の人が沢山町にいる。
段差だらけの道だけど、通り過ぎさまに見知らぬ人が声を掛けることもなく、
段差を手伝う。町中そんな光景を彼方此方で見る。衝撃的だった。
日本では街中で車椅子の人を見ることは殆ど無かった。
でもモナコやニースにはごく当たり前に車椅子の人を見掛ける。
ニースもバリアフリーではないが、モナコで見たように通り過ぎ様の人がごく自然にサポートする。
つまり日本で言うハートビル法などでバリアフリー設計をしなくとも
十分バリアフリーな生活が過ごせている。
当然どんなに駐車場が混んでいても決して車椅子マークの場所には車を停めない。
日本では開いてたら誰でも停めてしまうと言質の人に言うと、
「信じられない!もし停めてるときにそこを必要としてる人が来たらどうする?」
って聞かれたので、停めてる人はそんな事考えてないよ・・・と答えると
信じられない・・・としか答が返ってこない。
モナコ・フランスを始め欧米諸国はスロープ等の設備に頼らない福祉政策を実施している。
どんな便利な設備を作ることよりも、人がそれを上回るサポートをすれば良いだけじゃないか!
設備に金を使うなら福祉を充実させた方が効率的だと言うことらしい。
たしかにその通りだが、そのまま日本に当てはめることは出来ない。
あまりにも日常に車椅子の人を見ないからだ。
モナコやニースではごく当たり前に車椅子の人を見るからこそ、その人にどういったサポートが
必要なのか?みな知っているし、ハンディキャップがある人をサポートすることは人間として当たり前
なことで、小さい頃からそういったことを目にしてるからそれが当たり前な事に感じている。
一方日本では同だろうか?
車椅子の人を始め障害者に対しては腫れ物を触るかのように接し、障害者も一般社会との間に
壁を作ってはいないだろうか?
日本に帰国してから自分なりに障害者の方を観察することにした。
やはり街中では圧倒的に車椅子の人を見ることは稀だ。
色んな資料を取り寄せ自分なりに分析してみた。
障害者の数は年々増加している。
障害者全体の中で肢体不自由者の占める割合は50%
その50%の役8割以上が交通事故により障害者となった人だと言うことが資料から見て取れた。
ではその人達の移動手段は何か?車である。
では何故車椅子の人を街中で見かけないのか?
答は日本の社会構造に問題があるのではないかと推測した。
障害者への理解はそうだろう?障害者自身は積極的に社会参加しているだろうか?
それを痛感したのは息子の運動会だった。
普通にズボンを履いていたら私を障害者と思う人はほぼ居ない。
運動会では当然父兄参加のリレー競争があるが、私は走ることが出来ない。
周りの父兄は何故あのお父さんは競技にでないでビデオばっかり撮影してるんだ!
と思わんばかりの視線を浴びているような気がした。
本当はそうは思ってないかも知れないし、そうかも知れない。
でも私自身そう言う目で見られてると勘違いしてないか?
自分なりに日本のバリアフリーの問題はこれではないか?と思った。
お互いの勘違いから見えない壁を作っては居ないか?
そして私なりに考えた末出した結論は・・・・
次回へ続く!
Posted at 2009/07/13 00:02:36 | |
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