2009年07月15日
暑い!暑すぎる・・・
PCのある作業部屋は室内温度38度・・・
PCが思いっきり熱を放出してる・・・
外の方が涼しく感じる(笑)
冬は外が暖かいこと良くある(笑)
息子は・・・近所の運動公園のプールに出掛けた・・・
家の中はまるでサウナだ!
エアコンはあるが続き間のリビングにある・・・
付ければ涼しくはなるのだけど、極力クーラーは使わないようにしている。
涼しければ作業もはかどるだろうが、体には良くない。
寝る時?
寝室には三方に窓があって、山からの吹き下ろしの風と川からの風が抜けるので
結構涼しく寝れる・・・
ああ・・・明日は裁判所だ・・・・
裁判所って言っても判決聞きに行くだけですけどね。
え!訴えられたのかって?イエイエ、一応原告です。
被告は一度も法廷に出廷しなかったのですが、最終期日での私なりの手応えからすると
敗訴かな・・・(笑)
まぁ、期待せずに明日行ってきます・・・
Posted at 2009/07/15 17:08:01 | |
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2009年07月13日
私の様に、一見障害者に見えないお父さんってどれくらい居るんだろう?
ふと。そう考えました。
私と同じように子供の運動会で、リレーに参加して転んで子供に大笑いされたり、
恥ずかしがれたり・・・そんな事が出来ずに悩んでるお父さんはどれだけいるだろう?
子供が友達に自慢できる様なお父さん・・・
「僕の・私のお父さんはサーキット走ったら皆のお父さんよりずっと早いんだよ!」
って子供が自慢できればお父さんも救われないか?
で、最初は私の様な人を対象に団体を立ち上げた。
団体を立ち上げ、様々な車関連の催しに出展して団体のアピールをした。
すると車椅子の方からの問い合わせがとても多く、障害の部位で活動を考えてはいけない!
でも自分で何が出来るだろう?
とにかく色々なイベントに顔を出す事しかない!
とにかく車のイベントにはあっちこっち出掛けた。
すると、障害者だけじゃなく、健常者の方も興味を持って色々話を聞いてきてくれる。
障害者が便利に乗れる車は、健常者も便利に乗れる!
特にオートクラッチはAT限定免許で乗れる。
奥さんがAT限定で、我慢してATに乗っている旦那さん・・・
もう我慢してATに乗る必要はない・・・
車椅子の方もMTに乗ることが可能だ。
しかしこういった事実を知る障害者は当時あまりにも少なく、Webで情報を流すことにした。
全メーカーの福祉車両カタログを取り寄せ、PDFにしてWebにアップ・・・
先ず障害者の方がカタログを取り寄せる手間を省いた。
また妖しげな団体に感じられては・・・と色んな人からメッセージをもらってWebで公開した。
そんな感じで活動していたら片山右京さんが連絡をくれた。
右京さんの主催するイベントに参加しないか?って・・・
勿論参加しました!
その後も積極的に活動はしましたが、個人の力では限界はあります。
様々な企業に協力を求めていきましたが、必ず出る言葉があります。
「偽善者と思われたくない・何か問題が起こったら企業イメージに傷が付くので、協力は出来ない。」
私がキムタクだったら(笑)どの企業も協力してくれるだろう・・・
それが現実。
でも私はキムタクじゃないし、キムタクにはなれない!(笑)
有名な方に応援して貰っていることをアピールするしかないと考え行動に移す。
何処かで有名な人に出会ったら話し掛け、メッセージを貰う。
しかし文章だけじゃ見方によったら私が勝手に作ってると思われるかも知れないので、
ビデオメッセージを集めることにした。
何年か過ぎ、自己資金だけでの活動に限界が・・・(笑)
活動も思うように出来ない。
でもそれまで出合った人たちとの繋がりは大切にしてきた。
今年、ラリードライバーの福永修氏と出合うことが出来た。
その方は私と同じように考え、それを実現した人・・・
目的は同じ!福永氏に無いものを私が持っていて、私にないモノを福永氏が持っている。
二人で力を合わせれば、もっと広がりが持てるのではないか?
そしてセーフティードライビングフェスタに加わることになった。
私自身7年間、団体を運営してきた。一時は諦めようとも思った。
でもやっと今年になって行政も耳を傾けてくれるようになった。
これが実現したら全国で初の試みとなる。
そして同時にセーフティードライビングフェスタに関しても海外のドライバーに参加を呼びかけているが、
今年のセーフティードライビングフェスタはボローニャモーターショーと日程が被る・・・
なので交渉は難航しているが、来年に向けて交渉は継続してる。
最初は小さな範囲で考えていた活動は、大きな広がりを持ち始めた。
でも企業からの協力はなかなか得られない。今こんな時代ですからね(笑)
でもこんな時代でも、障害者は日々増えているのは現実。
だから頑張って、断られても交渉は続けていかなければと思ってます。
以上が身体障害者モータースポーツ振興会を立ち上げた理由です。
じゃぁ、目指すところは何?と聞かれると目指すところはあまりにも多岐に渡り、
コレとはっきり言えないのが現状です。
でも現時点ではセーフティードライビングフェスタをより多くの地域で開催すること。
その為には今年なんとしても成功させなければなりません。
かなり厳しい状況ですが、とにかく頑張るしか無いんですよね・・・
Posted at 2009/07/13 14:15:43 | |
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2009年07月13日
私は何故、身体障害者モータースポーツ振興会を設立したのか?
小学生3年生の時、信号無視の車にはねられた。
でもかすり傷程度で済んだ。
小学校4年生の時、木登りしていて落下した。これもかすり傷程度だった。
高校生の頃、単車で時速100km/hでカッ飛んでいたら飛び出してきた車と衝突。
30m吹っ飛ばされた。この時は流石にかすり傷とはいかなかったが骨折はなかった。
この事故で免許取り消しとなった(笑)
大学に進み、普通車の免許を取った。
ラリーを始めた・・・
でもレースで食っていくという自身が無く、普通に就職した。
就職して2年で4代の車を全損させたが大きな怪我はない。
で最後の事故で障害者になった。
ただ普通に生活できるように!それだけを考え日々を過ごしていた。
結婚もした。子供も生まれた。しかし車好きは相変わらずだ(笑)
ある日離婚話する事になった。
まぁ理由はあえて述べないが、親権は私が持ち息子と父と愛犬プロスト・悟空との生活が始まった。
しかしそんな生活が始まってまもなく、父が末期癌で余命半年と・・・
父の介護と育児に追われる日々・・・
平成15年5月、父は息を引き取った・・・やっと母の所に行けた・・・
そして諸々落ち着いたとき、息子が小学生になるので1年間は育児に専念しようと
12年勤めていた会社を辞めた。
色々考える時間が出来た。
何故過去に何度も死にそうになりながらも今生きているのか?
何かをしなければならないのではないか?そのために死ぬことを許されないのではないか?
では何をすべきなのだろう?勝手に考えた・・・
ある日息子がWRCを見てマキネンに逢いたいと言い出した(笑)
マキネンとペターに逢わせることが出来た。
翌年Monte CarloにWRCを観戦に行った時、モナコで衝撃的な場面を目にする。
チュリニ峠の絶好の観戦ポイントに向かうとき、車椅子の老夫婦が山の麓にいた。
どうやって山を登るのか?
大勢の観客が山を登っていくが、何とも無しにあるグループが老夫婦の車椅子を押し始める。
押していた人がある分岐点で老夫婦とは別な道を行くそうで老夫婦と別れたが
同じ方向に行く別のグループが示し合わせたように車椅子を押す。
しかしその道は途中から登山道へ入るため車椅子を押しては登れない。
すると老夫婦を担ぎ出し、上り始めた。別の人が車椅子を運ぶ・・・
老夫婦はベストポジションに辿り着くことが出来た。
運んでいたグループは別の場所に向かう・・・
観戦SSが終わり今度は更に別のグループが担いで降りる・・・
絶対に日本では見ることの出来ない光景だ。
モナコ市内もバリアフリーなんて考えて設計された町ではないが、車椅子の人が沢山町にいる。
段差だらけの道だけど、通り過ぎさまに見知らぬ人が声を掛けることもなく、
段差を手伝う。町中そんな光景を彼方此方で見る。衝撃的だった。
日本では街中で車椅子の人を見ることは殆ど無かった。
でもモナコやニースにはごく当たり前に車椅子の人を見掛ける。
ニースもバリアフリーではないが、モナコで見たように通り過ぎ様の人がごく自然にサポートする。
つまり日本で言うハートビル法などでバリアフリー設計をしなくとも
十分バリアフリーな生活が過ごせている。
当然どんなに駐車場が混んでいても決して車椅子マークの場所には車を停めない。
日本では開いてたら誰でも停めてしまうと言質の人に言うと、
「信じられない!もし停めてるときにそこを必要としてる人が来たらどうする?」
って聞かれたので、停めてる人はそんな事考えてないよ・・・と答えると
信じられない・・・としか答が返ってこない。
モナコ・フランスを始め欧米諸国はスロープ等の設備に頼らない福祉政策を実施している。
どんな便利な設備を作ることよりも、人がそれを上回るサポートをすれば良いだけじゃないか!
設備に金を使うなら福祉を充実させた方が効率的だと言うことらしい。
たしかにその通りだが、そのまま日本に当てはめることは出来ない。
あまりにも日常に車椅子の人を見ないからだ。
モナコやニースではごく当たり前に車椅子の人を見るからこそ、その人にどういったサポートが
必要なのか?みな知っているし、ハンディキャップがある人をサポートすることは人間として当たり前
なことで、小さい頃からそういったことを目にしてるからそれが当たり前な事に感じている。
一方日本では同だろうか?
車椅子の人を始め障害者に対しては腫れ物を触るかのように接し、障害者も一般社会との間に
壁を作ってはいないだろうか?
日本に帰国してから自分なりに障害者の方を観察することにした。
やはり街中では圧倒的に車椅子の人を見ることは稀だ。
色んな資料を取り寄せ自分なりに分析してみた。
障害者の数は年々増加している。
障害者全体の中で肢体不自由者の占める割合は50%
その50%の役8割以上が交通事故により障害者となった人だと言うことが資料から見て取れた。
ではその人達の移動手段は何か?車である。
では何故車椅子の人を街中で見かけないのか?
答は日本の社会構造に問題があるのではないかと推測した。
障害者への理解はそうだろう?障害者自身は積極的に社会参加しているだろうか?
それを痛感したのは息子の運動会だった。
普通にズボンを履いていたら私を障害者と思う人はほぼ居ない。
運動会では当然父兄参加のリレー競争があるが、私は走ることが出来ない。
周りの父兄は何故あのお父さんは競技にでないでビデオばっかり撮影してるんだ!
と思わんばかりの視線を浴びているような気がした。
本当はそうは思ってないかも知れないし、そうかも知れない。
でも私自身そう言う目で見られてると勘違いしてないか?
自分なりに日本のバリアフリーの問題はこれではないか?と思った。
お互いの勘違いから見えない壁を作っては居ないか?
そして私なりに考えた末出した結論は・・・・
次回へ続く!
Posted at 2009/07/13 00:02:36 | |
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2009年07月12日
間隔を1年開ける予定でしたが、2年開けての入院となりました。
さて今回はどんな手術かと言いますと、アキレス腱を延長しても萎縮して尖足になってしまう
繰り返しなので、アキレス腱が切れるか切れないかのぎりぎりまで延長し
足首を直角に近い状態にして、の脛骨皮の関節部にチタン製の棒を踵に埋め込んで
足首を固定し、更両くるぶしから2本づつチタン製のボルトを4本で固定し、
さらに足首前方?から3本の計7本のボルトで完全に固定してしまいましょう!
更にもう一度指の形成手術って言う大がかりなオペです。
結構足首全体の骨を削ったり、穴開けたり、突き刺したりとしたので
術後かなり足は腫れましたが、アキレス腱の延長手術したので、いつものようにギプスを巻かれて
いたので、腫れて膨張するけどギプスがそれを許さない!(笑)
かなり痺れて痛いですね・・・
ギプスに切れ目を入れて貰い、そこに割り箸を挟んでちょっと広げて貰ったら大分楽になりました。
その日の夜、友人が差し入れでお好み焼きを持ってきてくれた。
オペは午前中なので、晩飯は問題ない。
いやぁ~美味しかった!
で、翌日いつものように外出届けを出して買い物と愛犬プロストに逢いに出掛けましたが・・・
点滴を打った後に出掛けたのですが、いつもの下痢って感じの痛みじゃない!
とりあえず家でトイレを済ませ、落ち着いたのでコンビニに・・・
買い物途中でまた腹痛が!何とか我慢して自宅に戻りまたトイレ・・・
であまりにも痛いので病院へ戻り、警備の人に荷物を持って貰って即効でまたトイレ・・・
ちょうどナースセンターに主治医が居たので、腹が痛いけど、出ないと伝えると
おなか暖めれば出る様になるよ!ってホットパックと言う蒸したタオルみたいなヤツを
腹に乗せ、ベッドで横になっていた・・・余計に痛くなってきた・・・
点滴打ってるのでトイレに車椅子でダッシュで向かう・・・
大した両は出ないのですが、なにやら赤いモノが・・・
トイレからナースコールで看護婦さんを呼ぶと「血便ね・・・・」って・・・
原因は?看護婦曰くお好み焼きだそうだ(笑)
胃のあたりが痛い!内科の先生を呼んで痔持ち?って聞かれましたが痔は無い。
で尻に中を覗く器具を入れられ、見て貰ったが問題ない。
とりあえず大腸鏡検査をしましょうって事になった。
翌日下剤を3リットル飲まされて、検査着にきがえ検査室へ
おしりからカメラが入ってくる!これが結構痛い!すると、大腸全体が見事に出血してる。
お好み焼きは全く関係なく、抗生物質の副作用「による出血性大腸炎でした。
過去の入院は間隔が短く、体が何とか抗生剤の刺激に堪えられていたのですが、
今回は間隔を開けすぎたため、体が対応しきれずに大腸から出血したそうです。
過去の下痢も軽い大腸炎だったのではないかと・・・
さぁ!整形で入院しましたがこの日を境に内科の患者となりました(笑)
当然抗生剤の点滴は即中止。点滴からの栄養補給を1ヶ月・・・
そのトイレはベッドの横でポータブルトイレでする。ウッと腹痛が来てからトイレまで我慢出来ないんですよね(笑)
で同室の患者達は冗談半分で食べられない私の目の前でおかずの交換会などをしやがる。
私はささやかな意思表示として皆賀食事中、ベッド横でトイレをする(笑)
まぁ半端無い臭が病室を優しく包み込む(笑)
それ以降彼等は静かに食事をするようになった。(笑)
1ヶ月経ったので再度大腸鏡検査をし、出血が収まったことを確認したところ無事出血は収まった。
で今度は流動食にステップアップ!500mmリットルのものを1日3回に分けて飲めと・・・
つまり私の食事は1日500mmリットルの流動食。
何とも不味そうな色の瓶に入ってる・・・恐る恐る飲んでみると、いや以外!結構美味しいじゃないですか!
アーモンドミルクみたいな感じの味です。
最初はそのまま飲んでみたらちょっと腸に刺激が強すぎた感じ・・・
温めて飲んでみる。これは腹に痛みがないので温めて飲むことにした。
このころ流動食と水以外は一切口に入れてはいけない。
でもタバコは吸う(笑)タバコを一口吸うと腸に痛みが・・・・すぐ消してトイレへ・・・
でも凝りもせずまた吸う・・・・
で流動食を1ヶ月・・・またまた大腸鏡検査。これ以上おしりにモノ入れられたら違う感性がに目覚めて
しまいそうだ(笑)
検査結果はもう大丈夫!ってことですが、普通食への道程はまだ遠い・・・
全粥を2週間・八部粥を1週間、五分粥を1週間、三分粥を1週間・・・
内科の主治医が学会で居ないため食事の指示が粥から変わらない。
で整形の主治医に頼み込んで指示書を書いて貰い通常食に!
手術から3ヶ月が経っていて、やっと整形の患者に戻れた。
しかし、そんなことがあったせいか?骨の尽きが悪い。
毎食魚が出てくるようになった・・・魚嫌いなんだけど仕方ない!
縫合箇所は大腸炎の間も薬浴していたのですが、塞がっていない・・・
形成した指は骨なんとか化骨したのでリハビリ開始!
ヒールを付けたシーネ(足に巻いていたギプスの半分)をマジックテープのベルトで数カ所固定して
歩行訓練開始・・・足首が良い感じで固定されているので指は当たらない!
これで何とか行けそうなぁ気がするぅ~・・・有ると思います!(笑)
で1ヶ月リハをして縫合部もふさがりいよいよ退院へのカウントダウンとなったとき、閃いた!
その病院は口腔外科があって、以前からアレルギー体質のため町の歯科医は
親知らずを抜いてくれない!今がチャンスだ!と口腔外科を受診して親知らずを抜いて貰うことに!
しかしこれが第二の悪夢の始まりになるとは・・・
親知らずを抜いた後、患部を冷やさないように言われていたのだが、痛くて痛くて・・・
つい冷やしてしまった・・・これが悪夢の始まり。
痛みが引いた後、口が開かない!指1本分も開かない!
そう、食べ物が食べられない・・・またお粥の生活に逆戻り・・・(笑)
また1ヶ月お粥の生活・・・今度は口腔外科の患者となった(笑)
とにかく口が「開けられるようになって、普通食が食べられるようになったら退院と・・・
口を開けるようになるためのリハビリが始まった。
と言っても口に指を入れ、下顎を下に引っ張るだけなんですが、なかなか・・・
下顎を骨折した人もそんな梶のリハビリをします。偶然同じ病室にプロボクサーが居て
試合で顎の骨を骨折したので、私と二人で一緒に顎を下に引っ張ってました(笑)
結局普通食に戻ったのは2ヶ月が過ぎていました。
やっと退院したのは手術から7ヶ月が経っていました・・・
である日単車で晩飯を買いに出掛けたとき、自転車が飛び出してきて急ブレーキ!
バランスを崩し立ちゴケ!左足が単車の下敷きに・・・
凄い腫れた!翌日病院へ行くと骨には何の問題はない。
だが当然しばらくは単車禁止となった。
手術のおかげで指の痛みも緩和され、足首が90度で固定されたことで歩行時の姿勢も安定し
ふらつくことが無くなった。これで切断する事は無くなったが、足の痺れとは今も戦っている。
月日は流れ、ずっと指を気にしながら見ていたがやはり歩くことで指に負担がかかり徐々に指は変形していく。
そんな生活を送っていましたが、結婚することになり今の息子が生まれました。
息子が生まれて1年後、指の変形がピークに達したのでまた入院することになった。
過去の入院からすると3ヶ月コースだが、妻は育児が大変だから1週間で退院しろ!と・・・
入院中も毎日息子を連れて病院へ来てくれていたが、病院側のスーパーで買い物をいつもしていた。
まぁ、買い物の間の子守ですね!でも息子は一所懸命車椅子を押してくれて、病院を散歩してました。
至福の一時!
が!オペからちょうど一週間主治医は妻の迫力に押され「きょうで退院ですね!
でも3日に一度通院して下さい・・・」
って退院することになった。
退院翌日妻が肩が痛い!と・・・病院へ連れて行った・・・
2日後、息子が木のブロックで遊んでいたら何故か唇を切ってしまい病院へ・・・
2針縫った・・・・
で妻と子供と私の通院で結局毎日病院へ行く羽目に・・・(笑)
経過も順調で、それ以降現在に至るまでは入院していない。
でも指は少しずつ変形してはいますが問題ないレベル。
足首は?いやぁ不思議な事に尖足が進んでいます・・・
手術直後は椅子に座り、膝を90度に曲げたら足の裏は全部付きました。
最後のオペから11年たった今は踵が2cmほど浮いています。
でも7年前に離婚しており、今は息子と二人暮らし。いま入院は出来ません!
またこのレベルの尖足であれば手術するまでもないでしょう・・・
手術するのであれば多分今度は切断になるでしょう。
ブログに書き込めていない手術も含めると事故から現在までに大小合わせて29回の手術を経て
現在に至っています。
で、ある読者の方からの質問にお答えします。
私の車はミッション車ですが、どうやって乗っているのか?
最初はグイドシンプレックス社製のオートクラッチをつけてクラッチ操作を自動でしていましたので
左足は全く使わずに乗ることが出来ます。
しかし昨年末に装置が故障したため、現在はクラッチ操作は左足でしています。
ただステアリングポジションを重視するとクラッチが置くまで踏み込めないので、
クラッチ操作重視でシートポジションを決めています。
クラッチは踏むだけなので足首が固定されていてもある程度操作できます。
では次回以降は
何故私が身体障害者モータースポーツ振興会を立ち上げたのか?
を書き込んでいこうと思います。
Posted at 2009/07/12 15:32:35 | |
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2009年07月12日
さて、前回まで入院していたのは自宅から車で5分の病院でしたが、
今回から入院する病院は電車で1駅の距離ですが、車で10分くらいですかね。
このときの入院時にショックな出来事がありました。
阪神淡路大震災がオペ前日に発生しました。
入院仲間達に連絡し、全員の無事を確認できました。
今回のオペ内容はアキレス腱の延長手術と、変形した左足の指の形成手術。
まぁ、半年くらいの入院になりそうです。
この当時の病院はまだTVが各自ベッドに設置されていなかったので自前の
液晶モニターとSONYビデオコンボ(8mmビデオデッキ&チューナー)を持ち込んで
入院初日にせっせと設営(笑)一通り設営が終わると、日用品などの買い出し。
病院ってある種刑務所?(入ったことはないですが・・・)に似ていて、
入院が長い人はボス的な存在で、新入りはパシリ?
そこに新入りでも、修羅場を多く経験していれば入ってすぐでも牢名主(笑)
当然私は初日から牢名主でした・・・
西宮に入院していた頃は短期間に何度もオペをして抗生剤などにある程度免疫?
があったので、問題はありませんでしたが
最初に転院した病院では点滴を打つと軽い下痢が・・・
今回もそれは続きました。
手術自体は順調に終わりましたが、またしても縫合部が壊死してきました。
また薬浴とひっかき棒の毎日です。
ある日薬浴していると左足の人差し指の爪がちょっと浮いていたので軽く触ると爪が取れた!
急いで元に戻したが一応主治医に「爪が取れちゃいました!」と伝えると
主治医も爪を捲った後にもとに戻し、「どうします?」って(笑)
で結局剥がしちゃいましょう!って事になり、爪を剥がしたんですが、なにやら白い物が・・・
骨が見えてました・・・(汗)
これで半年以上は確定です。
約1ヶ月毎日薬浴とひっかき作業を繰り返し、皮膚は盛ってきました。
さて肝心のアキレス腱の延長ですが、今まで延長手術を繰り返し行いすぎたので
今回で最後!これ以上は延長できないと・・・気が付けば普通の人の倍の太さになっていました。
そうそう最近の話で彼女が出てきませんが、彼女とは別れました。
理由はまぁ置いといて・・・事故や障害が原因ではありませんでしたけどね。
で回復具合ですが、やはり尖足が思ったように解消されず、指が前に接地してしまいます。
当然の事ながら予測できるのは、退院してもまた指が変形するだろうと言うこと・・・
この頃になると足の痺れや指の変形による痛みがきつくなってきました。
リハビリに関してもギプスにヒールをつけても指が前に接地してしまうので
骨切りした骨が完全に付くまで足を付けて歩く事はできません。
ただ尖足状態で指の変形を最小限度に抑えるべく、少し反らせた状態で固定しました。
この頃左膝の靱帯もかなり伸びてきて、何時切れてもおかしくない状態になりましたが
不幸中の幸いで運動できない体なので切れることは当分ないでしょうと言うことでしたが
念のため切れたらどうします?って聞いてみました。
今回から入院している病院はスポーツ医療で有名な病院でしたので靱帯損傷のスポーツ選手や学生が
多く入院していました。
医師の回答は健常者でも3ヶ月から半年かかる。私の場合は1年以上ッカルト予想されるので
切れたら切れっぱなしにしましょう!ですって・・・
因みに現在に至ってもまだ切れてないですよ!(笑)
今回は指を反らせた状態での固定なので骨がつくまでに時間がかかりました。
2ヶ月目で指のピンを抜き、それからリハビリ開始。
指の皮膚は盛ってきましたが、アキレス腱はまだもう少し時間がかかりそうです。
入院から4ヶ月が過ぎアキレス腱の皮膚も再生したので退院することに。
但し毎日自宅から通院です。
当時の愛犬プロストがかわいそうなので、退院することにしました。
そしてこの頃新しいチャレンジを試みました。
自動二輪の免許取得です。
当時スクーターの250ccが発売されたので私も乗れると!
で、先ずは公安委員会へ行き、適性検査。
問題なくOKでしたが、私はAT下bていで免許をとりました。
当時は自動二輪のAT限定の免許交付実績はなく、私は自動二輪AT限定の国内初の免許保有者となりました。
公安委員会で適性検査をパスし、今度は受け入れてくれる教習所を探します。
次はバイクを前に購入し、教習所へ運び、教習所が公安委員会に私の持ち込んだバイクでの
教習許可を貰い、晴れて教習開始です!
無事だぶることなく卒業し初の自動二輪AT限定免許を取得いたしました。
さて足簿具合はと言うと香しくはありません。然し骨切りをまたするにしても一定期間、間を空けましょうと
約1年間を空けることにしましたが、足への負担は解消されず、指が変形し、釣られて爪の変形し
爪を切ると気に中途半端に切ると切った箇所に残った爪が食い込んで痛い!
で深爪のもっと深爪くらい切らないと駄目です。でも底まで切ると出血大サービス!
爪切りも特殊な爪切りを用いて、精密ドライバーとニッパで爪をほじくり出す・・・
これが強烈な痛み!で2日ほどは痛くて歩くことが出来ません。
でもそうしないと痛みに耐える期間が長くなってしまいますので、痛みに耐えること・・・
尖足のせいで腰方の負担も増し、案の定足の指の変形が・・・
そんな生活を1年過ごし私は究極の選択をすることに・・・
もう切断しかない・・・
医師はここまで回復した足を切断することは倫理に反する!と猛反対。
何をもって回復なのか?痛みに耐えることが回復なのか?
かなり議論したが結局切断はしない!するなら別の病院を紹介すると埼玉にある病院を紹介してもらう。
埼玉の病院も切断は出来ない・・・
でまた病院に戻り、スポーツ医学の権威の先生が「私に最後のチャンスを呉れませんか?」
と言ってきた。それでも駄目なら私が責任を持って切断しますと言ってくれたので、
その先生の最後の手段に期待することにした・・・
Posted at 2009/07/12 04:22:37 | |
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