2009年07月12日
やっと歩けるようになったのですが、当分松葉杖の生活になりそうです。
関節を切り落とし、1本の骨にするため左足の指の全てにピン(針金?)を突き刺している。
さらにアキレス腱の萎縮によりつま先が下がっているので左足を床に付くと
指が付いてしまうので、せっかく付いた左足の筋力もまた衰えてしまう・・・
通常入院前の体力に戻すには、入院期間の3倍に日数が必要と言われています。
体力的なモノも当然ですが、精神的な部分も結構あります。
また入院に欠かせないのは仲間!
今回も仲間がいます。
車がパンクしたのでなぜか2車線道路の中央分離帯側の車線で逮夜交換していたら
追突され、跳ねられてしまい大腿部を骨折した。
バイク事故で脛骨にプレートを埋め込んだ人。
まぁ例によって夜な夜な患者が集まって馬鹿話(笑)
でも西宮にいたときのような重篤患者は殆どいない・・・本人は重症と思っているけど
私から見たら軽症に感じる。
でも本人にとっては大変な事には変わりないけど、西宮での生活を話すとみんな
「それに比べれば自分は良い方ですね!」ってポジティブに入院ライフを過ごすように考えてくれる。
リハビリを見ていても生温い感じは否めない・・・
まぁ、病院の質が全く違うから仕方ないですけどね・・・
今回体の末端である指を手術して初めて分かったことがあります。
縫合部分の皮膚が壊死しやすい・・・つまり縫合してもその箇所が壊死してしまうので
皮膚が再生する時間が通常の何倍もかかってしまう。
故に術後は常に感染症との戦い・・・
薬品アレルギーがあるため毎日患部を薬浴したり、ひっかき棒みたいなヤツでガリガリ患部を擦って
出血させて皮膚の済世を促したり・・・幸いだったのは神経が正常じゃなかったため
痛みを殆ど感じずに済んだことですね・・・
でも全く感じないかというとそうではなく、痛みは大分時間が経ってから襲ってくるんですよ。
わかりやすく言えばタンスの角に小指をぶつけたとしましょう。
普通ならその瞬間に激痛に教われると思うのですが、私の場合は1時間位後に襲ってくるんですよ。
しかも普通の人が感じる痛みの何十倍になって(笑)
だから朝回診時に色々足を弄くられて、ジュース飲みながら喫煙所でタバコ吸って馬鹿話してると
とつぜん「ウっ!」ってもがき出す感じですかね?
そんな状態でもこの頃から入院はある程度先が見えるし、苦痛ではなかったですね。
でも何処かを治すためには、何処かを犠牲にしなければならない。
この辺は微妙でしたが・・・
そうそう、母の一周忌の時に触れるのを忘れましたが、体内時計って凄いですね!
母の一周忌=私が絶叫した日。
事故の時間にまるで事故にあったときのような痛みや感覚が私を襲ってきました。
目を覚ますと事故と同じ時間・・・でもその現象はそのときが最後でしたけどね!
あと電池式の時計をしてると事故現場を通る度になぜか止まってしまう・・・
話を戻しますが、皮膚が再生しないと当然退院できません。
骨が繋がるまで2ヶ月。そこから徐々に体重を掛け全加重までは術後4ヶ月。
そして退院して体力を付けて、日常生活に慣れた頃に脛骨に埋め込んでいたキュンチャーを抜くことにした。
理由は日常生活を送るようになり、当然歩行距離もどんどん伸びていく。
歩けば歩くほどにキュンチャーが上に上がってきてしまったようで、膝の皿を削り始めてしまったので
痛みが結構来てました。
今回は1ヶ月の予定です。なにせキュンチャーを抜くだけですから・・・
その頃患者達にはなにやら不穏な動きが(笑)
主治医を訴える患者が増えてきた。私はそんなことはなかったのですが、
私と同じように皮膚が壊死してしまう人や(体質だと思うんですけどね・・・)
ヘルニアの手術に失敗して患者が死んだりと・・・
なのでこのオペを最後に病院を変えることにしました(笑)
まぁ、無事にキュンチャーを抜く手術を終え、縫合部も膝でしたので壊死も起こさず
10日ほどで抜糸して経過を観察して1ヶ月弱で退院しましたが、骨切りした指が変形し始めました。
これは医療ミスとかではなく、駅レス県の萎縮によりつま先のさがる尖足なので
指に全体重がかかってしまいます。なので関節が無くても体重による加重などによって
指に負担がかかって徐々に変形していくんですよね・・・
新しい病院を探し、入院の為の検査をして改めてアキレス腱の延長手術と、変形した指の形成手術を
行う事になりました。
事故から2年・・・まだまだ闘病生活は続きそうです。
Posted at 2009/07/12 00:05:17 | |
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2009年07月11日
気節は春を迎えようとしていた頃、転院が決まった。
本当はもっともっと色んな事があった、第一期闘病期間・・・
地元に帰れるのは嬉しいけど、この病院を離れるのはなんか寂しい・・・
約8ヶ月過ごした病院。
とりあえず退院だが、体ひとつで入院したのに退院するときは引越しだ(笑)
自分の車に荷物が入りきらない(笑)
TV・ビデオ・ラジカセ(懐かしい響き!)・冷蔵庫・・・
そして衣類などなど・・・
一旦父の家に入って、アパートに帰る段取りを組む。
車での帰京は反対されたので車は運んで貰うことにした。
が、自分の愛車を他人に運転されたくない!
なので陸送することにしたが、加害者側はトレーラーの搬送を提案してきたが
結局途中から自走になるので、ローダーで運ばせた。
費用はかかるが知ったこっちゃ無い!(笑)
事故に遭わなきゃ必要なかったんだから・・・
加害者は運送会社なのでローダーを手配すると言ったが、信用できないので
ローダーは自分で業者を選んで請求を加害者にして貰うことにした。
久々の自分のアパート!
前回のちょっと滞在じゃなく、本当に戻ってきた!
でもゆっくりはしてられない・・・アパートに戻って早速自宅への引越し準備。
流石にこれは加害者には請求できない・・・業者にお任せで引っ越しした。
引越しを済ませ、新しい病院へ転院の手続に。
入院時期がちょっと間が開くので犬を飼うことにした。
地元タウン誌で見付けた犬だ。まだ生後1ヶ月のかわいい犬!
名前はプロスト!そうF-1ドライバーのプロストから頂いた。しかしメスだ(笑)
しつけも終わった頃に病院から電話で、入院となった。
お隣に犬の世話を託して入院・・・今回の入院は個室。
早速アキレス腱の3度目の延長手術をすることになったが、ここでも神経の手術をしたいと言い出した。
内側のくるぶしあたりの神経が癒着してるので、剥離手術をしたいそうだ。
まぁ、そうなれば全身麻酔で手術することになる。
喉が渇くことは既に経験で知っていたのでベッドのヘッドテーブル?にウーロン茶を置いていった。
今回の全身麻酔は注射式。
先ず目蓋が重くなる注射を点滴に入れられると、意識ははっきりしてるのに目が開かない。
おお!これは初体験!かなり面白い!で次に眠くなる薬を入れられると、すぐに意識が落ちた・・・
気がつくと夜中だった。今まですぐに目が覚めていたのにボーッとしてる。
かなりきつく麻酔がかかってる感じ。
案の定喉が渇いたので、準備しておいたウーロン茶を・・・あれ?無いぞ!!
まだ麻酔が効いているので起き上がれない・・・
諦めて寝ることにした。
朝はすっきりと目が覚めた!すると彼女が居たので、ウーロン茶知らない?
って聞くと、ぬるくなっちゃうと美味しくないと思って、冷蔵庫にしまったって・・・
第二期入院生活の始まりだが、第二期は入院して退院・そして入院して退院の繰り返し。
結果的にはプロストには寂しい思いをさせてしまうと言う可哀想なことをした。
しかし、毎日家に戻り(車で5分)プロストと少しでも居る時間を作った。
今回の入院は3ヶ月。
その間に病院ではある2時間ドラマのロケをしていて、私の部屋の隣でロケしてる。
点滴を打つとおしっこに行きたくなる。でトイレに行って水を流すと「カーット!」って・・・
水洗の音でNGになったようだが、こちらは生理現象だし・・・
大地康夫と真野淳子主演のドラマらしい。
喫煙所でタバコを吸っていると大地康夫がやってきた。
スタッフからはトイレがマンして下さいとか言われたが、大地さんは「ご迷惑おかけします」って言ってくれた。
撮影中は極力部屋にいないことにした。
で1回の喫煙所で入院仲間とタバコを吸っているとスタッフが、「エキストラとして出ませんか?」って・・・
病院の待合室で診察を待ってる患者の役です。まぁ本物の患者なのでリアル感は有りますよね!
で放送日を聞いていたので、皆に電話しまくっていざドラマの放送日!(放送日は退院した後)
カットされていた(笑)
皆から「何処にいた?」と電話ラッシュだったのは言うまでもない・・・
でドラマの撮影も終わり、穏やかな入院生活を過ごしていたが、
姉の結婚式が近付いてきた。その前に臣籍の結婚式があったが、入院を理由に断っていたが
さすがに姉の結婚式に出ないわけにはいかない。
入院中と言うことで車で会場に行くことは反対されたので、病院からタクシーで会場に向かった。
会場までは1時間半。結構な料金だ(笑)で式が終わってタクシーで病院へ・・・
術後の経過は順調だったので母の一周忌の準備のため一時退院することにした。
一周忌の前に墓地を買い、食事会の会場の手配、坊さんの手配等々やることいっぱい。
通夜・告別式、四十九日にでれなかったので、一周忌は仕切れと父親に言われていた。
約束通り運転手も来た。
これでもう彼と会うことはないだろう。
母の一周忌も無事に済み一息ついた頃、突然発熱した。
本当に救急車を呼ぼうか悩むほどの熱だ!
しかし翌日熱は下がり、気持ちよい朝を迎えたが病院へ行く。
喫煙所でタバコを吸って受診を待っていると主治医が通りがかったので昨夜熱が出たと言うと
股関節のあたりを触診して一言「感染症だ!緊急入院!」とそのまま受診前に入院決定!
家に着替えなど諸々入院グッズを取りに戻る。
前回は個室だったが、個室は退屈なので、大部屋にして貰った。
何故感染症を起こしたのか?
結局3度アキレス腱延長したが延長しきれなかったのと、延長してもすぐに萎縮してしまう。
歩いてれば萎縮しないと思っていたが、1日1日寝ている時間に萎縮してしまうようだ。
で結果足の指がじゃんけんの「グー」の様になって指の関節が脱臼してしまい、
さらにその状態で歩いていたため体重がかかる箇所が擦れてまめになり、マメが潰れて
そこから雑菌が入って感染症を起こした。気付かなかったかって?
神経が上手く機能していなかったので、痛みを感じることが出来なかったのです・・・
で、再度神経剥離術と左足の指の関節全てを切り落とす骨切りをすることに・・・
今回の入院は長くなりそうだ・・・
Posted at 2009/07/11 15:33:08 | |
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2009年07月11日
あるとき見覚えのある顔がお見舞いに来た。
その人物とは追突してきた運転手と加害企業の役員さんだ・・・
運転手は事故の時は当然逮捕されるが、3日くらいで保釈される。あとは裁判待ちになる。
喫煙所で話していたのだが、看護婦さんもお友達と思っていたらしい。
喫煙所もナースセンターの斜め前にあったので、会話は看護婦さんにも聞こえてしまう距離だ。
先ずは事故直後に示談について話したことを侘びてくれた。
で改めて今後誠心誠意示談に向けてお話をさせて欲しいと言われたので示談の大前提として
会社側には運転手を解雇しない事を示談の条件に入れる様に伝えた。会社側はそれを受け入れてくれた。
絶対に解雇はしませんと・・・
すると突然加害者が泣き出した。
何故罵倒しないのか?何故自分の事を心配してくれるのか?
罵倒されて、殴られた方がよっぽど気が楽です!って・・・
まぁ、責めたところで母が生き返るわけでもなく、私の足が元通りになるわけでもない。
また、殺そうとして殺した訳じゃないんだし、一歩間違えれば逆の立場になっていたかも知れない。
だから責めることに意味を感じなかった。
加害者が帰った後なぜかナースセンターの看護婦さん達が泣いていた。
何でだろう?と不思議に感じたがある看護婦さんが
「あんな事故にあって、お母さんを亡くして、自分も何時治るかもわからない状態でよく加害者に
あんなに優しくできるのか?なかなか出来る事じゃない」って・・・みんな入院初日の私の絶叫を目の当たりに
した看護婦さん達だったから余計にそう感じたのかも知れない。
加害者はそれからも何度も見舞に来てくれた。
決まって喫煙所での雑談・・・
事故に関する裁判は最低限母の示談が必要不可欠だから示談が近付くにつれ見舞の間隔は
短くなってくる。
父は何時までも引き摺りたくないのでもう示談しようと思うと相談された。
私は父に任せるとつたえた。
金額は言えないが、人が一人死んでも命の値段ってこんなモノなのか?と正直驚いた。
死んだ人の命の値段でごねたくない!だから金額には拘らないけどいいな!って・・・
で示談書の提示を受けた後、判子を押す前に病院にやってきて父は涙を流しながら悔しい・・・
そう言いながら示談書を私に見せた。
逸失利益が示談金額の9.5割・慰謝料が0.5割・・・嘘でも良いから慰謝料の割合を増やして欲しかった。
そうしてくれれば納得も出来たが、妻を失った事に対する気持がこれだけかと思うと悔しい・・・
父は総額はどうでもイイ、ただ逸失利益と慰謝料の割合を5:5とか4:6とかにして欲しかったらしい。
父はこういった・・・
「お前は大変なけがをしたし今も辛いとは思うけど、少しずつ社会復帰に向けて希望が見えてくるし、
いずれは結婚して子供が生まれ、自分の幸せが来るだろう。済まんけどワシはおまえが幸せになって
くれることは嬉しいけど、それと同じくらい母ちゃんを失ったつらさが増していくんだ・・・」
父の気持ちは分かるけど、私以上に母を失った喪失感や寂しさは推し量る術がない・・・
でも相手の提示した示談内容で一発示談に応じた。
母の示談後暫くすると裁判所から事故に関するアンケートみたいなモノが届いた。
事故に関する率直な感想や、被告に対して思うこと、判決にたいしての要望?等々
諸々記入するような感じ。父と「こんあモノが来るんだぁ・・・」って不思議に思った。
(つい最近、危険運転致死傷罪のきっかけとなった事故に遭われた井上夫妻の奥様と話す機会があって
この事を話したら井上さんにはこんな手紙裁判所から来なかったそうです・・・そんなの来るんですか!
って驚かれていましたが、私は逆に「えっ!来ないの?」って逆に驚きました。)
判決の要望って言っても書いたからどうなるモノでもないので、裁判所の判断に一切異義は申し立てません。
って記入して送り返した。判決が出た。懲役3年執行猶予5年。
執行猶予に関しては父と私は裁判所に対して事故時に私の救出を必死に試みたことをくみ取って
情状酌量を!と伝えてあったことが取り入れてもらえたみたいだ。
(実際ソウだったかは定かでないがそう思うことにしてる・・・)
判決後また運転手が見舞に来た。
これで区切りが付いたんだからもう見舞には来なくても良いよ!と加害者に伝えた。
また運転手は涙を流す・・・ただ母の一周忌には線香を上げにい来てくれ!母に直接謝罪することを約束して
運転手は帰っていった。
実は通夜・告別式は加害企業と運転手の参列は父が断っていたので本人も判決を受けた事だし、
一周忌でお互いに区切りを付けようと・・・
さてお盆に強制収容され、秋が来て、もう冬がやってきた。
いった何時になったら退院できるのか?さっぱり目処が立っていない。
私と同時期に入院した仲間で未だに入院しているのは、車輌火災のH氏だけ。
後から入院してきた人もみんな前に退院していく・・・
退院する人は「お世話になりました!」と病院を後にする。
私とH氏は「行ってきます」・・・
2人とも松葉杖で外出できるようになった。
病院近くのスーパー?に買い物に行くと其のスーパーは不思議な構造で、
3階建てなのですが、上りは階段のみ!下りはエスカレーターがある。
階段を松葉杖で上っていると背後からなにやら気配を感じる。
振り返ると、見知らぬ人が何時私たちがバランスを崩しても受け止められるように構えてる(笑)
スーパーから出ようと出口に向かうと、ずっとドアを開けて待ってる人がいる。
私たちが出ると、その人も出て行く・・・病院が地核にあると言ってもこの思い遣りというか
心遣いには正直驚いた。人間味があるって言うか、何というか・・・
で、病院で過ごす誕生日とクリスマスは複雑な気分だ。
一応プチケーキが夜に出る。クリスマスが過ぎると、外泊可能な患者の追い出しにかかる(笑)
年末は事故も多く、少しでも患者を減らしたいみたいだ。
私はとりあえず父の家に外泊することにした。
で家にいても仕方ないので有馬温泉に行くことになった。
年末年始は温泉三昧!その時は松葉杖こそまだついていたが、足にゴミ袋を巻くことなく
お風呂に入れるようになっていた。
有馬温泉滞在最後の日に風呂に入っていて外を見ると雪が降っている。まぁ、大してつもらないだろうと
思っていたら翌日なんとドカ雪!(笑)配車係が駐車場から私の車を出せない(笑)
なのでホテルの人におんぶして貰い私が車を出しに行った。
何とか駐車場から車を出し、父を乗せて六甲を下っていく。
有馬から六甲までは結構な積雪でしたが、何とかチェーンを巻かずに六甲に辿り着いた。
(まぁ最もチェーンなど持っていなかったけど・・・)
久々に楽しく雪路を走れた!でも六甲を下る頃には有紀は全くなく、西宮市内を走っていると
雪を乗せて走ってるのは私くらいか?(笑)
でそのまま病院へ戻りました・・・
そして2回目のアキレス腱延長手術を受けることになる。
そしてその手術が終わってある程度リハビリしたら退院です!と言われたが、
その病院は退院だけど、自分の住む地域でまた入院しなさいって・・・
つまり転院です。
転院前に一旦外泊を貰って、転院先に診察を受けて、受け入れ体制が整ったら転院する。
当然病院も父も来るまでの帰京は許して貰えず、新幹線で帰ってきた。
西宮ではドアを開けて待っていてくれたりしたが、関東は・・・目の前でドアが閉まる(笑)
なんとかアパートの最寄り駅に辿り着いたが最悪なことにその日は大雪!
友人に電話してアパートに送ってもらった。
凄く懐かしいし、安心した。
翌日はアパートから近い貸していた自宅に向かい、帰宅に向けて賃貸契約の解除を伝えた。
まぁ、まだ数ヶ月有るし、アパートもあるので次の物件が見付かったらでいいよ!って・・・
で其の自宅に一番近い病院へ紹介状と資料を持って行き、受け入れ可能か?
その後の手術は出来るのか?確認してOKって事だったのでそこに転院する事にした。
でその翌日から3日間は地元の友人と遊び放題!そしてまた西宮に戻って手術を受けました。
リハビリも進み、いよいよ退院?へのカウントダウンです・・・
Posted at 2009/07/11 01:13:15 | |
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2009年07月10日
さていよいよアキレス腱の延長と神経バイパスの手術の日がやってきました。
神経に関しては術後1年以上経たないと最終的に成功か失敗かが判断できない。
と言うのもバイパスしてとしても神経伝達の回復は1日1mmだそうで、
足の指先までは30cm以上ある。
その期間、治る!と言う期待を持ち、結果駄目でした・・・なんて事になるなら、
今から駄目な状態に慣れた方が良くないか?
と私は一応拒んだが、やるべきだ!と医師に丸め込まれました(笑)
まぁ、一応ある意味患者はモルモットですから、命に関わりのない成形手術であれば
実験できますからね(笑)
今回は問題なしに全身麻酔!なにせ神経をいじるわけですから、半身麻酔じゃ脳がオーバーヒート
しちゃいます。
また、神経を1本1本確認しながら取り出して、バイパスしていく作業なので予定手術時間は14時間
でした。
入院仲間の皆に2時間くらいで出てきたら、駄目だったと思ってね!と冗談で言っていたのだが、
きっかり2時間で手術が終わってしまった。(笑)
オペ室は救急病棟の2階なので、エレベーターで1階降りればオペ室。
しかし、最初にオペ室に入ったときはびっくりしましたね・・・
オペ室って1つの部屋しかないと思っていたのですが、オペ室に入るといくつもの小さめのオペ室があり、
一番奥に大きなオペ室がありました。
私はその大きなオペ室なのですが、そこに行くまでに色んな人の手術を見ながら通るんですよね・・・
何か解剖してるみたいでちょっと怖いです・・・
で手術が始まったんですが、先ずはアキレス腱を伸ばしたそうです。
しかし縮みきってしまっている為、一度に伸ばすことが出来ない!
なので、とりあえず45度位まで戻して今回のアキレス腱延長は終わり。
でいよいよ神経バイパス手術です。
神経が遮断されていると思われる部位を切開したところ、細くはなっているものの一応筋肉は
あったにはあったのですが、普通筋肉って赤って言うか、ピンクって言うか・・・色があるじゃないですか?
私の左足の膝下5cmのふくらはぎの筋肉は驚くなかれ真っ白だったそうです・・・
良く科学実験とかでゴムボールを入れた水槽に圧力を掛けて深海と同じ状態にしたら
ボールは潰れますよね?
私は事故の時にひしゃげた車から左足が車外にでて、追突してきた10tと前に停車していた10tに
左足を押しつぶされてたんですが、そのときの衝撃が深海と同じ作用をして
私の左足のふくらはぎの筋肉組織は壊死してしまったそうです。
でも壊死してるのにその部位が広がらないのは何故?って聞いたんですが忘れました(笑)
で、結局神経をバイパスしても筋肉が壊死している以上は、神経は戻らない・・・
なのですぐに縫合したそうです。
私が目を覚ましたのは病棟にあがるエレベーター待ちのときでした。
外が明るいので翌日?いやそんなことはない・・・駄目だったんだな!とすぐに分かりました。
看護婦さんに何時間?と聞くとえ!もう目が覚めたの?と驚かれたが2時間弱と答が返ってきた。
またも特別病棟に入れられたのだが、仲間達はみな冗談で言ったことが本当になってしまったので
なんて声かけよう?って戸惑っていましたが、例によって術後十数分で飲物を飲み始めた。
今回もアキレス腱の手術をしたのでギプスはされたが膝下まで。
オペ部は幸い痛みを感じない部分だったので今回はお○ん○んのカテーテルは入れたまま。(笑)
主治医が神妙な面持ちで現れたが、また飲物飲んでいるのでちょっとびっくりしながら
筋肉が壊死してるため駄目だった・・・と言ったので、でしょ!と私は明るく答えた。
今回は抗生剤も私に使用しても問題ないものをちゃんと使ってくれたので、翌日には
自分のベッドに戻ることができた。
ギプスにはヒールが付けられていたが、アキレス腱を延長したとは言え、
つま先が45度ほど下を向いているのでヒールの意味をなさない(笑)
なので抜糸後に特別な装具を作ることになった。
それが出来ないと左足に体重を掛けることが出来ない。
理由はバレリーナのように左足はつま先で立つことになるので、相当負荷がかかる。
負荷がかかっても痛みを感じない足では指の骨が折れても気付かないので
それまではまだ左足を付けない・・・
ギプスが膝下になった事でやっとお風呂に入れるようになった。
とは言ってもまだシャワーまで・・・左足にゴミ袋を被せて、復路の口側にタオルを巻いて
そこをガムテープでとめる。
それまではタオルで体を拭いていた。洗髪は洗面所に洗髪台があったのでそこで洗髪していた。
入院当初は看護婦さんが体をふいてくれたり、ベッドに洗髪台を持ってきて洗ってくれていた。
で、タオルなのだがピンクと黄色があった。
色の説明は受けていなかったので適当に拭いていたのだが、ある日看護婦さんがそれを見て
大笑いしながら「ピンクは上半身・黄色は下半身よ!」って・・・
最初に言えよって感じです。黄色のタオルで思いっきり顔拭いてた(笑)
風呂と言えば夏のある深夜、風呂の入口には南京錠で鍵がかかってる。
私の部屋は風呂に近かったのですが、誰かが風呂に入ってる!
桶にお湯を溜めて、体を流す音が聞こえてくる。
誰か特別に入れて貰ってるのかとも思ったが、入口を見ると鍵がかかってる。
誰か閉じ込められた?いや見回りで患者の数は数えてるからそれは無い。
で喫煙所でタバコを吸いに行き、看護婦さんに「誰か風呂に入ってる!」と伝えると
そんな馬鹿な!って話に当然なる。
で一緒に風呂に行き鍵がかかってることを確認して耳を澄ませていると聞こえてきた!
看護婦さんは目が点!鍵開けて確認した方が良いんじゃないの?
と提案したが怖がって・・・
で他の深夜勤の看護婦も風呂の音を確認して貰ったら全員聞こえたので、確認しないと
って事になり、看護婦さんが鍵を開け、何故か私が見に行くことになりました(笑)
電気が消えているので電気を付け見てみると誰もいない・・・
脱衣所と浴室は当然フラットで、仕切りはカーテンのみだが、カーテンが開いていたので
見渡しはいい。だけど誰もいない。誰もいないことを伝えると看護婦さん達は入ってきたが
みな怖がっている。見回りは通常1人でするのだがこの日は2人で廻ってました(笑)
一体何だったんでしょうね・・・・
それ以来その音はしなくなりました。
アキレス腱の抜糸をしてギプスが外れた!でも半分に切ったギプス(シーネ)は
当分付けていなければならない。
で装具の採寸をして、仕上がりは2週間後。それから本格的なリハビリが始まる。
そして気節はもう12月になろうかとしていた・・・
Posted at 2009/07/10 15:21:16 | |
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2009年07月09日
夢で何故か草原を走り回っている夢をよく見ました。
看護婦さんに起こされて初めて、装外固定の左足を上げて、ギプスを巻いた足でベッドの横に
片足立ちをしていることが多くなりました。
無意識に「歩きたい!」と言う願望が夢遊病?の様に体が反応してしまうんでしょうか?
そんな日々を過ごしながら入院4ヶ月目に入り、右足の骨折は何とか完治して、靴が履けるようになりました!
しかし左足は動かす度に骨折部が「ポキッ!ポキッ!」と音が鳴ります。
ピンを抑えてる部分が調整式でなかったため、化骨し始めても
足を動かすと骨折してしまう?感じで全然骨が化骨しません。
血液検査でも骨髄炎の兆候も見られ、このままでは・・・・と言うことになり
キュンチャー(骨の中にチタンのパイプを埋め込む)を入れる手術をすることになりました。
で、その後に固まりまくったアキレス腱の延長手術と、神経のバイパス手術も行おうと・・・
左足は膝下5cmのあたり(ちぎれた所)から下の感覚が全くなく、
何をしても痛みや感覚が無かったので、神経の検査をする事になりました。
検査は筋電図と「いうものを使用するんですが、長い電極の針を足の奥深くに突き刺し
針を神経に触れさせて電流を流して反応を調べるんですが、
針を刺されても痛くはないんですよ!でも電流を流すと骨折部に鈍痛が・・・・
骨の中の神経は生きてるんですね・・・
何カ所も何カ所も針を刺し、電流を流す・・・
検査が終わったときは痛みはMAX!
満身創痍で病室に戻り、唸っているとスピーカーから
「満太郎さぁ~ん!もうちょっと見たい箇所があるそうなので、もう一度検査室に行って下さぁ~い!」
で嫌だ!って言うと看護婦さんに強制連行されました(笑)
でまた同じ検査をして・・・
結果はちぎれた箇所で電気がそこからしたに微量しか流れていないそうで、
痺れの感覚しかないそうだ。
なので左足の別な比較的不要?は神経を取って、そこを迂回する様に神経をバイパスさせる事になりました。
神経の手術を行うのは神経の分野では日本で3本の指に入るほどの名医だそうだ。
しかしキュンチャー挿入とアキレス腱延長・神経バイパスを同時に行うのは無理!
って事で、キュンチャー挿入をまずする事に・・・
しかしオペまではまだ時間がある。
でせっかく右足が普通に戻ったのだから車にでも乗るか!って父に電話して、
私の車を病院に持ってきて貰った。車はATだったので問題なく運転できる。
運転自体は問題ないが、病院の外は精神的に疲れるのと、目が車のスピードに付いていかない。
運転の練習は甲子園球場のそばの工業地帯。
日曜は車の通りが少ない。
毎日練習して、1週間程度で昔のように運転できるようになった。
病院の駐車場に車を置き、とある平日に外出許可を取って六甲に走りに行った。
前をプジョーがトロトロ走ってる。
イライラしてきたので一気に追い越してやった!
翌日主治医が鉤を渡せと・・・何でばれたんだ?
抜いたプジョーは主治医だった(笑)
私の住む地域のナンバーだったので、抜かれるときに顔を見たって・・
そんなこともアリながらも、いよいよキュンチャーを入れる手術日がやってきた!
先ずは装外固定を外さなければならないのですが、通常局所麻酔を打つ程度らしいのです。
ただキュンチャーを入れるので最終的には半身麻酔は打たないといけません。
装外固定を外す時に麻酔を打つなんて前代未聞だ!ってしかも全身麻酔(笑)
だって腰に麻酔を打たれるあの痛さ!堪えられません(笑)
装外固定は外れたのですが、ピンを抜く際に骨が付いてないので外そうとすると激痛が・・・
で全身麻酔をして貰いました。
ちなみに全身麻酔は吸入式と注射式があって、私の場合は吸入式でした。
イチ・ニ・サンで気が遠くなりますよ!って言われましたが、
イチ・ニで気を失いました(笑)
で目を覚ますとあの出っ張って邪魔だった装外固定が無くなっていたのと、まっすぐ伸びなかった膝が
まっすぐになっていた。
先生に聞くと4人がかりで足を真っ直ぐに伸ばすためにぶら下がったとか・・・
腱が切れたらそうすんだ!って感じですがまぁ伸びたのでリハビリの手間が省けました。
しかし神経のある膝を切開してそこからドリルで骨に穴を開け、そこからパイプを通したんですよね。
骨の中は痛くないんですが、膝の傷口が痛い・・・
痛いので右に左に寝返りを打つと、お○んち○のカテーテルが突っ張ってお○んち○が痛い(笑)
で、術後3時間で抜いてもらった。
膝が痛いので膝を抱え込んでしまう。
すると傷口が開いちゃうので足を抱えられない様に足を大腿部までギプスで固定されちゃいました。
あと全身麻酔後は喉が渇く、飲物をくれといっても麻酔をかけた後は気管に詰まりやすい。
特に全身麻酔の場合は・・・だから飲物・食べ物は24時間禁止!
でも喉が渇く・・・主治医はどうせ吐くことになって自分が辛くなるんだから飲ませちゃえ!
って事で飲物解禁!
入院患者仲間に思いっきり飲物を買ってきて貰った。看護婦は横手吸引器を持ってスタンバイ!
一気に飲んだ!吐き気はない!更に飲む・・・
で結局3リットルくらい飲んだ(笑)でその間500ccの点滴を4本
合計5リットルの水分が体内に入ってるのにカテーテルを外していたためおしっこが出ない!
麻酔が残ってるので膀胱は痛くない。がそれが大問題!
このままおしっこが出なければカテーテルを入れることになるよ!って・・・・
入院時の忌まわしい記憶が蘇る・・・・なんとしても出さなければ!
しかし医師と看護婦は「でる訳がない!」と準備を始める・・・
イヤだ!絶対にイヤだ!と全神経をお○んち○に集中し、心の中で「出ろ!出ろ!」と念じた・・・
出た!おしっこが出た!が、尿瓶が絶対に足りそうもない・・・・
ナースコールを押して「尿瓶の追加お願いします!」って・・・
沢山持ってきてくれた(笑)結局尿瓶7本分出た!
医者もこんな患者初めてだ!って(笑)
通常オペ後は2日くらい特別室にいる事になるのだが、何かの手違いで私に投与してはいけない抗生剤を
投与してしまったためアレルギーの副作用が・・・と言っても蕁麻疹が全身に・・・
痒い!とても痒い!で、膝も痛い・・・
何とか1週間で自分の部屋に戻ることが出来た。
膝の痛みもなくなったのと抜糸するのでギプスを外しました。
でもまだ左足に体重はかけれません。その前に筋力を戻さないと・・・
でやっと松葉杖の練習が始まりましたが、血が下がる・・・左足はどす黒くなる・・・
痺れる・・・この症状は筋力を戻さない限り続く・・・
そして松葉杖練習初日いきなり階段へ連れて行かれる。
何も教えてもらえず登ってみろって・・・
杖から先に登ろうとすると当然登れない。そうか!足を先に出すんだな!って
バランスが難しい・・・上り欠けてる途中で重心が後ろに行くとバランスを崩す。
何とか踊り場まで登った!さて降りるときは・・・
当然足から降りたら7段飛ばしくらいで落下する(笑)
今度は杖から先にそして足・・・1段づつ降りていく。
リハの先生に、落ちたらどうします?って聞くと
「安心しなさい!ここは病院!すぐ手術できるよアハハ・・・」って・・・
あと「左足は絶対に折れないよ!チタン製だし!他は折れるだろうけどね!」
って・・・・
とりあえず車椅子とは違う腕の筋肉も必要だし、その日は往復3本階段の練習をした。
バランスを崩しそうになったら杖を離せ!これが鉄則です。
ある日曜日、階段で自主練していた。案の定バランスを崩した・・・
杖を離す・・・杖は下に滑り落ちる・・・移動手段を奪われた!
が座った状態で1段1段下りて杖を拾い練習再開!
4日ほどで松葉杖はマスターした。
が婦長さんは極力車椅子を使用しなさい!って・・・病棟の自分の階を移動するときは松葉杖、
売店や外出は車椅子・・・と言う使い分け。
さて入院してると何かと金がかかる。
治療費は加害者負担なので問題ないのだが、入院2ヶ月で治療費が1,000万を超えた!
加害者が泣き付いてきた・・・「健康保険を使わせてくれ・・・」って
そう言われても私じゃ判断できないので会社に相談しろと・・・
健康保険を使ったところで、健保から数ヶ月後れで保険使用分は加害者に請求されるが、
全額自己負担だと毎月現金で払わないと行けない・・・当時は保険使えば1割だったので
その場凌ぎでは100万で済む。会社もそれを了承したらしい。
で私の生活費は?
有休も使い果たしたが何故か会社はずっと公休扱いにしてくれている。
給与も事故の前月(営業職だったので結構良い給料だった・・・)と同じ額を振り込んでくれている。
毎月給与明細を病院に送ってくれる。不思議だ(笑)
で、加害者側からも事故前の3ヶ月の平均を毎月振り込んでくる。
(示談金の仮払いではなく、生活費として保険とは別に支払ってた。)
1月で2ヶ月分の給料が入ってくる!
が病院に当時はATMが無かったので銀行に行かなければならない。
看護婦さんに車椅子を押して貰い銀行に金を下ろしに行く。
で欲しいモノが売店にない場合は日勤の看護婦さんが特別に買い物をしてくれて
翌日病室に持ってきてくれた。
いよいよアキレス腱の延長手術と神経のバイパス手術の日が近づいてきた。
病院の横に美容院があったので、髪の毛を切りに行こうとしたら女性専門だってことわられた。
地図を見せて貰いそう遠くない場所に床屋を発見!松葉杖で行ってみた。
歩ければ遠くない距離だが、松葉杖だとかなりの距離に感じた。
行きも絶え絶え床屋に就き髪の毛を切って貰い、帰ろうとしたら店主が
大丈夫か?とタクシーを呼んでくれた。1メーターの距離。
タクシーに乗り病院に着いたので金を払おうとしたら運ちゃんはメーター上げ忘れたって
料金を取らない・・・しかし払わないとと言うも、受け取らない。
なんとそのタクシーは事故に巻き込まれていたタクシーだった!
一目見て私だと気付いたらしい。元気になったんだからそれで良い!って・・・
嬉しくて涙が出てきた。
タダになった事が嬉しいんじゃなくて、知らない人がまた私の事を心配してくれていた事が
うれしかった。しかしこの外出が後に問題となる。
その日の夜から熱が出た!
半端じゃな高熱だ!40度を超えると人は死ぬと良く聞くが40度は超えていた・・・
血液検査したら白血球が以上に多い!急性白血病?
とにかく熱を下げる処置が施され、翌週には平熱にもどった。
再度検査すると白血球が以上に少ない・・・膠原病の疑いが・・・
翌週また検査すると正常値に・・・結局原因不明・・・
主治医に変な病気じゃ・・・と訪ねると大丈夫!変な病気じゃないよ!
原因不明なだけだから!って・・・原因不明だから怖いんじゃん・・・
で1週間後にオペが決まった。当然外出禁止令がでた。
暇だ・・・入院仲間に時間潰しのためにパズルを買ってきて貰った。
買ってきたパズルが海と空!(笑)殆ど青じゃん!しかも1000ピース!
一生懸命パズルを組み上げる。
オペ前日、残すところ1/3!今日中に完成できるか!
ん?何か熱っぽいぞ!検温すると39.7℃・・・
またまたオペ延期・・・今度はパズル禁止令も加わった。(笑)
翌週検査結果が出た。問題なし!また熱が出たら困るので翌日に緊急オペをする事になった。
今回の発熱の原因はカルテにこう書いてあった。
パズルを組み立てた際に無理に頭を働かせた事による知恵熱!(笑)マジかよ!自分でも笑った。
でいよいよアキレス腱延長手術と神経バイパス手術の日がやってきた。
Posted at 2009/07/09 16:04:02 | |
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