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満太郎のブログ一覧

2009年07月09日 イイね!

ガリからの残念なお知らせ・・・

さっきガリからメールが来た。

セーフティードライビングフェスタの時、ボーローニャモーターショーに
参加してるので残念ながら日本に来れない。

ボローニャモーターショーは12月5日・・・

残念!

でも何らかの形で日本来日の機会を考えよう・・・

Gigi fan Day in Japan!を現在も交渉中!

Posted at 2009/07/09 12:17:57 | コメント(3) | トラックバック(0) | 日記
2009年07月09日 イイね!

私が何故障害者になったのか?・・・7 入院生活編


しかし、昼間は周りの患者さんに危険が及ぶので、GP開催はもっぱら深夜。



夜な夜な眠れない患者が急命病棟の喫煙所に集合し、2号棟に渡ります。



2号棟から1号との自販機までレース開始。



コーナーでは瓜側の車輪をロックさせ、外側の車輪を力一杯回す。



するとサイドターンの様なタイトにコーナーを曲がることが出来る。



しかし、床のタイルにはブレーキ痕がしっかりと残る・・・



直線では空気抵抗を減らすべく、(効果はないんですが気持ですかね・・・)



前傾姿勢を取るのだが、あまり前傾姿勢を取りすぎると自分の車椅子の場合は



座面に板を敷いていたので、体重がつま先側に乗ってしまうと板が滑り台の役割をしてしまい



車椅子から落下したこともしばしば・・・・



そのたびに当然看護婦さんには叱られる。(当たり前!!)



さらには施設管理の方からも当然お叱りを受け、院内車椅子GPは中止となりました。



そんな事もあって・・・・



入院中の強烈なキャラクターの一人にY氏が居る。



Y氏は公務員の方で、元元ヘルニアで入院していたが退院後に術部に床ずれをおこし



再入院していた人なのだが、なぜ強烈かというと私が入院当初、皆が声を掛けてくれていたと



話したと思うのですが、そのときにその方の顔そっくりな似顔絵を鏤めたパジャマを着ていたので、



奥さんの手作りなのか?ずっと気になっていた。



私が車椅子に乗れるようになってからも仲良くして貰っていました。



(退院して事故から20年経った今もつきあいは続いています!)



でパジャマの謎を聞くとなんと市販品だそうで、奥さんも本人も驚いたそうです。



で、院内車椅子GP閉幕後のある日、Y氏が一緒に売店に行こう!と車椅子を押してくれていた。



病棟の2階におりて太鼓橋を渡り、渡りきる瞬間に段差があるので気を利かせてくれたのか、



車椅子の押手部分をちょっと持ち上げてくれた。



が珪砂がついてしまった為、滑り台効果で装外固定の左足に体重を掛けて立ってしまった。



痛みはさほど無いものの若干痺れがきつくなったか・・・



でもY氏には「大丈夫!」と伝え売店まで行って買い物を済ませ、病室に戻ったのですが



Y氏は責任を感じてか、ナースセンターに私が車椅子から落としてしまったと自ら報告してしまったのですが、



看護婦一同、車椅子GPの件もあり、Y氏が私をかばって嘘を言っているとしか思ってくれず、



その後私は呼び出しをくらい、お説教を受けることに・・・



最後まで誰も信じてくれませんでしたが仕方ないですね!



結果的には骨もずれていなかったし、問題はなかったのでY氏も安心してくれました。



次にインパクトがある仲間としてはH氏。



土曜日は午前中で売店も閉まり、日曜日は開いてませんでした。



H氏と私が県外の患者。



当然土日は見舞客も居ないけど、他の仲間は見舞客が来るので2人で1号棟の喫煙所で



どうでもいい話をしてました。(笑)



H氏は愛媛に住んでいた。大型連休の前日に子供のお菓子を買いに出掛けてたら途中で居眠りして



兵庫県内の橋の欄干に激突して両膝粉砕骨折と左大腿部骨折、そして車輌火災により



顔以外の大部分に火傷を負ってしまったそうです。



本人は車が燃えて意識が遠退く中、自分の身分を示すものを残さなければと、



車検証を車外に投げ出したところまでは覚えていたそうで、気が付いたらICUだったそうです。



お子さんが小さかったため、奥さんはお見舞いになかなか来れず、



見舞客の少ない私たち2人は必ずと言っていいほど連んで行動していました。



他にも色んな患者が居ました。



K君と言う高校生。



オートバイの事故で心肺停止状態で運ばれてきた。



右肩から肘にかけ、事故の時に引きづられてしまった為、皮膚と筋肉の一部を失ってしまった。



事故後の神経の高ぶりと、不安と、薬の影響か、月双のお母さんに対して酷い言葉を



浴びせていて、おじさま入院患者達は元気になったら締めてやる!



とお怒りになっていた。



私が大人しくさせてみせるからソウ怒らないでやってくれと・・・・



そういって私は彼の病室に入り、耳元で一言囁いて病室を出ると彼はおとなしくなった。



お母さんに対してもそれ以降、悪態を吐くこともなくなった。



え?何を囁いたかって?



彼にはこう囁きました。



「このベッドで君が来る前の日に、おじいさんが亡くなったんだよ・・・」



「お母さんを大事にしないと毎晩色んな話をしに来てあげるよ・・・」



って(笑)



事実ですし、母を失った私としては若い頃の自分と重なり合う部分が・・・



しかしその日以降、看護婦から彼のカウンセラーとして昼間にまともな話で



話し相手になってあげてと・・・



後は君枝さんというおばあちゃん。



事故で頭を打ち、入院していた。



昼間はまぁ普通に近いのだが、夜になると記憶が50年前に戻ってしまう。



寝かし付けようと睡眠薬を看護婦さんが飲ませようとすると、



「人殺し~!」と叫びながら看護婦さんにかみついてしまう。



で私たちが消灯時間後も喫煙所でたむろしていると、そこに来たがるのだが薬は決して飲まない。



のだが、なぜか私に懐いてしまい、私が薬を飲ませるとおとなしく飲み、



自分の部屋に戻りように言うと、おとなしく部屋に戻る。



当然君枝おばあちゃんの夜の寝かし付けがかりも私の役割となった。



入院して3ヶ月で私の受け持ち患者?は諸学生の男の子・同室の女の子・高校生・おばあちゃんの



4人となりました(笑)
Posted at 2009/07/09 00:01:00 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2009年07月08日 イイね!

うぎゃぁぁぁぁ

自然がいっぱいって言ってもねぇ・・・



こりゃでかいでしょ!



さっさと退治して、悟空のお水を交換してあげました。



調べたらアシダカグモらしい・・・



小さい頃は手掴みできましたが、今は無理!



ゴキブリも駄目です。



退院後自宅にもどたっ時、階段にゴキが居て、たたきつぶそうとしたらこっちに向かって飛んできた!



で、階段から転げ落ちた・・・



それ以来ゴキ恐怖症です。(笑)

Posted at 2009/07/08 17:10:26 | コメント(3) | トラックバック(0) | 日記
2009年07月08日 イイね!

私が何故障害者になったのか?・・・6 入院生活編

救急救命病棟には本当に、毎日時間を問わず患者が運ばれてくる。



しかし病棟に上がってこられるのは、運ばれる人の内10人に1人位・・・



大半はICUまで・・・若しくは確認作業で終わってしまう。



ある日眠れないのでいつものように喫煙所でタバコを吸っていた。



喉も渇いたので、ナースセンターに寄ってから自販機のある1号棟(外来病棟)に行こうとしたら、



看護婦さんが「今は行かない方が良いと思うんだけど・・・気をしっかり持って行きなさいね!」



って意味不明・・・



私は救急病棟の3階に入院していた。



2号棟に行くには2階にEVでおり、太鼓橋を渡ってまたEVに乗って1階へ降り、1号棟へ向かう。



救急病棟の2階はオペ室がある。1階は急命の処置室。



で2号棟の地下3階(EVの表示はB2Fまで)は霊安室と損傷の激しい場合の形成処置室がある。



私が2号棟の2階でEVを待っていると、救急病棟の方からストレッチャーの音が聞こえてきた。



交通事故で運ばれたが、手の施しようのない方が2号棟地下3階へ向かって・・・



車椅子に座った状態の目線って、ストレッチャーの高さなんですよね・・・



時間も時間なので患者が居るとは思っていなかったようで、シーツも何もかかっていなかった。



かなり酷い事故のようで、男女の区別も年齢も想像できないくらいでした・・・



当然私は手を合わせて、ストレッチャーを先に行かせました。



時間も時間だし、廊下には転々と血の跡もあるし、2号棟の病室側のEVまで周り



1階に下りて、1号棟へ・・・



帰りも同じルートで戻りましたが、救急病棟に戻ったらEVを掃除していて1Fに降りたまま。



病室に戻れない(笑)



なるほど!看護婦が言っていたのはこういう事だったのか・・・



時既に遅し!(笑)



2号棟に戻り、1階へ下りて警備室から外に出して貰い、救急救命の入口そばの喫煙所に車椅子を止め、



先程買ったジュースを飲みながらタバコを吸って時間を潰した。



入口からご家族の泣き声が聞こえる。



自分の時はどうだったんだろう?と考えていると一人のおばさんが話し掛けてきた。



満太郎さん元気になったね!って・・・



誰だろう?と思っていたら、私と同じ日ほぼ同じ時間に息子さんが搬入されたみたいで、



息子さんは命は取り留めたもののまだICUに入るらしい。



私がどうなったのか?ICUでも姿が見えなかったので看護婦さんに聞いたところ



救急病棟に移ったと聞いて安心してくれてたそうだ。



赤の他人だけど、自分の息子と同じ時に運ばれて、ある意味元気になったことを喜んでくれる人がいる。



正直嬉しいし、元気付けられる!



暫くおばさんと話し、警備員さんが「満太郎さん!エレベーター使えますよ!」って呼んでくれた。



時間はもう朝の4時・・・



ナースセンターに戻りましたと声を掛け、自分のベッドに戻りました。



が寝れない・・・ストレッチャーに乗っていた人の顔が浮かんでくる・・・


本当に毎日の様に人が亡くなる・・・



人の死には慣れることは出来ないが、生きている事への感謝の気持が大きくなっていく。



気のせいかも知れないが、病棟に上がって絶叫したとき、



母の顔が天井の隅に浮かんでた。



とても心配そうな顔をしてずっと見ていた・・・



3回目のモルヒネを打ち落ち着き始め、意識が遠退いて行くとき



安心して母の顔が微笑んでいたような感じがした。



なんで顔だけだったんだろう?



不思議に思っていたが、母は事故の外傷は殆ど無かったが、肩から胸・腹部にかけて



シートベルトの後がくっりりついていたと聞いて何となく顔だけしか見えなかった理由が



分かったような気がした。



また、父が「死んだじいちゃん何してたか知ってるか?」って突然聞いてきた。



物心ついたときには仕事してなかったから知るよしもないが、



追突してきた運送会社の役員だったらしい。



事故に遭う日の昼間にじいちゃんの墓参りに入った。



じいちゃんが誰かを呼んだんじゃないか?



もしかしたら御前だったけど、母ちゃんが代わりに逝ったんじゃないかって・・・



事故の事情聴取は病院で行った。



何度も高速隊が来ていたのは知っていたが、婦長さんが許可しなかった。



婦長さんなりに私の精神状況を見て判断していたのだろう。



ある日婦長さんが「高速隊から電話だけど出れる?」と聞いてきた。



婦長さんなりにもう大丈夫と判断したんだろう・・・



高速隊には事故の資料全部見せてくれと伝えた。



調書ではなく、現場写真を全部見せてくれと・・・



通常は見せてはいけないそうだが、特別にと・・・



事情聴取も当然の事ながら喫煙所(笑)



高速隊は約束通り写真を全て持ってきてくれた。



自分が車内に閉じ込められている所。



彼女が路側帯で泣いてる所。



私が搬出されてストレッチャーに乗せられる所。



母が閉じ込められている所・・・



母を救出してる所・・・



搬出される所・・・



本当によく助かったと思う。



不思議と悲しい身は沸いてこなかった。ただ込み上げてくるのは母への感謝の気持・・・



追突された場所から停車したところの場所を移した写真。



本当によく炎上しなかったと思う。



この写真は父も姉も見ていないそうだ。



喫煙所なので、他の患者も来るが、皆察知して近づかない。



高速隊の隊員は不思議なことを聞く。



自殺は考えられないか?って



助手席に乗っていて、事故にあったのに自殺?



まぁ、聞かなきゃいけないみたいですけどね・・・



前にも書いたが、運転席のスペースが残っていたのは説明が付く。



私が助かったのも運が良かったと一言で終わらせられる。



でも車が炎上しなかったことだけがどうしても説明できない・・・



最後に高速隊の人は



「誰か一人死ななければならなかったとしたら、お母さんが自ら犠牲になり、二人を助けた



としか考えられないのですが、調書には書けないので、炎上しなかった理由は不明とします。」



あ!でも私は決して宗教を信仰してるわけじゃない。



困ったときにしか神様には頼み事もしない(笑)



母が死んで、墓地を購入したときに初めて何宗か知った位だ。



でも事実は常識では説明の付かないこともあるんだって・・・



そう思わなきゃ割り切れないし、自分を納得させられないこともある・・・



私が小学校6年生の時に、いとこが交通事故で死んだ。



青信号で交叉点を渡っていたら左折してきた大型トラックに巻き込まれて・・・



そのときの運送会社は・・・・



私たちに追突した運送会社だった・・・

Posted at 2009/07/08 13:04:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2009年07月07日 イイね!

私が何故障害者になったのか?・・・5 入院生活編

車椅子の生活にも大分慣れては来たが、



足のシビレにはそうそう慣れるものじゃない。



入院当初はずっとベッドの上で、見えるのは窓からの景色と



部屋の壁・天井とドアから見える人の往来だった。



あの人の往来は何処へ向かっているのか?



その前には何があるのか?



それが車椅子を得たことで、世界が一気に広がった。



何故車椅子に居たが敷いてあったのか?



最初は意味がよく分からなかったが、車椅子生活になってベッドにいる時間が減った事で



意味がやっと分かった。



人間の血液は皆さん御存じの通り心臓の筋肉の伸縮によって血液が体中に押し流されている。



動脈を通り、毛細血管に流れ体の末端に酸素などを運んでる。



右足はギプスが重り代わりになり、筋力はある程度保たれていたので足に下がった血液は筋肉が



ポンプの役割をして静脈に押し上げる。



しかし左足は全く動かせないので下がった血を押し上げるポンプの役割をしないため



血は下がったままで、ベッドで寝るときも心臓より足を高くする台の上に足を乗せて



うっ血をふせいでいた。



うっ血とは別に事故の時に損傷した神経のせいで常に足が痺れている。



気圧が下がると(雨が降る前とか)痺れはきつくなる。



また人間は微量の電気を放出しているとは聞くが、装外固定に手を近づけると



痺れがきつくなる。例えば目隠しをされていても誰かが装外固定に手を近付ければ



痺れ具合で分かるのだ。



人間の体は不思議だと痛感した。



車椅子生活になってから仲間も増えた。



救命救急病棟だから交通事故の人、労災の人、病気の人、と色んな人がいた。



ある日私がいつもの様に深夜喫煙所でタバコを吸っていると看護婦さん達の動きが慌ただしかった。



時間も深夜2時頃だったろうか?



大部屋に入院していたおじいさんの容体が急変したのだ。



私は体ひとつで入院したので、荷物は少ない。



急遽特別室におじいさんを運び、私が他の大部屋に入ることになった。



結果そのおじいさんは翌日には特別室には居なかった・・・



で私が入った部屋には小額1年生の女の子が入院していた。



左上腕部の骨折で、私と同じようにその子は肘にワイヤーを通し重りでつっているのでベッドから動けない。



他は戦争で右手を失ったおじいさんで肝臓の病気で入院しているおじいさん。



もう一人は私と同じ装外固定の祖父さん・・・



大部屋と言っても普通なら2人部屋ほどの広さなのに、そこに4人居るわけだ!





なので当然女の子がトイレの場合は全員出て行く。



また消灯時間になると女の子のお母さんが私のベッドと、女の子のベッドの間に



簡易ベッドを置いて、お母さんが付き添いで寝るので、車椅子がは慎重に出し入れしなければならないが、



何とか出し入れは出来そうだ。



かつて私がそうだった様に、彼女もまた私が車椅子でいつも何処に行っているのか不思議だったらしい。



部屋を移った当日は深夜だったこともあり、びっくりしていたが



翌日からは話す様になり、部屋を移って3~4日位してから毎日手紙を書いてくれていた。



「お兄ちゃんはいつも何処に行っているの?私が動ける様になったらお兄ちゃんの車椅子を押してあげるね!」



とか、日記の様な手紙を彼女が退院するまで毎日書いてくれていた。



彼女のお母さんがある日、「満太郎さん痛くて寝れないんですか?」と聞いてきた。



寝てしまえば痺れも気にならないので結構快適に寝ているのだが、



うなされているらしい・・・



ベッドには落下防止の冊を血蹴られていた。



寝る時は左足を下にして横向きで寝ていたのだが、寝返りを打つとき左足が勢いよく冊に当たりそうになっていて



当たる寸前に足が止まり、冊を避けていたそうだ。なので、寝ていないと思ったらしい。



で私は非常に寝相が悪い。女の子も寝相が悪い。



2人して腹出して寝てるそうで、お母さんは自分の娘と、私のパジャマを直してくれていた。



感謝!



あと別の部屋で交通事故で頭を今日出した男の子が居て、毎夜奇声を発していた。



私が入院当初皆がしてくれていたように、私も彼に毎回通る度に声を掛けていた。



周りの患者も声を掛けた。



治ってもコミュニケーションを取る事は難しいと言われていたそうだが、



1ヶ月程度で話せるようになったし、記憶力もしっかりしていた。



それ以降、毎朝TVの音で私が目を覚ますことが多くなった。



しかし子供の回復力は凄い!もう駄目だと言われながらもさっさと元気に退院していく・・・



私の退院は何時なんだろう?

Posted at 2009/07/07 13:41:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

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