今日1枚のハガキが届きました。
差出人の方のなつかしい名前と、猪●寺と言う地名を見て、甘酸っぱいものがこみ上げてきました。
ボクが、昔、当時つきあっていた彼女。
今の方はメールとか携帯とかあるからわからないと思うけど、きっかけは中学時代の雑誌での出会いの文通。
高校を卒業した春休みにバイト代を貯めて買った航空券で彼女に初めて会ったのは伊丹空港の到着ゲート前のロビー。
ロビーの出口の前にたたずんでいた水色のワンピースを着た少女。
右から4番目のガラスドアの横。
待ち人はそこにいた。
それが初めて見る彼女でもあり新たなほんとの恋の始まり。
その後、毎月のように彼女が贈ってくれた飛行機のチケットでその地を訪れた。
合計8回。
デートは決まって、三宮。
いっしょに街を歩いているだけで幸せだった。
でも彼女はいいとこのお嬢さんで、後継ぎの一人娘さん。
将来は、めがねにかなった人が、お父さんの会社を継ぐ婿養子を迎える。
だけどボクも長男。
彼女のご両親は、人間がとても出来ていた人だったから、反対こそ面と向かってしなかったけど、その心の内は二人とも痛いほどわかった。
いつもボクを笑顔で迎えてくれた。
反対してくれなかった優しさが尚更心に重く圧し掛かる。
彼女の苦悩もわかるから尚更辛いものもあった。
距離、手軽な連絡手段の少ない時代。
少しづつ温度差が広がっていく。
で結局別れてしまったんだけどね。
しかし運命とは皮肉なもの。
それからずっとずっと時が過ぎたとき。
とある大きな災害が起こった。
忘れもしないとある年の、1週間後の1月24日の早朝。
ボクは、公募があったので、迷わず会社に志願して、救援物資輸送の4tトラックの助手席に乗った。
東京の府●から宝●の事業所まで。
確か30時間以上かかったと思う。
特に大阪市内に入る手前からものすごい渋滞だった。
救援物資を輸送するトラックは一般車に比べればそれでも優先的に走行できた。
たった1週間の滞在期間。
名目上は二日休みがあったけど、現地は凄い事になっていて、やってもやっても仕事が終わらない。
とても自分だけ暢気に休める状態じゃない。
でも、たった10km南東には、あのいつもボクを笑顔で迎えてくれた彼女のご両親がいる。
どうしているんだろうか、心配は日増しに募る
で、休日、早朝から昼まで仕事してボクは、食料を仕入れると、借りたチャリで、荷台に詰めるだけの荷物と背中にリュックを背負って約10kmの、道のりを。
まるで戦後の買出しみたいだ。
2つのリュック一杯に詰め込んだお土産の食べ物に、彼女のご両親は、涙を流しながら、何度も何度もお礼を言ってくれた。
何で君をあの時もっとと、、、、、、。
その言葉がとても嬉しかった。
帰り道で自転車を漕ぎながら、ボクは、涙が止まらなかった。
当時すでに婿養子を迎えた彼女は、家の仕事の関係で東京にいて不在だったけど。
かえって会わなくてよかった。
思い出は思い出のままでいい。
時間を戻すことはできないのだから。
んっ?
ボクは何を書いているんだろう?
きっと酔いのせいで、何か妄想を書いているに違いない。
きっとそうだね。
人生の扉 竹内まりや
Posted at 2010/04/30 02:47:46 | |
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