時おり、無性に
会津の山々を見たくなることがある。
そういえば、昨年の12月にも鶴ヶ城に行った。
理由については、
心当たりがないでもない。
多分、高校生の頃にテレビで観た
映画の影響だろう・・・と密かに感じている。
その作品は
警察日記。昭和30年に公開された、白黒の古い映画だ。
主演は森繁久彌。三国連太郎、杉村春子、沢村貞子、東野英治郎らがしっかりと脇を固めている。
時代は、終戦から7~8年経った頃だと思う。
舞台は、
会津磐梯山の麓、架空の町である横宮町での話。
町では半鐘が鳴り響くものの、火事の現場に向うポンコツ消防車が何度もエンストを起こすドタバタ騒ぎ。
5人の息子を戦争で失って以来、少し様子がおかしくなった元校長(東野英治郎)が、
「空襲警報解除~!」と大声で叫ぶ姿に周囲は失笑する。
そんな中、下り列車の洗面所に置き去りにされていた赤ん坊しげると幼女ユキ子(二木てるみ)姉弟、さらに、騙されて
身売りされそうになっていた貧しい農家の娘二田アヤ(岩崎加根子)を連れた老巡査吉井(森繁久彌)が署に戻ってくる。
花川巡査(三国連太郎)は、二田アヤを家に連れて帰り、病身の母親(飯田蝶子)からも反省の弁を聞き、事は一件落着と帰途につく。
が、実は彼が帰った後、もぐりの人身売買周旋屋である杉田モヨ(杉村春子)がやって来て、若い警官の
純情ぶりをアヤの母親と共にからかっていた。
一方、赤ん坊と幼女の
引取り手を探して、町役場、孤児収容所、保健所、民生委員の家などを回る吉井だったが、どこからも
拒絶される。
たまたま立ち寄った割烹料亭掬水亭の女将(沢村貞子)から、赤ん坊だけはしばらく
面倒見ても良いとの返事を貰う。
吉井はユキ子を連れて子だくさんの自宅へ帰るのだが、そこではちょうど妻が、またしても赤ん坊を出産したところだった。
ユキ子はその赤ん坊を見て、別れた弟しげるのことを
思い出す。
同じ頃、倉持巡査(殿山泰司)は、万引きした母(千石規子)子連れを尋問していた。
引揚者らしいが、亭主が出掛けたきり帰って来ないのだと言う。
そんな慌ただしい警察署の中で、唯一のんきなのが署長(三島雅夫)。
嫌がる若い薮田巡査(宍戸錠)相手に強引に剣道の稽古をした後、地元の酒屋の次男坊だった丸尾
通産大臣(稲葉義男)が故郷に錦を飾るというので、その歓迎会に出かけることに・・・。
こうした終戦後特有のエピソードを織り交ぜ、物語は展開していく。
この作品の見どころは
2つ。
1つ目は、当時6歳であった二木てるみの
巧まざる演技。
2つ目は、磐梯山と田園風景の
素朴な美しさだ。
ラスト近くの森繁と二木の名演は、観る者を
カタルシスへといざなう。
ちなみに小1だった
西田敏行は、父親と共に警察日記のロケを見に行ったという。
後年、西田はテレビで森繁と、映画で三国と共演することになるのだから、よほど
深い縁があったのだろう。
少々前置きが長くなった。
何でも福島県立博物館では
、「みちのくの観音さま」という特別展を開催しているとのこと。
今年も磐越道が
雪道になる前に、行ってみたくなった。
そこで一昨日の10日、出掛けてみた。
7時30分、自宅を出発。
ダイハツムーブラテの背後に迫る不気味な影・・・。
いつもの東北道に乗る。
磐越道の五百川PAでトイレ休憩と水分補給。
休憩中、半年ぶりにM先輩から電話がかかってくる。
70歳を過ぎてなお、元気そのもの。
声の張りが昔と同じだ。
先輩に負けないよう出発進行。
トンネルを抜けると・・・
雪化粧の山々が見えてくる。
会津若松で降りる。
11時10分
トウチャコである。身障者用スペースに止めさせて頂く。
昼メシにはちょっと早いが、血糖値のことは気にせず、菓子パンをパクつく。
博物館までリハビリ開始。
たどり着く。
福島県立博物館は初めてなので、まずは
常設展会場から見学。
福島県の
歴史をテーマとして、年代順に多数の展示がなされている。
常設展はフラッシュさえ焚かなければ撮影OKとのこと。
相も変わらず下手な写真を撮る。
最初は竪穴式住居から。
特別展を観るためにやって来たのだから、体力温存を図り
撮影を端折る。
という訳で、いきなり江戸時代に。
そして戊辰戦争へ。
戊辰戦争といえば・・・
大砲(その1)
大砲(その2)
大砲の次は、当然発車オーライ。
下らぬギャグはここまで。
いよいよメインの
特別展会場に移動する。
特別展は写真撮影NGである。
会場入り口には
東日本大震災復興祈念と銘打たれている。
正式な名称は
、「みちのくの観音さま」 人に寄り添う みほとけ。
会場内は2つに仕切られている。いわゆる2部構成だ。
第1部は
「観音菩薩のすがた」
第2部は
「観音菩薩への祈り」
1部では、東北各地の観音像を展示し、併せて仏像を守り伝えてきた寺社の歴史を紹介している。
小生が数え違いしていなければ、木彫仏・金銅仏
計22体が展示されている。
大きなものは240㎝から、小さなものは18㎝まで、みちのくの地で様々な苦しみに悩む人々に寄り添ってきた観音さまを、じっくりと拝見する。
なぜか石巻市にある長谷寺(ちょうこくじ)の十一面観音菩薩立像のご尊顔が、恐れ多くも小生の同級生T君と
瓜二つで驚く。年賀状で彼に報告しなければならない。
この特別展では青森・秋田・山形各県の展示物は比較的少なく、東日本大震災の被災地域の中でも、特に被害の大きかった
沿岸部地域の観音像が多かった印象だ。
奇跡的に損傷を受けなかった観音さま。
今後も
地域と人を繋ぐ象徴として、大切に保護していってほしいものである。
2部は、観音を
信仰した人々にフォーカスを当て、参詣・巡礼・観音講などの様子を奉納品や各種資料により紹介するもの。民俗学的要素も感じ、興味深い展示物が多い。
観音への信仰は武士階級から一般庶民まで広がり、観音堂への参詣や絵馬の奉納、さらに札所をめぐる巡礼などが盛んに行われるようになったそうである。
ところで観音さまは、
三十三の姿に変身して人々を救ったという。
そういった由来から、東北各地にも三十三所巡礼霊場がつくられ、人々は各霊場に札を納めてめぐり、絵馬などの奉納品を残した由。
その絵馬が十枚ほど展示されているほか、最上三十三所の札に朱印が押してある(現在で言えば
スタンプラリー?)個人所有の掛け軸仕立てのものが目を引く。
他にも、一般庶民に対する布教用の
縁起絵巻(漫画の原型のようにも見える)などは、実にユーモラスである。
小生、2部で最も興味があったのが
観音講。
観音講とは女性を中心としたグループで、実質的に地域の観音信仰を支えてきた組織とのことである。
観音堂の祭や札所めぐりは、この観音講が主体となって行われたそうだ。
また地域の
人々の交流・情報交換の場でもあり、特に嫁入りした女性は、出産・子育てに関するノウハウや地域の慣習など、様々なことを学んだらしい。
まさに、地域コミュニティの原型がここにあった。
神々しい観音像。
そして、それを信仰する人々の日常の営み。
そんな諸々を目の当たりにして、
感受性が少しだけ回復した気がする。
14時30分過ぎ、帰途につく。
塩カリの道には閉口するも、山々の景色を満喫する。
17時55分、帰宅。
皮膚のトラブルで季節はずれのサマーカットを余儀なくされたタロウが、電気ストーブにかじりつきながら出迎えてくれる。
印象に残ったことをひとつだけ。
身障者用駐車場から福島県立博物館まで、恐らく150メートルほど距離があると思うのだが、S4号を降りて松葉杖でゆっくり歩き出すと、60代のご夫婦から「車椅子を借りてきましょうか」と声を掛けて頂いた。
「手も不自由なので長距離の車椅子の操作が難しいんです。」と丁重にお断りし、30メートル位歩き出すと、今度は別の中年の女性の方から同様に、「車椅子を持ってきて差し上げましょうか」とお声掛け頂く。
これまた丁重にお断りすると、「私が押して差し上げますからご心配なく」とまで言って下さる。
結局ご辞退したのだが、それにしてもご親切が誠に身に沁みる。
会津の方は皆、警察日記の中で、森繁久彌や沢村貞子が演じた役柄のような
人情に厚い人たちに違いない。
なお、帰り道も30メートルほど歩いたところで、わざわざ博物館の若い男性職員の方が小生を追い掛けてきて下さり、「車椅子をお持ちします」と言って下さった。
正直に言うと、かなりくたびれていたのでお言葉に甘えようかとも考えたが、やはりご辞退した。
感謝・感謝の楽しい534キロの旅。