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奈良軍団関東全域統括部長・スタールビーのブログ一覧

2019年09月18日 イイね!

再び屋内カート来訪

再び屋内カート来訪今月頭に来た屋内カート場634(ムサシ)に再び来ました💪ROUND1のゲームセンターで頭文字Dと湾岸ミッドナイトを走り、イメトレはバッチリなハズ!(笑)

7分14周短く見えて結構長いのです(^_^;)

いよいよ今月末に閉店…。残念です😭

Posted at 2019/09/18 21:31:24 | コメント(0) | トラックバック(0)
2019年09月14日 イイね!

乃木坂46ヒット祈願と空の神兵

乃木坂46ヒット祈願と空の神兵乃木坂46の伝統的恒例行事といえば新しいシングルが発売される時に行われるヒット祈願であります。


まだまだ無名時代のデビューシングル「ぐるぐるカーテン」の時は1期生勇士一同が全国各地に散らばり、4000枚以上のティッシュ配りをしつつ現地民と交流を持つと云う内容でありました。現在に於ける世界に冠たる高名とレコード大賞2連覇等数々の輝かしい大戦果・人気の裏側には、勇士一同の尊い血涙赤心の籠った挺身的犠牲の下積みが、文字通り其の不動磐石なる礎となって居るのであります。


数あるヒット祈願で印象深いものの一つが落下傘を用いた5枚目シングル「君の名は希望」の世界戦史に名高い空挺様式であります。


此の時は先日2代目キャプテンを襲名された秋元真夏氏が挺身的犠牲の精神で遂行されたのでありました。




当時皆から一年の遅れを取って居た真夏氏。即ち2011年8月の乃木坂46最終審査に合格しては居たものの、学業との兼ね合いから4枚目シングル「制服のマネキン」から復帰だったのであります。休業からの即選抜・福神入りを果たした真夏氏。此の時福神から外れた西野氏とは、長く過言を残すこととなりました。

※西野七瀬氏(2019年2月卒業)




徐々に人気を得ていった真夏氏。しかし、やはり心の何処かに負い目があったのかもしれません。此処ぞとばかりに、「功名手柄をあげる時は今!」と、自ら先陣切って志願されたのでありました。


落下傘・空挺部隊といえば我が帝国陸海軍にも精強なる部隊が存在しました。特に陸軍の大東亜戦争初戦に於ける蘭印(オランダ領のインドネシア)の油田地帯・パレンバン降下作戦は有名であります。

※蘭印略図



※我が軍の進撃図




※陸軍第一空挺団の紋章




其では以下に空挺兵と真夏氏の勇姿を振り返ってみましょう。


いざ、決戦の地へ!








「きっと成し遂げて見せる!」凛々しい空挺兵の横顔!




目標上空へ到達!緊張が走ります。








いざ、征かん!



ヒットしますように!!




続々と舞い降る空の神兵達!












愈々地上間近!





着地成功!戦闘準備!






突撃ー!!



真夏氏!大丈夫か!?見事天晴れであったぞ!



皆見てくれたか?此で我々のシングルヒットは間違いないぞ!(嗚咽)



我々の奮戦敢闘が1億国民をして感動のるつぼに陥れ、更なる飛躍に繋がるのであるぞ!「成程、将に宜なる哉!」キラリと光る橋本氏の瞳!



あがる勝鬨!大戦果!天地に轟く万歳三唱のこだま!




尚、パレンバン降下作戦での発表は以下の如し。

大本営発表、2月15日午後5時10分。強力なる帝国陸軍落下傘部隊は、2月14日午前11時26分、蘭印最大の油田地たる、スマトラ島パレンバンに対する奇襲降下に成功し、敵を撃破して、飛行場その他の要地を占領確保するとともに、更に戦果を拡張中なり。陸軍航空部隊は本作戦に密接に協力するとともに、すでにその一部は本15日午前同地飛行場に躍進せり。終わり


空挺部隊の武勲を讃えた軍歌「空の神兵」は戦時中3万枚以上のレコードを売り上げるヒットを記録。


乃木坂46の「君の名は希望」も2013年3月25日付のオリコン週間CDシングルランキングで初登場1位を獲得。同週間ランキングにおける乃木坂46のシングルの1位獲得は「おいでシャンプー」から4作連続となりました。初週推定売上は24万2053枚となり、前作「制服のマネキン」が記録した約23万3000枚を上回り、当時の自己最高記録を更新したのであります。


こうして乃木坂46と我が帝国陸海軍とは一歩一歩、坂道を踏みしめて、其の栄光の歴史を築いて来たのでありました
("`д´)ゞ
Posted at 2019/09/14 16:53:09 | コメント(1) | トラックバック(0)
2019年09月14日 イイね!

NA初号機改良計画

NA初号機改良計画ロードスター生誕30周年と共に30歳を迎えた我がNA初号機。此処へ来ても未だ新たなる可能性を求めて試行錯誤は続くのであります。


先日物色して居た2代目NBロードスターの6速ミッション。程度良好のプチオーバーホール品を送料込み36000円で入手。





クラッチ交換、オイルの滲み漏れの原因となって居るエンジンのヘッドカバーガスケット、オイルパンのガスケット交換も合わせてやり、其の序でに載せ変えてみようか?と計画中であります。


続いて約15年使い続けたユーロテールの左側が浸水…(涙)

右は問題なし。




左側がドバドバ(汗



さて?如何にすべきか?既に絶版品に付、某オークションでユーロテールと検索して全くの同品は無し。類似品はあるものの高額な上に今一ピンと来ず。さりとて他と同じような純正タイプでは面白みがありません。


そこで以前流行ったブラックテールを入手して装着してみました(冒頭の画像)。


賛否両論かもしれませんが、此でちょいワル仕様にもなりました(笑)


さて、次なる一手は?


色々考え中であります💪





Posted at 2019/09/14 00:46:12 | コメント(0) | トラックバック(0)
2019年09月08日 イイね!

橋本氏に見る此の国の現実

橋本氏に見る此の国の現実我が永遠の推しメンである元・乃木坂46の橋本奈々未氏。其の卒業発表から10日余り後、芸能ニュースとして執筆された以下の記事に我が国に於ける「貧困問題」を考えさせられました。以下に全文を引用させて頂きます(原文ママ)。


先日、乃木坂46からの卒業と芸能界引退を発表した橋本奈々未。橋本は乃木坂の第一期生で"選抜メンバーの中の超選抜"である"福神"に全シングルで選ばれてきた人気メンバーなのだが、そんなトップアイドルである彼女が語った"卒業理由"がいま、話題を集めている。

というのも、橋本がテレビ番組で語った卒業理由が、"弟の学費の目処が立った"というものだったからだ。

しかも、橋本は31日放送の『乃木坂工事中』(テレビ東京)で、自身が芸能界入りを決めたのも"家族の経済状況"が理由だったとし、こう話した。

「もともと(芸能界に)入ったのは、本当にお金だったんですよ」
「めっちゃ貧乏だったんですよ。水道止まる、ガス止まる、みたいな。実家が。それでもなんとか(私は)1人目だからいろいろしてくれた。私にしてくれたから、弟にまで(お金が)回る余裕があるのかって思ったときに、私のせいで、弟は男の子だし......」



「それでなんとかしなきゃってところで、この年齢でいろいろ模索しているなかで、ここにきたという感じがある」

自分が大学に進んだことで弟が進学できない状況になる......それをどうにかするために芸能界に入った、というのだ。

大ブレイク中のアイドルグループの人気メンバーという華やかなイメージとかけ離れたこの告白に、ネット上では「しっかりしたお姉ちゃんをもってよかったね」「家族を支えるなんて偉い!」と、"美談"として盛り上がっている。

だが、これは"美談"で消費されるような問題ではない。橋本の告白は、この国の多くの学生たちが背負わされている現実だからだ。

じつは、橋本は昨年(2015年)公開された乃木坂のドキュメンタリー映画『悲しみの忘れ方 Documentary of 乃木坂46』でも、乃木坂加入以前の困窮した生活について言及。彼女は地元・北海道から美大ではトップクラスの難関度である東京の武蔵野美術大学に進学したのだが、「大学内での思い出って、華やかだったというよりかは、ただ生活がつらい」と話している。

「奨学金はほとんど学費につぎ込んで、生活費はもう自分でバイト掛け持ちしてやりました。無理でした(苦笑)」
「親から完全に自立してやってくって啖呵切って(東京に)来てるから、なんか弱音も吐けないし、ってところでだんだん精神的に不安定になって」

橋本は雑誌のインタビューでも当時を「おにぎり1個の生活でしたから」(「FLASHスペシャル」14年9月10日号/光文社)と振り返っているが、なかでも橋本が語る乃木坂のオーディションを受けた理由は象徴的だ。

「どうにか東京で生活、自分でする術はないかって考えたときに、芸能界のロケ弁が頭に浮かんで。芸能人になればロケ弁をもらえる」(前出ドキュメンタリー映画内の発言)

オーディションを受けた動機が「アイドルになりたい」ではなく「ロケ弁がもらえるから」。夢も希望もないと感じる人もいるかもしれないが、しかしこの言葉は現実をよく表している。せっかく希望の大学に入っても、ただ生活費を稼ぐことでいっぱいいっぱいの毎日を強いられている学生は少なくないからだ。

私大では学費が高騰をつづけ、国公立でも40年前と比較すると15倍にあたる年間約54万円(2015年度)とOECD加盟国のなかでも日本はとくに授業料が高い国だが、当然、しわ寄せを受けるのは家計であり、学生だ。藤田孝典氏の著書『貧困世代 社会の監獄に閉じ込められた若者たち』(講談社)では、現在の学生が立たされている苦境を大内裕和・中京大学教授がこのように述べている。

「学生が、親からもらえる家計からの給付は、この10年間で150万~160万円から120万円へと、約40万円下がりました。仕送り額は、1990年代半ばは6割以上が月に10万円以上だったのが、いま、10万円以上は3割を割っていて、むしろ5万円未満がどんどん増えている。
東京でアパートを借りて、親からの仕送りが5万円未満で、働かないで生活できるはずがないのです。首都圏の私大・短大生を対象にした調査では、仕送り額から家賃を除き、30日で割った「1日当たりの生活費」は、1990年の2460円から、2014年にはついに897円となりました。1日900円も使えないのが、いまの大学生です」

家計支出の減少、そして奨学金を利用する学生が2人に1人という状況の背景にあるのは、親の経済状況の変化だ。現に、1世帯あたりの平均所得は2015年で約541万円だったが、これはピーク時の94年と比較すると122万円も減少している。さらに、非正規雇用の世帯やひとり親世帯となると、家計から学費や仕送りを捻出するのは困難な状況だ。

結果、橋本のように多くの学生が、奨学金制度を利用しても「おにぎり1個」でしのいだり、バイトを掛け持ちするなどして学業に集中したくてもできないでいる。そして、橋本は"食い扶持を稼ぐ"ためにアイドルのオーディションを受けたわけだが、同じ動機でキャバクラやガールズバー、なかには風俗で働くことによって学費や生活費を賄っている学生がいるのである。

家庭の所得の差によって子どもが将来の選択肢が狭められ、苦労を強いられる。その状況を、前掲書で著者の藤田氏は〈不公正で不平等と言わざるを得ない〉とし、〈年功賃金、終身雇用のないところで、私費負担で学費をまかなうことはもはや無理だということを認識しなくてはならない〉と指摘。だが同時に、社会で一向に理解が進まない理由を、こう述べている。

〈当然のように、高等教育に対する公費負担増加や公費予算増加が必要なのだが、そのようなことは、「高等教育にかかる経費は受益者の私費負担」という感覚がしみこんだ日本では、なかなか理解されない〉

同様に、貧困問題への無理解もある。記憶に新しい「貧困女子高生」バッシングもそうだが、厳しい生活によって進学を諦めざるを得ないと話しても、「もっと我慢すればいい」「何も食べられないほど貧乏じゃないくせに」などと最低限の生活を水準にして非難する。

きっと橋本も、貧困女子高生に向けられたような言葉を投げ付けられた経験があるのだろう。そう思うのは、ドキュメンタリー映画のなかで彼女が念を押すように、こう話しているからだ。

「まあ、そんなにお金がある家庭じゃないので。『言ってもそうでもないでしょ』って思われたり言われたりすることあるんですけど、本当にそうでもあるくらい結構お金がないんで」

苦しいんだと声を上げても、「言ってもそうでもないでしょ」というマジックワードで封じ込められてしまう。貧困をめぐる議論は、こうしてなかなか先に進まない。橋本の苛立ちを隠さない言葉は、この社会の偏狭さを言い当てるものだった。

引用してきた映画のなかで、今後の夢や目標を語るメンバーのなかにあって橋本は「自分ががんばるゴールは明確」と言い、「来年度に弟の初年度入学費を全額納入」ときっぱり明言していた。夢より生活──これを「美談」ともてはやすこの国は、なんと豊かなことだろう。(大方 草)

※引用終わり

確かに橋本氏の存在は美談として語られ、多くの感動を与えております。しかしながら其の感動によって物事の本質を見極める目を曇らせる大衆の様になっては居ないか?と、考えてしまうのであります。

かつての戦時中、我が国に於いては挺身的犠牲を試みた将兵を「軍神」として持ち上げ、其の美談に依って国民の戦意高揚を行いました。


其が戦況不利になるや否や、軍部は大本営発表に依って敗戦の事実を隠し、玉砕の美名、まるで浪花節の如き講談紛いの戦場話、滅びの美学の元に多くの兵隊の命が失われました。尻馬に乗って国民を煽った当時の報道機関の罪も大変重いものであります。


其の結末は空襲と原爆投下に依ってもたらされた焦土と化した祖国でありました。


「美談」多いに結構。しかし、其に依って貧困問題の解決が計れない政府、弱者を自己責任で切り捨てる行為。或いはかつての軍上層部の無為無策、そうした問題の本質や責任から巧妙に目をそらされてはならんのだと感じます。


無論、満州・支那事変、大東亜戦争の意義や橋本氏が乃木坂46として活躍された5年半の意義を否定するつもりは毛頭ありません。しかしながらいつ如何なる事項であっても「自分の目で見て、自分の頭で考える」此の事の大切さを忘れてはならんのだと思いました。

Posted at 2019/09/08 23:08:27 | コメント(0) | トラックバック(0)
2019年09月06日 イイね!

橋本氏を語る

橋本氏を語る当ブログに於いて登場頻度の高い、元・乃木坂46の我が永遠の推しメン橋本奈々未氏。

「家計を助ける為に芸能界入りを果たし、目標達成と共に綺麗さっぱり引退」


此の様な鮮やかな進退劇は卒業後2年半を経ても尚誉れ高い人気を誇る「軍神」としての存在感を確立させる役割を果たしました。


其の高潔なる人格と、己自身に関わった全ての方々に対する忠孝義烈の姿勢も相まって、万世に輝く勲(いさおし)として永く語られるものであります。


先日行われた東京の乃木坂46神宮球場live。桜井玲香キャプテンの卒業式ともなった最終日の9/1。同期の桜たる戦友の最後の勇姿を見届ける為か?関係者席にて「橋本氏を見掛けた」とする目撃証言が相次ぎました。


















恐らく本当である可能性は高いかと思われますが、注目すべき点は「如何に伝説的な存在であろうとも、今は既に一般人の橋本氏の詳細迄記すことなく、目撃証言のみにとどめて居る」と云うファン一同の節度ある態度であります。


かつて乃木坂46の創世記に多大なる貢献を果たした、偉大なる橋本氏と云う存在に対し、「美しい思い出としても保存したい」という崇敬の念の発露が成せるものであると言えそうです。


さて、橋本氏に付いては勢い卒業間近の人智を越えた儚くも圧倒的な美貌に目が行きがちでありますが…

※23歳頃の橋本氏。

公式プロフィール。



冠番組「ノギビンゴ」内に於いて、妄想カメラマンと称する橋本氏と元・欅坂の志田氏を推す方に対し「一択」を迫る橋本氏。



ラヂヲ番組にて。若い内は冒険せよとのこと。



雑誌の撮影時。



何処か南方のロケ地にて。



妹分の齋藤飛鳥氏(左側)とツーショット。



自撮り。



最後の写真集の広報活動時。







憂いを帯びた写真集の1幕。



卒業コンサート後のスナップ。



横顔と歯並びも良好💪芸能人は歯が命。




此度は敢えて初期のまだあどけない頃を中心に纏めてみました。


※放映開始直後(2011年10~12月)の冠番組「乃木坂ってどこ?」内での後列真ん中の橋本氏。何とも言えぬ表情であります(笑)



※最終審査合格直後。


※冠番組初登場時。懐かしい一枚であります。




※自己紹介兼抱負を述べたPRカードの内容。まだ18歳の氏は此から5年半の激動の歴史を駆け抜け、築き上げて行くのであります。





2012年2月の1枚目シングル「ぐるぐるカーテン」発表当時のスナップ。







※ちなみに後の人気筆頭株・御三家のカードはこちらであります。


白石氏(当時19歳)。今と違いやや鋭い眼光でありますが、此の時から美形であります。








松村氏(同じく19歳)。元気印一杯な様相は今にも受け継がれております。






※晴れ着姿の様子。左の後ろから西野氏、衛藤氏、橋本氏、生田氏、白石氏、深川氏。何やら美味そうな物を食べておられます(笑)




※握手会に於ける橋本氏。引退後は全てが霧散霧消してしまい、其の消息は推して知るべしと云う状況で「本当に居たのか?」と考えてもしまうぐらいに神格化されておりますが、れっきとした人の子として確かに存在したのであります。どんな話の内容であったか?其は当人同士の良き思い出として、永久に記憶されるものでありましょう。




此の様な方に見つめられたらメデューサの美貌に心奪われて石化した西洋の昔話の如き有り様になりそうです。
Posted at 2019/09/06 07:37:22 | コメント(0) | トラックバック(0)

プロフィール

「有名な高村光太郎氏の詩をあげておきます。


現在に於いては平和を愛する我が国に対し、果敢に挑戦し来る暴虐共産支那の魔の手。


台湾をはじめ、東亜侵略の野望に燃える彼の国へは断固鉄槌を下さねばなりません。

大国の横暴を許してはなりません。」
何シテル?   12/09 11:20
NAのパカ目ライトに惚れ込んでおりマス♪ 免許をとって最初に乗ったのが、当時父の 所有する赤のNAでした。 今ではありませんが、 就職を機に私が...
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