本日もブログφ(`д´)カキカキしますよ。
最近文章が長くなる傾向にあるようなのでコンパクトに纏めてサラッと読める記事にしたいとは常々思っているのですがなかなか上手くいかない。
ゆえにダラダラと長い駄文が量産されてる訳である。
いつそんなながったるい文章書いてるの?というと空いた時間にテキストを1個作って思いついたことを適当に書いてコピペしてるのである。
今日は月曜日。夜になったら月が綺麗にみれたらいいな~と思っております。
いつも通り傾奇者のぴこちゅです。
計算の不思議シリーズでも書きましょうか。なぜ0で掛けたり割ったりすると0になるのか不思議ですよね?少し頭の体操!
*1~*2は下の方に補足を書き足しました。
0という数については,以前少しこの連載でも触れましたが,この数の発見は数学史に大きな影響を与えた出来事であると同時に,様々な厄介ごとが生まれる結果ともなりました。
0の性質はいろいろありますが、その中の1つに「なにと掛け算をしても答えは「0」
というものがあります。
0は何倍したって0だし,どんな数を0倍しても0である、という小学生でも知っている性質です。
しかし、この分かりやすくて簡単な性質のお陰で,私たちは大いに苦しむことになってしまうのです。
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問題です。
「0÷3」
の答えはいくらでしょう?
もちろん0に決まっています。お菓子が全く何もないのだから、それを3人で分けても何もない状態のまま、なんていう説明が出来ますね。
では「3÷0」はいくらでしょうか?
「そんなもの,0に決まってるじゃないか!」
と、簡単に片付けようとしたそこのあなた!
事はそう簡単な話ではないのです。
実はこの答え0ではないのです。
考えてみてください。3つのお菓子があって、それを「0人で分ける」というのはいったいどういうことなのか。
あるいは3つのお菓子を「0個ずつに分ける」というのはどういうことなのか。
0を含んだ割り算の中には0が持つ底知れぬ恐ろしさが隠れ潜んでいるのです。
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「3÷0」の答え0でなければいったいいくらなんだ?と気になられるでしょうが、このような説明をしてみましょう。
例えば6÷0の答えは、次の式の( )の中の数と同じです。
3×( )=6
( )の中に入る数は2ですから6÷3の答えは2です。
27÷3の答えは
3×( )=27
の( )の中に入る数と同じです。つまり答えは9です。
A÷Bという割り算の答えが知りたければB×( )=Aという式を作り( )の中に何が入るか考えればよいことになりますね。
0÷3の答えは3×( )=3という式を考えれば0だとすぐ分かります。
では,問題の「3÷0」の場合はどうなるでしょうか。
この答えは,「0×( )=3」という式を考えれば分かるはずなのですが・・・
・・・そうです。気付いていただけたでしょうか?
そんな数などない!ということに。
0に何をかけたって,答えは0になるはずです。3になることは絶対にありません。
つまり「0×( )=0」に当てはまる数などこの世にはありません。
ということで3÷0の答えは,「ない」*1 というのが正解になります。
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0の入った割り算では,
① 割られる数が0なら,答えは0
② 割る数が0なら,答えはない*1
という奇妙な現象が起こることになるわけですが、では,この場合はどうなるのでしょう?
「0÷0」
「もう付き合ってられるか!」
なんて読者の方が離れていく姿が目に浮かびますが、もう少しお付き合いください。w今度はちゃんと答えがありますから。
さて,これも先ほどのように式を使って考えてみることにしましょう。
0÷0の答えは,次の式の( )に入る数と同じになります。
0×( )=0
さあ!答えは何でしょうか?
「・・・何でもいいのでは???」
と思ったあなた。大正解。答えは「どんな数でもよい」となります。*2
つまり、
0÷0=6
0÷0=100
0÷0=-7
などなど,全て正解ということになる*2わけです。
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以上
A÷0(ただし,Aは0以外)・・・答えなし
0÷0・・・何でも良い
ということを説明してきました*1*2が,どうもすっきりしないなあ、と思ってらっしゃる方も多いのではないでしょうか?
理屈の上では分かるんだけれども、感覚的にピンとこないというか。
そこで小学生でも分かるような(多分・・・)説明をご用意。
【3÷0に答えがない理由】*1
3個のケーキを0個ずつに分けるということは,3個のケーキを目にも見えないくらい小さなサイズにみじん切りにするということだ。だから,いくつに分割できたかなんて、多すぎて数えられない*1。
【0÷0の答えが何でもよい理由】*2
目に見えないくらい小さな、ホコリのようなケーキのかけらがある。0を0で割るということは,このかけらを更に目に見えないくらいのサイズに分けるということだ。どうせ既に目に見えない位小さいのだから,この後これを2つに分けようが、3つに分けようが100だろうが見えないことに変わりはない。
どうでしょうか? ちょっとこじつけに近い説明ですかね?
高校で理系分野に進む人は「数学3」という教科を学習するはずです。その中で,「極限」という分野を学べば今回の話は納得がいくと思います。実は上に挙げた2つの(こじつけのような)説明も極限という分野で高校生が大真面目に学習する内容を噛み砕いて表現したものです。
高校生とか理系とか極限とか何だか話のレベルが飛躍して驚いた方もいるかも知れませんが0で何かを割るということはそれくらい深くて厄介な話なのです。
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もう満腹,という方もいらっしゃるでしょうが,0は厄介だよという話をもう一つ。
「2」を2×2で「4」になりますね。
「2」を3回掛け算すると,2×2×2で「8」。
「2」を6回掛け算すると,ちょっと計算が大変ですが,答えは「64」
「2」を1回掛け算すると,式がただの 2 となって,答えは「2」
では,「2」を0回掛け算するといくらになるでしょう?
お怒りの声が聞こえる前にやめますw
注釈
*1:代数的には「a÷0」の解は存在しないでよいのですが0を「限りなく絶対値が0に近い数」と考えると疑似的に解を想定することができます。すなわち,「x→0のときa÷x→?」という,極限の考え方です。限りなく0に近い数を「疑似的に」0と書かせてもらうならば,「a÷0=∞」と考えることができ,解析的には解と見做せないこともありません。本文中に「多すぎて数えられない」と記載したのはこれを意識したものです。
*2:上記と同じく代数的には「0÷0」の解は存在しませんがこの0を「限りなく0に近い数」と考えるとどうなるかという発想で記事では話をしています。つまり,「x→0かつy→0のときx÷y→?」という考え方です。
この極限はいわゆる「不定形」と呼ばれる形式になり解が確定しません。
例えばx÷x2→0 6x÷x→6 100x2÷x2=100 -7x5÷x5=-7
のような具合です。割る数と割られる数がどのような振る舞いで0に近づくかによって極限は変わってきます。表現を変えれば,「0に近づくもの÷0に近づくもの」の極限は,一般にどんな値になるか分かりません。このことをもって,本文では「0÷0の答えは何でもよい」と書かせていただきました。
文末の「例え話」をもって,極限の考え方で解釈しているという意図が伝わるかと思っておりましたが,*1 と*2で代数・解析的な解釈を混在して記載してしまったため数学的に飛躍のある,整合性のない表現となってしまったかもしれない。
頭の体操は終わりましたか?数字って不思議ですね~。
数学をしてると車の排気量の計算もサクサクできてしまいますよ。
でも今日は排気量計算の話はしません。
なぜなら過去に1度排気量計算について記事をかいたことがあるためです。
ヒマだったら去年の10~12月の間のブログを探してみて下さい。
結構排気量計算とか分からない人が多いと思いますので参考になりますよ。
今日の北海道苫小牧の天気は雨です。
半年住み続けておもった事はこの街は朝から晩まで晴れている状態が続くことが滅多にないと気が付きました。
海も山もあるからそりゃ気候変動が激しいのだと思います。
また苫小牧は東西にクソ長い市の作りになっているので、東と西の端では天気が随分違います。
苫小牧市(とまこまいし)は、北海道胆振総合振興局にある市で計量特定市です。
住んでるのだからちょっと苫小牧について説明してみましょう。
1800年(寛政12年)に蝦夷地の警備と開拓のため八王子千人同心が勇武津(勇払)に入植。過酷な自然条件などにより4年で土地を離れるも苫小牧の礎となる。1873年(明治6年)に開拓使が勇払郡出張所を苫細(苫小牧)に移転。これを苫小牧の開基としている。
豊富な水と木材資源に恵まれていた苫小牧には製紙業が進出。その後、石炭を機能的に流通させるために「勇払築港論」が提唱され、苫小牧に工業港の必要性が認められて1951年(昭和26年)に起工。1963年(昭和38年)に世界初の内陸掘込港湾となる苫小牧港(西港)が開港。1980年(昭和55年)には東港が開港。札幌都市圏に最も近い太平洋岸の港であり、新千歳空港にも近接している利便性から北海道工業地域を代表する工業都市・港湾都市になった。苫小牧港の内航取扱貨物量は日本一の取扱量となっている。苫小牧東部地域(苫東)には世界最大級の地上タンク方式による石油備蓄施設がある。
苫小牧市はホッキ貝の漁獲量日本一を誇り、2002年(平成14年)には「市の貝」として制定された。苫小牧市の水道水は厚生省(現・厚生労働省)の「おいしい水研究会」が選んだ「全国の水道水がおいしい都市ベスト32」に入選している。
また、スポーツを通じた健康づくりとまちづくりにも積極的であり、1966年(昭和41年)には日本国内初となる「スポーツ都市宣言」をしている。
1995年(平成7年)からは「スポーツマスター制度」を実施し、苫小牧に縁がありながら国内外のスポーツ分野で活躍した方の功績と栄誉を称えるとともに、市民のスポーツ活動への講師や指導をお願いする制度であり、全国の自治体で初めて採り入れている。
地理としては市域は東西39.9Km、南北23.6Kmに渡り、面積は561.61平方km。
東京ドーム何個分なのかは計算したことが無いのでわからない。
市街地は東西に広がっている。千歳市との境には溶岩円頂丘を持った三重式火山の樽前山があり、市東部には日本初のバードサンクチュアリに指定され、国の鳥獣保護区やラムサール条約登録湿地にも指定されているウトナイ湖があるなど、近郊には希少な自然が残されている。樽前山を含む周辺一帯は支笏洞爺国立公園の区域となっている。
樽前山は活火山の1つだ。
私の車は樽前山に程近い澄川地区に置いてある。
火山が爆発して噴煙が降って来たらあっというまに火山灰で多い尽くしてしまうだろう。
ガレージを専用で持ってる訳ではないので青空駐車しているのである。
車といえば昨日F1でマレーシアGPが開催されましたね。
気になる結果もお伝えします。
F1マレーシアGPの決勝レースが2日(日)セパン・インターナショナル・サーキットで行われた。
レースは1コーナーでセバスチャン・ベッテル(フェラーリ)が接触事故を起こしてリタイアする波乱の幕開け。この接触でニコ・ロズベルグ(メルセデス)がスピンを喫して後退し、ポールポジションスタートのルイス・ハミルトン(メルセデス)が優位にレースを進めていった。
しかし、そのハミルトンになんとトラブル発生。41周目にエンジンが火を噴いてまさかのリタイアとなった。
優勝はレッドブルのダニエル・リカルド(レッドブル)。
リカルドは今シーズン初優勝。2位にもマックス・フェルスタッペンが続き、レッドブルが1-2フィニッシュを達成した。3位にはニコ・ロズベルグ(メルセデス)が続いた。
マクラーレン・ホンダは、フェルナンド・アロンソが7位、ジェンソン・バトンが9位でフィニッシュ。今シーズン3度目のダブル入賞を果たした。
10位でフィニッシュしたジョリオン・パーマー(ルノー)は待望のF1初ポイント獲得となった。
次戦はいよいよF1日本GP。10月7日~9日に鈴鹿サーキットで行われる。
↓レース結果↓
まさかのメルセデスがポイントを取れなかったのでコンストラクターズポイントからも目が離せない状況であり、次戦の鈴鹿GPが大いに気になる所であろう。
F1マシンというのはすでに組み立てられて出来てきた車をサーキットに運ぶのではなく、ほぼバラバラの状態から組み上げられる。そのためにFP(フリープラクティス)があるのだ。
今回のルイス・ハミルトンも予選は良かったのだがマシンの調整が上手くいってなかったのだろう。完走したら間違いなく今大会はポールポジションからの1位は確定していたはずである。
これでレッドブルがポイントを取りレッドブルVSメルセデスの戦いがこれから始るのだ。
今回のレースでメルセデスが1.2フィニッシュを決めていたらもう優勝はメルセデスで確定だったのだが、不運にもポイントを落としてしまったためにまだまだ争いは続きそうだ。
ここまで書いてきたが、こんなのはそこら辺で調べればわかることなので上記に書いた文章は私のオリジナルでもなんでもないし、ただの殴り書きをして自分で自分にツッコミを入れているだけである。
今は便利な世の中になったものだ。
インターネットの普及や携帯電話(主にスマホ)で自由に誰とでも繋がる事ができる。ドタキャンも電話やラインの1文章で済ませることができるのだ。
調べ物したい時だってみんカラの記事や何シテル?を書くのも携帯でサクサク書ける。
欲しい知識があればインターネットから無限に拾うこともできるだろう。
現に上に書いた記事は全てインターネットから得た知識と情報である。
携帯電話がまだ普及して無い時代に私は産まれてきた。
電話といえば有線で繋がってる黒電話でTVは薄型ではなくブラウン管が主流で友達との約束なんかは口約束。よく電話してる友人の電話番号などは暗記していたものだ。
だがしかし、携帯がこれだけ普及してくると人との繋がりに深みが無い。
学校でも家でもネットや携帯電話が主流だ。固定電話を持たない家庭も増えている。というか携帯1つあれば何でもできてしまうのだ。
だがしかし、携帯をどこかに忘れてきたり水没させたりしたら、周りとは繋がりがわからなくなり孤立してしまう。
そのくらい携帯は大きな存在になっている。
その昔少年時代は学校で約束して遊び場所や待ち合わせ場所も決めたものだが、現在はそんな約束をしなくとも携帯ですぐにやり取りできてしまう。
それが悪いとは言わないが、人と人の繋がりみたいなものが昔から比べて薄くなってきていると思う。
私はフェイスブックもやっているが知らない人達も友達欄に並んでいる。
いつか出会うのか、はたまた出会わない電子的な付き合いしかないのか分からない人がたくさんだ。
ことみんカラに関してもそうだろう。
友達リストに数十人の友達がいるが会った事がある人はごく一部だ。
これも時代の流れなのだろう。
電子の世界での付き合い、そこからリアルの世界に発展することも珍しくない。
みんカラのチームとは電子の世界でそこで人を集めてオフ会をすればそれはリアルの世界になる。
科学の進歩は止まらない。科学の進歩のおかげで私はこうして記事をアップロードして誰かに伝える事ができる。
それはそれで良いのだろう。
パソコンの向こう側には同じ生身の人間がいる。
たとえリアルで会う事がなくともネットを通じてコミュニケーションを作ることができる。今はそんな世界だ。
もちろん今から生まれてくる子供は生まれたときから携帯がありネットがある環境で育つわけだから、リアルの付き合いというのが疎かにならないかがいつも心配に思っている。
いずれネットが進化すると人間の脳をも越える時代が来るだろう。
その時人は何をし、何を思うのだろう。
これはそう遠くない未来の話だ。世間ではそれが2045年と言われている。いわゆるシンギュラリティである。
今は携帯やTV、ネットは人間の便利にするコミュニケーションツールだがネットの中でPCやインターネット自体に自我を持つと人間は一体どうなってしまうのだろう。
ネットが意識をもつなんてことは今の所まだないしあり得ないと言われているが、300年前までは日本はそんなものが無かった。いわゆる江戸時代だ。
電気も使えないような世界から一転2000年を過ぎた辺りから急速に生活が豊かで便利になった。
江戸時代の人から見たら今住んで、生活してる状態をみるとあり得ないと思うだろう。それと同じで300年後はどんな世界になっているのか?とか私は考えるのが好きである。生きてる間にタイムマシンが出来たり空を飛ぶ事ができるかもしれない。
私にはそんな能力は無いが、世界中の科学者達は日々科学を進めているだろう。
携帯電話だってもっとコンパクトで生まれてきたら人間の頭にチップを埋め込み情事情報を取り出せる世界がくるかもしれない。
戦争がなくなる世界が来るかもしれない。
そんな事を日々妄想して生きています。
テキスト張る順番がチョット違っててワケが分からない記事ができたような気がするが私のブログを読んでる人は誰も気にしないだろう。
気にするわけもない、気にしないであなたはこれを読んでいるのだから。
ここまで読んできた人ならわかるだろう。この記事の最初の話題って何だっけ?みたいな状態に陥ってると思う。だがそれで良いのだ。後に残るインパクトがあるようなことは一切書いてないからこのまま読み進めて欲しい。
ブログのネタというのは散らばっている。それを上手くつなげられるか下手糞に繋ぐかでそのブログに関する思いが変わってくるだろう。
人は考える事をやめたら人は終わり。毎日色々な事を考えるだろう。
それは思いつきでくだらない事かもしれないし、一貫性が無いかもしれない。
その一貫性が無いブログがぴこちゅの記事である。
気分で文章を書いてるのだから話題と話題は繋がらないのである。
結果的にコメントしにくいイイネ押す気にもならない駄文の記事が量産される。
その程度でもいい、この文章を全部読みきって5分くらい時間が潰せたらそれはそれで人の役には立ったと思う。
ブログなんて自分で後から読んで「ふ~ん、この時はこんな事考えてたんだ」みたいな感じで私はいいと思っている。
中には車の記事や楽しい出来事を書いてる人だって沢山いる。
そんな人はどんどん人気ブロガーになっていくだろう。
でも私は別にそんな風になろうとかは思ってない。
100PVで1イイネあればそれは書いている意味に繋がるのだ。
これから先ブログが3ヶ月たっぷり書こうと私は思っているが、ネタが無くなり(ってゆうか現状無い)することが多々あるだろう。
そんな時はこのような妄想記事が出来上がるのである。
ブログなんぞ所詮は日記にすぎない。
無理に面白くさせようとか知識を与えようとかは全く思ってない。
ただ文章を書き込みながら次の話題を考えるというトレーニングの意味でやっているのに過ぎないのだから。
私にとってブログとは苦痛であり脳のトレーニングである。
1分間に考えたこと何文字打てるかどうか程度でしかないから読んでいてもきっと意味がわからないと思う。私がこの記事を書き上げた時に確認画面でプレビューを見るだろうが今日の記事は本当の意味でのクソ日記だと思う。
こんな記事をかいてもひよこ陛下は出てこない。
この先誰か1人のためでもいいから役に立つ記事を書けるかどうかなんてわからないけど、とりあえず10月から毎日1記事上げると宣言してしまったので書いているだけだ。
ネタも何もなしに書くからこんなダラダラした内容が薄っぺらい記事が出来てしまうのは分かっています。
これを会社に当てはめるとダメな社員でしかない。
計画性が全く無く、その場の意見やコロコロ考えが変わるより、芯が通っていてそれに突き進み壁にぶち当たっても進み続けるような人の方がいいに決まっている。
当記事を書いてる時点で両者のどちらかというと前者になってしまう。
今もなんのために書いてるのかが全く分からない。
しかし伝えるべきことはある。
それは10月のオフ会についてだ。
ある程度の予定は立てた。来る人がいるかはどうか別にして10月の8日か9日のどちらかで13:00~苫小牧金太郎池にてやるということだ。
今週末までにはどちらの日にやるかブログにて発表できると思う。
10月は本当の意味でのプチオフなので集まらなくてもそれはそれでいいと思っている。
10月は色々なクラブチームが毎週のように何かしらイベントを起こしてるだろうからそっちに人が流れる事だろう。
人間は人が集まる場所に集まる習性がある。東京なんてそれの代表だろう。
人があるところに街が出来る。
街があるから人が集まるのではなく人が集まるから街になるのである。
魅力的な街を作るため来年からはみんカラで新しいグループを作ろうと企んでいる。現時点ではただの構想段階であり実現出来るかどうかは謎だけど実装に向けて頑張りたいとは思っている。
理想的には苫小牧及びその近隣から車好きが集まって気軽にお喋りしてお友達探しができるような場所である。
リアル版小さいフェイスブックみたいな関係かな。
あくまでも今思っているだけで来年になったら考え方も変わるかもしれない。
それは私も人間なので考えがコロコロ二転三転する。
しかし現時点では苫小牧に楽しいグループを作る事を望んでいる。
車が好きだったらだれでも気軽に参加してお喋りできるようなそんなグループ。
それでいて簡単に集められ気軽に誰でも話し合えるような感じを構想段階だが思っている。
ロゴもまだ決めてないし、名前だって決めてない。
でもそんなクラブチームを作りたいな~とは思ってる。
みんカラだけの連絡じゃなくてそのグループに入った人は全員ラインで繋げて巨大な車好きのためのグループラインを作ろうとも思っている。
ラインを取り入れたいとは、みんカラを見なくても連絡が取り合えるように、気軽にメッセージをやりとりしたいと思ったためである。
車の縛りもない、ただ車が好きなだけの集団を作り上げるとここに宣言しよう。
みんカラ通すよりもラインでやり取りした方がレスポンスが早いからね♪
来年の話は置いといて秋になると仕事が結構ヒマになる。
上半期が終わったのでやることが無いために会社でみんカラを書いている。
どれだけヒマなのかは文章を読んでいただけたら分かるだろう。
でも事務所から出て勝手に遊び歩いたりはできないから日記を書いている。
日記というかただの文字列を書いてるに過ぎないんだけどね。
ここまで今日何をしたとか全く書いてない。
とても日記とは呼べないような代物が出来上がってきているわけだ。
最初の話題なんだっけ?数学?頭の体操?ここまで読んでくれた人はそんな事どうでもいい事になっているだろう。
車の話題もF1だけなので自分の車については一切触れていない。
ってゆうか今日は軽自動車で通勤してるのでポルシェには乗っていないので記事にできるわけが無い。
ちょっとでも乗れば車の調子とか写真を載せられたりするのだが、まぁ~何もないときは何もないのである。
今日みたいな日が3ヶ月くらい続くと思ってくれて構わない。
車に乗るっても週末+天気がいい、この2つの条件が揃わなければポルシェには乗らないのである。
雨の日に乗ると次の日洗車が面倒くさいからである。
面倒くさいっていってもガソリンスタンドに持っていってボーッとしているだけなのだがね。
みんカラには3万文字制限というものがある。
その名の通り3万文字以上の記事は投稿できないのである。
でもなぜか1回だけ36000文字のアップロードに成功したことがある。
いつまで記事続くの?といっても3万文字しか打てないのだから1日の記事は3万文字でちゃんと終わる。というか終わらせるし3万文字も悠長に書いてられるほど話題はないのだ。
現在の政治について宗教について戦争、政治と金、汚職、東京築地市場豊洲移転問題等書くことはできるのだがさすがにここから別の話題を書く気にはなれない。ってゆうかもうそろそろ文字打つのが面倒くさくなってきた。
今日の記事はわりと短めに書こうと思ったが長い?かな?
割とコンパクトな記事を数個書いただけなので読むのにそんな苦労はしないはず。
ほら、記事が大きいかどうかはブラウザ横のスクロールバーの大きさで分かりますよ。スクロールバーが小さかったらそれはながったるい記事、逆にスクロールバーがでかければコンパクトな記事となる。
さすがにここまで読んでる人はいないと思うが他の人の記事を見るときもスクロールバーを参考にしてみるといい。
今日は写真を多めに使ってカラフルな記事を作ろうと思ってたのだが、今からやるのはやはり面倒くさいのでいつか気が向いたらカラフルな記事で車の話題を記載した記事を書こうと思う。
記事ってゆうか日記だけどね。
今日の現在の日記としては、
「雨が降ってて事務所に缶詰でつまらない」
それだけである。
別に記事にするような事は1つもなく「何シテル?」にサクッと書き込めばそれで終了なのである。
ところが記事を書くと長くなるような気がする。
所詮ここで書いてることなんてどこぞのページから文章コピッて貼り付けてるだけなので文字数の割りに労力はかからない。
パクると楽なのである。
明日の記事もたぶん適当な駄文で溢れかえるだろう。
だがしかし!それでいいのである。
いい記事を書こうだなんてこれっぽっちも思わない。
最後までとりあえず書いて改めて読み直してこれは秀逸だなって思うときは冒頭にひよこ陛下を貼り付けて置くのでその記事は全部読む価値があると思う。
しっかし今日は晴れないな、雨だと憂鬱でブログ更新するのもパッとしないというか面倒くさくなる。
ゆえにここら辺でスパッと止めて電話番に集中でもしようかな。
この1文章も「何シテル?」だけで終わりそうなものだが連続TV小説が新しく始ったので私も頑張って毎日書こうと思う。
朝ドラと違うところは日曜日も更新するということだけである。
月末にイベントが入っているためお休みするかもしれないがそれでも後日談として記事を上げるから安心してくれたまえ。
今年一杯は毎日連載するから今年末まで私の記事を全て読んだ人がいれば、もう立派な活字中毒になってること間違いなしだm9っ`Д´)
毎日日記を書くなんて面倒くさいから途中で止めても死んだとは思わないで下さい。
それは作者が失踪したんだなと思って下さい。
コメント欄に今後何の記事を書いてくれとかリクエストくれたら調べて記事にしますので気軽にコメントをどうぞ。
あまり真面目なコメントは適当に受け流します。
受け流しスキル高いのでスルーするかと思います。
思えば去年の3ヶ月間よく毎日記事を書けていたなと感心する。
これから90記事近く書かないとならないとなると今から心が折れそうである。
もうすでに心は折れかかってるけど、くじけぬ心で書き続けたいと思っております。
とりあえず週末のプチオフに関してもうちょっと考えてみます。
あと、私に記事を読ませたい人がいたら友達申請してくれれば記事を読みに行きますのでお気軽に申請をどうぞ。
著作権も何もかもがフリーなので当ブログを引用してもトラバしても何もいいません。
全く同じ記事でも文句は言わないので「これいいな!」ってフレーズがあったらパクッて自分の記事に書いちゃってもいいです。
まぁそんな文章ここにもないし、これからもそんなフレーズは生まれないと思うんですがね。
もしかしてってのもあるから毎日のブログは要CHECKだぜぃ。
去年はわりと文字に色をつけたりしてたのですが今年は元気が無いのでひたすら文字を打ち続ける事だけにします。
まだまだ文章を書くことがあるのですがそろそろ1万文字位書いたので今日はここまでとします。
では、みなさんまた明日( ´Д`)ノ~バイバイ アディオス!
本日の教訓:廊下は走るな。