一般にジェット機は高い所を飛びます。これは高度が高ければ高い程空気の密度が低下するので(空気の壁を押しながら飛ぶんですな)同じ速度なら空気密度の低い高高度の方が空気の壁を押す力が余り要らないので、推力を減らし燃料を節約して飛ばせるからです。その上ジェットエンジンは上空の下温度の方が高効率ですし、ジェット気流なんかも使えますし、おまけに高高度になると悪天候の上を飛ぶので一石四鳥と言う訳です。でも当然制約も色々ありまして、短距離だと高高度まで到達するのに燃料使って巡航で低燃費の恩恵受けない内に降下せねばならずかえって不経済だったり、ヒコーキ自体も自重が重いと最初っから高高度まで上昇出来る性能を持ってなかったりするので計画が必要です。同じ重量でも強力なエンジンのヒコーキは高い所に到達する性能を十分持っていても翼の性能が追いつかず、昇れたは昇れたものの失速寸前だったり不安定な状態に陥り非常に危険です。逆に翼が優秀で高高度でも楽に飛行出来るのに、エンジンが非力だったりすると、上昇するまで悶々と燃料消費して自重が減るまで我慢しなければなりません。推力の制御と機体性能が電脳で管理される以前の昔のジェット機はその特性を理解していないと怖い目に合います。特に空気の薄い高高度では低密度の空気なので低速失速速度がどんどん上がって来るのと同時に音速時に起こる音速ショックでこれまた揚力を突如失う高速失速速度が低速側に降りてきて、安心して運行出来る巡航速度域が狭まるので、これを業界では棺桶コーナーと呼びます。
これは昔の図、遅れに遅れたデトロイト発成田行きの北西便。アラスカから日本へ向かう航空路R220で我々をぶっちぎって抜いて行きました。
これは古いDC-8ですが70シリーズと言いまして、エンジンを新しいCFM56に改装した改良型。余りにもエンジンの推力に余裕があり高高度までグイグイ引っ張っていってくれるのですが、性能表を注意して飛ばさないとエンジンの力が尽きる前に翼の揚力が追いつかなくて怖い事になります。
その点、古いB747、特に装備されているエンジンが、プラット&ホイットニー社製のJT9D、A型とかF型は力が足りず、翼の揚力不足の恐ろしい目に遭う事はありませんでしたが、何せ非力なので離陸重量、高度通過制限などの制約に苦労しました。以前新千歳で給油していた頃、特に夏場は無風、高い気温、短い滑走路に悩まされ、よく日が暮れて気温が下がるまで出発できず難儀したもんでした。。。
これは中東オマーンのスムライトへお使いに行った図。
初めて独国のオートバーンで最高速度無制限で走る際、経験のない人々は皆、即、ギャスペダルを床まで踏みつけて未体験の世界へ突入するのですが、これが怖いのですわ。自動車はどれでも一番早く走れる性能的な巡航速度って言うのはありますが、あれは晴天、完全整備、人っ子ひとりいない試験回路などで弾く数字であり、実際にはタイヤの状態、気温、視程、雨、風、交通量、自車の搭載状態など様々な要素が絡んでそれを総合したのが、まあ現実的に出せる最高速度になるんですが、シロートの外国人はそれが判らないんです。。オートバーンで最初は時速220キロとかなんとかでぶっ飛ばすのは興奮物かもしれませんが、それをずっとやっていると目的地に到達した後の疲労度が、適切速度で走って来た時に比べ著しく大きいのに気がつきます。それに最高速度付近で飛ばす際の燃料消費がまた桁外れに悪化するので頻繁に給油に時間を費やす他、あの燃料高価で有名な欧州ですから、費用が莫大な額に上ります。たった4、5時間の距離を時速210キロでぶっ飛ばすのと、170くらいでチンタラ走るのと、結局は時間差は利益を得られる程ではなく、その代わり疲労困憊、高額燃料費と、(勿論危険度もべらぼうに高まります)高速で走る際は余程の理由がないと馬鹿な事になります。勿論適切巡航速度は車種にもより、それぞれ”美味い領域”って言うのがある物で、取っ替え引っ替え借りてくる自動車で慣れれば直ぐ判り、その違い、持ち味を知ると面白いものです。
その高速走行で限界を定義するのは意外とエンジンの力やタイヤの性能ではなくて、ウィンドシールド・ワイパーの性能やら前照灯の明るさだったりします。
1960年代、合衆国のマッスル・カー競争が頂点に達そうとしていた頃、一般消費者からいつも文句が出ていたのは前照灯の性能でした。当然この頃は規格もののシールドビームの行灯みたいな物しか認定されてませんでしたから、あの怪物みたいな馬力のV8車では前照灯の性能が全く追いつかず、その点を考えたクライスラー社が考案したのが、いつも仲の良い電気屋さんの、シルヴァニア社と共同開発した、その名もスーパーライト(但しライトの綴りがLightではなくLite) これは通常のシールドビームの他に、ラジエータグリル内に今で言うプロジェクター式ヘッドライトみたいな球状レンズとヨウ素を充填した85ワットの電球を組み合わせ、ロービーム使用時、特に対向車と反対側の歩行者側の遠くを照らせる様に設計された注文装備を用意しました。
装備できたのは大型車のCボデー、それもダッジ車に限られ、モナコとポラーラで選択でき、矢張り時代を先取りし過ぎたきらいか、注文装備できたのは1969年と1970年のたったの2年間だけで、自然消滅しました。モナコもポラーラも余りマッスル・カーじゃ無かったんですがね。これがチャージャーかなんかだったら話もわかったんだんですが。。。
と、昨日、近所で古いチャージャーを目撃。これはフロント・フェンダー上部嶺前端のメッキの飾り(前端に小さな方向指示灯が組み込まれている)が見当たらないので、多分1966年型ですね。この年になっても後フェンダー後端がテイルフィンの形状になっているのが面白いです。この初代チャージャーはランブラー・マーリンの対抗馬として開発されたんですが、あの頃はファーストバック旋風が吹き荒れていた時代で、皆、大きな背中をしょっ引いてましたな〜。
洗濯洗剤。内容量が350立方インチ、いわゆるスモールブロックのシェヴォレイV8と同じ5.7リッター。
今年は選挙の年。投票は全て郵送です。ホノルル市長、誰を選ぼうかしら。。
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2020/07/29 08:55:37