全くもってぼくには非常に不可解な現象が最近の日本でハローウィーンの行事が大々的に行われるようになった事です。一体何がきっかけで、何の理由でまた?日本ではコスチューム・プレイ仮装が得意・好き・好みなのでそれがハローウィーンの仮装とが相乗効果で跨線に触れたのかもしれませんね。
我が国でのハローウィーンは勿論子供が日没後、住宅街の家を回ってお菓子を貰うのはピーナッツなどの漫画で知られていますが、最近は防犯上の理由などにより、自治体が公園などでお化け屋敷みたいな企画をして、月夜の晩に子供が彷徨く姿が少し減ったみたいです(我が家オアフ島のワイパフだけかもしれませんが)。
ハローウィーンの怖い仮装と言ったら矢張り、チェインソー抱えて走り回る、なんでしたっけ、あの映画の主人公。広大な野原が広がる当地では小さなエンジンの付いたチェインソーなどはそれこそスーパーマーケットでも売っている位一般家庭に普及している道具の1つですが、以前そのチェーインソーを小型化し格段に一般普及させた会社でマクロックと言うブランドがあります。
マクロック社の創立者、ボブ・マクロックは家系がトーマス・エジソンの発明した電力を発電・配給したりその電力を使って路面電車を始めたりかなり裕福な家庭に恵まれ、スタンフォード大学を卒業した後、自分で会社を立ち上げます。
小型産業エンジンを得意とし、チェインソー産業に入ります。産業エンジンの応用としてモーターボートにも使おうと、それを試験する水辺場所を米国西部に探している際、アリゾナ州とキャリフォーニア州の境にある、コロラド川中流にあるハヴァスー湖周辺をいたく気に入り、その湖地域一帯を買い取り計画不動産都市を開発しただけでなく、自社の工場も同地に建設し従業員までも住ませます。その頃になると彼は米国各地の荒野を買い取り、計画都市として売り出す不動産業にのめり込み成功します。その計画都市は通常人里離れた場所にあったのでそれに投資するお客さんの為に航空機をチャーターしていたんですが、ヒコーキ好きの彼は小さな航空会社を買い取り自分の会社としてチャーター業務も始めちゃいます。ロッキード・エレクトラから始めて最盛期にはダグラスDC–8まで飛ばしてましたから結構な大所帯だったみたいです。
そのレーク・ハヴァスー・シテイーは温暖な気候、豊富な水、住みやすい街として主に引退した老人達に人気になり観光地としても栄えた他、春になると米国西部各地から大学生が春休みのハメを外す場所として有名になりごった返します。マクロック氏は街の名を有名にさせようと英国ロンドンにあったロンドン橋をオークションで競り落とし、石1つ1つに番号を記して解体し、ハヴァスー湖に再現した事でも有名になりました。ぼくもレーク・ハヴァスーのちょっと北にあるキャリフォーニア州ニードルスと言う鄙びた砂漠の田舎村で(漫画ピーナッツでスヌーピーのお兄さんがニードルスの砂漠に住んでいた事で有名、作者シュルツ氏も以前そこに住んでいた)双発機の限定免許の試験を受けたのでハヴァスー湖の上を飛んだ事ありました。
彼のヒコーキ好きはエスカレートして仕舞いには自分でジャイロコプターと言う形状の回転翼機を作り、実際に航空局の認可を受領して80数機を売ります。
興味深いのはマクロック氏の奥さんバーバラは何と産業エンジンでは猛競争相手のエンジン会社、ブリッグス&ストラットンの創業者の一人、ステイーヴ・ブリッグスの娘なんですよね。でも産業エンジンとは言え、ブリッグス&ストラットンは芝刈り機などが主な商品で、マクロックはチェインソーだったので何とか住み分けをしていたそうです。この写真は1980年にブリッグス&ストラットンが試作したハイブリッド車。よーく見るとVWシロッコの部品を流用してますね。
はみ出し情報:産業用エンジンとして富士重はウイスコンシン・ロビンと言うブランドで米国では1960年代の前半には既に売り出されており(ラビット・スクーターも同時期に売り出されましたが違うチャンネルで)富士重製品の米国での歴史は結構長いんです。
マクロック氏は1977年に他界し、その後産業エンジン部門はスウェーデンのハスクヴァーナ社に売られ、マクロックのブランドはまだ使われていますが事実上チェーンソー市場からは撤退した形になっています。
でもマクロック氏の創業された有名な会社がまだ1つ営業しています。マクロック氏のミドルネームはパクストンと言い、米車の性能向上させるパーツで過給器のスーパーチャージャーがありますね、そのスーパーチャージャー製造の有名な会社、パクストン社、あれが彼の名を引く会社なのであります。
Posted at 2017/10/30 00:08:11 | |
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