田宮さん、やっぱりブルーバードの方がいいんじゃない、。。。Jラインが斬新なダットサン610。
1970年代、コローナはそこそこ売れていたんです。ダットサン610に比べたら、実際の数字は調べてませんけど。
この頃から始まったトヨタの宣伝キャンペイン、それまでのキャッチフレーズは ”小型車作って40年の専門集団” なんて、あまり夢の無いセリフだったのを、新しく採用した広告代理店、ダンサー・フィッツジェラルド・サンプル社が作り出したライン、登場人物が最後に音楽と共に宙にジャムプして叫ぶセリフは。。。。
”トヨタ、ああなんと言う快感!”、"Oh, What a Feeling!"
”誰がこれ以上の物を望むか!”、"Who Could Ask For Anything More" それと
”君らが要望した物、今持ってきたよ” "You Asked For It, You Got It, Toyota"
これらのキャッチフレーズは歴史的な成功になり、今でも中年ならこのキャッチフレーズを覚えていたり、または使う人います。
ビリークリスタル監督・主演1995年の影視、”パリなんか忘れろ”(Forget Paris) 痴呆症の父親と住むビリー・クリスタル。何故かこの父親、朝から晩まで五分おきにトヨタのキャッチフレーズを口ずさむのが癖で、ビリー・クリスタルを発狂寸前までに追い詰めます。"You asked for it, you got it, Toooyooootah!"
この映画のお陰でトヨタの名前が人々の記憶に焼きついたのは疑いもありませんが、以前にビリー・クリスタルはもう一つ、この時代のトヨタ車に関わっています。
”ハリーとサリーが遭った時” (When Harry met Sally)。メグ・ライアンがレストランでオーガズム演じる場面が有名ですが、学生時代最初にビリー・クリスタルとメグ・ライアンが遭遇する場面、大学まで一緒に相乗りするのが1976年型コローナのステーションワゴンでした。この黄色い小型車も小道具としては印象的でしたね。
この世代のコローナは結構売れて、特に年配層、主婦、なんかが気に入って乗ってた様に覚えています。真面目で豪華では無いが壊れず、カローラ よりは格が上で、って事は大学生は滅多に乗らない。。。感じでしたね。前席ベンチシートにコラムシフトの自動変速機、日本で俗に言う ”ベンコラ” ですね、そのステーションワゴン型が圧倒的に多かったです。サリーちゃんがビリー・クリスタルと相乗りしたのはいかにも大学に行く娘に親から譲られたって感じでした。
地味な廉価版2扉型も ス テ キ
第二次石油危機の時、超経済車として売られたカローラ でもこの石油危機時代に盛んい売られた廉価版は、ドアの肘掛も省かれていて、床も警察車両よろしく絨毯敷きでは無く薄っぺらい塩ビかなんかの樹脂の敷物が貼られていました、その代わり抜群の信頼性と経済性を備えてました。この頃のトヨタの広告、グラフィックとレイアウトが素晴らしかったです。この写真、左Aピラー下部にラジオ・アンテナのブラケットが写ってますが、アンテナ本体と上部ブラケットは見事に描き消されてます。この3Kエンジンを積んだ非力な超経済版は49州だけで、キャリフォーニアは独自の排気ガス浄化装置をつけなければならないので、2Tエンジンでした。
くじらクラウンが石油危機とかなんかの販売不振でたったの一年半で販売終了し、それに替わる一番豪華で大きなトヨタ車として位置付けられたのが時を同じく大型化モデルチェンジしたコローナ・マークII でした。
初年度は結構簡素な外観でバンパーも普通。。。初期型は2300cc、程なく2600ccに拡大され1976年まで通します。
1973年型も余り変化なし。バンパーも小さいままです。
1974年は5マイルバンパーの法律が本格的に執行され、前後衝撃吸収、燃料系、冷却系、灯火類の保護、斜め前の前後からの衝突被害保護、高さ制限などに対応し、変更されたラジエータグリル、大きなバンパが装備されます。
ステーションワゴン、バンパが大型化された際、独立していた反射鏡が省かれ、尾灯の赤い部分に内蔵されているのが判ります。
1975年はバンパーがさらに一層ごっつい形状になり、最終年の1976年に続きます。衝撃吸収バンパは当時のセリカ同様、両端がUの字型に吊り上っているのが特徴ですね。後期型はちょっとチグハグでオリジナルのコンセプト薄れている格好。。
1976年、マークIIの最終年。
実質的には1977年はマークIIは廃止になり、次のクレシーダがまだ配車できてなかったのでトヨタのフラッグシップ車は空白の年になるのですが、1976年マークIIの最後の年と1978年クレシーダの初年は、マーケティング上の印象が似ているのが興味深い所ですね。この1977年あたりから一つ下のクラスのコローナにLEと言う豪華グレードが出来て、クレシーダと装備内容などがほぼ同一になる状態が数年続きます。
後期型はステーションワゴンと2扉セダーンが廃止になり、その替わりコローナ伝統的な5扉リフトバックが導入されます。この豪華さ、同時期に売られていたクレシーダにも迫ります。
全てが順調か、全てが手遅れを示す、あの有名なOKモニター、こちらではESP, エレクトロ・センサー・パネルとしてちゃんと運転手の運命を天井から見守ってくれてました。機構的には結構お金がかかっていて、バッテリの電解液の量を監視するために、セルのキャップ一つに電気的に液量を測る小さなフロート付きのキャップが付いています。この安全コロナの安全装備、合衆国は2扉ハードトップだけの装備で、それが廃止になった1977年からは一緒にOKモニターも姿を消しました。
本家版は表示がちゃんと左右逆にされている芸の細かさ。。。マジメだったんだなー、あの頃は。
マークII最終型、1976年。
クレシーダ最初の年、1978年型。
ハワイ州オアフ島もついに伝染病隔離やらが始まるとの事で、それに先駆け島民自宅待機令が発足し、ワイキキーはかつて観た事のない人っ子ひとりいない状態。。。
カラカワ大通り、ほとんどの店が閉店してました。
カピオラニ公園もこの後閉鎖です。
珍しく並んだ二台のプラグイン・ハイブリッド。PHV車は原則として電気自動車としての扱いなので、駐車料金が免除になります。
Posted at 2020/03/24 18:17:58 | |
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