• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

JetBoyのブログ一覧

2020年03月31日 イイね!

北の家族

北の家族











ハワイ州、全ての入州者に2週間の隔離条例発令後、通常なら1日5000人以上あった日本からの観光客が今朝は何とたったの19人! 余り報道には出ないのがキャナダからのお客さんで、逃冬でハワイに来るキャナダ人が結構いまして、特にカウアイ島がお好きなようでヴァンクーヴァから直行便も来ている筈です。

キャナダ人が合衆国を訪問する際、短期訪問の際は、勿論査証は必要ではありませんが、一応簡単な入国審査みたいな物はある筈で、その入国審査用紙、今はどうか知りませんが、キャナダ人に限らず用紙に質問状があり、その中に必ず共産党に加入してましたかと問われます。

今の人には信じられないかもしれませんが、ちょっと前まで、合衆国の最大の敵は共産党、共産主義であり、1960年代初旬から冷戦が1990年になっても水面下で激しく争っていて、僕が最初の湾岸戦争に駆り出された頃(小さなヒョーショージョー貰いました)は未だMACのマックは、ミリタリー・エアリフト・コマンドと呼ばれていて、空軍にはSACストラテジック・エヤ・コマンドって呼ばれる部門があって、全米各地の空軍基地で核弾頭やらを載せた爆撃機が呼称されて数分以内に離陸出来るよう24時間常時待機していた緊迫時代です。それが次のイラク湾岸戦争(大きなヒョーショージョー貰いました)。になった頃には独国の壁は既に崩壊し、ソヴィエトがロシヤに変わり冷戦は公式に終了します。

ソヴィエトが崩壊し続いて中共も商業の民主化が進み、この共産党と言う言葉はかなり薄れてきましたが、今だに長い間赤を敵視してきた我が国は未だ入管の書類にこのような形式で共産党の名称が持ち出されるのは何故か興味深い気がします。

北のお隣、キャナダは昔英国領であった事もあり、何かと大英帝国との繋がりがいまだに有りますが、それと関係しているかしてないか、僕たちから見れば共産党に寛大な、ギョッと思う事項がたまに有り驚きます。

1970年の後半、第二次石油ショックで全米があたふたしていた時期、キャナダとの国境近い西ニューヨーク州に住んでいた自分は、給油制限が始まり、ライセンスプレートの末が奇数と偶数で給油できる日が変わったり、バッファロー市からピースブリッジと言う国境の橋を越えてキャナダで給油する人が増えたりしてました。当時、1ギャロンのギャソリンが米国側で55セントだったのが一夜で1ドル55セントまで三倍近くに跳ね上がったのですから。その頃確かキャナダで1リッターのギャソリンが25セントくらいでしたが、ちょうど時期を同じくして、キャナダは国を挙げてのメトリック化の真っ最中で、インペリアルギャロンからリッターに移行する真っ最中でこんがらがったものです。

その時国境近辺で目撃したブッタまげたのが、キャナダから越境してきたソヴィエト製のラーダ車でした。以前にも書きましたが、キャナダは何故か廉価車に人気が集中する傾向があり、ラーダは価格の安さを武器にキャナダ東部から進出。ラーダのシグネット・セダーン、ステーションワゴンとニーヴァ四輪駆動多目的車を売り出しこれが結構当たり、特にオンタリオ州では見かけました。ただし信頼性の低さと、1987年に起きたコリアンエヤ旅客機撃墜事件で販売台数が激減し、セダーンは新型のサマーラもちょいとだけ持ってきましたが、四駆のニーヴァだけ、1997年くらい持ってきた後、完全撤退しました。面白いのは1980年代、ソヴィエトでは未だ自分で自家用車を買うのには注文後5、7年待ちと言うのはザラで、キャナダでラーダを買い密輸した方がよほど早く、安く調達出来るとかで、70,000台以上のラーダ車がソヴィエトに逆輸入されたそうです。。。気化器に燃料タンクから燃料をプライムする為燃料ポンプに手動レヴァーがあったり、強化バンパーでアクセスは閉ざされましたが、クランク棒を突っ込んで手動始動できたり、原始的な所も地元民には好まれたそうです。

北米、キャナダ仕様のラーダ。一応合衆国の規定に対応した衝撃吸収バンパー、サイドマーカーライトなどが判ります。


ステーションワゴン版。


ニーヴァ。白サイドウオールタイヤがアメリカ的。


後期型。


ごく僅か入ってた新型のサマーラ。二台ペアで行きましょうをパラストライカに混ぜて発音させるのがおもろい。


ニーヴァの後期型。


その一時期のラーダの成功を見て我もと他の共産国、次に来たのがルーマニアのダーチア。昔からフランス・ルノーの従兄弟みたいな関係のダーチアはルノー12の焼き直しの1310型をGTLと言って、セダーン、ステーションワゴン、ピックアップトラックと持ってきます。連中がルーマニア製ダーチアを持ってくるまでルノー・キャナダは本家フランス製のルノー12も持ってきていましたからケッタイな事になっていました。因みにルノーはキャナダでノックダウンのR16やらR8も生産していました。衝撃吸収バンパー、サイドマーカーランプなど北米仕様。




ルーマニアが外貨稼いでいるならオレんところもと後に続いたのが今じゃVWグループの一員、リヤエンジンで、前のトランクが横に開く、チェコスロヴァキアのシュコーダ。1989年には既に撤退。


オンタリオ州のロンドンから来たキャナダ人の学友、ブレント・ポーリーくんが自宅から持ってきた北米仕様のミニにも驚きましたね。規格上バンパの高さが随分上げられてます。


イタリヤで英国のミニを製造していたイノチェンテイがデトマゾに買収された後作られていたインチェンテイ・デトマゾも1980年代キャナダに少量入ってきた1車種でした。エンジンは大阪発動機製。


これらのチョット変わった小型車群、全てキャナダの廉価製品のリーダーとして売られた一連でしたが、東欧の共産力が傾いてきたと同時に、キャナダには他の国から来た廉価車、韓国の現代自動車のポニーのお陰で競争力を削がれ、一応90年代中盤まで生き延びたラーダを除いて、ほんの僅かな間の現象として終わりました。ノバスコーシャ州で1960年代に製造されたいすゞ・ベレットは異常なまでに頑丈で1980年代まで使われているのを目撃されたのが対照的でしたね。



一時期、スチュードベーカーが青息吐息の頃、いすゞ製品をスチュードベーカーとして売る案があったらしいです。。。そのハナシはまた今度。。。いすゞ・ベレット、キャナダでは一時期藤沢からの輸入品がありましたが、その後、ノヴァ・スコーシャに建てられた工場でキャナダ国内生産になりました。まあ長くは続きませんでしたけ。。。。見出しに時速90マイルと書かれています。キャナダがメトリック化される10年前のハナシです。


キャナダ仕様は実を言いますと合衆国仕様と結構違いがありまして、特に警告灯類、合衆国は独自の表示をしていますが、キャナダはEUと同じ規格を使っており、結構融通が通じません。

日本も明日から自動前照灯が義務化されるそうですが、キャナダではデイタイム・ラニング・ライトが既に義務化されており、基本的に前照灯を消す位置がスイッチにありません。これは現行型トヨタ・プリアス、合衆国版とキャナダ版の違い。









Posted at 2020/04/01 18:28:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2020年03月23日 イイね!

BーC 戦争

BーC 戦争








田宮さん、やっぱりブルーバードの方がいいんじゃない、。。。Jラインが斬新なダットサン610。


1970年代、コローナはそこそこ売れていたんです。ダットサン610に比べたら、実際の数字は調べてませんけど。

この頃から始まったトヨタの宣伝キャンペイン、それまでのキャッチフレーズは ”小型車作って40年の専門集団” なんて、あまり夢の無いセリフだったのを、新しく採用した広告代理店、ダンサー・フィッツジェラルド・サンプル社が作り出したライン、登場人物が最後に音楽と共に宙にジャムプして叫ぶセリフは。。。。

”トヨタ、ああなんと言う快感!”、"Oh, What a Feeling!"

”誰がこれ以上の物を望むか!”、"Who Could Ask For Anything More" それと 

”君らが要望した物、今持ってきたよ” "You Asked For It, You Got It, Toyota"

これらのキャッチフレーズは歴史的な成功になり、今でも中年ならこのキャッチフレーズを覚えていたり、または使う人います。



ビリークリスタル監督・主演1995年の影視、”パリなんか忘れろ”(Forget Paris) 痴呆症の父親と住むビリー・クリスタル。何故かこの父親、朝から晩まで五分おきにトヨタのキャッチフレーズを口ずさむのが癖で、ビリー・クリスタルを発狂寸前までに追い詰めます。"You asked for it, you got it, Toooyooootah!"


この映画のお陰でトヨタの名前が人々の記憶に焼きついたのは疑いもありませんが、以前にビリー・クリスタルはもう一つ、この時代のトヨタ車に関わっています。

”ハリーとサリーが遭った時” (When Harry met Sally)。メグ・ライアンがレストランでオーガズム演じる場面が有名ですが、学生時代最初にビリー・クリスタルとメグ・ライアンが遭遇する場面、大学まで一緒に相乗りするのが1976年型コローナのステーションワゴンでした。この黄色い小型車も小道具としては印象的でしたね。


この世代のコローナは結構売れて、特に年配層、主婦、なんかが気に入って乗ってた様に覚えています。真面目で豪華では無いが壊れず、カローラ よりは格が上で、って事は大学生は滅多に乗らない。。。感じでしたね。前席ベンチシートにコラムシフトの自動変速機、日本で俗に言う ”ベンコラ” ですね、そのステーションワゴン型が圧倒的に多かったです。サリーちゃんがビリー・クリスタルと相乗りしたのはいかにも大学に行く娘に親から譲られたって感じでした。


地味な廉価版2扉型も ス テ キ


第二次石油危機の時、超経済車として売られたカローラ でもこの石油危機時代に盛んい売られた廉価版は、ドアの肘掛も省かれていて、床も警察車両よろしく絨毯敷きでは無く薄っぺらい塩ビかなんかの樹脂の敷物が貼られていました、その代わり抜群の信頼性と経済性を備えてました。この頃のトヨタの広告、グラフィックとレイアウトが素晴らしかったです。この写真、左Aピラー下部にラジオ・アンテナのブラケットが写ってますが、アンテナ本体と上部ブラケットは見事に描き消されてます。この3Kエンジンを積んだ非力な超経済版は49州だけで、キャリフォーニアは独自の排気ガス浄化装置をつけなければならないので、2Tエンジンでした。


くじらクラウンが石油危機とかなんかの販売不振でたったの一年半で販売終了し、それに替わる一番豪華で大きなトヨタ車として位置付けられたのが時を同じく大型化モデルチェンジしたコローナ・マークII でした。

初年度は結構簡素な外観でバンパーも普通。。。初期型は2300cc、程なく2600ccに拡大され1976年まで通します。


1973年型も余り変化なし。バンパーも小さいままです。








1974年は5マイルバンパーの法律が本格的に執行され、前後衝撃吸収、燃料系、冷却系、灯火類の保護、斜め前の前後からの衝突被害保護、高さ制限などに対応し、変更されたラジエータグリル、大きなバンパが装備されます。






ステーションワゴン、バンパが大型化された際、独立していた反射鏡が省かれ、尾灯の赤い部分に内蔵されているのが判ります。


1975年はバンパーがさらに一層ごっつい形状になり、最終年の1976年に続きます。衝撃吸収バンパは当時のセリカ同様、両端がUの字型に吊り上っているのが特徴ですね。後期型はちょっとチグハグでオリジナルのコンセプト薄れている格好。。


1976年、マークIIの最終年。






実質的には1977年はマークIIは廃止になり、次のクレシーダがまだ配車できてなかったのでトヨタのフラッグシップ車は空白の年になるのですが、1976年マークIIの最後の年と1978年クレシーダの初年は、マーケティング上の印象が似ているのが興味深い所ですね。この1977年あたりから一つ下のクラスのコローナにLEと言う豪華グレードが出来て、クレシーダと装備内容などがほぼ同一になる状態が数年続きます。


後期型はステーションワゴンと2扉セダーンが廃止になり、その替わりコローナ伝統的な5扉リフトバックが導入されます。この豪華さ、同時期に売られていたクレシーダにも迫ります。


全てが順調か、全てが手遅れを示す、あの有名なOKモニター、こちらではESP, エレクトロ・センサー・パネルとしてちゃんと運転手の運命を天井から見守ってくれてました。機構的には結構お金がかかっていて、バッテリの電解液の量を監視するために、セルのキャップ一つに電気的に液量を測る小さなフロート付きのキャップが付いています。この安全コロナの安全装備、合衆国は2扉ハードトップだけの装備で、それが廃止になった1977年からは一緒にOKモニターも姿を消しました。


本家版は表示がちゃんと左右逆にされている芸の細かさ。。。マジメだったんだなー、あの頃は。



マークII最終型、1976年。






クレシーダ最初の年、1978年型。


ハワイ州オアフ島もついに伝染病隔離やらが始まるとの事で、それに先駆け島民自宅待機令が発足し、ワイキキーはかつて観た事のない人っ子ひとりいない状態。。。

カラカワ大通り、ほとんどの店が閉店してました。






カピオラニ公園もこの後閉鎖です。


珍しく並んだ二台のプラグイン・ハイブリッド。PHV車は原則として電気自動車としての扱いなので、駐車料金が免除になります。
Posted at 2020/03/24 18:17:58 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2020年03月20日 イイね!

積荷、大丈夫?

積荷、大丈夫?









1964年型リンカン・コンチネンタル。車両重量は5,000パウンド強です。


同じく1964年型フォード・ランチェーロ。最大積載量は800パウンドです。


裏切り者は、機場へ送迎されると思ひきや、ハワイ生まれのハロルド・坂田氏に暗殺され、リンカンはそのまま解体屋で鉄屑にされ、雇い主に届けられる。。。












でもここでハテナ? です。許容最大積載量の6.5倍の重さの荷物積んでいるのに、何故かランチェーロはいとも軽快に走り去ります。。。。。


解体屋では黒タイヤ、走行時は何故かホワイトサイドウオールタイヤ。。。

世界を敵に回す悪の主人公もたまにはずっこけるのかしら。。。

1957年型のプリムス・ベルヴェデイア。四灯みたいなのですが、内側はポジションライトです。


翌年の1958年型は正常な四灯の前照灯。


コレは、以前にも書きましたが、四灯式前照灯が許可になった際、全ての州が同時に法律改正されなかったので (8州が認可遅れたらしい)、苦肉の策で1957年だけはそれ もどき で用意しておいて、翌年、全48州(アラスカとハワイが州になる前です)すべてで四灯認可されたので、1958年型は簡単に四灯式に移行できたわけです。他の会社・車種でも1957年と1958年は同じ様な違いが見受けられ面白いです。

1958年型プリムス・フューリは1983年に大ヒットした影視、”クリステイーン” の主人公です。



ちなみに1964年型リンカン・コンチネンタルのウィンドシールドワイパーはパワーステアリングのリターン側から得られる油圧で駆動されてます、ワイパを回した後の油はラジエータ内の熱交換器で冷却された後、パワーステアリングの油溜に戻ります。
Posted at 2020/03/21 07:54:00 | コメント(0) | トラックバック(1) | 日記
2020年03月16日 イイね!

ルノーで走ろう、欧州を。

ルノーで走ろう、欧州を。欧州を旅すると付加価値税金の高い事に驚かされるでしょう。特にフランスなど税金の複雑さと高額な事は欧州内でも有名で、高額な金銭の取引となると33%くらい取られて、まあ非居住者はナンボかは返却されるんですが、その手続きと言ったら閉口します。当然フランスを旅行する際、レンタカアを借りると税金、保険やらで、それでなくても燃料が高いのに結局公共交通機関を使った方が樂なんですが、意外と知られていない裏技で、自動車製造元から米国居住者用(多分欧州非居住者が対象)短期リースと言うプログラムがあります。これは最低21日以上レンタカアを借りる際に利用できる物で、全くの新車、自分の名義登録、非居住者用のいわゆる赤いTTプレートで登録され、免減税金、格安料金、保険含み指定した場所ならどこでも乗り捨て無料、自分の好きな車種を指定可能などなど、非常に魅力的なプログラムであります。勿論ルノーは合衆国から撤退して30年以上経つので、ルノーなんて名前自体知らない人の方が多いですが、フランスに長期行く際は絶対おすすめなのです。

ぼくがそのシステムを使ったのが1987年で、ルノー21ネヴァーダを一ヶ月程リースしました。あの頃のフランスはまだ古い自動車が沢山走っていたよかったな〜と。。

リースしたR21は1700cc。結構よく走りました。赤いTTプレート。


ひまわり畑でお昼ご飯。


レイク・ルマン。


ルノーのフリン工場にて。ここ、昔はドーフィーン製造していました。1987年7月25日と記された一枚。


ルノーはフランスでも壊れるのだ。サーヴィスカーはジープ・チェロキー。


ドーフィーンと言えば、VWビートルに対抗する形で、一時期合衆国でも浸透し始めた時期があったんですが。。当然非力、故障(特にプッシュボタン式の電気制御自動変速機)と、ブレーキの不具合であっという間に消え去りました。


販売不振に陥ったドーフィーンのドンガラに電気駆動を取り入れた電気自動車、へニー・キロワットってのもありました。日産・リーフの先祖ですね。


鉛電池積んだへニー・キロワット。さぞかし重かっただろうと(んで車体がよく耐えたと)。。。




ドーフィーンのスペアタイヤはあっかんべ〜。


欧州でレンタカア代わりにリースするのとはチト話は違いますが、我が国では昔から海外納入サーヴィスと言うのがありまして、メルセデス・ベンツ、BMW、ポーシャ、ヴォルヴォなど、各現地で新車を受け取り一定期間欧州を走り回り、指定場所に返却後、輸送船で自宅近くの販売店まで運送してもらうと言うサーヴィス。車両が非常にお得な価格で買えて、購入価格の中に自宅から欧州の工場までの2人分の航空券、到着後の送迎、一泊の宿代、納車日のお昼ご飯、工場見学などが全て含まれていて、車両にはTTプレートと同じような保険込みの期間限定非居住者のプレートを付けてくれて欧州を自分の新車で旅行できると言うもの。これが結構普及していて、ぼくの身の回りでも数人がそう言う買い方をして非常によかったとの事でした。


以前サウジアラビアのサウジア航空便を飛ばしていた時、主たる経由地がベルジャムのブラッセルであの街には何年も通いました。ぼくの亡伯父は日産自動車技術部門欧州を立ち上げた1人でブラッセルに長い間住んでいたので、何故か自分はあの街に縁があったみたいでした。ベルジャムは戦争時、独国に侵略された時の事を皆、尽く覚えていて、特に中年以上の人々は独国製の自動車を頑として受け入れない人々、結構見かけました。同じ理由で戦争末期、合衆国の軍に解放されたので、高い税金にもかかわらず、米国車に乗る人数人、知ってます。

シェヴォレイ・コーシカ。今じゃ本国でもさっぱり見かけない、悲しいセダーン。一時期日本でも売ってたんですよね。2扉版のベレッタもあったっけ。。。ベルジャムはこの頃3桁3桁のライセンスプレートで、他のEU国との寸法互換性がなかったです。


ポンテイアックの未来的ミニヴァン、トランスポート。これは欧州で一応成功したみたいで、確かEU版は5速手動変速機だったかな。このライセンスプレートは欧州連合所属のもの。


そう、戦争を生き抜いてきた爺さんなんかが、この様な古い米国車、乗っているんですよね。。。これはダッジ・アスペン。


ぼくの2CVがまだブラッセルにあった頃。この車両はご当地、ベルジャム製で、フランス製と比べて結構違いがありました。大きい602ccのエンジンはAMI6からのを使っていました。


フォードF250を載せた図。天井が低いのはこの機、珍しいコンヴァーチブル型と言いまして、旅客に使用の際の装備、例えば窓、内装、御不浄の配管などが付いていて、貨物と旅客に変換できると言う珍しい仕様でした。ただし貨物扉は機首がガバッと開くタイプだけなので、操縦室が二階にある為、主貨物室のある一階の天井が98インチと、通常後部にある貨物扉の高さ、123インチより低いと言う欠点がありました。機体後部の天井は高いのですが、荷物を前からしか出入りできないので、この天井で荷物の高さが制限されてしまうのです。その代わり長ーい荷物は得意でしたけど。747の貨物機で一番人気があるのが、この機首扉と、機体後側に高さ123インチの開口寸法の貨物扉が付いたダブルドア仕様。まあその分空虚重量も増え有償貨物重量も減りますが。。。


突如、無関係の画像。1987年型、GMCフォーワード・トラック達。


ハナシはどんどん脱線していきます。これは先日カラニアナオレ道路で見かけたオールズ・カトラス・スプリーム。尾灯の形状から1981年から1983年型と察します。しかしこのストライプ、この色、確か特別仕様だった記憶があるんですが、思い出せない。。。。


スラントノーズになったカトラス・スプリーム、1983年までは後部反射鏡がトランクリッドの下、横長に。


1984年から尾灯の形状が変更になり、反射鏡は尾灯内蔵型に変更。尾灯の中央、縦に銀色の分け目があるかないかで直ぐわかります。これは撮影にストロボ焚いたんでしょう、反射鏡がよく判ります。


1984年からの、反射鏡内蔵の尾灯。


良い子の皆さんはこう言う離陸しちゃいけませんよ。(ぼくは悪い子でした)
Posted at 2020/03/17 15:55:06 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2020年03月15日 イイね!

何処かで見た事あるような。。。

何処かで見た事あるような。。。

















英国仕様フォックス車台のマスタングの尾灯。


程なく判明。


同世代の同社の経済車、上下逆に配置たエスコート用でした。


こう言った類の部品共用は結構多く、有名なモノでは。。。

ロータス・エスプリ。


SD1ローヴァー。


後期型は。。。


カローラ用。


SD1の尾灯をひっくり返せばロータス・エクセル。


そのロータス・エクセル、車輪と扉の取手は。。。


トヨタ・セリカ・スープラ。



TVRヴィクセン。。


フォード・コーチナ用を逆さまに。。


アストン・マーテイン DB7の尾灯。。。


マズダ323F。両者、一応フォード系でしたけど。。


アストン・マーテイン・ヴィラージの尾灯。。


VWシロッコ。


その前照灯は


アウデイ200。


パトリック・ルクエメン。


ネッド・フランダース
Posted at 2020/03/16 17:30:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記

プロフィール

「キャデラックのリムジーンあれこれ。(また) http://cvw.jp/b/1945280/47596514/
何シテル?   03/17 18:03
I'm JetBoy. Nice to meet you. 実家は西キャナダ、住むのはハワイ州オアフ島、家族は香港、親戚が日本、スピリットはウチナンチ...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2020/3 >>

1234567
89101112 1314
15 16171819 2021
22 232425262728
2930 31    

愛車一覧

トヨタ プリウスPHV トヨタ プリウスPHV
税金控除。駐車代無料。充電免費。貧乏家族の頼り者。
トヨタ プリウス トヨタ プリウス
家に置いてある自動車、でも出稼ぎ生活なので殆ど使用していません。走行距離が11年で590 ...
プジョー 505 プジョー 505
矢張り安物ルノー車を毎日修理していると、”いつかはプジョー” と言う流れに溺れて、最後の ...
ルノー その他 ルノー その他
シカーゴで姉貴の乗っていたマズダRX-5 (コスモ) が珍しく動いていたので中古車屋に乗 ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation