
2009年で一度F1を離れることとなったキミ・ライコネン。
彼に敬意を表し、自分が知る限りの「キミ・ライコネン」を振り返ってみたい。
フォーミュラ・ルノーで無敵の速さを誇ったライコネンは2000年にF1のテストを受けることとなる。これはF3にも乗ったことのないドライバーがF1に乗るという前代未聞の出来事である。
しかも、テストを受けるチームは…フェラーリ!このテストでライコネンは並のドライバーではない事を見せつけたという。特にMシューはライコネンを高く評価したという。
ザウバーにライコネンが行ったのはフェラーリの息が掛かっていたとさえ言われる。
2001年、ライコネンはいきなり速さを見せつける。チームメートの実力者ハイドフェルドと比べると年間成績では劣るが、ハイドフェルドが上手さを武器に上位を伺ういわば現代のF1ドライバーに求められる資質に対し、ライコネンは「レーサーたるもの速く走ってなんぼ!」というセナやマンセルがいた時代の「真のレーシングドライバー」スタイルで時にはマシンの限界を超えてしまうことも少なくなかった。
日本で人気のあったジャン・アレジの「ラストランを台無しにした」とアレジファンから批判を受けてしまったが、あのクラッシュでアレジがライコネンに声を掛けた時にライコネンはむすっとしていたように見える。しかし、このときライコネンはクラッシュで軽い脳震盪を起こしておりかなり気分が悪かったのだという。このクラッシュの時もライコネンは直前でマシンの限界を超えてしまいコントロール不能に陥っていた。1年目から強烈なパフォーマンスを良くも悪くも発揮した。「F1乗るからにはフェラーリに乗ってレースに勝ちたい」とかねてから公言していたライコネンにフェラーリもMシューのチームメートとして迎える準備をしていたと言われるが真偽の程は不明。
2002年、母国フィンランドの先輩ミカ・ハッキネンの推薦を受け、夢のフェラーリではなくマクラーレンへ
移籍。「速すぎるF1レーサー」と遅く重く脆いマシンの組み合わせはあまりにもちぐはぐで、職人型のクルサードに後れを取ってしまった。このことから批判の的にされてしまう。
この年、リザルトに表れてはいないがスパで戦闘力の劣るマシンによる自身初のフロントロー獲得を果たしており、後に「キング・オブ・スパ」と呼ばれる足掛かりを築く。
また、モンツァで佐藤琢磨の予選アタックを妨害してしまい、琢磨が怒鳴り込んできたのは有名な話。ライコネンはいろんなところでよく寝る事でも知られておりこのときも「居眠り運転」では?と皮肉られてしまうがさすがにそれはないだろう(笑)
2003年、前年批判した人々を黙らせる。アグレッシブさだけでなく安定感を身につけたライコネンは自身初優勝を挙げシーズン中盤までポイントリーダーに立つなど前年型のマシンで奇跡のような活躍をする。しかしニューマシンが実戦で使える状態ではなく、結局最後まで旧車で戦いこのことがライコネン初タイトルを阻んでしまった。この年は前年無敵だったMシューもどこかちぐはぐでライコネンにしてみればチャンスだったが最終的に2ポイント差は大きい物となってしまった。
2004年、話にならないマシンを実戦で強行出場…開幕前に「時間切れだよ」と失望を隠さなかったライコネン。その言葉通りに散々なシーズンを送る。後半戦になりやっとまともなマシン(あくまで前半戦のマシンとの比較であるが)が出来上がり、またしても無敵となったMシューを追い回すなどライコネン本来のドライビングが蘇る。この年のハイライトはスパだろう。異次元フェラーリを駆るMシューはましてやスパで負けるはずはないとの見方が多数を占めていた。ところが、遅いマシンを速く走らせたのはそう!ライコネンであった!!!!ラ・ソースの立ち上がりでMシューをパス!マシン性能でも実績でも上回るMシューをしかも「究極のドライバーズサーキット」と呼ばれるスパで明らかにライコネンが見せたパフォーマンスはMシューを上回っていた!これにはMシューも白旗を揚げる以外術はなかった。この年はマシン性能が散々だったのでこの1勝はかなり今でも大きい。なぜなら「キング・オブ・スパ」伝説はここから始まったのだ。
2005年、7勝を挙げるも度重なるマシントラブルが最後まで足を引っ張った。マシントラブルさえなければ2桁勝利は確実だった。この年ライコネンはとんでもない記録を打ち立てる。それはF1史上最高速記録である。何と史上唯一370キロ越えをしたのだ。これは塗り替えられることはないだろう。鈴鹿での16台抜きなど最速振りをいかんなく見せつけた!「ライコネンは速い、アロンソは上手い」との評価が定着する。
2006年、02年以来の未勝利、マシンがあまりにもお粗末でライコネンを持ってしてもどうにもならなかった。スパでのレースもなく、上位に絡めばエンジンが煙を吐くなどまるで04年前半戦のような有様、しかもマシンの改善もなく散々なシーズンとなった。
2007年、ライコネンファンにとっては絶対に忘れることの出来ないシーズンとなる。
「夢のフェラーリ」に晴れて移籍したライコネン。開幕戦を圧勝で飾り「とんでもないシーズンになる」とさえ言われた…が…2戦目以降トラブルが頻発しマシン性能で勝る礼儀知らずのクソ野郎ハミルトンとクソマユゲことアロンソに先行を許す。後半戦、やっと息を吹き返したかと思えばマクラーレン勢がマシン性能を武器に勝利をもぎ取ると一進一退の攻防を繰り返す。ただし、ライコネン自身はポイントリーダーに立ってはいないポイントリーダーにはクソ野郎が立ちわずかな差でクソマユゲが追い、ライコネンは完全に蚊帳の外と言った感じで優勝回数こそ変わらないがポイント差は縮まらない。後半戦表彰台に立ち続けるもなかなかポイント差は埋まらず日本GPでは伝達ミスによりフェラーリ勢は大苦戦(それでもライコネンは3位)2戦を残してポイントリーダーとの差は17。残り2勝でも難しいか?現実的に考えて残り2連勝飾ってもマクラーレンの2人がすぐ後ろにいたらタイトルは無理。かくいう私ももどかしい思いをした。マクラーレンが失速したらそれこそドラマだよ。しかし、そのドラマは現実となった。ライコネンは望みうる最高のリザルトを残す。(上海、インテルラゴス連勝)の一方でクソ野郎はリタイヤ、7位!アロンソも安定感こそあれど速さでは完全にフェラーリに遅れていた。
「フェラーリに乗ってレースに勝ち、そしてチャンピオンを獲る。今日全ての夢が叶ったよ」ライコネンのコメントどおり、中盤躓きながらもライコネンが最後に笑った。しかもポイントランキング3位からの史上稀に見る大逆転劇であった。
2008年、前年の勢いに乗るかと思いきや…ドメニカリがチームの代表となり2勝にとどまる。フリー走行までは調子がいいが予選・決勝となるとなぜか急にパフォーマンスダウン。批判の的とされてしまう。
タイトルを失い失意のシーズンを終える。
2009年、F2005以下の失敗作「F60」で絶望的なシーズンを送る。ドメニカリ体制になってからライコネンは冷遇され、マッサ優先の犠牲者となる。この裏には「ライコネンに戦力外通告」を突きつける時期を見計らっていたとさえ言われるほど。しかし、マッサが不幸な事故に見舞われライコネンが孤軍奮闘することとなる。得意のスパで久しぶりの優勝を挙げるなど中古車F60とは思えない大活躍。しかし、「代役のドライバーは頑張っている(ライコネンについてはコメントなし)」ドメニカリもとうとうライコネンについては口を閉ざした。惨憺デール銀行が新たにフェラーリのスポンサーに付き多くの人々が「フェラーリはライコネンに戦力外通告を突きつける気だ」と言い始めるその言葉は現実の物となり、ライコネンはフェラーリを退団することとなった。「この決定の裏には何か大きな力が動いている」最近ライコネンはこう語った。
ライコネンのようなスタードライバーを失うとF1の魅力も半減する。
来シーズン、グリッドにライコネンがいないのを見て寂しく思うだろう。
来シーズンは弟分のベッテルを応援することにした。40歳の新人(?)Mシューはというと…やめた方が良かったのではないかなぁと思う。
Posted at 2009/12/24 10:41:36 | |
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