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2015年02月25日

1984年のプリンス店の総合カタログ

1984年のプリンス店の総合カタログ またまた最深部からの発掘モノから話を構成してみます。

保管の経緯ですが、当時自宅のポストに入っていて、そのまま他のカタログに挟まったまま、保管庫の最深部に入り込んで時間が経過したのでしょう。販社のカタログはあまり残していませんので、自分的には珍しい存在です。

この時代の日産だと、またまた厳しい書き方となる予感ですので、先に予防線。

※当時を純粋に懐かしみたい方は画像だけを見て、本文は読み飛ばしてくださいませ。


31年も経過していますから、ここからイロイロ思う所もあるわけです。
今から振り返ると、ちょうどこの頃が、このクラスのベストセラーがスカイラインからマークIIに入れ替わった時期となります。

ニッサン、そしてプリンス店的にも、この状況はかなり危機感があったのでしょう。
スカイラインの商品力強化に注力することとなるのですが、その過程で次々繰り出された一部変更やグレード追加が正しかったのかは些か疑問符が付くような気はします。

その辺りを補足しながら、順を追って見ていくことにします。
ちなみに当カタログは1984年2月の発行となります。



(前後各1年間の変更履歴)
・1983年8月 マイナーチェンジ
・1983年10月 ターボGT-E・Sポールニューマンバージョン(P.N.V)追加
・1984年1月 GT-E・Xパサージュ追加
・1984年8月 一部変更と共にGT-E・IIを追加

マイナーチェンジ以降に追加された2グレードが中心で紹介されています。
パサージュは、E・Xをベースにモケット地のルースクッションシートに代表される豪華装備を加えたグレードです。どう見ても、グランデやメダリストの領域に魂を引き寄せられたとしか。実はバーガンディの内装色は、レッド、ガングレー、ブラックの3色のみ。ホワイトではグレー内装となります。

P.N.V.は、マイナーチェンジ前まであったE・Sをベースに60タイヤ&15インチアルミ、パワーウィンドーマルチバケットシート等を追加しています。こちらは後で出てくるグロリアからの影響ですね。

ケンメリ時代から続いた、標準、L、X、Sという4グレード構成はこのあたりで発展的解消となります。特にXとSは、上のとおりベクトル違いのツートップとなるのですが、売り手・買い手共に、その違いをきちんと理解できていたとは思えず、むしろ混乱させてしまったような。





左頁は、RSシリーズの紹介。
(前後各1年間の変更履歴)
・1983年2月 RSターボを追加
・1983年8月 マイナーチェンジと共に豪華仕様ターボRS-Xを追加
・1983年10月 RS-X追加(ATのみ)
・1984年2月 ターボRS及びRS-Xをインタークーラー付に変更
・1984年8月 一部変更と共にターボRS-XにATを追加

パワーウォーズの渦中にいたRSだけに、一番進化が早かったと言えます。ただその早さには批判があったことも事実。RSを購入していたユーザーは、スカイラインというブランドあるいは車についての思い入れの強い方が多かったですから、せっかく購入した新車がこういう形で矢継ぎ早に変わられたら、やはり堪らなかったと思うのです。


右頁は、TIシリーズの紹介。
(前後各1年間の変更履歴)
・1983年8月 マイナーチェンジ
・1984年8月 一部変更と共にTIパサージュを追加

それまでのショートノーズからR30でGTと共通のボディを持つに至ったTIシリーズ。この変更も賛否両論ありましたが、個人的には正解だったのではないかという認識です。910ブルーバードや140コロナよりも一クラス上に見せつつ、60マークIIやC31ロ-レルよりも廉価版には見えないポジションは絶妙な位置にありました。
惜しいのは、GTよりも一足早く新世代エンジンを積んだにも関わらず、GTに遠慮したような設定だったこと。例えば、この頃比率の急上昇したATは最後まで3速のまま。
この辺り、アバンテ風に見せた1800の比率が高かったチェイサーの商魂がこちらにもあれば、もう少し違う展開だったと思うのですが。






左頁は、代表的なグレードの紹介
登場当初は話題となったハッチバックも、この時点ではだいぶ縮小されてしまいます。登場当初のニューモデル速報誌には、「5ドアではなく3ドアの方が正解だったのでは」という提案もありました。

右頁は、バンの紹介と当時のカタログにあった「スカイライン神話」から3つの抜粋。
ただ残念ながら、その人気には陰りが見え始めた頃でもありました。月刊自家用車誌主催の読者人気投票では、ハイオーナーカー部門だけではなく、総合部門も長らくスカイラインの独占だったのですが、この年ソアラにその座を譲っています。中古車も同様の状況だったのは、少し前のブログで触れたとおりです。





ここからは、プリンス店取り扱いの他車種の紹介です。
最初はラングレー。
初代は、フロントマスクだけならスカイラインGTに誤認しても不思議ではありませんでしたが、この代ではパルサー系の部品共用が進むことで、”スカイラインミニ”のイメージから遠ざかってしまいます。
RSターボの登場後、間もなくで1500ターボGTを登場させて”史上最強の弟”と宣伝する辺りは巧みでしたね。





続いてはグロリアの紹介

(前後各1年間の変更履歴)
・1983年6月 フルモデルチェンジ
・1984年1月 V30EブロアムVIP追加
・1984年6月 V30ターボブロアムVIPとV30ターボブロアムを追加

長らく続いたL型を捨てて、V6にチェンジ。直6のクラウンを圧倒するはずが、敵は”ロイヤルツインカム”で対抗。

そこで、ここでも矢継ぎ早の最上級グレードの積み重ねをやってしまいます。
こちらはさらに「一番高いのを一番最初に持って来い!」というユーザー層を抱える車だっただけに正しい戦略だったのかは疑問符です。

次世代Y31の登場時には、これが教訓となったのか「翌年にはワイドボディ追加」を予告することとなりますが。





左頁は、グロリアの代表的なグレードの紹介
当時はクラウンの方がモダンに見えていましたが、今見るとY30のシンプルなディテール&堂々としたフォルムは結構好きだったりします。
前期5ナンバーのバンパーは、430のイメージを引き継いだのでしょうが、一体式バンパーが急速に増えた時代には、惜しいデザインでした。VIP追加時にカラードとなって、さらに後期では一体式が採用されることとなります。


右頁は、「びっくりボクシーセダン」プレーリーの紹介
荻窪の設計らしい実に意欲的なクルマでしたが、これも商品化の際の最後の煮詰めや売り方等で損をしていた印象が強いですね。国内よりもむしろ国外の方が評価された車かもしれません。





最後はホーミー&アトラス&サファリの紹介です。
ホーミー&アトラスは、少し前に紹介した第23回モーターショーの直後に部品共用しつつで一新されています。この一新は、ブランド&ラインナップの整理も同時に行う、思い切ったものでした。この思い切りが乗用車系でも見られれば・・・とつい思ってしまいます。

サファリは日産店の取り扱いという印象が強いのですが、プリンス店の一部でも取り扱っていたようです。特種用途から一般用途にも需要が広がりつつあった時代ですね。


ということで紹介をしてきたのですが、案の定、厳しい書き方になってしまいました(深謝)。

スカイラインは、長い歴史の中でプリンス店だけではなく日産の代表車種に成長していました。そのことが却って、トヨタが繰り出すマークII3兄弟だけでなくソアラやセリカXXあたりまでを、一車種で対抗させようとしてしまった原因なのかもしれません。

結局それらの領域に自ら近寄って戦線を広げた挙句に、本来のホームポジションを見失ってしまったように見受けられました。80年代末期の日産車がトヨタと違った領域で、ある種ゲリラ戦を繰り広げて善戦したことを考えても、この時代の戦略が正しかったとは思えませんね。


もっとも誤解のないように書いておきますが、モデル自体が嫌いということではなくて、そういう”不器用さ”に、むしろ好感を持っていたりします。

さらにあえて書くならば、当時の販売台数や販売戦略というのは「今は昔」の類の話であって、現存ユーザーの情や思い入れとは全く関係のない話なのです。
ブログ一覧 | カタログ話(雑談編) | クルマ
Posted at 2015/02/25 22:46:26

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この記事へのコメント

2015年2月25日 23:12
こんばんは。この時代の日産車の大ファンでした。何に惹かれていたのかなぁと考えると、そう❗️不器用なところです。ノーマルは、んっ?と思うフォルムでも、チョット太いタイヤとアルミを履くだけで、見違えるほど押し出しが強くなりましたね。若僧でしたので、そんな事が嬉しかったんです(^^)
コメントへの返答
2015年2月26日 4:37
おはようございます

適切な表現かは些か疑問ですが、様式だけではない内面精神的な「不良っぽさ」も買われていたのだと思います。特に330や430は、その印象が強かったです。
きっと作り手や売り手の意図とは、若干ずれていたはずなのですが、買い手がそういう部分を敏感に感じ取っていたというのが興味深いところですね。
この辺りの買い手の意図を汲んだ成果が初代シーマだと思っています。
2015年2月25日 23:49
parl-siroさん、こんばんは。
初コメント失礼いたします。
懐かしくて拝読させていただきました、パンフレットのロゴですが
日産販売チャンネルの関係上、NISSANよりもPRINCEを強調しているのが印象的ですね。
R30といえば故桜井真一郎氏の最後のスカイラインだったかと・・・、
この頃からハイソカーブームが静かに始まり、R30も特に後期になると迷走が始まった
印象がありますが、それでも当時免許を取得したら乗りたい車の1台だったです。
私は初代レパードって好きだったのですが、初代ソアラと比較してもデザインは
見劣りしていなかったと思います、エンジンはちょっと?でしたが・・・せめて最初からVG系でも
搭載出来ていればあそこまで差は付けられなかったと思います。
他にも惜しい車は沢山ありますが、旧くなると日産車って大事にされる印象がありますね。
長々失礼いたしました(^^)


コメントへの返答
2015年2月26日 4:58
おはようございます
初コメントをありがとうございます。

愛車紹介を拝見した感じでは、きっと同世代かなと思いまして、当時の時代認識もかなり近い印象を受けました。

R30スカイライン、特に後期は、後から起こったハイソカーブームの影響を受けていますよね。故桜井真一郎氏が入院されていた時期ということもあってか、販売主導だったのかなぁとも思います。

初代レパードは、書かれているとおり販売戦略の失敗ですよね。もっと早くにVG20系も含めた換装をしていれば、あそこまでの差は付かなかったと私も思います。先にL28Eを落として、時間が経過した後でのVG30ETの追加は、遅きに失した感が強いものでした。

そう、新車当時ではなくて年数が経過してからが日産車の本骨頂かもしれません(笑) R30もR31登場以降に再評価された感がありますね。
2015年2月26日 1:48
こんばんは♪

歴代スカイラインって、実は好きなんですけど何故か縁が無くって所有した事無いんですよねぇw

R30がデビューした時中学生でしたが、下校時にちょっと回り道して良く見に行った記憶が有りますwww

R32の時には、2ドアGTS-t TypeM契約寸前まで行ったのに、友人がGT-R買ったと言う事で止めてるしwww

やっぱり縁が無かったんですねぇwww
コメントへの返答
2015年2月26日 5:08
おはようございます

私も生い立ちや愛車一覧からすると誤解されそうなのですが、決して嫌いなクルマではないんですよね。同じく縁はないままなのですが。

R30って一般ユーザーはもちろん、当時の自動車業界的にも、かなり話題だったようです。出版的にも美味しかったらしく、ニューモデル速報誌なんかR30だけで3冊も出していますしw

R32は、あのキャラクターが貴重で、ちょっと購買欲を刺激する一台でしたね。

そろそろV37かR35で縁を繋いでみては?と書いてみたりしますwww
2015年2月26日 7:17
おはようございます。

まだこの頃は、「日産プリンス販売」として、独立別会社のころですね。
この販社、スカイライン一人勝ちだったのが、良きにつけ悪しきにつけ個性だったと思います。

自社製品に誇りを持ってるのはいいことですが、それゆえのプライドの高さ、「一見さんお断り」のような雰囲気を醸し出していたのが記憶にあります。

C110ケンメリでわが世の春を謳歌していたころから、排ガス規制に揉まれまくったC210ジャパン。
そして最多販売車種が1800TI(多分一連の50スペシャル・ハイサルーンの影響でしょう)になってしまったR30ニューマンと、87年のプリンス販売解消にむかっていってしまうのですが、日産本体よりは、まだ身軽であり、センスのある会社のはずだったと、個人的には思うのですが、最後の最後まで、
ままっこ扱いされてしまったのでしょうか・・・

うちも、スカイラインはトンと縁がなかったですね。唯一購入したのはR34の2.0GTのみ。いいクルマだとは思いましたが、乗るたびに毎日真剣を構えるような妙な緊張感があって、リラックスできないのが大きな不満でした。メインユーザーの母親は、非常に満足していたようですが。
コメントへの返答
2015年2月26日 19:29
こんばんは

少し前に79年のモーターショー話を書いた時、「販社の整理がもっと早くにできたのでは?」と疑問に思った謎が解けました。なるほど、独立販社だったのですね。出版物も他系列とはセンスが違っていたわけです。

書かれているとおり、C110→C210までは、我が世の春状態でしたが、そこからの降下が厳しかったのでしょうね。独立販社故か、ラングレー以外の援軍も貰えずでしたし。

乗られていたR34は、結構イイと思っていました。RB20DEで十分で、明らかにシャシーが勝っている印象は安心感がありました。毎日の足ではなく、週末のリハビリ的使用だと、また印象が違ったかもしれませんね。

今日、有鉛のY30を誌面で確認しましたが、こちらの事前予想を3段ほど超えていました(笑)
2015年2月26日 8:29
おはようございます。
スカイラインミュウジアムで開催されたトークショーで、RSの仕様変更が何度も行われた点については実際にユーザーから大変なお叱りを受けたと、当時のプリンス店広報担当者だった方が話されていました。装備等だけなら良かったのですが、エンジン出力がどんどん変わったことについては堪らなかったでしょうね。
我が家のカムリ・プロミネント初代ユーザー様も、きっと同じような感じだったと思います(笑)2.5追加、ウインダムの登場などなど。。。
コメントへの返答
2015年2月26日 20:03
こんばんは

RSの度重なる仕様変更には批判的な記事もありましたから、トークショーで聞かれた内容は非常に納得できます。
「史上最強」が次々登場したらユーザーは置いてきぼりですよね。RSターボの時点で十分でしたから、急いで変更する必然性があったのかな、という点がさらに気になったものです。

30プロミネントの初期モノも同じような状況でしたね。こちらは税制変更という背景がありましたし、他車は次々3ナンバー化していましたから、何となく危険な匂いはあったように思います(笑)
2015年2月26日 8:58
あー、ここらへんから

確実にマークⅡを意識してますねー。
コメントへの返答
2015年2月26日 20:10
こんばんは

実際の販売最前線では競合していたでしょうから、見過ごすことはできなかったのでしょうね。

戦域を広げ過ぎて、「これこそがザ・スカイライン」という実像が見え難くなってしまった感がありました。
2015年3月11日 20:56
どうも♪

ウチの父は
M10プレーリーの
1500エクストラJWに
乗ってたよ。
コメントへの返答
2015年3月12日 6:21
おはようございます
コメントありがとうございます


M10プレーリーのエクストラJWだと、ちょうどこの時期に購入されたのでしょうね。1500のJWは、バン同様のかなり質素な仕様でしたので、エクストラは商売どころを上手く押さえた仕様だと思ったものです。

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