またまた最深部からの発掘モノから話を構成してみます。
保管の経緯ですが、当時自宅のポストに入っていて、そのまま他のカタログに挟まったまま、保管庫の最深部に入り込んで時間が経過したのでしょう。販社のカタログはあまり残していませんので、自分的には珍しい存在です。
この時代の日産だと、またまた厳しい書き方となる予感ですので、先に予防線。
※当時を純粋に懐かしみたい方は画像だけを見て、本文は読み飛ばしてくださいませ。
31年も経過していますから、ここからイロイロ思う所もあるわけです。
今から振り返ると、ちょうどこの頃が、このクラスのベストセラーがスカイラインからマークIIに入れ替わった時期となります。
ニッサン、そしてプリンス店的にも、この状況はかなり危機感があったのでしょう。
スカイラインの商品力強化に注力することとなるのですが、その過程で次々繰り出された一部変更やグレード追加が正しかったのかは些か疑問符が付くような気はします。
その辺りを補足しながら、順を追って見ていくことにします。
ちなみに当カタログは1984年2月の発行となります。
(前後各1年間の変更履歴)
・1983年8月 マイナーチェンジ
・1983年10月 ターボGT-E・Sポールニューマンバージョン(P.N.V)追加
・1984年1月 GT-E・Xパサージュ追加
・1984年8月 一部変更と共にGT-E・IIを追加
マイナーチェンジ以降に追加された2グレードが中心で紹介されています。
パサージュは、E・Xをベースにモケット地のルースクッションシートに代表される豪華装備を加えたグレードです。どう見ても、グランデやメダリストの領域に魂を引き寄せられたとしか。実はバーガンディの内装色は、レッド、ガングレー、ブラックの3色のみ。ホワイトではグレー内装となります。
P.N.V.は、マイナーチェンジ前まであったE・Sをベースに60タイヤ&15インチアルミ、パワーウィンドーマルチバケットシート等を追加しています。こちらは後で出てくるグロリアからの影響ですね。
ケンメリ時代から続いた、標準、L、X、Sという4グレード構成はこのあたりで発展的解消となります。特にXとSは、上のとおりベクトル違いのツートップとなるのですが、売り手・買い手共に、その違いをきちんと理解できていたとは思えず、むしろ混乱させてしまったような。
左頁は、RSシリーズの紹介。
(前後各1年間の変更履歴)
・1983年2月 RSターボを追加
・1983年8月 マイナーチェンジと共に豪華仕様ターボRS-Xを追加
・1983年10月 RS-X追加(ATのみ)
・1984年2月 ターボRS及びRS-Xをインタークーラー付に変更
・1984年8月 一部変更と共にターボRS-XにATを追加
パワーウォーズの渦中にいたRSだけに、一番進化が早かったと言えます。ただその早さには批判があったことも事実。RSを購入していたユーザーは、スカイラインというブランドあるいは車についての思い入れの強い方が多かったですから、せっかく購入した新車がこういう形で矢継ぎ早に変わられたら、やはり堪らなかったと思うのです。
右頁は、TIシリーズの紹介。
(前後各1年間の変更履歴)
・1983年8月 マイナーチェンジ
・1984年8月 一部変更と共にTIパサージュを追加
それまでのショートノーズからR30でGTと共通のボディを持つに至ったTIシリーズ。この変更も賛否両論ありましたが、個人的には正解だったのではないかという認識です。910ブルーバードや140コロナよりも一クラス上に見せつつ、60マークIIやC31ロ-レルよりも廉価版には見えないポジションは絶妙な位置にありました。
惜しいのは、GTよりも一足早く新世代エンジンを積んだにも関わらず、GTに遠慮したような設定だったこと。例えば、この頃比率の急上昇したATは最後まで3速のまま。
この辺り、アバンテ風に見せた1800の比率が高かったチェイサーの商魂がこちらにもあれば、もう少し違う展開だったと思うのですが。
左頁は、代表的なグレードの紹介
登場当初は話題となったハッチバックも、この時点ではだいぶ縮小されてしまいます。登場当初のニューモデル速報誌には、「5ドアではなく3ドアの方が正解だったのでは」という提案もありました。
右頁は、バンの紹介と当時のカタログにあった「スカイライン神話」から3つの抜粋。
ただ残念ながら、その人気には陰りが見え始めた頃でもありました。月刊自家用車誌主催の読者人気投票では、ハイオーナーカー部門だけではなく、総合部門も長らくスカイラインの独占だったのですが、この年ソアラにその座を譲っています。中古車も同様の状況だったのは、少し前のブログで触れたとおりです。
ここからは、プリンス店取り扱いの他車種の紹介です。
最初はラングレー。
初代は、フロントマスクだけならスカイラインGTに誤認しても不思議ではありませんでしたが、この代ではパルサー系の部品共用が進むことで、”スカイラインミニ”のイメージから遠ざかってしまいます。
RSターボの登場後、間もなくで1500ターボGTを登場させて”史上最強の弟”と宣伝する辺りは巧みでしたね。
続いてはグロリアの紹介
(前後各1年間の変更履歴)
・1983年6月 フルモデルチェンジ
・1984年1月 V30EブロアムVIP追加
・1984年6月 V30ターボブロアムVIPとV30ターボブロアムを追加
長らく続いたL型を捨てて、V6にチェンジ。直6のクラウンを圧倒するはずが、敵は”ロイヤルツインカム”で対抗。
そこで、ここでも矢継ぎ早の最上級グレードの積み重ねをやってしまいます。
こちらはさらに「一番高いのを一番最初に持って来い!」というユーザー層を抱える車だっただけに正しい戦略だったのかは疑問符です。
次世代Y31の登場時には、これが教訓となったのか「翌年にはワイドボディ追加」を予告することとなりますが。
左頁は、グロリアの代表的なグレードの紹介
当時はクラウンの方がモダンに見えていましたが、今見るとY30のシンプルなディテール&堂々としたフォルムは結構好きだったりします。
前期5ナンバーのバンパーは、430のイメージを引き継いだのでしょうが、一体式バンパーが急速に増えた時代には、惜しいデザインでした。VIP追加時にカラードとなって、さらに後期では一体式が採用されることとなります。
右頁は、「びっくりボクシーセダン」プレーリーの紹介
荻窪の設計らしい実に意欲的なクルマでしたが、これも商品化の際の最後の煮詰めや売り方等で損をしていた印象が強いですね。国内よりもむしろ国外の方が評価された車かもしれません。
最後はホーミー&アトラス&サファリの紹介です。
ホーミー&アトラスは、少し前に紹介した
第23回モーターショーの直後に部品共用しつつで一新されています。この一新は、ブランド&ラインナップの整理も同時に行う、思い切ったものでした。この思い切りが乗用車系でも見られれば・・・とつい思ってしまいます。
サファリは日産店の取り扱いという印象が強いのですが、プリンス店の一部でも取り扱っていたようです。特種用途から一般用途にも需要が広がりつつあった時代ですね。
ということで紹介をしてきたのですが、案の定、厳しい書き方になってしまいました(深謝)。
スカイラインは、長い歴史の中でプリンス店だけではなく日産の代表車種に成長していました。そのことが却って、トヨタが繰り出すマークII3兄弟だけでなくソアラやセリカXXあたりまでを、一車種で対抗させようとしてしまった原因なのかもしれません。
結局それらの領域に自ら近寄って戦線を広げた挙句に、本来のホームポジションを見失ってしまったように見受けられました。80年代末期の日産車がトヨタと違った領域で、ある種ゲリラ戦を繰り広げて善戦したことを考えても、この時代の戦略が正しかったとは思えませんね。
もっとも誤解のないように書いておきますが、モデル自体が嫌いということではなくて、そういう”不器用さ”に、むしろ好感を持っていたりします。
さらにあえて書くならば、当時の販売台数や販売戦略というのは「今は昔」の類の話であって、現存ユーザーの情や思い入れとは全く関係のない話なのです。