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2020年09月17日

思い出のクルマをカタログで振り返る35(初代シャレード)

思い出のクルマをカタログで振り返る35(初代シャレード)  久方ぶりの思い出のクルマ話、今回が35回目となります。

今回取り上げるのは、初代シャレード。
私の認識としては、ダイハツ渾身の一作と信じて止むことはなく、同社の名車を一台というお題でも迷わず挙げる存在であります。(以前に軽く書いた内容はこちら

登場は1977年(昭和52年)11月。
ダイハツは、ここから遡ること10年前の1967年(昭和42年)に行われたトヨタとの業務提携以降、軽自動車を除いたラインナップの大半をトヨタとの姉妹車関係で構成してきました。

その裏で、同社の独自商品の構想は、業務提携初期から水面下で進められていたようです。この独自商品構想は、1970年(昭和45年)に発売されたフェローMAXが爆発的に売れたことで一旦お蔵入りとなるのですが、同年に軽自動車が第一次ブームの頂点に達してから急激に衰退の一途を辿ったことで、1974年(昭和49年)にポスト軽自動車的な視点も持ちつつで新たなプロジェクトとしてスタートしています。

誕生の後押しとなったのはオイルショックと排ガス規制という辺りは、大なり小なり当時の新型車に共通する部分ですね。

初代シャレード誕生の秘話については、「ニューモデル速報 すべてシリーズ 第130弾 新型シャレードのすべて」に一読の価値ある記事が掲載されていますので、興味のある方はご確認くださいませ。

渾身の一作、シャレードは時代の波に乗ったことで市場で大歓迎され、ダイハツ自身に大きな利益をもたらすと共に同社の存在価値を高めることに寄与しました。それだけに留まらず、マーチ、カルタス、ジャスティといったフォロワーを生み出し、リッターカー市場を形成することにもなります。

初代シャレードは、当時の平均よりもやや長い5年強のモデルライフとなりますが、その間絶え間ない改良が続いていたことは特筆すべきことかと思います。
幸いにも初期型と最終型の2台の同乗経験がありまして、完成度は結構違っていたなというのは、助手席インプレながらも印象として残っています。

前段が長くなりました。
今回の思い出話は、この最終型が主役となります。

それではカタログをご紹介。
この型は本カタログも持っているのですが、同社のパイオニアとしての自負を反映してか、結構解説に凝った内容となっていまして、ここに私の思い入れも加味した解説を加えると、それだけでブログ何回分にもなってしまいます(笑)
そこで、1981年(昭和56年)10月発行の簡易カタログを掲載することに致します。



左頁には最終型のイメージリーダーとして追加されたXTSが大きく掲載されています。XTSの特徴は、サンルーフとツートンカラーで主にヤング層に向けてのアピールを狙ったグレードでした。

サンルーフは、前年に登場したFFファミリアXG以降、要望が増えた当時の流行アイテム。コストの関係もあってか、電動式とはならず脱着式が採用されています。赤のボディカラーもXGのフォロワーアイテムですね。

右頁では内装等が掲載。
初代シャレードは、この前年に角目にマイナーチェンジする際に、インパネを一新しています。スイッチ類の配置からしても、内部構造も含めての一新のようでその力の入り方に驚かされます。2代目ではまたレイアウトが変えられてもいますし。タコメーター付はツーリングライン用、無はジェネラルライン用となります。

シャレードで一番驚かされたのは、小さな外装から想像するよりもはるかに広い室内空間でした。大衆車クラスはもちろん、小型車クラスとの対比でもむしろ広く感じられたくらいというのも、決して大げさではなく。センタートンネルやリヤタイヤハウスに空間を占有される車が多かった時代ですからね。

ラゲッジスペースはさすがにサイズが限られますが、必要ならリヤシートを倒せばいいという割切り。これも角目になった際に、不等分割式リヤシートが採用され、ユーティリティが向上しています。





続いてはバリエーションの紹介です。
当初は、XTE、XGE、XT、XG、XOの5グレードでスタートしていますが、最終型では、ここまでバリエーションが増やされていました。60馬力と55馬力の2タイプながらも1000ccキャブのエンジンは共通。価格差30万円弱の間にこれだけの選択肢ですからね。オプションを減らした分の対応ということはあるのかなと。バリエーションが一番最多だったことも事実。

5ドアが大半を占める中、唯一掲載されているクーペは、登場の翌年に追加されたボディ形状です。当初は、XTE、XT、XGの3グレード構成でしたが、想定より売れなかったことで、年次改良毎にバリエーションが減らされてきました。
乗降性を別にすれば、室内空間は変わらずの存在でしたが、当時の流行は3ドアハッチバックであり、クーペは同様のアプローチを行った初代ターセル/コルサの3ドア共々苦戦の要因となってしまいました。これらは全て、次世代では3ドアハッチバックに移行しています。
今視点で眺めると、ここまでやるなら、さらにサッシュレスドアとセンターピラーレスでハードトップとしてしまった方がアピールできたかなと。フェローMAXでもハードトップをやっていますから、案としてはあったと思うのですけれどね。





左頁は装備群が紹介されています。
掲載されているものは、モデルライフの途中で追加されたものも多く。バリエーションが増えた理由でもあります。

登場時点ではマニュアルのみで、オートマチックは角目になった時の追加。無段変速とありますが、2速ATでDレンジは2速固定、Dで不足する時は1速のLレンジへという仕様でした。セミオートマという分類もされていますね。軽自動車との共用を狙ったのかなと推測しつつ、フルオートマが当然となっていた時代には商品性で見劣りした部分であり、2代目にも引き継がれるものの、途中で3速のフルオートマへ変更されることになります。

アメリカで5マイルバンパーの装着が義務化された70年代中盤以降、日本車にも衝撃吸収式バンパーが流行の一つとなりました。上級グレードには、衝撃吸収”性”を謳う大型樹脂バンパーが採用されています。樹脂ということで重量が増えないのが利点でした。

右頁はメカニズムと内外装色の設定等。
当時としてはトップレベルの低燃費に偽りはありませんでした。シャレードが高く評価された理由の一つですね。リヤサスは、FFとしては珍しい5リンクリジッド。フェローMAXはセミトレの独立だったことからすると、退化にも映りますが、コストとの両立を狙っていたのでしょう。登場時点ではまだリーフ式も多く、コイルスプリングの乗り心地も長所となりました。

ボディカラーはXTS限定のツートンを除いても8色と多め。当時多かった3原色に加えて、シルバーやブラウン等渋めの色も、シリーズ等で限られることなく設定されていました。内装色も2色あり、ボディカラーとのコーディネートが図られていました。今のコンパクトカー以下では失われた部分と言えるでしょうね。





裏表紙は諸元表です。
スラントノーズや大型バンパーの採用により、初期モデルよりは若干長くなっています。凡そ全長:3,500mm×全幅:1,500mmのサイズは、現在の軽自動車より若干大きい程度。掛け合わせた5平米は、セールスポイントの一つでもありました。全高:1,360mmは、今基準では明らかに低いですね。当時は背の高いクルマは中々受け入れられなかったですし、前面投影面積も考慮すると、これ以上高さを上げる選択は難しかっただろうなとは。

エンジンは先に書いた通り、当初からの55馬力と1979年に追加された60馬力の2種類。前者はジェネラルシリーズのMTに、後者はそれ以外という分けがありました。

タイヤは12インチ。タイヤサイズにも秘話があったようです(と軽くネタ振り。詳細は上のリンクにあるすべてシリーズをご一読くださいませ。)

左下には登場以来のCMキャラクターだった、セーラ・ロウエルさんが掲載されています。"Yes Charade"のフレーズを思い出す方も多いのではないでしょうか。


ここからは少し長めの思い出話です。

だいぶ以前に50カローラの話をしています。(リンクはこちら
そのカローラの代替がこのシャレードということまでは書いていますね。

私視点ではFF2BOXが続々登場し、既にモデル末期を迎えていたシャレードって、やや古臭く映り始めていたのですけれども、父は私以上にシャレードを高く評価していました。父にとって初めての新車であるフェローMAXを購入以降、セールス氏との縁が続いていたことも大きかったのでしょう。
散々ぶつけまくったカローラを代替するとなった時に、父はシャレードを勧めまして。

グレード選びも任された父の選定は、XT。ラジアルタイヤとタコメーターが付いているし、これで充分というのが理由でした。私は価格差も少ないし、カローラのハイDXからの乗り換えだからということで、XTEを推薦。意見は言えても決定権は父ですから、XTE案は却下でした(笑)。4速or5速は失念したのですけれど、買主の希望は赤ということで、ACとCSを付けて契約に至ったのです。

普通ならここで話は終わるのですけれど、この車は忘れられない思い出を残してくれています。

この夏、埼玉の奥に引っ越していまして。
まだ荷物の整理も残っていましたが、父は当時兵庫で存命だった祖父を新居に呼び寄せたのです。祖父は既に80歳を超えていましたが、まだまだ元気で「今のうちに東北方面に連れて行ってあげるよ」という父の親孝行もそこには込められていました。

ところが、祖父が新幹線で東京に向かった当日、台風が山陽地方を直撃してしまいます。この日、祖父を迎えに、父と妹との3人、電車で東京駅に着いたところ、台風で新幹線のダイヤが大幅に乱れていることを知ることに。今と違って運行情報は容易に入手できませんでしたから、事前に把握できなかったのです。しばらく、運行を見送ってはいたものの、何とか運行は再開。当然大きな遅延となってしまいます。たしか16:00前後に到着する予定だったと記憶するのですけれど、待てど暮らせど電車は到着せず。東京の地理に疎い祖父に任せることも不可能で、結局何時に着くのかもわからない電車をずっと待ち続けることになります。普段は買ってもらえない漫画本一冊を買ってもらっただけで、文句も言わずに東京駅で待ち続けた兄妹は偉かったとつくづく(笑)

結局、7時間半とかの遅れで無事に到着し(祖父曰く定刻で乗車したものの米原辺りで動かなくなったと)、特急料金は払い戻しとなるのですけれど、問題は自宅への帰宅手段。新幹線があまりに遅れたことで、終電車に間に合わない気配が濃厚に。

そこで父が頼ったのが、この知人。車やら仕事やらで、当時本当に親しくしてもらっていました。「東京駅まで来てくれない?その後クルマ貸してよ。」という結構図々しいお願いにも関わらず、二つ返事でOK。
カローラだよなという予想に反し、駅を出たところに待っていたのは、当日納車だった新車のシャレードだったのです。

夜も遅くて、新車を観察する間もなく、4~5人に祖父の荷物も乗せたシャレードは、狭さを感じさせることもなく、エアコンを効かせつつで、首都高を元気に疾走。たかが1000ccというある種の侮りはこの時完全に払拭されました。その頃、家には父が6万円で買ってきたMAXクオーレがあって、こちらはクーラーもなければ、高速に乗ろうという気にすらならなかったことからすれば、このクルマは本当にすごいと思わされたものです。

この時以来、MAXの次はシャレードだね、が親子の共通認識になりました。このXTの代替がチャンスという秘めた思いと共に(笑)

シャレードへの代替以降、幸いにもカローラの時とは異なり、毎週のように壊れた状態で持ち込まれるということはなくなりました。距離が伸びるのは変わらずでしたけれど。結局3年強乗られた後、2代目シャレードのガソリンターボに代替されることになります。既にその時には、我が家の2台体制も終わり、カローラにまとめられた後でしたから、結局縁は繋がることはなかったのですけれども。我が家のクルマになるかもしれなかった存在。個人的な思い入れの理由です。


シャレード自身は、2代目でディーセルやターボ等、1000ccの可能性をさらに広げた後、3代目以降は上級を指向することで、1000ccという枠を超え、激戦区に身を投じていくことになります。激戦区で苦戦した結果、登場から23年後の2000年には残念ながらモデル廃止という結果に。

もっとも、その後を継ぐように、ストーリア/デュエット、ブーン/パッソを経て、今はトール/ルーミー、ロッキー/ライズが3気筒1000というポジションを受け持ち、販売台数の上位を競っています。ジャンルは変わりましたし、だいぶ贅沢にもなりましたけれど、これらはシャレードの末裔と書いても共感は得られることでしょう。

この末裔たちは、初代シャレードが世に出ていなければ、存在していたかすら怪しいと思っています。ダイハツという社の運命を決定づけたと確信するクルマ、それが初代シャレードを同社の別格的名車と信じて止まない理由。

ここに個人的思い入れも加わってくる。私(と父)にとって、初代シャレードはちょっと特別な存在なのです。
ブログ一覧 | カタログ話(思い出のクルマ編) | クルマ
Posted at 2020/09/17 20:24:28

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この記事へのコメント

2020年9月17日 20:52
こんばんは。
造詣の深い貴ブログにコメントする内容ではありませんがご容赦ください。初代、2代目シャレードは我が家でも乗っていました。
初代は丸目前期の青色の中古だったような。納車の日、なぜかフロアに敷かれていたのは70系カローラクーペ、HT、LBのカタログ。全て拾い集めたら全ページ揃って、ボロボロでも未だに手元にあります。
おふざけでトランクに乗ったりもしていました。
2代目は新車でしたがノンターボディーゼルのスタンダードグレード。免許は父しかなく母、祖父母、自分の5人フル乗車で荷物満載で、秋田ー東京ー熱海ー静岡と遠出しました。今思うとよく行ったものだと感心してしまいます。自分の小中学生でしたし、家族も元気だったからできたシャレードとの思い出です。
コメントへの返答
2020年9月17日 21:49
こんばんは
コメントの内容はお気に留められませんよう。ブログで懐かしんでいただくのも、目的の一つだったりします。
ブログで略した初期型の色が書かれているものと同じサーフブルーでした。70カローラのカタログはセダンだけが単独で、クーペ、HT、LBは一緒でしたね。リヤシートを倒さずのトランクは、容量からして子供の特権ですよね。
2代目で書かれている旅行、シャレードの底力というべきか、確かに余裕はなしだなと。旅行の思い出としては、むしろ強行軍や大変な経験をしている方が記憶に残り易いかもしれませんね。その時は苦難でも、後には笑い話に転じたりしますから。
2020年9月17日 21:43
シャレードを書いてくださり嬉しいです。
この「新型シャレードの全て」運転免許も取れない高校生が何故か買って読みふけってました。
確か全ての記事にダイハツ技術者の「1気筒当たり330ccの排気量が適正」だったかな。今の技術なら450cc当たりが適正かと記事思い出し考えています。

あとこのクルマが無ければ今のヤリスも無かった。と似たような最小回転半径見ながら遠い目です。
コメントへの返答
2020年9月17日 22:11
個人的特別な車の上位の筈なのに、ここまで時間がかかったのが自分的にも意外だったりします。
「新型シャレードの全て」は、新型興味で買った筈が、初代の秘話に夢中になりまして。出席者的にも、あの時代だから書けた内容で、資料性も高いと思います。そう「1気筒当たり330ccが最も効率が良い」とアピールしていました。今は500ccでモジュール構成をやっていたりもしますね。

ヤリスの1KRはダイハツ製でした。上級移行で空白となっていたリッターカー市場の開拓者だけに、今でも顧みる価値はある、そんなことを感じさせる存在ですね。
2020年9月17日 21:53
こんばんは。

文末にありますように、今やトヨタの販売台数上位を、ダイハツOEMの3気筒リッターカーが占めている状態ですよね。ひと昔前なら考えられなかったことです。

当方は初代シャレードは、幼稚園通園時のピアノの先生が丸目のモデルに乗っていた記憶がかすかにある程度ですが、大学生の時にストーリアが出たときには、結構驚いた記憶があります。

90年代はハッチバックといえば3ドアで、母親もEL30カローラⅡの後、5ドア消滅で止む無くEP82スターレットに下位移行(笑)していましたが、ストーリアはなんと5ドアのみ。

宇宙人のようなフロントの造形がそれを感じさせなかったものの、当時としては背もやや高めで極めて真面目な実用車でした。拡大路線で自ら立ち位置を曖昧にしてしまったシャレードの反省があったんでしょうけど、本来ならこれがシャレードだと思ったものです。シャレードはまだ存命でしたし、心機一転の意味も込めて名前も変えたんでしょうが。

その後、初代ヴィッツがさらに背を高くした真面目なリッターカーとして登場したこともあり、ストーリアは目立たなくなりましたが、先見の明はあったと思います。

しかし、夜の首都高で借りたシャレードが頼もしかったという話、私は全然車種は違いますが、今から10年以上前、土砂降りの夜中に、職場の三菱リベロバンで富士山麓に向かった時のことを思い出しました。

大人3人乗車のリベロは、3ATの1300キャブ。カーブのたびにローまでキックダウンしながら山道を登って行って、心の中で「がんばれ、がんばれ」応援しながら運転しました。目的地に無事ついたときには、リベロが逞しく思えたものです。

すいません、シャレードから随分と脱線してしまいました。
コメントへの返答
2020年9月18日 18:38
こんばんは

様々な要因が絡んで今の販売台数に表れていると思うのですが、昔のランキングと比べたりすると、隔世の感は拭えなかったりします。コンパクトカー以下のサイズが占める割合は明らかに増えていますよね。

そう、ハッチバックの主流が3ドアから5ドアに移ったのが、90年代後半でした。契機はデミオの登場と認識するのですが、ストーリアもその傾向を加速させる役割にあったように思います。

シャレードに限らず、一度拡大路線に舵を切ってしまうと、そこから離れるのは困難なのでしょう。欧州車を見ても、拡大で空いた穴に新モデルを投入するが繰り返されていますし。
サイズや思想の点で考えると、最終シャレードよりストーリアの方が初代シャレードに近かったと私も思います。

初代ヴィッツは、欧州戦略も絡んだ、トヨタ大改革の一台でしたから、比べてしまうと分が悪いですよね。

サバイバルというか厳しい環境の中、期待に応えた車というのは、ちょっと特別な感情が芽生えたりします。今回のブログで色々調べたことで思い出したのですけれど、家にあったマークIIでこの一つ前の台風起因の冠水路を走らざるを得なくなって、やはりその時も祈るような気持でした。何事も起こらず無事脱した時には、父と共にこの車で良かったという話もしていたなと。

いずれ書くかもですが、台風に振り回された年なんですよね。
2020年9月18日 10:51
おはようございます。

シャレード、実は初代のカタログ入手したのもつい最近という体たらく(苦笑)私個人の思い出としては、2代目の最廉価版グレードのディーゼルに高校時代の物理の先生が乗ってまして、私自身は全く受け持ち無い先生だったのですが、なぜか気に掛けてもらってて、糸みたいなバイアスタイヤにグロス38馬力のノンターボディーゼルで大垂水峠を越えてよく一緒に帰った記憶があります。

しかしナンですが、初代や二代目のシャレードにあった志というか、理想論とは云わないまでも、今のブーン/パッソにこれっぽっちも受け継がれていないように思えるのは気のせいかしら・・・
コメントへの返答
2020年9月18日 19:02
こんばんは

初代シャレードは毎年のように改良が入っていて、意外とカタログの種類も多かったりしますね。
コメントから中学3年の時の担任の先生が後期ディーゼルターボに乗っていたことを思い出しました。Rock'n ディーゼルは乗ったことがなくて、経験されていることを羨ましく思ったりします。

開発秘話を読むと、初代は全社的な社運を賭けた車作りだったそうで、二代目もそれはきっと同じ。背水の陣で車を作ると、崇高な名車が生まれますね。
X4には、また違った意味で本気を感じられたりもしますが(笑)
2020年9月18日 21:37
こんばんは。

初代シャレードの思い出は、2000年頃に飛び込みで初代シャレードが入庫しました。
色々きになっていたようで、リヤサス交換やブレーキ修理をしたことがあります。
作業後は、当然試運転になりますが、出足から軽快な走りで運転が楽しくなって、余計に走った記憶があります。

現行の軽自動車に毛が生えた程度の大きさですが、居住性は70カローラセダンと大差がなかったように思います。

その車は、どうやらすぐに手放したようで、とある旧車専門店に売りに出てました。

二代目シャレードを運転した時の印象で、Dレンジで信号待ちした時の振動がすごかったです。
三代目も同様で、オートマとの相性が悪い印象でした。
四代目は、1000CCが廃止になりましたが、軽快感が増してそれまでの振動や変速ショックがなくなったので、オススメ出来る車でした。

これ以上書くことができないのですが、セールスマンの話では初代と二代目はボディが軽いのでお客様に喜ばれた車ですが、三代目はボディが重くなって不評をもらった車だそうです。
コメントへの返答
2020年9月18日 22:11
こんばんは

2000年頃に初代シャレードだと約20年の経過。既に見かけなくなって久しい存在だったと記憶しますし、修理対応できたというのが、またすごいなと。初代だと車重650kgとかですから、軽快に走りますよね。

私の記憶でも70カローラとなら居住性で見劣りすることはなかったように思います。こちらはセンタートンネルが小さかったりもしますし。80カローラとの比較だと、背が低い分の不利が感じられました。

三代目くらいまでは、MTが主流であることを感じさせましたが、四代目では電子制御4速ATをこのクラスで初めて採用していたりするんですよね。トヨタの1300は油圧制御の3速ATの時代でしたから、ちょっと驚かされたものです。

三代目は時流に乗って上級志向に舵を切ったのですが、その分重量が増していますね。新たに4気筒1300も追加するのですが、哲学が薄れる契機にもなってしまったように思います。登場当初には、カッコよくなったと喜ばれている、なんて話も聞いていたのですけれども。
2020年9月29日 0:05
私にとってのシャレードは最後のデトマソに友人が乗っていましたので六甲など運転技術向上のため思い切り走らせてもらい、大いに鍛えてもらいました(笑)

初代シャレードは子供の頃、たまに見かけるカッコいい車というイメージでした。実用例の少ない直列3気筒エンジンをものにしたエンジンメーカーらしい清々しいモデルですが、当時の軽自動車と較べると大きな違いがあったのですね。確かにマックスクオーレのバンをひょんな事から2、3時間ほど運転したことがあるのですが、1名乗車でようやく満足に走れるという感じでしたので人を載せて首都高速を普通に走ることができたと言うのは大きな違いでしょう。

カタログを見せていただいて、4速と5速の最終減速比が同一であることに気づきました。トヨタの5速は4速よりも最終減速比が低められているから、思ったほどオーバードライブ効果が得られないクロスミッション的な性格もありましたが。ダイハツはそのあたりは真面目?ですね。
コメントへの返答
2020年9月29日 19:36
デトマソは社外品多数で、ドレスアップ派にはお得でしたね。最終型は希少に思います。

初代の印象は、アラフィフ以上だと何となく野暮ったかったとなる気がします。
前にも書いたかもしれませんが、初代から3代目に代替された家のお嬢さん、次もシャレードと聞いて一度はがっかりしたものの、3代目の実車を見て喜んだというエピソードを聞いています。
もっとも、初代も初期のゴルフ同様、思想は崇高で、内面から滲み出る真面目さがカッコよく見せるはあったように思います。
初代の時点では、シャレードがオールマイティに使える下限で、軽自動車だと乗車人員や用途が性能起因で限られる感はありましたね。

4速からオーバードライブのギヤ比ですから、5速も性能より燃費重視だったのでしょうね。実は初期のファイナルは4.588。4.277は60馬力とセットで登場し、55馬力にも流用された形です。カタログ燃費が重視され、ファイナルを高くすることが流行した影響かな、と見受けました。

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