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2021年12月29日 イイね!

2021年を振り返ってみる(後編)

2021年を振り返ってみる(後編)前編に引き続き、後編では下期分を掲載します。

7月・8月はオリピック・パラリンピックが無観客で開催される中、新規感染患者数が激増。近場のお買い物くらいで遠出は控えていました。

さらに8月は、お盆明けに年次点検でしばらく預けたこともあり、今年一番距離を乗らなかった月ともなりました。点検期間中にお借りした最終型W205の完成度に感心しつつも、整備され戻ってきた自車にやっぱりこっちが馴染む、と思うのはいつものこと。

タイトル画像は9月の雨中、横浜のハンマーヘッドにて。
これも買い物で出かけた際に撮影したもの。

長く緊急事態宣言の解除を待ちわびる日々でしたが、9月30日を以って解除。
以降、堰を切ったかのように各地へ日帰りの旅に出かけていきます。

〇10月 群馬
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先ずは、何とか旬に間にあった梨を求めて、高崎のフルーツ街道へ
この頃は秋というより残暑の方が近いくらいの風景が広がっていました。


〇10月 小田原
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群馬に出かけた翌週には小田原へ
市内を散策し小田原城を撮影後、芦ノ湖に向かいました。帰路には、NAVIの推奨を無視し往路とは別のルートを求めて、仙石原・乙女トンネル経由で御殿場から東名という帰路を選択したら大失敗。東名本線は厚木で起きた事故の影響で殆ど動かずの大渋滞中。急遽逃げた足柄SAからは1時間以上出られず、さらに足柄から海老名まで2時間を要する渋滞にも嵌りました。


〇10月 長野
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さらに2週間後には秋の味覚を求めて小布施へ
長野に行くなら善光寺参りもセット
久方ぶりの長距離ということもあり、大型貨物の速度域で往復の高速巡行をしたら、かなり良い燃費が表示されて喜んだというのは裏話。


〇10月 88,888kmに到達
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今回は少し前から準備していたので、無事撮影に成功
横浜から戻る、多摩沿線道路のガス橋付近にて


〇12月 パレットタウン
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開設以来何度も通ったこの地も、年末にはMEGAWEB、来春にはヴィーナスフォートが閉館となることが発表済。
最後の訪問かなと思いつつで撮影しました。
クリスマス装飾もあってか結構な人出。これなら閉館しなくてもいいのでは、とつい思ったりした次第。


〇12月 90,000kmに到達
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これまた横浜から戻る途中の環八 蘆花恒春園付近にて
細かなアクシデントはあれども、大過なく乗れたと言っていいでしょう。ここまでの信頼性は想像していたよりはるかに高く。
その後も距離を重ねていて、年内には91,000kmを超えることが確実。


〇12月 佐野
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コロナ禍で見送っていたものの一つが厄除け。今年は方位が当たっていたのです。
これまでこれなかったことを詫びつつ、それでも無事に過ごせたことに感謝。
境内は既に新年の準備が進んでいる状態ですね。


〇12月 南房総
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急に寒さが増し、暖を求めて南房総へ。
定番のルートのため、次どこへ行こうと悩まないのが利点。
期待通り、昼間は暖かかったのですが、夕方から強風が吹き荒れる荒天に。
東京湾フェリーは欠航。アクアラインでも直進すら気を遣う様相となりました。


上期の我慢もあり、日帰りながらも各地へ出かけた下期でした。
そんな日常も、ワクチンの接種も一段落で、しばらくは落ち着いた日々を過ごせるのかと思いきや、年の瀬を迎えて新種となるオミクロン株が潜入し、また風向きが怪しくなりつつあります。

自由な移動を体験してきた身にとって、どんな形にせよそれが制約されるのは辛いこととしみじみ感じた一年でした。だからこそ、日頃の予防が大切とも切に感じます。完全収束の望みだって、捨てたくはありませんしね。


クルマ関連だと、コロナ禍に起因する半導体不足が今年一番の問題でしょうか。
欲しい車が直ぐに手に入らない状況というのは、これまで一部車種では起こっても、全体で起こったことはなかったことだけに混乱するのも仕方ないかなと見ています。これまで新車を売ることばかりに注力し過ぎていた印象はあって、少し異なる力が作用するとしたら悪いことばかりではないのかも、とは。
短期の収束が何度も言われながら、何やら長期化の様相も呈していて、これも新しい日常の一部になるのだろうか…というのは危惧だったりしますけれど。

もっとも、これらだって変革&激動の時代の中で次々訪れる高波の一つに過ぎないのかもしれません。全てを避けきれずだとしても、溺れるや沈むはもちろん、いたずらに流されることもなく乗り越えていきたいとは思うところです。


私は、何とかこの一年自車を維持でき、このサイトもマイペースで続けることができました。訪問された方、読まれた方、コメントをくださった方、全ての方に深く御礼申し上げます。

今年も残すところ、あと二日と少々となりました。
皆さま、良いお年をお迎えくださいませ。
Posted at 2021/12/29 22:02:03 | コメント(3) | トラックバック(0) | 徒然私的話 | クルマ
2021年12月27日 イイね!

2021年を振り返ってみる(前編)

2021年を振り返ってみる(前編)いよいよ年末も残り5日を切り、2021年を振り返る時期を迎えてしまいました。

今年も昨年に引き続き、コロナ禍に振り回された年だったと言っていいでしょうね。本業はコロナ関連で予定が変わること度々でしたし、プライベートもお出かけしようにも思うようにいかずとなりました。後者に関しては、緊急事態宣言に一喜一憂したという言い方でもいいかもしれません。

そんな一年でしたが、今年もブログで取り上げなかった出来事を主にスマホの画像から拾いつつでの振り返りをしてみます。

以下、画像にキャプションを付けつつでご紹介。


〇1月 東京プリンスホテル駐車場
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芝公園界隈に所用で出かけた際に利用。
背景の東京プリンスホテルは、1960年代にはプレス向け新型車試乗会の拠点となったこともある名門。


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反対側から撮影。
芝公園・芝大門方面のビル群。ビル群の中には、貴重な資料が多数収蔵されている自動車図書館があります。同図書館が入る「芝NBFタワー」は「またまたあぶない刑事」の撮影が行われた場所でもありますね。


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感染を気にしつつも、年明け間もなくの平日ということもあり、あまりに閑散としていた東京タワーの展望台へ。
飯倉・青山を経て新宿の高層ビル街を望む方角。
日々建物の更新が続く東京ではこの風景もまたあっという間に変わっていくことが確実です。


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同じく展望台から、新橋・日本橋方面を経てスカイツリーを望む方角。
撮影は失念しましたが、足元の浜松町・大門界隈では街区丸ごとの刷新が進行中。
つい「ここじゃ過去なんてものには一文の値打ちもないのかも知れんな」なんて台詞を思い出します。車は決してそうじゃない、と信じつつ。



〇2月 三鷹の一凛珈琲
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開店以来お気に入りの場所で、何度も通ったものでしたが、惜しくも閉店。
閉店を全く知らずに出向いたら、実は最終日でしかも残り一時間と判り、大変驚かされました。
導かれたのかなと思いつつ、名残惜しんでの撮影。
今は建物は残りつつも塗り替えられ、焼き肉店となっています。



〇3月 南房総
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東京の緊急事態宣言が明けるのを待ち、南房総へ。
今年は見送りかなと半ば諦めていました。


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金谷港では日没時間と重なり、幻想的な雰囲気に。



〇3月 横浜
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横浜へ買い物に向かう際、みなとみらいの出口が混雑していたため、東神奈川で降り、コットン大橋、みなとみらい橋経由に急遽変更。道中、少しだけ寄り道しました。
「BAR POLESTAR」と「Bar StarDust」。
70年代から80年代のアクションドラマでは、ロケ地として多用。当時と変わらない佇まいが残っています。



〇3月 麻生川沿いの桜の風景
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柿生から新百合ヶ丘にかけて小田急線に連なるかのように流れる麻生川沿いの散歩道。
コロナ禍の前には屋台が出ていたりもしたものですが、今は寂しく小雨交じりで人出も極小。



〇6月 腰越漁港
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東京が緊急事態宣言からまん延防止措置に移行したのを待ち、鎌倉へ。
腰越漁港から江の島を望む構図。


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腰越から江ノ電に揺られて、鶴岡八幡宮へ。


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再び腰越に戻り、次に向かったのが葉山マリーナ。
ここも、70年代から80年代のアクションドラマの撮影で多く使われた場所です。


この時期は、オリンピック・パラリンピックの開催動向を固唾を吞んで見守っていたことを思い出します。結局、無観客開催に決定。その判断に関してはノーコメントということで。


上期はこのくらいで、下期は次回に送ることにします。
Posted at 2021/12/27 19:50:04 | コメント(2) | トラックバック(0) | 徒然私的話 | クルマ
2021年12月24日 イイね!

思い出のクルマをカタログで振り返る40(最初期型タウンエース)

思い出のクルマをカタログで振り返る40(最初期型タウンエース) 気が付けば今年も早クリスマスということで、残すところ約1週間となりました。年末恒例の振り返り等を考慮すると、今回がクルマネタとしては今年最後かなというところで。

何を取り上げるべきかは少し考えたのですが、今の車界隈で話題となっている一台は、来年早々の発表が決定しているノアとヴォクシー。長年のライバル車となるステップワゴンもモデル切替となるようで、既に前哨戦の様相を呈してもいます。

このセグメント、最近はユーザーのダウンサイジング傾向の影響は否定できないものの、この国のファミリーカーとしては一大マーケットを形成しているのは、疑いようのない事実かと思います。

それなら、これを機に創生期を振り返ってみようと思い付いたという訳なのです。


ノアとヴォクシーは、今もライトバンとトラックの名称で残るタウンエース(とライトエース)のワゴン版の系譜となります。初代ライトエースにもワゴンが存在していたという事実はありますが、一般的に広く売れたとは言い難く、このマーケットの開拓者は初代タウンエースと認識しています。個人的には歴史を作った一台かなとも。(軽く書いた回はこちら

初代タウンエースの登場は、1976年10月ということで、ちょうど45年前となります。時は、排ガス規制の真っ只中。商用車より一足早く乗用車には厳しい規制が導入された関係もあり、チェリーキャブ/サニーキャブ以外はこのクラスのキャブワゴンから撤退。バンモデルもモデルチェンジの先延ばしが行われていました。

そんな中で登場したタウンエースは、ライトエースのワイド&改良版という成り立ちながらも、久方ぶりの新型であり、ワゴンを携えていたことも話題となりました。この後、ライバル車の一新が続くのですが、少し早かった先行者の利は大きなものだったのです。


といったところで、カタログの本編に入っていきます。
今回取り上げるのは、1976年(昭和51年)10月に発行された最初期のもの。よくよく調べたら、オート店版のようで中々珍しいものかと思います。カローラ店版との違いは、バン1200の有無。オート店はライトエースバンを継続販売していたため、タウンエースの内、バン1600とワゴンのみを扱っていたのです。どうやら、バン1600も短期間で扱いを止めているようでもありまして。




最初期型のカタログのみバンとワゴンが一体での掲載。さらに最初に掲載されているのはバンということで、販売の想定はバン>ワゴンとなっていました。当時のプレスリリースによると、月販目標台数は、バンが3,000台、ワゴンが1,000台だったようです。

初代ライトエースからドアを流用しつつで拡大されたボディサイズは、初代ライトエース比で全長:120mm、全幅:85mm、ホイールベース:145mmのプラス。

初代ライトエースにはハイルーフの設定がありましたが、タウンエースでは最初期型には投入されず、後日追加となっています。

ボディカラーはバンの専用色となるブルー。街中ではこの色のバンをかなり多く見かけたように記憶しています。





全幅:1,650mmというのは、当時のミドルクラスセダンよりも幅広ですし、Fトレッド:1,430mmというのもより一層。K型より一回り大きいT型エンジンを搭載するにあたり、キャブ周辺のフロアパネルや足回り等、ハイエースとの共用があったのではないか?というのは推測です。

バネットが後年ワイド版のラルゴを追加したり、デリカが全幅:1,690mmで登場したことからすると、先見の明があったとも思います。

Rトレッドは、フロントよりも85mmナローとなる1,345mm。これでもライトエースからは75mmの拡大であり、当時としても幅広の部類とはなるのですが、フロントのワイドさと比較するとホイール位置の差は一目瞭然でした。

フロントガーニッシュに特徴のあったライトエース。こちらもライト脇のガーニッシュが印象的であり。丸目、バンパー下のターンレンズと相まって愛嬌のある顔と言っていいかなと。

リヤビューは、リヤコンビの外側を吊り上げた当時のトヨタ流。カローラ30バンと共通するイメージですね。





今視点では明らかにシンプルなインパネですが、当時はインパネにボディパネル色がないだけで、かなり豪華に映ったものでした。ステレオはカセットではなく8トラック、吊り下げクーラー共々時代を感じさせるオプションですね。ステアリングはカローラ系からの流用。

(恐らくエンジン高の関係で)センター部にシートは設けられず、2座となっていました。見方によっては乗用車風とも。セパレートシートだからなのか、シート背面にはディビジョンバーを設置。エンジンにアクセスするための、シートバック前倒し機能はあるものの、バンではノンリクライニングとされていました。





バン1600では、2人乗車時750kg、5人乗車時500kgで設定。これはバン1200&ライトエースの3人乗車時600kg、6人乗車時400kgよりも過積載が可能であり、このクラス最大の積載量ということでアピールされていました。このクラスのキャブオーバーは5年間で2.5倍の台数に急拡大していたそうですから、ミニエースの後継ではなく、一クラス上を狙うというのは戦略的でもあったのです。

荷室部分のサイズは、長さ方向はライトエースとほぼ同じで、幅方向が85mmのプラス。エンジンより後部のフロアパネルは、ライトエースを拡幅して使っているのだろうなと。





タウンエースバンもライバルに先駆けての部分は多々ありますが、新しい潮流を創った点ではワゴンが抜きんでていると感じます。

特に大きかったのは、ワゴンのみに設定されたカスタムの存在。初代ライトエース同様、デラックスに留めていたら、間違いなくその後の歴史は変わっていただろうとも思うところです。

フロントディスクブレーキ、(乗用車でもまだ珍しかった)ラジアルタイヤ、サイドストライプ、ファブリックシート。これらがバンの垣根を超えて、乗用車の領域に入り込む武器となりました。

パッケージング自体は初代ライトエース由来ということで、この後のワンボックス群と比較するとラゲッジ部分が長く、その分車室側が短いというシート配置でした。





メカニズムや装備品を紹介した見開きです。

エンジンはバンが2T-Jでワゴンが12T。後者は触媒付きのTTC-C、2T-Uも搭載可能だった筈ですが、希薄燃焼のTTC-Lが選択され、51年規制に適合していました。II型以降は、1800に拡大&触媒を付加した53年規制の13T-Uに換装されることになります。

因みにバン1200は64馬力。30馬力近い違いは、積載量増にも耐えられる1600のパワフルさが際立ってもいたのです。

ワゴンはこの後、カスタムエクストラ → スーパーエクストラ → グランドエクストラとグレード&装備の上積みが図られていきますが、この年代はまだバンと一体で掲載できるぐらいではありました。

イエローとブラウンのボディカラーがワゴン専用色。バンと共通のホワイトも選択可能でしたが、やはりこの2色が大半だったように記憶しています。





裏表紙は主要諸元表。

全長は当時のカローラクラスと同等。全幅は当時のコロナとマークIIの中間くらいの設定でした。このサイズ設定は、当時の大き過ぎない小さ過ぎない絶妙なところを突いていました。売れた要因の一つと認識するところです。

装備がまだまだシンプルということもあり、車重もワゴンで1,075kgと意外と軽量。当時のコロナ1600でも1,000kg前後の車重でした。バンの4ドアに+45kgですから、シート1列分+αぐらいですよね。もちろん、後年は豪華装備でどんどん車重が増えていきます。

ギヤ比は、バンとワゴンで共通というのが意外な驚き。II型以降はよりクロスレシオとなったワゴン用のギヤ比が採用されています。このギヤ比はバンが最大積載量を積んだ時を考慮した設定で、人数or荷物が少ない時ならセカンド発進も可能なぐらいの数値。この型のワゴンに乗せて貰った時も、ローは使ったとしても一転がりで直ぐにシフトアップという乗り方をされていました。

タイヤは165-14のラジアルを標準としたカスタム以外、ライトトラック規格の5.50-13のバイアスが標準。バン1600は積載量増に対応するため、リヤのみプライ数が上げられていました。ワゴンも商用車用というのが意外ですが、適当なサイズの乗用車用バイアスがなかったためかなと。


プレスリリースによると、当時の東京地区の価格で
 ワゴン デラックス:96.6万円、同カスタム:106.1万円。

デラックスで当時のコロナ1800DX、カスタムだとコロナ2000GLが近似の価格でした。セダンと比較すると、やはり少しお高めではあるのですが、それでも検討対象に上がれる価格設定ではあったのです。


といったところでいかがだったでしょうか。
70年代前半まではクルマは何よりスピードが第一だった時代。そこからオイルショック、排ガス規制が入ってきて、スピード重視から離れた価値観が芽生え始めていました。西海岸由来の文化となるバニングが静かなブームとなり始めていたのも、そんなムーヴメントからでした。

そのブームに上手く乗ったのがタウンエースと言えます。逆にブームを加速させる存在だったという言い方でもいいかもしれません。

トヨタが上手かったなと思わせるのは、ここでのカスタムの設定であり、2年後に登場するII型への手の入れ方もあります。初期型のカタログを見ていて、気になる点はII型でほぼ改良が行われていたりもしますし。

このセグメント、大衆キャブワゴンと分類するようですが、特にワゴンにおいては台数では凌駕されることがあったとしても、存在感としてはタウンエースが中心であり続けました。後継となるノアも少なからず同じような存在かなと思うところでもあります。


最後にいつものように思い出話を。

この型、兄弟車のデルタワイドの方でしたが、父の友人が父と長く親しくしていたセールス氏を通して、登場早々に購入しています。グレードは真ん中ということでデラックス。松竹梅の竹ということで選び易かったのでしょう。

もう一台は、後年父が知り合った方で、こちらはタウンエースのカスタムでした。

両者共に職業で、バスやトラック等に乗られていた方で、このボディ形状への違和感は少なかったようです。乗り始めて見ると、乗用車ではとても望めないようなユーティリティがあるということで、便利に使われていたというのも同様。
我が家が引っ越すという時も、タウンエースを出してくれて、大量の荷物を積めることに改めて驚き、何より感謝をしたことを鮮明に覚えていたりもします。

父はタウンエースを運転する機会があり、2代目のライトエースワゴンと比較するとこちらはパワーがない、なんて言い方をしていたような。

ご近所界隈でも、この型のワゴンが車庫に収まる姿を段々見かけるようになりましたから、キャブワゴンを一般家庭の購入対象に上がらせた立役者と言っていいかなとも。周りの増え方からしても、月販1,000台は余裕でクリアしていただろうと推測します。


以前にも何度か書いているのですが、このセグメントが約半世紀という長い時間の中で一番大きく変わり、何より進化をしたと思っています。その推進力となったのは、需要が確実に存在するからだと認識もします。

今に至る土台というか基礎を作ったのは、間違いなくこのタウンエース。今に通ずる部分、今と大きく異なる部分、各々を見出していただければ幸いです。
2021年12月18日 イイね!

思い出のクルマをカタログで振り返る39(G100系シャレード・ソシアル)

思い出のクルマをカタログで振り返る39(G100系シャレード・ソシアル) 12月に入り、すっかり寒い日が続くようになりました。寒波の到来により所によっては大雪というニュースも入ってきています。不要不急の外出を避けるのが一番の安全なのかもしれませんが、この時期そんなことは無理という方も確実に存在するわけで。皆さま、くれぐれも安全第一に。

さて、今回も思い出のクルマ話の回です。当初は別の車種を想定していたのですが、確かこの辺りに保管していた筈…の場所で何故か発掘できず。発掘の過程でつい当時を思い出した別の車種に代役を務めてもらうことにしました。

今回お題にするのは、シャレード・ソシアルが初登場した時のカタログとなります。ソシアルはシャレード初の4ドアセダンとして3代目のモデル途中で追加され、4代目にも継続。モデル廃止となるまで設定が続いた名称でした。こうしたモデルの場合、3代目シャレード・ソシアルだと違和感ありということで、表題をどうすべきか迷った末、形式名に頼ることに。

元々1960年代中頃において、大衆車というのは1000ccクラスと認識されていました。そこに+100ccの余裕を掲げて投入されたのが初代カローラであり、ライバル車もカローラに引っ張られる形で上級移行。その結果、1000ccクラスは1970年代中頃には空白地帯と化していました。そこに投入されたのが初代シャレードであり、新たなリッターカー市場を開拓することにもなりました。

しかしながら、シャレード自身もリッターカーに留まり続けることはできず、作り手曰く「発売後10年が経っていますので、区切りをもって新しい方向への転換」ということで3代目でついに4気筒1300を追加。当時は追加の理由をターボに代わるものと説明していたのですが、結局主力を1300に移すことになります。ソシアルは上級に移行し始めたシャレードの次なるステップでもあったのです。

それでは登場直後となる1989年3月に発行されたカタログの紹介に入っていきます。
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見開きにはイメージリーダーとなるSXがダークグリーンのボディカラーで掲載されています。後述する理由により、イメージリーダー=販売の主力ではないというのが微妙なところ。

ハッチバックの全長3,680mmに対して、ソシアルは全長3,995mmということで315mmリヤを伸ばしてハッチバックベースのセダンを成立させています。スタイリング優先なら、もう少しCピラーを寝かせてトランクももう少し伸ばしたいところです。一クラス上は、やや短かったジェミニを除き、全長が4,200mm前後でしたから、恐らく全長4m以内というのが確定事項だったのだろうというのは推測。3代目シャレードは、北米輸出対応もあり、大型バンパーの採用で70mm長くなっていますので、その分でも苦しかったろうなとは。

当時はモノフォルムではなく、セダンは明確な3BOXが当然という認識でもありましたから、限られた寸法ではこうしたフォルムで構成するしかなかったのでしょうね。全高が高く映るかもしれませんが、実は1,385mmしかなかったりします。

リヤドアは5ドアと共用。3代目シャレードのハッチバックはBピラーを頂点にして3次曲面的にリヤを絞り込んだことがデザインの特徴となっていましたから、セダンを起こす際の制約となった感は否めません。逆に厳しい制約の中で成立させたという点では初代シャレードと同じという見方もできますけれども。



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同じくSXの内装画像となります。

インパネやフロントシートはハッチバックと共用していました。
オーディオは、標準では1dinサイズのみ装着可能でしたが、写真のフロントコンソールを装着すると何と計3.5dinまで拡張可能。他車に先駆けてAMのみながらも電子チューナーラジオを設定したり、フロントスピーカーもインパネ下ではなく音重視で前席に向けたインパネ上部に装着する等、意外とオーディオに凝った設定がされていました。

リヤシートは、5ドアではリクライニング機構やタイヤハウスを覆った構造等を採用したグレードがあったものの、こちらは不等式分割前倒のみでした。不等分割ならセンターアームレストの併設も可能だったかもですが、車幅からすると苦しいかもで。

室内長はハッチバックの1,750mmに対して、こちらは15mmのプラス。



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全3グレード構成の内、残りの2グレードの紹介頁となります。

左頁は販売の主力だったSXリミテッド。
SXをベースに装備を上乗せする一方、オプションや内外装のカラーは制約。「SXがアラカルトでSXリミテッドは定食」と書いたのは当時の月刊自家用車誌ですが、内容的にもそのものズバリ。

ハッチバックには、特別仕様車から標準仕様となったKISSA(キサ)というグレードがあり、KISSAのセダン版がSXリミテッドでもありました。


右頁は廉価グレードとなるSG。
ハッチバックにはKISSAの廉価版として1000にWILL S(ウィルS)の設定がありましたが、こちらは1300のみということもあってか、独自グレードとなっていました。経済性や価格を重視する方向けの設定に映るかもですが、後で書く価格設定からすると、エントリー価格を下げるための設定のようでもあり。

廉価グレードだと、シート生地の一部にビニールレザーを使用するのがお約束でしたが、この時期には前面にはフルファブリックが奢られています。ドアトリムへの生地折り込み等、今以上に感じられる部分もあります。やはりいい時代ではあったのです。





メカニズムの紹介頁です。

元々3代目シャレードは、4気筒1300を搭載する前提で設計がスタートしていたようです。「よりよいエンジンへの仕上がりと、3代目シャレードの投入タイミングの決め方、これとの整合で、どうしてもタイミングが合わず、モデルチェンジのニーズを優先した」と当時のインタビュー記事には書かれています。

1300は1988年2月の登場時点では、先述の通りガソリンターボの代わりということでEFI仕様のみ(HC-E型)での登場でした。しかしながら価格面で不利と判断されたらしく、ソシアル登場の少し前に行われたハッチバックのマイナーチェンジ時(1989年2月)に電子制御キャブ仕様(HC-F型)が追加され、ソシアルの搭載エンジンともされています。

このエンジン設定の影響もあってか、ハッチバックにはKISSAの上級にTRとCRの設定があったのですが、ソシアルでは当初同等グレードの設定はありませんでした。1991年1月の変更で、1300は再びEFI仕様のみとなり、KISSAもEFI仕様へ。この際、ソシアルはSX→SRへと変更されています。同時期にキャブを廃しインジェクション化を進めていたトヨタに影響された感が強い変遷ですが、機を見るに敏or日和見主義、見解が分かれるところでしょうね。スペック上の比較では、HC-Eが当然最高出力&最大トルクで勝るものの、HC-FはHC-Eから高回転部分を削った形で燃費もHC-Fが好燃費となっていた点も判定を悩ませる点ではあります。

トヨタには4気筒1300、ワンカム12バルブのE型が先にあり、HC型はワンカム16バルブで登場するものの、その後E型も排気量拡大と同時にハイメカツインカムでの16バルブ化が行われ、両者は併存することになります。今なら確実にエンジン共用という判断となっていた筈で、当時のダイハツはトヨタとは離れた関係にあったのです。

当時らしいと言えば、リヤサスペンションも同様。
先代までは5リンクリジットでしたが、この代で4輪ストラットの独立式へ進化。この時期採用の多かったデュアルアーム式ですね。やがてこの方式は採用されなくなり、今に続くトーションビームへと変更されていくことになります。





ユーティリティ等の頁。

このサイズだとリヤシートのスペースに皺寄せがいくのは仕方なく、掲載画像は背のあまり高くない女性、ついでに前席はかなり前出しとされています。前席を一般的なポジションにすると、後席のレッグスペース・ヘッドルーム共にギリギリでしょう。今のトール等とは、隔世の感はあるかもですね。

反面、トランクはハイデッキも効いているのか意外と大容量。トランクの内張&フロアマットも結構しっかりした作りとなっている点も挙げたいところです。

空調はオートエアコンが選べる点が当時のこのクラスでは珍しく。販売の主力SXリミテッドはマニュアルが標準でしたし、装着率は決して高くはなかったでしょうけれどね。

ATのシフトロックは、この前年に本機構を採用した車が登場し始めていて、変更を機に採用が急拡大してもいました。この機構が開発された理由は、アクセルとブレーキの踏み間違いによる暴走ということで課題点は今と同じ。運転者は決まって「車が勝手に暴走した」と欠陥車の如く主張し、マスコミがそれを煽っていたのも時空を超えて繋がる点。結局は運転者の誤操作に尽きるんじゃないの?とは。機械側で抑止するには、大いなる知恵と労力が必要となってしまうのですから。





装備類の紹介頁です。
標準装備は、当時の水準というか割とシンプルな設定でしたが、反面オプションは豊富に用意されていました。

オートエアコンを始め、空気清浄器、オートライト、オートワイパーまで選択可能。内装頁にある通り、オーディオもAM/FM電子チューナーにフルロジックカセットデッキはもちろん、CDプレーヤーやグライコを追加することも可能でした。
購入検討をした際に、お試しで金額度外視で積み上げたら、オプションだけで7桁近くになって驚かされたものです。





最終頁には全グレードが一覧で掲載されています。
当時の車両価格は、SG:89.8万円、SX:99.8万円、SXリミテッド:105.0万円(東京地区の5MT。3ATは各4.5万円高)

SGにエアコンを付ければ、SXリミテッドの価格と然程変わらずとなる筈で、SXリミテッドのお買い得は抜き出ていました。こうした設定だとSGは装備より価格重視、SXはリミテッドで満足できない、ぐらいしか選択理由が成立しないですよね。

と書きつつも、自分でこの中から選ぶなら、定食よりアラカルトでSXのATにエレクトロパックとアルミホイールDを装着。色は外装:ネイビーブルー&内装:ブルーかなと。エアコンは当時からオート一択と思っていましたし、敢えてのSXならリミテッドでは選べない仕様にしたくもなります。

収入比では一番安かった時代かもしれません。最近アルトが100万円を切るということで話題になりましたが、当時は1300の4ドアセダンがエアコン付きでほぼ同等の価格で購入できたのです。





裏表紙には、主要装備一覧表と主要諸元表。

時はバブル最高潮ということで、このクラスにも装備水準急上昇の波は押し寄せていました。SGが少し前の標準で、SXリミテッドが当時の標準くらいの感じでしょうか。


ボディサイズの全長4m、全幅1.6mというのは、70年代のカローラやサニーのサイズと重なるところでした。両車がサイズアップした隙間を狙ったという点では、初代シャレードの精神再びという見方ができるかもしれません。安全基準が厳しくなる一方ですから、このサイズの4ドアセダンというのは再現されることが困難であることも間違いなくて。

このクラスだと4MTもまだ多かった時代に全車5MTが選択でした。一方、ATは3速が主流ながらも4ATの設定が増えている中、3速に留まる形。価格設定からしても、経済性等を重視してMTで買われる方がまだまだ多かったのでしょうね。


といったところでいかがだったでしょうか。
ソシアルが3代目の途中で追加された背景には、当時の北米輸出があったと推測しています。当時の北米市場では、防犯の観点でハッチバックよりノッチバックが望まれていると言われていたのです。

一方、国内市場では、シャレードのユーザーが上級移行を望んだ時の受け皿がないことが課題となってもいました。軽自動車だと小型車への移行って維持費を含めて低からずの壁となるのですが、1000が1500になっても税金等はあまり変わらずとなりますからね。当時は2boxより3boxが高級という認識も強かったですし。かと言ってシャルマンは、ソシアル登場のだいぶ前に商品力を失ってもいて。

こうした背景から投入されたソシアル、ダイハツとしてはセダンとしては隙間を狙ったこともあって期するものはあったのだろうと思います。そもそも3代目はツーサムでアピールして、想定を下回る販売状況からマイナーチェンジに特別仕様車の投入等、相当なテコ入れを図っていた訳です。

ソシアルは、失敗作とは言えずですが、シャレードを支える新たな柱となるほどではなかったと記憶します。近い価格帯には、1300のカローラXEサルーンやサニーEXサルーンGIIがあり、販売台数を背景にした大幅値引きで来られると表示価格では有利でも、実勢価格では逆転もしばし見られていた筈で。

もっとも関係者を含むダイハツブランド(特にセダン)に拘る層にとって、福音となる追加であったことは事実であり、アプローズが登場早々に欠陥車騒動で商品力を失ったこともあって、目立たないながらも失くせないモデルではありました。だからこそシャレードのモデル廃止まで設定が続いたのだろうとも思うところです。


最後に思い出話を書いて終えることにします。
だいぶ前に、3代目シャレードは最初のクルマとして購入を検討した一台だったと書いたことがあります。時は1989年2月のマイナーチェンジ直後、ソシアルが登場する前となります。

今に続くリヤドアありの方が便利という考えで、5ドアハッチバックで商談を開始したものの、やはり今に続くハッチバックよりノッチバックという認識は当時も頭の片隅にありました。

そのタイミングで登場したのがソシアルでした。ダイハツのセールス氏とは長い間かなり親しくしていたこともあって、父が大乗り気。カタログも早々に入手してきたと記憶しています。

父曰く「いきなりいいクルマを買ってもつまらない。ステップアップしていった方がカーライフを楽しめる。俺なんかフェローMAXから入ったんだから」と。ある種昭和的とも言える考え方ですが、今でも鮮明に覚えている言葉でありまして。

私は教習所に通い始めるまではかなりのMT派で、実際に5MTで商談していたくらいだったのですけれど、教習が進むうちにATの方が楽とあっさり転向。4ATが増えていた当時に3ATは明らかな見劣りを感じ、他車への目移りとなっています。
今思い返すと、マークIIやクラウンがカローラと販売台数のトップ争いをしていた時代にあって、自身も高級という言葉に誘われた感が否めずとは思うところです。シャレードを検討の際にも、最上級にオプション多数とか考えていたところでしたし。小さな高級、これもまた内に持つ趣向の一つなのでしょう。

結局当時の目一杯の背伸びで購入したのは、170コロナ。それも当初の想定は叶わず短期間で手元から離れて行きました。あの時にソシアルの方を選んでいたら…、というのは今回の振り返りで軽く空想したりもした次第です。次に選ぶ車が異なっていた可能性も高いかなとは。少し前の投稿企画で、「最初の一台というのは、基準にもなり得る非常に重要な意味を持つ」なんてことを書いていまして、その事は実体験に基づく言葉ではあるのです。
2021年12月09日 イイね!

銀座へ初代シーマを見に行った話

銀座へ初代シーマを見に行った話恐らく、今日本一有名であろう初代シーマの姿を見るため、銀座のNISSAN CROSSINGに足を運んできました。

20年以上前は何度もカタログをもらいにでかけた銀座4丁目の日産ギャラリーも、本社が横浜に移転して以降、すっかり足が遠のいてしまった場所の一つ。久方ぶりに降りた地下鉄の銀座駅は、駅の基本構造こそ変わらないものの、目に映る風景はすっかり近代化されていて、その変わりようにかなり驚かされもしました。見事に出口を間違え、遠回りしてしまったというオチもついてしまい。

予想した通りと言うべきか、ニュースでだいぶ取り上げられたこともあり、シーマ目当てで来場される方が多数。若い方も見受けられるものの、特に熱心に見入られているのは、やはり同世代以上の方かなと。皆さん、次々撮影されるので実車を近くで見るのはかなり躊躇いもありつつ。

タイミングを見計らいつつで撮影した画像はこちら。
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新車当時は、ダーク系の色の方が似合うと感じましたが、今視点だとこの種の色も似合いますね。イエローイッシュホワイトって、もう少しクリーム色に近いと認識していましたので、こんなに白かったんだと認識を新たにし。


今回はメーカーが本気で行ったレストアですからね。新品パーツも惜しみなく投入。実車の周りには交換したパーツの一部が置かれていました。
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モニター越しで見ても美しさは一目瞭然ですが、実車はさらに超越もしていて。
時を超えての美しさは、新車の美しさとは意味合いも異なるところで「ちょっと運転できないかも、私」というのは、実車を見るといたく納得。
展示期間は限られ、その後はオーナーの元に返されることになりますから、この期に一見する価値は大いにありと率直に感じた次第。

みん友さんが「この頃の日産高級車は銀座が本当に似合う」と書かれたことにとても共感したのですが、一方で本社でヘリテージコレクションの前期グレイッシュブルーと並んだ姿も一興だったのでは、と思ったりもしました。


以前にも書いていますが、初代シーマって本当に憧れましたし、割と本気で欲しいと思っていた時期もあります。サッシュの付いたセダンで大き過ぎず目立たないとかが自分の趣向の筈なのに、趣向替えしてもいいとさえ思った存在。

何が魅力って、美しい車で挙げたデザインもとても好きなのですが、一番にはキャラクターを挙げます。
「トヨタが支配する天下泰平の時代に、突如おどり出た真田幸村」と書いたのは、当時の間違いだらけのクルマ選びです。このクラスの4ドアは、体制の中の安住を主張しがちだったのに対して、趣味的な個を強い押し出しで主張するというのは、初代シーマだけが持つ孤高の世界観であり、それがとても魅力的に感じられたものです。

その個性は、新車時は離陸するかの如き姿で、晩年はさらに社外フルエアロとかち上げマフラー等も加わって、多くがアグレッシブに走り回り、そして消費されていくことにも繋がってしまったのですけれども。

メルセデス、特にSクラスは年数を経ることで灰汁が抜けるという論は時折聞く話ですが、このクルマも同種に感じます。年数を経た今の方が、デザイナーが訴えたかった素の味が伝わってくるような。強い押し出しよりも繊細な印象が先に立ったりしますし。近年の車のカテゴライズやデザインテイストが大きく変容してしまったことによる影響も大きいのでしょうね。


オーナーである伊藤かずえさんについても少し。
伊藤さんとシーマの初見は、90年代末期(軽く調べたところ、1998年6月号のよう)のNAVI誌となります。書かれていた内容の詳細は殆ど記憶から消えてしまったのですけれど、今も変わらずで語られる自車への思慕の念だったことは間違いなく。シーマは3代目が登場していた時期。そんな中で2代前となっていた初代を熱く語られていたのは、私もバブル期の各車に心酔していたこととの共感となり、深い印象として残ったのです。

朧げな記憶では、10万キロを超えられた時点だった筈で、10万キロでエンジン換装と話されていることからすると、裏では有言実行をされていたのだなというのは、今になっての推測です。その次は、たしか20万キロの時だったと認識していて、以降年数を経るごとに走行距離は伸びなくなる一方、取り上げられる機会は増え、ついに今日のレストアに至っています。


私も途中で頓挫してしまったとは言え、人並み以上には長く乗っていましたから、一台を継続維持し続けることの大変さは理解しているつもりです。
年数を重ねると、先ず消耗品の交換が増えていきます。次に予期せぬ故障の発生と修理に伴う出費の不安が生じるようになり。その頃には人が入れ替わることでサービス体制も不安になってきます。何より一番の打撃となるのが、どこかで必ず訪れるであろう補修部品の打ち切りと修理不能の宣告。その過程で周りの共感が得られるとは限りませんし、近年はさらに税金の加算もありますからね。。。
経済観点だけなら、適当な時期で代替した方が効率的だと思っています。それらを乗り越えられるのは、好きだ・手放せないという揺らぐことのない情念だけなのかなとも。

シーマはだいぶ以前から、同年代の中でも維持は大変な車だと聞いてきました。そんな車を30年以上の長きに渡って維持し続けられた愛情の一端は、アンベールの時に見せられた感極まっての涙、綺麗になって戻ってきた愛車を愛おしく撫でる姿で垣間見れたような。



一台の心底愛した車を長きに渡って維持し続け、そのご褒美にメーカー自らがレストアする。クルマ好きにとっては夢見る物語だと言えます。今回は夢が現実化した形ですが、それにはオーナーが有名人であり、レストア作業を行う車が当時一世を風靡した名車であったことが、必要な要件だったと理解しています。有志を動かすだけの背景や事情ももちろん必要だった筈で。

そんな舞台裏を覗こうとするのは野暮だと思いますし、ましてや旧車を取り巻く現況とリンクさせることにあまり意味があるとも思えずでいます。
一人のオーナーの願いが叶っただけでなく、決して広く一般的とは言えなかった、長く乗り続けることや時間と手間をかけて復元することがニュースバリューを持ち得た。それだけでも充分過ぎる功績だと思うのです。
Posted at 2021/12/09 18:47:46 | コメント(10) | トラックバック(0) | お出かけ日記 | クルマ

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「12年目の1年点検に入庫 http://cvw.jp/b/1984303/48573850/
何シテル?   07/31 22:03
3台計で20年以上の長きに渡って乗り続けたX80系からW204への代替がみんカラを始める動機となりました。 最初はW204関連を主とするはずだったのですが...
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