昨日、
仕事中にふと
そういや昔、プロジェクトXでクラウンやってなかったっけ?
ということを思い出した。
ホント、なんの前触れもなく突然に。←w
プロジェクトXがやってた2000年代前半、
僕は中学生〜高校生。
よく見てました。
学校の授業とかでも
先生が流してたのを覚えてます。
探してみたら
やっぱりあった!!!
「われら茨の道を行く」〜国産乗用車・攻防戦〜
(動画URLはDaily●motionとかスグ出てくるんでここには載せませんw)
戦後、トヨタが初めて創った純国産乗用車
初代・トヨペットクラウン
その開発物語。w(゜o゜)w
オンエア当時に見た記憶があったけど
中身はぜんぜん覚えてないし
この時はトヨタもクラウンもさほど興味がなかった。。
でも見てみると
今の自分には興味あり過ぎて
とても良い刺激になりました。
注:以下ネタバレ有り
戦後、荒野の日本で
トヨタが乗用車の開発に初めて乗り出すまでの苦労。。
初期のトヨタの歴史や
創業者・豊田喜一郎の存在、
後の社長辞任にクラウンの開発が影響していたこと…
朝鮮戦争がトヨタの経営と
クラウンの開発の転機になっていたこと。。
そして
クラウンの生みの親
中村健也さん という方の存在。。。
そういう話、興味なかったわけではないけど
今まであえて調べたことはなくて
正直、そんなに気にしたこともなかった。。。><
今のクラウンがどんな性能で
どれだけカッコ良くて。。。
次のクラウンは?
他の車種との兼ね合いは??
そんな事ばかり気にしていた自分が恥ずかしくなった。。。><!!
なぜクラウンが
この国で、特別な地位とブランドを築いているのか。
それは
トヨタが最初に作った国産第一号で
歴史が長いからでしょ(・∀・)
そんなことは誰だって知っている!!
その始まりの背景、関係者の苦労を
初めて少し知ることで
日本のクルマの半世紀を
ぼんやりとだけど理解することができた気がする。。。
カローラでもない
プリウスでもない
LSでもセンチュリーでもない
クラウンがすべての日本車の原点であることを
知ったとき、軽く震えたわ。(゜Д゜)はわわ
初代・クラウンが
ロンドンから大陸横断してくるときには
もぅ、とても他人事には思えず
自分のクラウンの先祖というか前身というか、
この最初のクラウンが
やがて自分のクラウンになっていると思うと
もーぅ涙もんでしたは。。。。(´;ω;`)ぶわあ
そして
クラウンの生みの親である
中村健也(けんや)さん。
国産乗用車を創ることに憧れ
膨大な勉強を続け、
会社に対して乗用車開発を直訴されてきた方。
この方がいなかったら
クラウンの誕生はおろか、
戦後のトヨタの歩みも
現在のトヨタの姿も、別なものになっていただろう
それはすなわち
今の日本社会も、世界経済でさえも違うカタチの現在だったということだw(゜o゜)w
王冠のマークと
"クラウン" という名を授けて下さったのも中村さんだという。。
まさに
クラウンの父である中村さんの存在に
クラウン乗りとして敬意を払いたい。
ずーっと続いてきたんだね
クラウンの歴史は。。。
各社で様々なクルマの名前が誕生し、消えていく中で
この国の道を一番長く走りつづけてきたクルマ。
今回、改めてその意味を考えることができました。
これからも
クラウンがクルマの歴史を創り続けて
この国の自動車産業が発展し続けるためにも
僕はクラウンを愛して
クラウンでもっともっと走って行きたいと思います。
おわり(・∀・)
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Posted at
2013/12/05 12:10:52