ブログ、毎日楽しく拝見させていただきました。とくにラーメンなどの食べ歩きはTVの企画番組のようで面白かったです。
以前の書き込みにも書きましたが、このキツイ日程をよくこなしましたね。石川さんに拍手!
1971年に起きたばんだい号の事故についてはほとんど忘れていましたが、原因はこの年に航空機事故が相次いだからです。
まず、6月6日にはアメリカのヒューズ・エアクラフト社のDC9と海兵隊のF4Bがカリフォルニア州で接触事故を起こし50人が、
次いで7月3日は東亜国内航空YS11ばんだい号が函館で墜落事故を起こしで68人が、
そして7月30日には全日空B727と航空自衛隊F86Fが雫石上空で接触し162人が、
なんと同日にパンアメリカン航空B747がサンフランシスコ空港で不時着(死者0人)、
そして11月20日に中華航空カラベル機が台湾海峡で謎の爆発事故(事件)を起こし25人が亡くなっているからです。
大きな事故や事件が起きると、比較して小さい事故や事件は忘れやすくなるものですが、大きくても小さくても
遺族にとってはかけがいのない命が亡くなったことに変わりありません。
石川さんの祖父母様をはじめ、この事故で亡くなった皆様のご冥福をお祈りします。
私は海外へ行くときなど、もう50回くらい航空会社のお世話になっているのですが、
幸い今まで怖い目にあったことは一度もありません。
事故原因の追及により、航空機や空港の管制システム等が改良されたおかげと思っています。
そして、これからも航空機に乗るときは、不幸にして航空機事故に遭われた人々のことを忘れずに乗りたいと思っています。
いろいろありがとうございます。
何とか無事に帰ってこれました。
毎日だいたい300km以上走ったのでしょうかね・・・
信号が少なく、ある程度のペースで走れるのでまだ良かったですが、
やはり、延々走ると眠くもなりますしね・・・
いやあ・・・もう少しゆるい日程にした方が良かったかなあ・・・
まあ、明日2日に予定があったので、それまでに帰ってこないと
いけなかったですし、天候もちょうど良い時に走れたのかなあと思ってます。
そうなんですよね。ばんだい号の事故の年はたくさん航空機事項が起きたんですよね。
私も以前、文庫本でそれを読んだのを覚えています。
まあ、私が産まれて、物心ついた頃には、親父の実家の仏壇、お墓でこの話を
聞いたくらいで、実感があんまりわかなかったんですが、今回慰霊碑に行ったことで、
当時のレーダーの無い状態で、あの気候で霧があんなに濃かったらそりゃあ、
見えないよなあという風に感じましたよね。
でも、実際、私は社会人になるまで飛行機には乗ろうという気持ちにはならなかったですよ。
金沢に赴任地が決まり、初めて飛行機に乗るとき、本当に怖かったのを今でも覚えてます(笑)
今回は、いろんな意味で北海道にいけて良かったです。
色々情報をありがとうございました。