20100808 小机城 その1
投稿日 : 2010年08月11日
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武蔵国橘樹郡小机郷(現在の神奈川県横浜市港北区小机町)にある小机城です。
第三京浜港北ICのすぐ近く第三京浜とJR横浜線の交差するあたりの、比高40mほどの丘陵が小机城址です。
西側は住宅地なっていたり第三京浜を通すために破壊され、JR横浜線の南側の城域もお寺や墓地などになっており遺構らしいものは残っていませんが、本丸・二の丸などの主要部がとてもよい状態で残っています。
新横浜駅や日産スタジアムなどが近くにありますが、鶴見川沿いの小机城址付近は、都市化からは取り残された感がありますね。
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来る前に調べた限りでは、「小机城址市民の森」として整備されとても行きやすい城址を想像していましたが、周辺に専用の駐車場などはなく所謂城址公園って雰囲気ではないですね。
自転車などを止めるスペースも無いので、電車で小机駅まで来て後は徒歩で来い!と強いられているようです(笑
路上駐車できそうな場所はありますが地元じゃないし怖いので、STは線路脇のコインパーキングに止めてきました。
JR横浜線沿いの小道を第三京浜に向かってしばらく歩くと、手作りのような「小机城址市民の森」の入口表示が住宅地の中に唐突に現れます。
住宅裏の山に入ると竹林の中に腰曲輪と切岸がいくつも確認できます。
切岸は最も簡単な防御施設で、元々は緩やかな斜面を掘削し、登り難い急な斜面に形成したもので、掘削する過程で出来る平地を腰曲輪として利用し、階段状に連続させることが多いです。
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「小机城址市民の森」の入口の遊歩道は、小机城の大手道ではないようです。
登り切ったところは本丸周囲を守る空堀。
本丸南西にある虎口がもう直ぐそばに。
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本丸南側の空堀。
本丸側(左)から空堀の底までは10mほどの深さで、結構迫力があります。
小机城は、室町時代に関東管領上杉氏によって築城されたといわれていますが、正確な年代は分かっていません。
山内上杉氏の家宰であった長尾氏の相続問題に端を発する乱で、長尾氏に味方した豊島氏が小机城に籠城したことでこの城が歴史に登場します。
扇谷上杉氏の家宰で、江戸城や川越城などを築城し名将の誉の高かった太田道灌が、約2ヶ月をかけて落城させています。
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同じく本丸南側の空堀。
本丸南西にある虎口からは入らず、土塁上の遊歩道を東に向かいます。
堀は複雑に折れおり、横矢が掛けられています。
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遊歩道は、本丸東側の馬出しとさらに東側の二の丸との間に繋がっており、これは二の丸から馬出しを見ています。
馬出しは、本丸を見通せないように高くなっているのが分かります。
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二の丸に残る櫓台です。
小机城は、太田道灌に落城させられたあとは廃城となり、その後長く使われなかったようです。
しかし、後北条氏が相模より南武蔵に進出した頃、二代氏綱の時代に再興されます。
江戸城‐小田原城を結ぶライン上ということで、鎌倉市玉縄の玉縄城とともに重要拠点として整備されました。
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二の丸です。
長く畑として使われていたらしく、曲輪の周囲を囲っていた土塁は無くなっています。
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