2008年10月10日
余談であるが
このように(ところで余談であるが、日本語には「この」といった「こそあど言葉」がある。これはときに曖昧に使われているが、正しく使わなければ意味が通らなくなるので注意が必要である)しょっちゅう(余談であるが、「しょっちゅう」という言葉は話し言葉であるから、アンサイクロペディアのような書き言葉を用いるべき場ではなるべく使用を避けたい)話題(余談であるが、最近家族での会話が少なくなっているらしい。もっと食事中にテレビを見て話題を増やすこと。)が脱線する(余談であるが、2005年に福知山線で深刻な脱線事故が起きている。JR西日本の事業方針に問題はないだろうか)文章(余談であるが、日本には「文章」と書いて「ふみあき」と言う名前がある。悲しいことに「ぶんしょう」というあだ名になることが多いらしい)は(余談ではあるが、この「は」は「わ」と読むが、古典ではこのように「は」を「わ」と読ませることが多い。しかし、日本に古来から存在する(余談であるが、存在することに関する諸問題、すなわち存在論は哲学において古来から議論となってきた。なかでも神の存在証明に関する議論は有名である)大和言葉(余談ではあるが、大和は「やまと」と読む。しかし、稀に「だいわ」や「たいわ」と読むことがあるので注意が必要である)(あ。忘れていたが、大和銀行はだいわぎんこうと読むが、大和銀行は住友銀行との合併をしようとしつつ、結局はあさひ銀行と合併して結果的にりそな銀行となってしまった。)では、「は」を「ふぁ」と読ませていた。)、話(余談であるが、「話」とは名詞であり、「話し」とは動詞の連用形である。小学生ではこの混同がしばしば見られる)がなかなか(余談だが、古語においては「なかなかなり」は「半端だ」という意味である)進まず、(余談であるが、横書きの文章で読点「、」を用いるかコンマ「,」を用いるかは悩ましい問題である)しかも重要(余談であるが、驚くべきことに、韓国語でも「重要」を「じゅうよう」と読む)でないことにも思考(余談であるが、現代人はあまり考えなくなったといわれている。なんでもマニュアル化された世の中にも問題があろう。むろん、なにも疑うことなくマニュアルを使う側にも問題はある)が割かれるため(余談であるが、「わかれる」と読んではいけない。現代人は漢字に弱くなったため、ときどきこういう恥ずかしい読み方を平気でする大人がいる)、読み手(余談だが、文章を書くときは常に読み手を意識しなくてはならない。読みにくい文章など論外である)が大変(余談であるが、島原大変肥後迷惑という言葉がある。これは島原の噴火によって発生した山体崩壊により生じた津波が肥後を襲ったことに由来する。読者諸君も日ごろからこうした自然災害には十分注意しなければならない。まずは各自非常持ち出し袋等を点検し、家族で避難場所を決めておくこと)いらいら(余談であるが、現代人は昔に比べて短気になったといわれている。それは、カルシウムが不足しているからとか、ストレスを感じやすい社会で生活を営んでいるからなど諸説あるが、普段からおとなしい態度でいるよう心がければ、そのようなことは決して無いだろう)する。しかも(余談であるが、「しかも」、「また」、「そして」という接続詞を多用して文を次々に繋げていくことがあるが、文章が単調になる上に読みづらく、悪文の見本である)そうした余談(余談の余談であるが、司馬遼太郎の余談が面白いという読者も多い。しかしその説教臭さが好きになれないという人もまた多い)は紙(余談であるが、土佐和紙などの和紙は高価ではあるが水に濡れても破れにくく丈夫である。機会があれば和紙も使ってみてほしい)のスペース(余談であるが、なぜワープロではスペースキーだけ大きいのだろうか)の無駄(余談であるが、生活の中から無駄を省くことが倹約の第一歩である。これはまた、環境保護にも貢献している)であるから、余談は控えめ(余談であるが、JTなどではたばこは控えめにと広告しているが、控えめにしてはJT自身が儲からない。控えめにいうのは、あくまで表向きの言葉である)にし(無論これは「に」「し」という二語であり、「西」のことではない)、書きたい(余談であるが、近年ではブログの普及によって若者の書きたい欲求が大いに満たされることになった。しかし一方で、読み手のない文章もネット上に氾濫している)ことだけを書くほう(余談であるが、「消防署のほうから来ました」などは、悪徳商法の常用手段である。「~のほう」という言い回しには気をつけよう)が(余談であるが、「が」には、主に2つの意味があり、ひとつは主語の下につけるやつ{重ねて余談であるが、「やつ」という言葉は、乱暴で見下ろすようなイメージを与えるため、使うべきでない。「もの」の方が適切であろうが、「者」と変換しては意味がおかしくなる。それから、括弧の中の括弧は、このような{}をつかうのはまちがいである}で、もうひとつは、接続語の「が」である)よい(余談であるが、ここで言う「よい」は、「良い」という意味であり、「ほろ酔い」なんかに使われる「酔い」とは意味が違う。それと、尾崎紅葉の「金色夜叉」の冒頭に、「未だ 宵 ながら松立てる門は一様に鎖しこめて」とあるが、この宵とも意味が違う。日本語には同音異義語が多いが、ひらがなで書かれた単語は、文脈から意味をイメージできないといけない。)。おっと(余談であるが、この言葉を見てウィザードリィを思い出す人はゲーム中毒の疑いがある。ゲームも悪いものではないと私は考えるが、日常生活に支障が出るレベルまでやりこむのは考え物である)、つい(余談であるが、「つい」という言葉は友人との会話によく登場する。「つい」やってしまうということは人生において少ないことではないだろう)余談ばかりになっちゃったな(笑)(余談であるが、最近の「(笑)」の用法は、「スイーツ(笑)」などの侮蔑的なものもあるので、無闇に使用するのは控えたほうがよい。また、近年では「(笑)」の代わりに「w」を用いるが、場合によってはこれも相手に不快感を与える場合があるので、注意すべきである。)。
すっごい眠いよ!
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Posted at
2008/10/10 21:49:27
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