どうも「azumax」あらため「巨匠」@AP2です。ネーミングはまぁ、内輪での以前からの愛称(というか蔑称)に基づくものであり、今回の記事の内容とは関係ございませぬ。。。さて。「巨匠」・徳大寺有恒氏の訃報によせて。高校生ぐらいの頃、徳大寺さんがかかわっていたNAVI誌(今は廃刊となってしまったが)の連載をよく読んでいた。この人、車に関する趣味・主張が少し偏っている感じがするし、自動車ライターとしてお世辞にも文章が上手なわけでもないのだが、不思議な存在感や発信力がある人だったと思う。メーカーにおもねらない自動車評論という意味では、この人や「カーグラフィック」の小林彰太郎さんあたりが日本での草分けだと思うのだが、去年小林さんが亡くなったのに続いて、徳大寺さんも亡くなってしまい、これには一つの時代の終わりを感じる。自動車ジャーナリズムって、インターネットの出現で大きく変化したように思う。気になる車のモデルについて調べたいと思った時、昔はその車種に関する車雑誌の記事を読む(対象のモデルが古い車種であれば、部屋にストックしてある古い雑誌を部屋じゅう引っ掻き回して探す…笑)というのが、よくある光景だった。ところが、今はどうかというと、私は「その車種のマニアユーザーの『みんカラ』のブログ」が最もリライアブルなソースであり、その車をちょっと味見しただけの評論家のレポートが参考になることは少ない、と思っている(笑)そういう環境のせいなのか、あるいは、そういう環境がそれを顕在化させたのかは分からないけど、近頃、メーカーにおもねって、金のために提灯広告みたいな記事しか書かないような「自称・自動車ジャーナリスト」みたいな輩が目立つんじゃないか?と感じる。徳大寺さんや小林さんの時代と違って、今はメーカーもそんなにダメな製品を出すわけじゃないし、ユーザーの目利きもよくなっているから、それで消費者が損害を被るような結果を生じることは少ないのかもしれないが……。そういう人たちの書いたレポートを読んでいると、こういう草分け世代のスピリットを思い出してほしいなぁ、と思うのである。享年74。ご冥福をお祈りいたします。