軍艦三笠
横須賀は日本人なら知らない人はいないと言われる戦艦”三笠”が記念艦として展示されています。
日本が列強から独立を勝ち取った日露戦争。
その命運をかけた日本海海戦で戦艦三笠は連合艦隊の旗艦でした。
東郷平八郎を司令官とする連合艦隊は明治38年5月27日の日本海海戦でロシア海軍のバルチック艦隊の主力艦38籍のうち撃沈19、捕獲5、座礁または自沈2、逃亡後中立国にて抑留9となり、帝国海軍の損害は水雷艇損失3のみというワンサイドゲームで壊滅させました。
戦艦三笠は皇居のほうに向いていますが実はその延長線上にはロシアがあり、いつまでも日本を見守るとともにロシアに対してにらみを効かせるという意味があるようです。
日本海海戦では輝かしい戦績をもつ三笠ですがその後は不幸続きで日本海海戦後の9月11日には弾庫にて火災事故が発生し佐世保港に爆沈、殉職者339名を出しています。
さらに大正10月16日にはアスコルド海峡にて座礁、関東大震災にて被災し抑留岸壁に接触して浸水、さらにはワシントン条約で廃艦の運命になる予定でした。
しかし記念艦ということで永久保存がきまり、大正15年より記念艦三笠として横須賀にて保存されることにないました。
が、大東亜戦争終結後の昭和20年に米軍により接取され砲などを撤去させられさらに戦後の混乱の中で部品がはぎとられ、米兵による娯楽施設化にされるなど見るも無残な姿になっていたとされます。
この荒廃をイギリスのジョン・ルービン氏がジャパンタイムズに投書し大きな反響をよび、さらに米海軍のニミッツ提督が三笠の惨状を本に記しその売上金を保存の寄付にするなど連合国側から保存に対しての動きがあったようです。
昭和34年に復元工事が開始され昭和36年には復元記念式典が開催され今の記念艦三笠へとつながります。
住所: 横須賀市 三笠公園
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